護衛任務
「まさか自分で出て来るとは思っていなかったよ」
屋敷から出たシラーは、眠らされて護送用の馬車に乗せられる少女を眺めていた。
その横にはセノカとテオが立っている。テオは心配そうにセノカを見遣っているが、セノカは普段の調子で馬車を見送っていた。
もう夕暮れ時だ。
あの後、起き上がったセノカと共に狂ったように暴れる少女を屋敷から出し、騎士に預けた。
少女の精神状態はかなりまずいことになっていた。落ち着いた後、話せはしたが、ぶつぶつと謝るような言葉を呟く以外は何も言えず、セノカを視界に入れた時は大きく動揺した。
眠らせて落ち着いたが、それでも酷く魘されている。
何をしたのかをシラーが尋ねたところ、あらん限りの罵詈雑言をぶつけたとのことだ。
あの口調に反して暴言の知識はそれなりにあるらしいが、威圧感のある声と冷たい表情に暴言が加わると相当恐ろしいことになりそうだ。流石はセノカと言うべきか、少女相手に容赦が無い。
「しかし姉さんが選ばれるなんてね。どうしてオレじゃなかったんだろう?」
テオは首を傾げて言った。
「……まあ、初対面の子供から見れば背の高い男なんてあまり招きたくはないだろうからね」
シラーは本人に聞こえないよう低く呟いた。
見た目だけだとテオは本当に亡霊の類に見える。血色の悪い肌に痩身、少女にとってはただの怖い人である。
一方でセノカは、変装しても変わらず無邪気なテオを横目で見ていた。
(シラーの言う通りだったとしても、あの少女は私を選ぶか……?)
変装後のテオと同じ程度の身長、任務中の振る舞い。愛想笑いくらいならしょっちゅうしているが、基本的にあまり表情は動かない。
確かに今のテオは長身で、白い肌は健在だ。しかし自分よりもテオの方が子供に懐かれやすい筈。
嫌な予感、と表現して良いのか。何かが脳裏を過る。
もし少女の天与魔術に、夢に引きずり込むために相手の精神状態を見抜く機能があったとしたら。
「……」
「姉さん?」
テオはセノカの視線に気づき、紅い目を見上げた。
「……何でもない。気分は悪くないか?」
「遠目だったから大丈夫」
テオは俯きがちに答えた。遠目でも不快感はあったらしい。
しかしトラウマにまではなっていないように見える。
シラーは顔を綻ばせた。
「それでは二人とも、報告書も書かなければいけないので帰ろうか」
「そうだった……報告書……兄さんはまだ任務中なのに……」
「ならば私に聞けば良いだろう」
「私も協力するよ。フィロイドに昇格してもう九年だ、頼りにはなるだろう?」
「お願いします学院長!」
テオは涙目で頭を下げた。
・・・
フレッツォの屋敷で、オルバ、ノイヴァ、変装したレイの三人はまだ護衛を続けていた。
任務開始から半日ほどの時間が経ったが、襲撃は無い。
フレッツォの顔にも疲労が浮かび、騎士の中には居眠りをしている者も居る。
オルバとノイヴァはこの手の仕事には慣れているのか、集中力が落ちる気配は無い。しかし探知を続けているため魔力は減っていた。
レイは襲撃犯と思わしき人物の遠隔監視を続けている。
静かな室内でひたすらに襲撃を待つフレッツォの目の下には更に濃い隈が浮かんでいた。
その時、レイに思考の声が流れて来た。
『こちらの任務は終わった』
平坦で低い女性の声。セノカだ。
『俺の方はもう少しかかりそうだ』
『予想は?』
『襲撃犯が動き出すまではあと数分。任務が終わるのは約一時間後だろう』
『了解した』
魔法による通信が切られる。
レイは何事も無かったかのように立っている。
オルバは流石に待ちくたびれていたらしく、控えめな欠伸をかいた。疲労と緊張の間に居るフレッツォには気づかれていないようだが、他の騎士の視線が僅かに動く。
ノイヴァは開始時と変わらない様子で周囲を睨んでいる。
騎士たちには油断が見え始め、若い者は姿勢が崩れて来た。
時計の針が動く音だけが部屋に響く。それ以外は無音の部屋で、時間が気だるげに過ぎて行く。
夕日が窓から差し込み、白い装飾が施された部屋が仄かに照らされる。外からの襲撃を警戒するために照明は消されている。
やがてそれなりに経験のありそうな騎士の顔にも疲れが滲み始めた。
その時。
突然監視していた人物が動き出した。
レイの監視には気づいていない。
「すまん、腹を下してしまったようだ。少し外す」
「気を付けろよー」
そいつは腹を摩り、頭を下げながら他の騎士の前を通り過ぎた。
何人かの厳しい視線を浴び、確かに便所へと向かっていく。
先程まで立っていた場所よりも、僅かにフレッツォに近づいている。
そして。
