脆仙の心理
ネイズとテオは毎夕方から夜にかけ、訓練場を貸し切って__と言うより時間が時間なので誰も利用者が居ないだけである__鍛錬に励んでいる。
きっかけは睡眠を削ってまで死に物狂いで自身を鍛えるネイズを見かねたテオが、体調管理の代わりに持ち掛けたことだった。
その時のネイズに真面な思考はなかったが、テオの言葉に乗せられて承諾し現在このような状況に至る。
自分で闇雲に鍛錬するより、圧倒的な強者に鍛えられることは認めたくは無いが着実に効果を発揮している。偶に実戦と称してテオに投げ飛ばされるは木剣で殴られるは散々な目に遭うが、最近では元々一回の実戦で二十発以上は入れられていた攻撃は十回辺りまで減ってきていた。
テオもネイズの成長を認識しているらしく、日が経つにつれて嬉しそうな鍛錬中に表情を向けて来ることが多くなっていた。
しかし最近、ネイズは苛立ちを感じ始めていた。
何故か。
テオが鍛錬に集中しなくなったからである。
実戦でも鍛錬でも、自分の攻撃を適当にあしらいつつ何か別のことを考えているのが見て取れた。
呼びかけてみれば「ん? どうかした?」と返して来る。理由は無いが、とにかくむかつく。
更に最近になって、テオは鍛錬の時間を縮めた。体調管理のため終了時間は変わらないが以前よりも二時間ほど遅れて訓練場に現れるようになったのだ。
ネイズはテオの提案を渋々承諾こそしたが、内心かなり腹が立っていた。
そして今朝、そのことをテオに話した。
するとテオは言った。
「流石にもう一方の用事を放置するわけにはいかないから、代わりを頼んでおくね」
代わりだと?
一応ネイズはあの三つ子に次いでこの学院の、少なくとも一年生の中では第二の実力者である。
教師にでも頼むつもりか? それとも生徒に?
教師なら単純な魔力量で見れば自分以上の力を持つのは現役フィロイドストーン兼学院長のシラーのみであり、生徒に至っては全く思い当たる者が居ない。
奴の兄と姉にも奴と同じ用事がある。学院長にそのような個人的なことを頼むわけにもいかない。
下に見過ぎだろう、と怒りが湧いた。
正直に反論したところ、テオは「大丈夫大丈夫。君よりかは間違いなく強いから」などと吐いた。
そのような人物が学院に居たのか。三つ子のように普段は実力を隠して生活しているのだろうか。
どうにか納得し、ネイズは「世界は広い」ということで片付けたのだった。
・・・
そうして夕方、放課後になった。
ネイズは訓練場に立っていた。他の生徒が劇に向けた作業をしている場所とは別の訓練場である。
普段通り木剣を持ち、暇な時間は素振りと魔法の強化に努める。
相手が居れば武術とそれらを同時に行えるから便利なのだが。
訓練場は夕日に満たされ、ネイズ以外に誰の気配も無い。あの声変わりなど永遠に来ない気がする声が無いとここはこれほどにも静かなのか。
素振りの音と魔法が放たれる音だけがその場に波を立てる。
テオから借りた魔導書を捲り、上級魔法を試し打ちし、その安定性を高めて威力を上げていく。
流石奴が元の魔導書のメモ兼独学で習得した魔法式の書留用に使っている書物と言うべきか、見たことも聞いたことも無い複雑で強力な魔法がずらりと記されている。
何の魔法を元にどうやって作ったのか。以前質問したが、「悪夢だよ」と突然の真顔で答えられた。何があったのだ。
ともかく独自のものと魔法の精度は高かった。本格的な戦闘に使えそうなものばかりであり、下手をすると建物一つ程度一瞬で消し飛ばせそうである。
だが不愉快なことに、実戦試験で見せたような強力な魔法は見つからない。奴の魔力と技術がこの程度にとどまるわけが無い。これは勘ではなく実際に戦ったことによる確信である。
おそらく意図的に隠している。それはそうだ、あのレベルに追い着く者が彼ら以外に生まれてしまえば国が滅びかねない。
テオが寄越した結界式を付与された札のお陰で訓練場は無傷だが、これが無ければまず間違いなく吹き飛んでいる。
