転生鬼教官
「もっと声を出せ。そうだ、腹に息を溜めろ。本番の舞台は広いので、出来る限り遠くまで響かせろ」
「全員、立候補するだけあって筋が良いな。次は動きだ。柔軟性に自身はあるか?」
「必要か、だと? お前の出番は私程多くないが約一時間、その間休まず動いて話し続けるのだ。分かったら来い」
「……一二〇度も開かないのか。硬いな。いや、良い。まだ時間に余裕はある」
「この程度で叫ぶな。まだ八回目だ」
「何を勝手に休んでいる。力を入れろ」
「次に不足しているのは基礎体力だ。外に来い。走るぞ」
「誰が止まって良いと言った。限界が来れば私から止める。泣き言を吐くな、走れ」
練習二日目にして、生徒たちの元には一人の鬼教官が訪れた。
否、正確に言うと一日目から普通に参加してはいた。元々は役者の一人だった生徒である。
立候補した者の中には、意欲はあるが実力の足りない者が一定数居る。故にロザリエが、色々と頼りになりそうなその人物に相談したのだ。
そう、セノカである。
怒号とまでは行かないが聞いていると反抗心を削がれる鋭い指示と叱咤の声が学院を巡る。
運動用の服に着替えた約二十人の生徒が走り回らされ、肩で息をしていた。
勿論その中にはシャノンも混じっていた。
昨晩「セノカさんも休ませなくちゃ」と健気な計画を立てていた面影はなく、鬼教官の厳しい訓練に息も絶え絶えな様子で何とかついて行っている。
セノカは生徒たちの先頭を走っている。レイとテオもそれに続いていた。
見た目だけならこの中の誰よりも体力の無さそうなテオは未だに息を上げず、自分に合わせて並走するレイと世間話を交わしている。
三つ子が涼しい顔で風を切る中、生徒たちの速度は落ちて行った。
しかしすぐにセノカの声が響き、危機感と鬼教官に対する恐怖から速度を上げた。
「テ、テオ君……テオ君はっ……大丈夫? つ、疲れてない?」
「十年以上もこんなことさせられてるんだから流石に慣れる」
「じゅ、十年⁈」
「無駄口を叩く暇があるなら速く走れ」
「はいい!」
かなり小声で話すよう努めたが、セノカの耳は誤魔化せなかったらしい。
走っている最中であるのにも関わらず平坦で涼しい声だった。
話していても速度を保てるテオは、叱られた生徒に気の毒そうに苦笑した。
「姉さん、意外とやる気だね」
「……そうだな」
「ブカツとかに入ったら、こんな感じの先生が居るらしいじゃん。学校なんて行ったことないのにどうしてこんなに慣れてるんだか」
「教育が上手いと言うより、人を扱うのが上手いのだろう」
「成程」
テオはすんなりと納得した。
一応嘘は吐いていない。
セノカは他者に共感するような性格ではないが、人の思考の流れを読むのは得意だ。そのくらいなら局員の記憶が無いテオにも分かる。テオの学力もその頭脳による教育のお陰である。
(……懐かしい)
レイは隣を走る弟を意識しながら昔のことに思いを馳せていた。
前世でもセノカ……D-1082は、局長から時々新人の教育を任されていた。
まだこちらの世界に足を踏み入れて間もない新人を根性から叩き直し、戦闘要員として申し分ない程度に鍛え上げる。教育は効果的で、普通の青年が軍人のような顔になっていたのをよく覚えている。
あの時局長が「死なないようにだけ鍛えればいい」と言っていなければ、もし局長が完全に狂った冷酷な人物だったらどうなっていたか。きっと教育された全員が意志の無い生物兵器になっていたところだろう。
局長のお陰で一般的な範囲に収まった健全な教育を覚えてくれたようなので、レイは今更ではあるが彼に感謝した。
「兄さん、そろそろ休憩地点だってさ」
「……ああ」
テオの声で意識が現実に引き戻される。
ふと見下ろすと、曇りの無い藤色の瞳と目が合う。
前世はそこまでの身長差は無かった筈なのに、転生してからはあちらからかなり急な角度で見上げて貰わないと目を合わせられない。
この小さい体で疲れた様子も無く自分と並走しているのを見るのは不思議な感覚がした。