______次の瞬間、その姿はフレッツォの背後にあった。
その手にあるは、小さいが切れ味の良さそうな、一振りの短刀。
突然背後に現れた刺客に、フレッツォは驚く暇すら無かった。
しかし。
動いたのはオルバだった。
氷魔法を発動させ、短刀がフレッツォの頭を突き刺す前に刺客を凍らせる。
だが凍らせた筈の騎士は、そこには居なかった。
そいつは、フレッツォの正面で剣を振り上げていた。
次はレイが動く。刀の柄で刃を防ぎ、腰を抜かすフレッツォの前に立って庇う。
レイが刀を振る前に、そいつは後退して再び剣を構えた。
音を聞いたノイヴァが扉から入って来た。その手には魔力の込められたサーベルが握られている。
三人と、室内の騎士はそいつの顔を見た。
生真面目そうな丸眼鏡。細いが恵まれた体格。鎧の下にあった軽装。
レイにとっては懐かしい顔だった。
「ルズディアイトの騎士……ロゼル・ベリーファ」
あの日、共に昇格試験を受けた男。
騎士の中では屈指の強者であり、その実力に反して地味な見た目をしていた。
魔力はその階級に立つ者にしては少ない。おそらく魔法よりも体術に長けているのだ。
ロゼルは敵意に満ちた眼差しをフレッツォに向けている。
フレッツォは惨めたらしく尻を床に付いたまま後ずさっている。
ノイヴァたちが呼んだ騎士たちがロゼルを取り囲んだ。
「投降しろ」ノイヴァが言った。「貴様なら分かっていると思うが、この屋敷は騎士が取り囲んでいる。まあ、我々を相手にして逃げられるわけは無いのだが」
ゆっくりと、圧をかけるような声。
オルバも普段の陽気さを隠し、ただ任務を遂行する者として敵を睨む。
しかしロゼルは不敵な笑みを浮かべた。
「私もまさか貴方がたに勝てるなんて思っていません。この計画を実行した時点で、この運命に抗う心算もありませんよ。ただそこの男は、何が何でも殺してやろうと決めていますがね」
ロゼルの瞳には諦めにも似た決意がある。
フィロイドと騎士に囲まれているこの状況で、彼はフレッツォを殺すことは出来ない。
だがレイが読み取った思考には、成功の確信が見えた。
オルバが何かに気づいたようだった。
「上から魔力反応が接近している! 皆、防御結界を張れ! イヴェリアはフレッツォ殿を頼む!」
オルバが拡声魔法を使って叫んだ。
各々が即座に防御結界を張り、レイはフレッツォの襟を引っ張って自身の結界の中に放り投げる。
次の瞬間。
大量の魔物が天井を突き破って落ちて来た。
「ひっ……ひいいいい!!」
フレッツォが上ずった悲鳴を上げた。
騎士たちが自身の防御に必死になっている間に、ロゼルは一匹の魔物を自分の傍に転移させた。
巨大な怪鳥だった。
レイはオルバに思考の声を飛ばした。
『フレッツォを付近の森に避難させても構わないな?』
『安全ならな。その森にはお前の仲間とかが居るのか?』
『少なくともここの騎士全員より、ずっと頼りになる』
『なら良いよ』
外面とは正反対の、軽い声が答えた。
レイは結界の中で転移魔法陣を展開した。
「こちらへ」
フレッツォの腕を引き、魔法陣に入るよう促す。
「屋敷は……」
「修復魔法で直すので、ご心配なく」
一から屋敷を建てるには職人の技術が必要になるが、修復魔法なら崩壊から時間が経たない限り建築素人のフィロイドでも屋敷を元に戻せる。
それを聞いて、フレッツォは素直に魔法陣の中へと入った。
『ハルク、ヴィア、頼むぞ』
『承知した』『任せろ』
従者の声が言った。
レイはフレッツォの姿が完全に見えなくなったことを確認し、魔法陣を消す。
屋敷の崩壊も止まった。もう防御結界を解除しても問題ない。
結界が消え、砂埃が舞う。
ロゼルは怪鳥の背に乗っていた。
「安全な場所に転移させたつもりだろうけど、奴の魔力を追えば簡単だ。せいぜいその魔物どもの相手をしていればいい」
怪鳥が離陸する。
見たところその怪鳥は夜行性だ。夜とも呼んでいいこの時間帯は彼らの領域である。
騎士として既に軽い〈物理耐性〉を身に着けているのか、怪鳥はかなりの速度で飛んでいるのにロゼルが落ちる気配は無い。
ノイヴァとオルバが追いかけようと身体強化の魔法を重複して発動させる。
しかし周囲から騎士たちの叫びが聞こえて来た。
魔物が暴れているのだ。しかも全ての個体が迷宮の下層レベルの力を持っている。
騎士たちだけに任せるわけにはいかない。
ノイヴァとオルバは魔物に襲われる騎士を守るが、ロゼルの姿は凄まじい速さで遠ざかっていく。
その時。
「俺が行って来る」
レイが言った。
姿勢は低められ、今すぐにでも屋敷をぶち抜いてロゼルを追いに行くつもりだった。
「お前なら追い着けるってか。……なら任せても良いな?」
「構わん」