しかしそれまでにこのような魔法を使いこなせている辺り、認めたくは無いが成長を実感せざるを得ない。
_____それにしても。
遅い。
代わりとやらはいつ来るのか。これでは最近と変わらない。
ネイズはその手から放つ魔法の威力が段々と強まっていることを自覚した。
苛立ちが魔力に出ているのだ。
「……」
・・・
「ロメリオスト」
別の訓練場に入ったネイズは怒りで低まった声で呼びかけた。
突然の来客にその場に居た者はある二人を除いて全員が目を見開いた。
交流祭に向けた練習用の訓練場である。
次の瞬間、三つの声が重なった。
「何だ」
「何だ?」
「どうしたの?」
三つの返答に、ネイズは小さく眉をひそめた。
一つ呆れるようなため息を吐き、再度呼び掛ける。
「……末弟に用がある。少しこちらに来い」
テオは少し躊躇い、アイレンを見遣った。
アイレンが頷き、テオは手に持っていた紙の束を閉じて魔法で異空間に収納し、舞台から降りた。そしてネイズの元に駆け寄った。
「ネイズさん、鍛錬は?」
「代わりとやらはいつ来るのだ」
ネイズは質問に答えず、逆にテオに尋ねる。
テオは見開いていた大きな眼の上の瞼を僅かに落とした。
「え?」
数秒固まった後、テオは考え込むように視線を落とした。
そして呟いた。
「あンのコウモリ……」
魔力が乱れ始める。
これはおそらく、代わりの者が頼みを忘れていたのか。
ネイズはテオへの苛立ちを鎮めた。
(……コウモリ? どういう意味だ?)
それが少し引っかかった。が、十中八九下らない蔑称だろう。
テオは再びネイズを見上げて謝るように手を合わせた。
「ごめん! 代わりの人が忘れてたみたい! 呼び出したからすぐ来ると思うよ」
「そうか。では」
ネイズはさっさと踵を返した。
珍しくテオは引き留めず、親し気に手を振って見送った。
(……そこまで忙しいのか。邪魔してこない分快適だな)
出口までの暗い廊下を歩き、ネイズは前方に転移魔法陣を展開した。
・・・
元居た訓練場内に出ると、先程まで居なかった筈の人物が壁にもたれかかっていた。
気だるげに欠伸をし、背筋を伸ばしてまたもたれかかる。
ネイズは僅かに身構えた。
それは一人の男子生徒だった。癖のある黒髪に、赤みがかった瞳。目の下には薄い隈が浮かび、背はあまり高くない上に軽く猫背になっている。
魔力量も大したことはない。
しかし、本能が告げている。この少年は上位存在だ。
こんな生徒が学院に居ただろうか。
「お前が相手か?」
「ん……そうだよ」
まだ声変わりしきっていない、少年特有の声の高さ。
その妙なざらつきに、ネイズの体が強張る。
「名前を聞いても良いか」
「……そういうの気にするんだ、君」
「まるで以前僕と会ったことがあるかのような言い方だな」
「……不愛想で有名じゃん」
奇妙な間があった。
しかしネイズがそのことについて尋ねる前に、少年が答えた。
「ルシエル。平民。二年生。テオ様の家のシヨーニン」
「……成程、平民か」
先輩に対する敬意など払う気の無いネイズは、納得したように呟いた。
平民なら名前が聞こえてこないのも頷ける。それも、ここまで魔力の制御に長けているとなれば誰も気が付かないだろう。
自分に敬語を使わないのは、見た目からしておそらく主人以外を敬う気は無いためだ。
ルシエルと名乗った少年は、手に持った木剣をネイズに見せた。
「君、鍛錬したいんでしょ? 始めないの?」
言葉とは裏腹に、その背中はまだ壁にくっついている。
こうも無気力では、本当に鍛錬相手が務まるのかと心配になる。
「……始める」
ネイズは一旦異空間に収納していた木剣を取り出した。
ルシエルとネイズは舞台に上った。
二人の手首にはテオから渡された訓練用の腕輪がはめられている。これで怪我をする心配は無い。
ルシエルは鍛錬の開始前だと言うのにまだ頻繁に欠伸をしていた。