前世では「もう一人」との時間の方が多かったためだろうか。小さな体とそれに似合う純粋な性格がどうにも奇妙だ。
「もう一人」もD-1082と同じように、新人の教育を任されたことがある。正直、D-1082の時よりも冷や冷やした。
結局断ったらしいが、そのまま承諾されていたらどうなっていたことか。
二人に他者を任せるのには一定の不安が付きまとう。しかし二人は他者を予想外に巻き込むことは無いから、その点に関しては安心だ。
本人がどう思っていようが、セノカは良い教官である。
レイは表情を動かさずに、先頭を走る妹の背中を微笑まし気に眺めた。
「……レイ」
「すまん」
見ていたのがバレてしまったらしい。視線を浴びるとつい警戒してしまうのが局員の癖だ。
普段通り軽く睨まれてしまった。
・・・
休憩地点に到達し、セノカはようやく足を止めた。
「五分休め。次は図書館まで行く」
肩で息をして地面に座り込む生徒に、汗一つかいていないセノカが言った。
やっと訪れた休憩時間に生徒たちの目が輝く。
冷静になった生徒たちはその時、自分たちが周囲の生徒の視線を集めていることに初めて気が付いた。
この学院には前世で言うところの部活が無い。生徒が集団で走っている光景が珍しいのだ。
日陰に入り、生徒たちは無言で水分補給をした。
「セノカさんは、水要らないんですか?」
この集団の中で一際疲労を露にしているシャノンは、集団を見張るように立つセノカに尋ねた。
「もう飲んだ」
「いつの間に……」
セノカは懐中時計を見ている。五分経つのを待っているのだろう。
休憩時間中でも生徒たちはセノカに対する不満を零さず、休むことのみに集中している。
心の内に全く不満が無いわけではないが、どんなに小声で呟いても聞かれそうな気がするからだ。
テオとレイはそのような生徒を憐れむように眺めていた。
「思い出すなあ。物理を習う時、姉さんに五、六回くらい参考書で殴られたこと」
「お前が寝たからだろう」
「うっ……でも、それ以降は一度も寝てないし」
テオは目を逸らして口を尖らせた。
ちなみに殴ったとは言っても軽くである。腫れるか血が出るほどの威力ではない。
しかし脳天なので本人はかなり痛がっていた。
それでも反抗する気が起きなかったのは、防衛本能が原因でもあるが飴と鞭の使い分けが上手いからだろう。
「あの頃は確かまだ明るかったよね?」
「そうだな」
「変わっちゃったけど懐かしいや、この雰囲気」
テオは無表情のまま静かに懐中時計を眺めるセノカをちらりと見た。
「何だ」
「何でもないよ」
「……まあいい。あと十数秒で五分だ。準備しておけ」
セノカが冷淡に告げた。
生徒たちの顔から表情が抜け落ちた。
だがここで不満を漏らしても強制的に走らされるだけだ。生徒たちは素直に立ち上がり、軽く準備運動を済ませた。
セノカ、レイ、テオの三人は既に先頭に集まっている。
他の生徒は渋々立ち上がり、その後に並んだ。
・・・
「ご苦労だったな! ……本当に!」
訓練場に戻るなり、ロザリエの良く通る声が出迎えた。
もう脚に力を入れられず、生徒たちは床に座り込んだ。
あれから一時間。ようやく学院一周を走り終えることが出来た。
セノカ達三人は未だ疲労を全く見せずさっさと更衣室に引っ込んでいった。
「ああ、一つ言い忘れていた」
更衣室に向かった筈のセノカが戻って来た。
壁から顔を覗かせ、座り込む生徒たちを見下ろす。
「来れる者は後で喫茶店に来い」
「喫茶店……?」
「奢ってやる」
それだけ言ってセノカは更衣室に戻った。一つに纏められた長い髪が尻尾のようになびいて壁の向こうに消えた。
内容に反して平坦な言葉に生徒たちの思考が一瞬停止する。
しかしその表情はすぐに輝き始めた。
現金な者どもはその瞬間、疲労が嘘だったように立ち上がり着替えに向かった。
女性陣はそれを見て呆れていた。
「何頼む?」
「そりゃあ奢ってもらえるなら高いヤツに決まってんだろ!」
