練習開始
発声練習と準備運動を済ませた生徒たちは、放課後訓練場に集まっていた。
夕日が窓から差し込み、眩い朱の帯を固い床に降らせる。
生徒の一人が魔力で明かりを点けた。白い光が満ちるとともに、夕日の光が薄まったような気がした。
貸し切りの訓練場では、役者が舞台上に立ち、監督たちが用意された椅子に腰かけ、他の演出役は普段観覧席として使用される席に着いて何かを話し合っている。
監督はアイレン、ロザリエ、メルヴィ、ヘラーの四人だった。
理想像を持ち、意見を言うのに気遣いはしても遠慮はしない四人である。
ロザリエは台本をちらりと見た。
「始めに全員の演技を見させてもらう! まずは、初めのエレニカとディモンの対話だ。セノカとハイケ、よろしく頼む!」
「はい」
正直持つ必要のない台本を手に持ち、セノカともう一人……ハイケ・イムオブは一つ息を吸った。
ハイケが緊張した様子で台詞を読み上げた。
“よくぞ参った、我が息子、エレニカ”
この年の少年の中では低い声が、訓練場に響き渡った。
その事実にハイケは僅かに赤面し、少し掠れた声で続けた。
“貴様に大事な報せがある”
先程よりも小さくても、反響するには充分な声量だった。
ロザリエとアイレンの視線を気にしないようにと必死に気を紛らわせるハイケの前に跪いていたセノカが顔を上げた。
ハイケは思わず言葉を失った。
監督も同様に、セノカに目を奪われていた。
“……何でしょう、父上”
虚ろな宝石のようだった瞳に、光が宿っている。
それは確かに、美しい藤色の宝石ではなく、一人の少女の瞳だった。
エレニカとディモンは仲の良い親子ではない。ディモンにとってエレニカは王位継承に不都合な女子であり、エレニカもそのことは十分承知している。
そして男として育てられたエレニカは、本来の少女らしい生活に対する憧れを押し殺し、勇敢な王子として振る舞っている。
今のセノカは、そんなエレニカ本人と呼んでも差し支えない表情、声色をしていた。
我に返ったハイケは一つ、咳ばらいをした。
“貴様の知っている通り、先日新たに子が生まれた”
やや片言だが自然な抑揚と声量だった。
“男児だ。そこで、その子を第一位王位継承者とし、貴様を第二位とすることに決めた”
それはエレニカにとって、最も残酷な報せだ。
押し殺してきた憧れ、積み上げて来た努力が全て無駄になった瞬間。
セノカは絶望の表情を浮かべた。
“何だ、その顔は……何か異論があるのか?”
無慈悲な王の言葉が訓練場に響く。
父親から娘に向く愛情は無い。エレニカ自身も嫌と言うほど分かっていることだ。
セノカは俯き、歯を食いしばった。
他の者が聞いたことも無いような、弱々しく震えたセノカの声が答えた。
“……いえ。誠に……喜ばしいことでございます”
訓練場を重苦しい空気が覆った。
「そこまでだ!」
ロザリエが言った。
セノカが素に戻り、ハイケが肩の力を抜き溜息を吐いた。
テオが舞台の外で「おおー」と感嘆しながら拍手をしている。
メルヴィとヘラーは満足そうな表情で二人を見ていた。
「流石、立候補者と言ったところか!」
「ハイケはもう少し堂々としてくれ」
「は、はいっ」
アイレンの助言に、ハイケは背筋を伸ばした。
続いて全員の注意がセノカに向けられた。
「セノカは……特に改善点は無さそうだな!」
「貴族がどこでそのような演技力を身に着けたのやら……」
アイレンが呟いた。
潜入任務です、とは言えない。元から苦手ではなかったのもあるが。
警備員、組織の新人、風俗店員等々、数えきれないほどの顔を作って来たのだ、演劇程度で手こずるわけが無い。
他の二人も……一人は怪しいが、問題ない筈だ。
ハイケが舞台から降り、代わりにレイが舞台上に上って来た。
鋼鉄の無表情は健在である。
「では次、ビリアの登場だ。準備は良いか?」
「はい」
レイは表情を全く揺らがせずに言った。
「本当にレイさんで大丈夫なんでしょうか……」
ヘラーがロザリエに耳打ちした。
「問題ないだろう! 一度奴の笑顔を見たことがあるが、中々良いものだったぞ!」
ロザリエは普段の声量で答えた。
「耳打ちの意味!」
ヘラーが叫んだ。
二人を尻目にアイレンは台本を広げ、舞台上を見据えた。
「始め!」
皇子の声が反響した。
と同時に、セノカは再びエレニカの顔に切り替えた。
“うむ? 何だ、ビリアではないか。我が幼馴染よ”
にこやかに笑い、セノカはレイに歩み寄る。
レイは何かを探すように振っていた視線をセノカに合わせた。
片目が隠れていてロザリエたちからは見えない。
レイは微笑むセノカに駆け寄って行った。
“エレニカ!”