「ふああ……今日は実戦なんだっけ」
「その筈だ。ロメリオストに聞いたのか?」
「ロメリオスト? ……ああ、テオ様のこと? 三つ子なんだから名前で呼んでくれないかなあ」
「そんな仲ではない。それに馴れ馴れしく名前で呼ぶ必要も無い」
「へー」
ルシエルは碌に構えないまま、開き切っていない瞼の下の瞳でネイズを見据えた。
ネイズは剣を構えた。
「では、行かせてもらうぞ」
「どーぞ」
気だるげな声が答えた。
そのやる気の無さと完全にこちらを下に見ている態度に軽く不快感を抱いたネイズは、すぐさま炎を纏わせた剣を振るった。
しかし。
「……!」
身体強化を上乗せし、直前の簡易付与魔法で威力を底上げした斬撃は、軽い木の棒のように簡単に防がれてしまった。
ルシエルの表情は変わらない。上がりきらない瞼も、戦闘意欲の無い瞳もそのままだ。
だがネイズがいくら剣を押し込もうと、その腕は動かなかった。
「安心しなよ。僕はテオ様よりは弱いから」
動揺に気づかれたか、炎を結界で防ぎながらルシエルが言った。
ネイズは素早く後ろに跳び、再び剣を構える。
ルシエルが動く気配は無い。
〈紅炎砲〉
魔法陣から赤い熱線が発射された。
テオとの鍛錬で威力は以前よりだいぶ上がっている。テオの結界を二つ焼き切るほどには。
だが、それが到達する頃には既にルシエルの姿はネイズの背後にあった。
剣を振り上げ、上からからネイズを殴ろうとしている。
(掛かった)
〈串刺しの刑〉
床に魔法陣が出現し、巨大な黒い棘がルシエルの心臓部目掛けて飛び出して来る。
紅炎砲など基礎的な魔法で勝負が着けられるなどとは当然思っていない。狙いはそれを交わした後の僅かな隙だ。
しかしその切っ先が触れる前に、ルシエルは空中を蹴って棘を躱した。
棘が生えてからルシエルに到達するまでの時間は、長く見ても瞬き二度分程度。その間に足元に結界を作り出し、それを蹴って跳躍したことになる。
速過ぎる。
何とか振り向くが、また背後を取られていた。
突然移動した重く暗い気配に、ネイズは反射的に振り返り剣を振るう。
が、それは虚しく空を切った。
ルシエルは姿勢を低めて斬撃から逃れていた。
初めてルシエルの振った木剣が足首を打つ。
凄まじい力で地面から引き離され、ネイズは大きく体勢を崩した。
「これで終わりで良いのかな」
ルシエルは倒れたネイズを見下ろして呟いた。
そしてさっさと踵を返し、舞台から降りようとする。
しかしその前に、ネイズが起き上がる気配と共に風圧が首筋を撫でた。
「……っと」
ルシエルは頭を下げて木剣を避けた。
「ロメリオストが伝え忘れていたか? 実戦は腕輪が壊れるまで続けるぞ」
「えー……」
ルシエルはあからさまな溜息を吐いた。
体勢を直し、ネイズに向き合うルシエルは面倒くさそうに肩を落とした。
「これだから好戦的な人とは関わりたくなかったのに」
「好戦的とは心外だな」
「事実でしょ」
ルシエルは木剣に魔力を込めた。
脆仙が持つには、あまりにも重く、どす黒い魔力に一瞬息が詰まる。
ようやく戦意を見せた相手にネイズは僅かに機嫌を直し、魔力を鎮めて脚に力を溜める。
直後。ルシエルの姿が消えた。
そして背後にその気配が現れた。
突き技が後頭部を狙って放たれる。ネイズは間一髪防御結界を張り、速度の落ちた切っ先から逃れる。
(避けられた? 脆仙の子供にしては本当に強い……テオ様との鍛錬の成果かな)
ルシエル___擬態したディウルカは、下半身を旋回させた。
空気を裂く蹴りが再びネイズの頭を狙う。
ネイズは防御結界を張って蹴りの速度と威力を落とし、ルシエルから距離を取る。
(才能と努力は怖いね)
ルシエルは向かってくるネイズを横に流し、その背後に立つ。
疲れる様子も無くしつこく斬撃を浴びせようとしてくるネイズの手に、魔法陣が浮かび上がった。
〈破息白風〉
白い風が、日の落ちかけて薄暗い闇に包まれつつある訓練場に走った。