「ばっ……聞こえるぞ! 取り消されたらどうすんだ!」
更衣室から煩い声が漏れ出ている。更衣室の外の生徒にも聞こえていた。
勿論更衣室で着替えているセノカにも丸聞こえである。しかしこれで激昂するほどセノカは短気でもなければそもそもその手の言葉を気にしたことは無い。
テオとレイは若干不機嫌そうに、騒ぐ男子を睨んでいた。
こういうところが「飴と鞭の使い分けが上手い」と言える理由なのだろう。
教え方は中々厳しく、普段通り一瞬の隙も見せないが、こまめに褒めて褒美も与える。
今まで鍛えた新人は皆、セノカ__D-1082に従順であり本気で尊敬していたようなので、そこまでとはいかずともこの生徒たちも似たようなことになりそうだ。
(……いや、交流祭が終われば記憶は改竄か)
尊敬も何もかも都合よい風に記憶を消されて失われる。
別にセノカから教え子に対しては何の感情も向いていないのだ、間違いなく彼らとの付き合いはこの短期間だけに留まる。
それがどこか寂しいような、気の毒なような、複雑ではあるがレイにそれを止める気は無かった。
___にしても、この人数の菓子を奢れる金の出どころがフィロイドの給料であるのは不思議な感じがする。給料を出す側もまさか同級生への褒美に使われるなどとは思っていないだろう。
申し訳ない気もするので、その分は任務で返さなければと、レイは着替えながら考えていた。
・・・
「うおおお……!」
喫茶店の中で、一人の男子が豪華な甘味を前に感嘆の声を上げた。
日が暮れかけ、空は鮮やかな緋色を映し出している。
店内は昼間と同様明るく、本来は客の殆ど居ない筈のそこではセノカに連れられた生徒が節度は守りつつ騒いでいる。
「まさかこんなすぐにこれが食えるとは思ってなかったぜ……!」
「良かったね」
「レイ君とテオ君は奢ってもらわなくて良かったの?」
「オレたちは疲れてないから自腹でーす」
「妹に奢らせるわけにもいくまい」
レイは自腹で他より一際大型の菓子を食べている。
テオは紅茶一杯だった。
「何か申し訳ない」
ディモン役のハイケが小さく俯いた。その前にあるのはクリームやら果実やらが詰め込まれた見るからに甘ったるそうなサンドイッチだった。
「セノカさん、お金大丈夫なんですか……?」
小さなタルトを頼んだシャノンは、暇つぶしに書物を読むセノカに尋ねた。
テオと同じように紅茶一杯がテーブルに置かれ、琥珀色の水面が照明を反射している。
セノカはそのまま書物から目を離さずに答えた。
「問題ない。使う機会が無かったので余っていたところだ」
「無欲の余裕……」
貴族の娘なら服か遊戯で日常的に金を使うのが当然だと言うのに。
シャノンも他の貴族程ではないが、金が余ると感じたことは無い。
貴族としてとことん理解の外に居る人だなあ、とシャノンは心の内で呟いた。
「なあセノカさん、妙に指導するのに手馴れてたのは何か理由でもあるのかい?」
主人公エレニカの幼馴染ビリアの父親イガト役のエギストが、パンケーキを飲み込んで言った。
「弟に座学を教える過程で身に着けた」
「え? オレ?」
「へー。頼りになる姉上じゃないか。うちの姉にも見習ってほしい」
エギストは苦笑し、パンケーキをもうひと切れ口に放り込んだ。
「お前にも姉が?」
「ああ。三つ上のね。浪費は酷いし、喧嘩は強いし、私のことを顎で使って来る。全くいい迷惑だよ」
「そんなお姉さんが……大丈夫なの?」
「別に殺されかけたりはしてないよ。私は逆らえないがね」
要するに世間一般で想像される姉、ということだ。
姉の情報源が感情の起伏が乏しい……というか無いセノカと、矢鱈豪快なロザリエと、人づきあいが良く暴力とは無縁の朗らかな琴弥だけであるテオはエギストの話す姉の傍若無人っぷりに興味を示している。
(姉も兄も難儀……)
レイは日常的な会話を甘味を消費しながら聞いていた。
「レイ君、それ一口くれ」
隣の席に座っていたハロスタが顔を寄せて来た。
彼自身が頼んでいた焼き菓子はもう食べ終えてしまったらしい。