聞いたことのない好青年の声が言った。
舞台の外の全員の表情が固まった。
その時、レイの顔が見えるようになった。
“どうしたのだ、そんなに焦って”
“あの話は本当なのか⁈”
“あの話?”
“国王様が、新しく生まれた男児を第一位王位継承者とする、と……”
レイは、本当に焦っているように見えた。
気遣い、焦り、怒り、様々な感情が動きと声色に混じっている。
普段の無表情な少年とは全く別の人物に見えた。
“ああ、本当だ”
セノカは苦笑した。
“認めるのか?”
“断るわけにもいくまい”
“しかしこのままでは、お前が耐えて来た意味が……”
“良いのだ。これで肩の荷が下りたのだから”
セノカは切なげに俯いた。
ビリアは王族以外で唯一、エレニカが女性であることを知っている。無論、彼女の苦労も。
レイは悔しそうに唇を噛み締めている。
次の瞬間。
我に返ったアイレンが、他の者を連れ戻すためにも手を叩いた。
「そこまで」
レイの焦りに満ちた顔が能面のような無表情に戻り、セノカの瞳から光が消滅した。
まるで機械のような切り替えに僅かに驚いたが、アイレンはすぐに台本を持ち上げた。
「レイ」
「何でしょう」
「何故普段からああではないのだ」
「疲れるので」
「あ、そう……」
もっと表情豊かなら更に女性受けも良くなるだろうに。否、見るからに恋愛事情に疎いレイはその方が困るのか。
メルヴィの脳内では桃色脳みそのルームメイトの顔が浮かんでいた。
(……果たしてあの子は、最後まで正気を保ってこれを見れるのかしら……)
ただひたすらに不安である。
一方でヘラーは満足そうににやけていた。
(あ~、この二人の組み合わせ良い~! これでセノカが本当に男だったらなあ~!)
邪なことを考えながら。
そんなことを知る由もなく、アイレンは次の指示を出す。
「ご苦労。レイはもう降りて良い。次、シオジーの登場」
「ひゃ、はい!」
シャノンが上ずった返事をした。
レイが降りると同時に、シャノンがぎこちない動きで舞台上に上がる。
顔が林檎もしくは焼きだこのようになってしまっている。
舞台上に着いたシャノンは何の気なしに前を見た。
セノカが立っている。
「しぇ、セノ、セノカさん、よろしくお願いします……!」
「……ああ」
これから何人もの前で台詞を読み上げるのだ、緊張しても無理はない。
膝が笑っている。
「……大丈夫か?」
アイレンが言った。
「だだだだ大丈夫です!」
「そ、そうか。ならば……」
混乱して叫び散らすシャノンは誤魔化すように台本を睨む。
全く逆の様子で立つ二人が滑稽だった。
アイレンは躊躇いつつも口を開いた。
「始め」
シャノンの背筋が強張った。
セノカはお構いなしにエレニカモードに入った。
「え、れ、エレニきゃ、エレニカ様……」
緊張で呂律が回っていない。
「止めますか?」
メルヴィが小声で尋ねた。
「いや、少し待とう」
アイレンが言った。
舞台上では、真っ赤になっているシャノンにセノカが歩み寄り、笑顔を向けている。
シャノンは恐る恐るセノカを見上げた。
“久しぶりだな。確か、シオジー、と言ったか?”
