少女の苦悩
「今日はそこまで!」
日が完全に沈み、窓の外が深い紺に変わって来た辺りでアイレンが言った。
初日で早速何人かの顔には疲れが滲み出て動作も緩慢なものに変わっていた。
まだ体力の有り余っているらしいテオは不服そうに口を尖らせるが、さっさと出て行こうとする兄姉を追って支度を始めた。
「もっと練習したかったのに……」
「明日にしろ」
役者は三人を除いて全員目に見えて力尽きており、シャノンに至っては立つことすらやっとだった。精神的な疲労もあるのだろう。
しかしその眼には生き生きと光が宿っていた。
「わ、私は残ってもよろしいでしょうか……」
「ふむ? 大丈夫なのか?」
「その……恥ずかしくて、あんまり進められていないので……」
「その心意気は素晴らしいが……無理をして体調を崩されても困る! 休め!」
ロザリエは疲労に追い打ちをかけない程度に声を落として言った。
「はい……」
「自室まで歩けるか?」
「はい」
シャノンは痛む脚を叱咤し、しっかりと立ち上がる。
しかし他から見れば生まれたての小鹿のようであった。
ロザリエはシャノンをその辺の適当な椅子に座らせる。
そして更衣室に向かった。
「セノカ、まだ帰っていないな?」
「ここに」
目の前に、少ない荷物を持って今にも帰ろうとしているセノカが歩いて来た。
「シャノンを部屋に運んで行け! 随分無理をしたようでこの長距離を歩けそうもない!」
「魔法で飛べば良い話でしょう。それか他の方が魔法で担ぐか……」
「そう冷たいことを言うな! というか魔法で飛ぶにも体力が要るからな! シャノンはお前のルームメイトだ、お前がした方が効率的だろう?」
「そうですか」
意外とすんなりと通った申し出に、ロザリエは僅かに目を見開いた。
セノカはそんなことを気にも留めず、ぐったりと椅子の上で項垂れるシャノンにつかつかと歩み寄っていく。
シャノンはぼんやりと顔を上げた。
「ロザリエ、様……?」
「帰るぞ」
予想していたよりも低く平坦な声に、シャノンの心拍が一瞬おかしくなった。
「あれ、セノカさん?」
「一度立て」
シャノンは言われた通りに、椅子に手を付いてゆっくりと立ち上がった。
するとセノカはその腰に手を回そうとした。
「オイ待てセノカ!」
「何ですか」
「……間違っても女子制服を着た者を肩か脇に担ぐんじゃない!」
「何故」
セノカはきょとんと首を傾げた。
ロザリエはその下半身に視線を移す。スラックスである。
(こいつはスカートを履いたことが無いのか?)
だから格好に関わらず担ごうとするのだろうか。
ロザリエはセノカに手招きした。
シャノンの元から離れ、ロザリエの横に立ったセノカはもう一度動作で指示された通り軽く腰を落とす。
ロザリエはセノカに耳打ちした。
「中が見えるだろうが!」
「……ああ」
セノカはまるで見落としていたかのように軽く答えた。
ロザリエは軽く眩暈を感じた。
(スカート云々は丈の短さが問題なのでは)
再びセノカはシャノンの元へ戻り、次はその手に魔法陣を出現させようとする。
だが完全に発動される直前、ロザリエがその手を掴んだ。
「魔法は使うな!」
「何故」
「荷物のようだろうが!」
ロザリエが叫ぶとまたセノカは素直に魔法を解いた。
これでシャノンを自室まで浮かせて文字通り運ぶつもりだったらしい。
何か違う運び方をしようとするセノカとそれを修正しようと試みるロザリエは、シャノンの視覚と聴覚にも普通に映っていた。
(何でこの二人は私の運び方を議論しているのだろう……)
・・・
結局、肩を貸すことで落ち着いた。
ロザリエは最後までどこか不満が消えない様子だったが、それ以上思いつかなかったらしく苦い顔で妥協して終わった。
持ち帰られ、夕食を食べて風呂に入り、今はベッドの上で眠りに就こうとしている。
全てセノカの付き添いがあった所為で休まる筈の精神が緊張したままだった。
そのセノカはと言うとシャノンがベッドに入る直前、「自主訓練に行く」と言って部屋から出て行ってしまった。
そこからは先程までのような緊張を感じない。
(何でセノカさんが居ると休まらないのかしら……)
魔力探知が不得意でも分かる魔力量故か。それとも単純な格の違いか。
考えているうちに時間が過ぎて行くのが分かった。
(疲れたのに眠れない……)
必死に壁を睨むも眠気はやってこない。
どうにか目を閉じている中、頭を様々なものが過っていく。
推薦によってヒロイン役に選ばれた日。ロザリエとアイレンが皆を鼓舞した舞台。今日の稽古での失態。
シャノンはゆっくりと寝返りを打った。そしてセノカのベッドを見た。
セノカが寝ているところを見れる機会は多くない。思い出せる限りまだ二、三回ほどだ。
彼女はいつもこちら側を向いて寝る。本人曰く、「窓の方向を向いている方が寝起きが良い」とのことだ。
稀に見れる寝顔はその魔力量に似合わず儚く、彼女が一人の少女であることを再認識させられる。
それ故なのか演技の際に見せた表情や動きは、シャノンには普段の方が不自然に思えるほど自然で少女らしく見えた。
「……」
シャノンは静かに布団を剥ぎ、起き上がった。
ゆっくりと歩き、着替えの入った箪笥に手を伸ばす。
その中から制服を一着取り出した。
幸い今はセノカが居ない。寝巻を脱ぎ、制服を着る。