「頼めばよかったものを」
「そんな大きいの気軽に注文できるか」
レイの目の前にある菓子は甘味が好きな女子でも平らげるのが困難になりそうな大きさだった。
タルト生地の上に大量の果実とクリームが乗り、蜜のようなものもかかっている。男子であろうと女子であろうとカロリーを気にせざるを得ない見た目である。
レイはナイフでハロスタの口に入りそうな大きさに切り分けた。
「……ん」
「ありがと」
差し出されたフォークから菓子の断片を取り、ハロスタは目を細めた。
「美味い……けど、君、こんな甘いの食べきれるのか?」
「食べきれる」
レイは間髪入れずに断言した。
胃の容量がとんでもなく広い上に食べても太らない。女子から見れば羨ましいことこの上ない体質である。
ハロスタは巨大な甘味の化け物が攻略されていく様をまじまじと見つめた。
「……」
正面からそれを見ていたシャノンは手元のタルトを見下ろした。
食べるのはそこまで早くないので、まだ半分以上余っている。
ナイフでカスが散らないよう切り分け、シャノンは断片をフォークに刺した。
「……一口要ります?」
そしてそれをセノカに向けた。
セノカは書物から一瞬視線を外す。
全く興味なさげな冷たい視線にシャノンが固まった。
「あの、その……昨日のこともありますし、今日もお世話になったので、お礼と言うか何というか……」
シャノンは顔を赤くして俯いた。
セノカは再び書物に視線を戻した。
「要ら……」
要らない、と言おうとした。
しかしその時、伝念によって幾つもの声が重複して頭の中に響いた。
『姉さん?』『セノカ様』『そこは受け取ろうよ』『断るのはどうかと』
聞き分けられた限り、テオ、レムノス、ディウルカ、ゾルヴィアの四人らしかった。
無関心そうなディウルカが態々言って来たのは先日のハンカチのことを根に持っているからだろう。
セノカは書物を閉じ、テーブルの上に置いた。
シャノンは青の混じった長い金髪が近づいたことに少し遅れて気づいた。
顔を上げるとそこには、長い前髪を耳に掛けて近づくセノカが居た。藤色の目は伏せられ、シャノンの思考が停止している間にフォークに刺さったタルトを攫い、また流れるように元の位置に戻る。
そして再び書物を開いた。
「甘いな」
セノカが小さく呟いた。甘味に慣れていないから余計に甘いのだろう。
シャノンはしばらく固まっていた。
その顔が茹で上がるように赤くなっていく。
「マリンワーズさん……?」
正面でそれを見ていたテオが控えめに呼び掛ける。
割と素直にシャノンは正気に戻ったようで、焦点の合っていなかった目がテオを見た。
「なん、何でしょうか?」
「急に動かなくなったから……」
「大丈夫です! ちょっと驚いただけで……」
シャノンは何とか赤面を誤魔化そうと頭を横に振った。
突然のことに驚いたためか、心臓が痛いほどに鳴っている。獲得能力で五感を限界まで高めたセノカ、レイ、テオには丸聞こえだが、そんなことをシャノンが知っているわけはない。
シャノンは平静を装ってタルトを一口頬張った。
使っているフォークが一度ではあるがセノカと共有したものであることは完全に頭の中から消えていた。
・・・
風呂から戻ったシャノンは寮部屋のベッドに腰かけた。
白い寝巻に薄い皺が寄り、同色のベッドの上に広がる。
「はああ……」
シャノンは大きく溜息を吐いた。
「何か悩みでも?」
「はえっ⁈ セノカさん⁈ いつからそこに⁈」
来ると思っていなかった返答にシャノンの背筋が伸びた。
「ここはお前だけでなく私の部屋でもある。居ても何らおかしくはないだろう」
「けど喫茶店からは別方向で……」
「図書館だ」
セノカはまだ制服姿のまま書物を開いている。
日中はまとまっていた長い髪は普段通り下ろされてベッドの上で波打っている。
「……どうした」
「いえ……」
色素の薄い白金の髪で何とか顔を隠す。体温が上がって顔色が赤くなっているのが嫌でも分かったからだ。