「分かっているとは思うが、出来るなら殺さずに捕えろ」
「勿論だ」
フィロイドの国民からの評価を下げないためにも、そう簡単に相手を殺してはならない。
元殺し屋であるレイにとって生け捕りは馴染みの無い作業だが、相手はルズディアイトだ。手加減すればそう難しくはないだろう。
レイは幾重にも自身に魔法を付与した。
〈身体強化〉〈神速〉〈物理耐性〉〈幻影〉
民衆に目視されないように、姿を消す。
そしてレイは、一気に床を蹴って飛んだ。
屋敷を出て、虚空に結界を出現させて駆ける。
助走をつけて、レイは空に飛び上がった。
閃光が空を焼き、まっすぐに標的へと飛んでいく。
「うん……?」
怪鳥の背に乗っていたロゼルは、何かの鋭い音に気づき振り返る。
そこには。
「なっ……!」
刀を構えるイヴェリアと言う名のフィロイド___変装したレイの姿があった。
振り下ろされた刀の峰が首筋を打つ。
結界は間に合わず、ロゼルは呆気なく意識を手放した。
怪鳥から落ちるロゼルの襟首を掴んで引き寄せ、縛って異空間に投げ入れる。
峰打ちが強すぎた気もするが、死んではいないだろう。
主人を落としても、怪鳥はそのままの速度で例の森へ向かう。
しかしレイは怪鳥に背を向け、元の屋敷の方向に振り返った。
飛行魔法を使い、降下しながら音よりも速く屋敷に戻って行った。
怪鳥の目線の先にはフレッツォを転移させた森がある。
ロゼルに刷り込まれた魔力を感じる。
教え込まれたように、奴の腹を突くだけだ。
だが、怪鳥が標的に到達することは無かった。
〈彼らは黒き無垢を覗く〉
突然、怪鳥の動きが止まった。
翼の動きも止まったために、怪鳥の体が傾き、落ちていく。
僅かな呼吸もすぐに失われ、怪鳥の生命活動は完全に停止した。
怪鳥の死体が森の中に落ち、木々が揺れて葉が散る音がした。
その上空には二人の青年が浮いていた。それぞれ白と黒の翼を広げている。
黒い翼の青年の額では黒い目が開いていた。
「他には居ないのか?」
「残念だがそのようだ。……後でまた鍛錬に付き合ってやる」
レイの従者であるハルクとゾルヴィアだった。
獲物を先に狩られたハルクは無表情のまま僅かに肩を落としていた。
・・・
ロゼルを捕縛して帰って来たレイに、騎士は勿論オルバとノイヴァも驚きを露にしていた。
屋敷の崩壊は酷いものだったが魔物は既に全滅し、騎士たちは二人に治療されたのか無傷だった。
魔物の死体の山を異空間に入れ、炎魔法で焼く。
そして別の異空間からロゼルを引っ張り出し、騎士に渡した。気を失っているロゼルの首には細長い痣が浮かんでいた。
屋敷を修復魔法で直し、フレッツォを呼んだ。
フレッツォは激しく安堵すると共に、護衛に就いた騎士とフィロイドに莫大な報酬を渡すと宣言した。
こうして三人の任務は終了した。
レイはオルバとノイヴァと共に、報告書を書きに帰っていた。
「あのロゼルとかいう騎士、どうしてフレッツォを襲ったんだろうな」
馬車の中でオルバが言った。
レイを挟んで隣にはノイヴァが座っている。
前の馬車はロゼルを乗せ、危険人物専用の監獄へと向かう。三人の乗る馬車も帰る前にそこまで同行することになっている。
オルバの問いに答えたのはレイだった。
「怨恨であることは確かだろう。でなければあそこまで本気で殺そうとはしない」
「怨恨ねえ……フィロイドになってからその手の事情に囲まれすぎて敵わねえや。丁度俺の二つ隣りにも怖いヤツが居るし」
「ノイヴァが?」
レイは小さく首を傾げた。
二人は一緒に飲みに行く仲だ。怨恨があるようには思えない。
「色々と付き合ってはくれるけどよ、お前俺のこと嫌いなんだろ?」
「……ふん」
「理由があるなら謝れば良いのでは」
「それがよお……」オルバはレイに顔を寄せ、小声で言った。「心当たりが無くて、しかもこいつ教えてくれねえんだわ」
レイはノイヴァを横目で見た。
オルバの小声が聞こえていたのか、物凄い目で睨んでいる。
複雑な事情があるようだった。
「ま、それはさておき。今日は結構かかっちまったし、報告書は俺とノイヴァに任せても良いぜ」
「勝手に私を巻き込むな。……拒否するわけではないが」
「いや、いい。新人だが俺もフィロイドの一員だ。それにそこまで疲れていない」
「偉いなあ。まだ十五歳だろうに」
オルバはレイの頭に手を乗せた。
レイは即座にその手をそっと下ろした。
「あと四半年もしない内に十六になる」
「そん時は祝ってやらねえとな。三人分は骨が折れそうだぜ」
オルバはけらけらと笑った。
ノイヴァは我関せずと言った様子で窓の外を眺めていた。
そろそろ監獄に着く頃だった。