ルシエルの振るった木剣をすり抜けたそれは、その胸部を貫通した。
痛みが腕輪によって衝撃に変換され、同時にルシエルの全身の感覚が胸部を中心に大幅に鈍った。
「これ、は……」
「知っているのか」
「テオ様の……自作魔法式……!」
痛みを伴わない痺れで上手く話せないのか、ルシエルの声は掠れ言葉が途中で詰まる。
「そうだ」
ネイズは動けなくなったルシエルの背後に立ち、炎を纏わせた木剣を振るった。
が。
斬った筈のルシエルの体は煙のように掻き消された。
「あ、もしかして今の、受けてれば早く終わった?」
背後から声が聞こえた。
ネイズは振り向きざまに斬撃を繰り出した。
「幻影か……!」
「正解」
剣は片手の力で抑えられてしまった。
その額の前に、細い手が差し出された。
〈魔爆〉
ルシエルの魔力の塊が膨れ上がり、一気に収縮した。
そして一瞬、結界内が光で満たされた。
魔力を爆発させる魔法。周囲の物を払うために使用するような軽いものではない。そこにある物を破壊する攻撃用の魔法だ。
ネイズの腕輪が砕け散った。
「壊れたね。終わり?」
「……ああ」
「お疲れー! あれ、もう実戦終わっちゃった?」
緊張感を破くような明るい声が割って入って来た。
二人は同時に入口の方を振り向いた。
少女のような小柄な少年。テオだ。
「ちょうど今終わったとこ」
「見たかったのになあ。それで、どう? オレが育てたネイズさんの実力は」
「強いんじゃない?」
ルシエルは適当に返した。
そして木剣を異空間に収めた。
「もう帰って良い?」
「良いよ。……あとでちょっと説教をさせてもらうけどね」
「うげっ……はあい」
ルシエルはテオの意味深な笑みを見て顔を顰めた。
テオは怒り始めたら長い。今回は地雷を踏み抜いたわけではないが、それなりに怒鳴られることは確実だろう。
ルシエルが出入り口の向こうに消える。
テオは木剣を取り出した。
「ルシエルとは主従ではないのか?」
「主従だよ」
「それにしては妙に親し気な口調で話していたが」
「そりゃあ小さい頃から一緒に育った仲だもの。敬語なんて使われた方が居心地悪いでしょ」
テオは舞台上に上りながら言った。
ネイズの正面に立ち、木剣を構える。
「ルシエルさんはどうだった?」
「相手としては申し分ない」
「良かった。交流祭が終わるまではしばらくあの人にオレの代理を頼むからさ」
「……そうか」
「始めるよ。準備は良い?」
「ああ」
・・・
訓練場を出たルシエルは、倉庫の裏に入った。
この時間に外を出歩く生徒は殆ど居ない。それもこのような倉庫ばかりの場所に誰かが来る心配は無い。
ルシエルは魔法陣の中に消える。
青空に鮮やかな芝生の広がる異空間が広がっていた。
ルシエルの全身が黒い光に包まれた。
制服が消え、黒い貴族服に変わる。円い瞳孔が縦に伸び、耳の上からは黒い巻き角が現れる。背中からは一対の黒い翼が生え、瞳の赤が濃く、鈍く光った。
擬態を解いたディウルカは、近くに生えていた木の陰に寝転んだ。
(あの子……)
夜空に浮かぶ月のような色合いの少年。雰囲気も丁度そのような感じだった。
(あと数年修行すればそこそこになりそうだったなあ……)
自分が思っていたよりも、脆仙の世界は広い。全て片手で握りつぶせる程度だと思っていたのが、主人といいその兄姉といい、今日初めて言葉を交わしたあの少年といい中々の脅威になりそうな個体は以外にも多かった。
まあおそらくそのような突然変異種から、例の勇者とやらが生まれたのだろう。
(いやー、怖い怖い。……にしても)
ディウルカは先程の鍛錬直後の光景を思い出した。
テオが現れた時。自分が偶々見てしまった、感じてしまったものを。
(脆仙は分からないなあ、あんな分かりやすい顔と魔力しておいて、『そんな仲じゃない』だって。全く……本当に面倒くさい)
大きな欠伸と共に、ディウルカは目を閉じた。