そんな誤魔化しがセノカに通用するわけも無く、静かな視線が背中に刺さるのを感じた。
おかしい。先ほどの菓子の件がまだ頭について離れてくれない。菓子を一口譲るくらい、女友達の間でならよくあるコミュニケーションの筈だ。
伏せられた藤色の宝石の宿る目と、耳に掛けられた変わった色の髪と、近づく白い肌と桜色の唇が何度も脳内を過る。
嫌に心臓が苦しい。
「……シャノン」
そこに突然かけられた声に、シャノンは大げさなまでに飛び上がった。
「はいっ⁈」
「最近、情緒が不安定なように思えるのだが」
シャノンは固まった。
自分でも理由は分からないが、最近確かに情緒がおかしい場面が多々存在する。
だが、何故だろう。
その理由をセノカに言われることに抵抗がある。かなり強い抵抗が。
「もしや」
シャノンはセノカの言葉を止めることが出来なかった。
動くことは勿論、呼吸さえ忘れていた。
無慈悲にも、セノカは言った。
「……生理前か?」
______シャノンはむせた。
「はい⁈」
予想していたのがどのような言葉だったかなど覚えていない。そもそも予想なんて出来ていなかった気もする。
しかしそれはあまりにも唐突過ぎた。
シャノンの思考は衝撃によって殆ど飛んでいた。
「違うのか?」
セノカは美しい藤色の瞳でまっすぐシャノンを見ていた。
小首を傾げ、本気でシャノンの異常の正体を探ろうとしている。
「ちがいます……」
「そうか。疲れているなら休め」
(心音の変化が煩くてこちらが休まらん)
獲得能力の一つである〈超五感〉による効果で心音程度簡単に聞き取れてしまう。
セノカの中に下心など無ければ心配する気すら全くありはしないのだった。
そんなことなど知る由も無いシャノンからすれば突然女子の敏感な話題に触れられて瞳と同色になるまで赤面している。
セノカはそのまま書物を読み進めた。
「あの、セノカさん、今日はこちらで……?」
「ああ」
三時間以上の睡眠を取るのは実に約三十日ぶりである。
自分たちが大丈夫だと主張してもレムノスとゾルヴィアとテオが煩いのだ。
なので今夜は作戦立案の続きと神話の研究で時間を潰し、早めに眠ることにした。
シャノンはセノカの返答を聞いて絶句していた。
(何で今夜に限って……)
夕方の件で気分がおかしくなっているというのに。
その原因であるかもしれないセノカと同じ部屋で寝るなんて。
(休んでほしいとは思ったけど、こんなの予想してないわよお……)
シャノンは顔を逸らしたまま嘆いた。
一方でセノカの脳内にはレムノスの声が響いていた。
『せーりって?』
『女性の体に定期的に起きる現象だ』
『じゃあセノカ様もなるの?』
『ならん』
セノカが従者と気の抜けた会話をしている中、シャノンは熱を消すために頭を振った。
問題ない。時間が経てば慣れてこの緊張も消える。消えないと困る。
シャノンはさっさとベッドの中に潜った。
「じゃあ、私は寝ますね」
「分かった」
セノカは書物を閉じ、自分の机の上に置いた。
そしていつの間にか用意していた着替えを手に取った。どうやらこれから風呂に行くらしい。
シャノンは安堵の息を漏らした。
「懲りたと思うが、今夜こそ無理をして睡眠を疎かにしないように」
「……すみません」
気まずさとその他諸々の事情で顔を向けられないままシャノンは詫びた。
セノカがどんな表情をしているかが分からない分、想像で補ってしまう。滅茶苦茶嫌な顔されていないだろうか、と。
「それと、夕方にも言ったが明日の朝は走り込みだ。寝坊するなよ」
すぐに扉の開閉音が聞こえて来た。
閉まると同時に部屋の照明が落ち、月光が窓から薄く部屋を照らした。
(本当に私、どうしたのかしら。セノカさんに関わるとすぐに情緒がおかしくなって、熱くなって、思考が回らなくなる。これじゃあまるで……)
何かが思考を掠める。
しかしその何かは、シャノンが正体を掴む前に消えてしまった。
シャノンは重い瞼を閉じながら、沈んでいく意識の中で一人の姿が思い浮かぶのを認識した。