普段は絶対に見ることの出来ない優しい笑みを向けられ、緊張も手伝ってシャノンの呼吸が止まった。
「ひゃいっ! おぼえ、覚えていてくだしゃ、下さったのでしゅっ、ですか?」
“ああ。人の顔を覚えるのは得意なんだ”
「う、嬉しいです……」
“君は何故こんな所へ?”
「い、いえ、何となく……」
声が震えて裏返っている。
流石にいたたまれなくなったのか、アイレンは手を叩いた。
「一旦止めよう」
鋭い音にシャノンの目が醒めた。
緊張がほぐれ、代わりにとてつもない羞恥心が襲って来る。
心臓に不快感を感じる。
「申し訳ございません……!」
「良いのだ。ここから直していけばいい」
「セノカさんも、すみません……」
「別に良い」
冷めた声が頭を冷ます。
シャノンは目を潤ませ、羞恥で震えていた。
「次は、謎の人物の場面か。シャノンはもう降りても構わんぞ」
「はい……すみません……」
シャノンはぺこぺこと頭を下げながら階段を下りた。
時間経過で顔が赤くなっていくのを、ヘラーとメルヴィーは心配を含んで見送った。
次に上がって来たのはテオだった。
志望していた職が職なので、兄姉ほどではないがシャノンよりは堂々としている。
「準備は?」
「大丈夫です。始めてください」
「分かった。では、始め」
またセノカの表情が変わる。
テオはやや驚いたように肩を跳ねあがらせたが、すぐに落ち着きを取り戻して笑顔を作った。
舞台の中心で座り込み、俯くセノカは悲痛な表情を浮かべて絞り出すように言った。
“私はどうすれば良いのだ……ビリアよ、私はこのまま、お前と逃げるべきなのか……? ああ、シオジー……彼女はどうしているのだろう。このまま、彼女に別れも告げずに私は逃げるのか……?”
戦争への参加を告げられ、苦悩するエレニカをセノカが演じている。
舞台の端で、テオは一振りのステッキを転移魔法陣の中から取り出した。
テオは静かにステッキを振る。
すると、魔法陣無しにテオの姿がその場から消え、セノカの隣に現れた。
“苦しそうですね、王女様”
テオが覗き込んで来たのに気づき、セノカが顔を上げる。
勢いよく立ち上がり、相手を睨む。
“何者だ!”
“名乗るほどの者ではありませんよ”
セノカの周囲を浮遊しながら、テオはくすくすと笑った。
“私は貴方を導きに来ただけの、しがない道化でございます”
“そのような『しがない道化』は見たことがないのだが”
“戦争に行くこと、あの少女を置いていくことを恐れているのでしょう?”
テオはセノカの言葉を無視し、浮遊したり歩き回ったりと愉快に舞台上を動いている。
背中を見せないよう目でテオを追うセノカに、テオは胡散臭い笑顔を向けた。
“貴女を良い未来に導くために、私から一つ助言を”
“助言、だと?”
“幼馴染の申し出を断り、戦争へ行きなさい”
“な……!”
“貴女の、よりよい結末を願っております”
テオは再びステッキを振った。
登場時と同様に、魔法陣無しでその姿が消える。
セノカは引き留めるために手を伸ばすが、その頃にはテオはそこに居なかった。
「そこまで」
アイレンが言った。
「心配はなさそうだな!」
「ですね。テオ、ご苦労だった」
アイレンの言葉に頭を下げ、テオは舞台から降りた。
そしてレイの隣に並んだ。
「……テオ」
「何?」
「あまり満足のいっていないように見えるが……どうかしたのか?」
「んー……別に」
テオはレイに笑いかけ、舞台上に向き直った。
レイもとりあえずその場は流しておくことにしたのか、それ以上は追及しなかった。
「では、ここからは本格的に練習を開始する。皆、真剣に臨むように」
アイレンが静かに告げた。
「はい!」
その場に居る全員が答え、重なった声が何度も反響して空気を揺らした。