そして机の上に置かれていた台本を手に取った。
・・・
その頃。
セノカとレイは普段通り、異空間に潜って鍛錬に励んでいた。
テオは最近毎晩ネイズとの鍛錬に勤しんでいるため、この異空間に顔を出すことの方が珍しい。レイは寂しそうだったが、弟の友人関係を優先して了承した。
今日は飛行状態での戦闘訓練だった。
最高速度を上げつつ、相手の攻撃を回避し反撃する。
空を二つの閃光が走り抜け、地上で剣と鎌と爪を交わしていたレムノス、ディウルカ、ハルク、ゾルヴィアの四人の元まで風圧が広がる。
セノカとレイは完全な物理耐性により空気抵抗を無視して空を舞い、その速度は急速に上がっていく。
縦横無尽に動き回りながら、セノカの目は確かにレイを捉えた。
〈閃光膜〉
魔法陣が展開されるとともに、レイの前に無数の朱色の光が幕のように集まって輝いた。
レイは膜に突っ込む前に正面に転移魔法陣を展開し、その中に飛び込む。
少し先で魔法陣から出ると、背後で膜が爆発し炎と煙が上がる音がした。
レイは片手に魔法陣を出現させた。
魔法陣からレイの魔力の色を持つ刃が飛んだ。
刃は真っすぐにセノカへ向かい、その頭を切り落とそうとする。
セノカは高度を下げ、それを回避した。
次の瞬間、レイの前を飛ぶセノカの姿は魔法陣の中に消えた。
魔力探知を強めるも反応は無い。
その時。
レイの上からセノカが現れた。
片手に握られた刀は、その背中を狙って振り下ろされようとしている。
レイは殆ど反射的に防御魔法を発動させた。
結界に刀がめり込み、ひびがみるみるうちに広がる。
が。
セノカはそこで攻撃を止めた。
「……どうした」
「シャノンが部屋から出たようだ」
セノカは刀を鞘に納め、異空間に放り込む。
そして異空間の出口をそこに作った。
「部屋に帰してくる」
「気を付けて」
「言う必要があるか?」
・・・
「シャノン」
暗い訓練場の中。
静かな月光の下で、突然自分を呼ぶ声がした。
シャノンは台詞を途切れさせ、入り口を振り向く。
暗い所為で顔がよく見えないが、青の混じった、白にも見える長い金髪と、男子制服に女子にしては高い身長。
セノカだ。
シャノンは言葉を忘れてセノカを凝視していた。
セノカはシャノンに歩み寄り、その手を掴んだ。
「ロザリエ様に休めと言われた筈だ。帰るぞ」
細い腕を軽く引き寄せ、出口に向かおうとする。
しかしシャノンは動かなかった。
「何をしている」
セノカは一旦腕から手を放す。
シャノンは僅かに後ろに下がった。
「わ、私、全然うまくできなかったので……眠れませんし、自分で練習したくて……」
「あと何か月あると思っている。無理をして今倒れられる方が困るのだ」
「は、はい……」
普段と同じ話し方であるのに、ロザリエの指示に反することをしているからか圧力が凄い。
シャノンは顔を赤くして俯いた。
セノカは部屋に繋がる転移魔法陣を展開し、再び腕を掴んで軽く引く。今度は素直に動いた。
しかし、どうやら矢張り無理をしていたらしい。
シャノンは床に座り込んでしまった。
「あの、その……えっと……すみません」
「別にいい。この距離だ」
他に誰も居ないのだ、下が見えるだとかは気にしなくても良いだろう。
セノカはシャノンの腰に手を回した。
シャノンは思わずセノカを見上げた。
足が床に着く感覚が消えるとともに、体が浮く感覚がした。しかし背中には腕の感触がある。
反射的に閉じていた目を開けると、そこには美しい藤色の宝石があった。
セノカはシャノンを腕に抱え、魔法陣の中へと入る。
暗いことには変わりないが、訓練場から部屋に映ったことはすぐに分かった。
セノカはシャノンの靴を脱がせ、ベッドに横たえる。
「寝巻も着せるか?」
「それは自分でやります!」
シャノンは顔を赤くして叫んだ。
既に風呂には一緒に入ったが、流石に相手に服を着替えさせられることには抵抗がある。
シャノンはセノカに差し出された寝巻を手に取った。
しかしその場ですぐには着替えなかった。
「どうした」
「ちょっと後ろ向いてくれませんか……?」
セノカは特に問うでもなくシャノンに背を向ける。
どちらにしろ魔力探知で全ての動きは分かるので実質見ているのと同じなのだが、態々それを口に出す必要は無い。
何とか寝巻に着替えたシャノンはベッドに入った。
「セノカさん、すみませ……」
「それでは」
それを確認したセノカは窓を開けた。
シャノンが呼び止める暇はなく、セノカは窓の外へ飛び出す。
そして外から窓を閉め直し、地上に飛び降りた。
シャノンはしばらく呆然としていた。
(行ってしまった……)
というか休めと言われて休んでいないのはセノカのほうではないか。
シャノンは再び壁に向き合い、目を閉じた。
ここまでしてもらったのだ、今度セノカも休ませた方が良いだろうか。
あれを説得して部屋に連行できる勇気は無いが、いつも予想では長くても三、四時間ほどしか寝ていないだろうからそろそろ強制的にでも寝かせた方が良い気がする。
何か方法を考えようとするが、その前にやっとと言うべきか眠気が来てしまった。
大方セノカが何か魔法でもかけたのだろうか。
シャノンはそれを受け入れ、瞼をゆっくりと閉じていく。
完全に視界が閉ざされ、意識が深く沈められる。
そして、ようやく眠りにつくことができたのだった。




