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Superficie divisa

 馬車は監獄の正門で止まった。


 巨大な監獄は国の北端にある。移動には勿論時間がかかるが、凶悪な犯罪者が皇帝に危害を加えないための処置だ。

 しかしこの監獄の役割は、閉じ込めるだけではない。死刑囚以外は安全な状況下で精神的な処置を施し、更生のための活動も頻繁に行われる。

 おそらくロゼルは更生可能と見なされ、効果が出れば釈放されるだろう。


 三人は独房までついていくことになった。独房には国内の優秀な魔導士たちが作り上げた結界式が付与されているが、それまでの道のりは危険性が高いためだ。


 中は広く、意外に明るかった。


 ロゼルはまだ精神状況の判断が出来ないため、まずは死刑囚とその他をどちらも収容可能な独房に入れられた。

 レイの峰打ちが相当強かったのか、ロゼルはまだ目を覚まさなかった。


「フィロイドストーンのお三方、ご同行、ありがとうございました」


 監獄を出て再び馬車に乗った三人に、監獄の管理者の一人が頭を下げた。


「やっぱりここの空気は慣れねえなあ。あんたも頑張れよ」


 窓際に座ったオルバが言った。

 管理者は僅かに表情の緊張を解いた。


 馬車が出発する。監獄の影が遠ざかる。

 管理者が中へと戻っていくのが見えた。


 静かに馬車に揺られながら、レイは窓の奥で日が沈んでいくのを眺めていた。


・・・


「兄さん!」


 帰って来たレイに、変装したままのテオは目を輝かせた。

 駆け寄って来るテオの背後には、シラーとセノカが座って報告書を書いている。

 シラーは笑顔で迎えるが、セノカは少し視線を寄越すだけだった。


「お前たちのほうはどうだった」


「予定とはだいぶ違うことが起きたけど、何とか解決したよ」


 テオは若干の疲労を滲ませ、苦笑した。


「予定と違う、とは?」


「話すと長くなるんだけど……」


 テオとレイは椅子に腰かけた。テオはシラーの隣に、レイは二人の向かいに。

 自分も報告書を書きながら、テオの話に耳を傾ける。

 任務が相応の難易度に上がっていたことは話の内容から分かった。


 屋敷への侵入、少女の天与魔術、元の予定はテオが囮になる予定だったのが、少女がセノカを選んだこと、屋敷の崩壊、少女の捕縛。


 セノカが天与魔術で精神世界に引きずり込まれたと説明されたあたりから、レイが報告書から顔を上げて話を集中して聞き始めた。当の本人は全く興味ないといった風にペンを走らせている。

 少女が屋敷に入った一部の者を栄養源にしていたことを口に出した辺りからテオの顔色が悪くなっていた。


 話が終わり、レイはセノカの隣に移った。


「具合は悪くないか?」


「悪くない。……離れろ。邪魔だ」


 普段と全く変わらない無表情と淡々とした声。

 前世でも作業を手伝おうとしたらこうして断られた記憶が蘇る。


 あれは例の発作を知ってすぐの頃だったためしつこく身を案じてしまい、重い手刀を脳天に喰らうことになった。


 これ以上話しかけたらあの手刀を受ける未来が見えるいつものセノカの様子に、若干の寂しさを感じつつもレイは元の席に戻る。

 そして報告書の作成を再開した。


 本来使うはずの部屋にはオルバとノイヴァが残っている。レイは妹弟が心配だと言って抜けて来たが、堅物に見えてある程度は融通の利くノイヴァと、妹持ちのオルバは許可してくれたのだった。


 室内にペンを滑らせる音と、書く内容に悩むテオの唸り声だけが響く。

 報告書を完成させたシラーと、その手の仕事には慣れているレイが二人がかりで丁寧に教えるとかなり早く報告書は埋まっていった。

 セノカは一人でさっさと報告書を終わらせて提出に行く。おそらくそのまま帰るだろう。

 見向きもしないセノカに、テオは「この薄情者……」と呟いていた。今更である。

 初心者にしては誤字脱字は少なく、ペースは二人が想定していたよりも速い。

 一時間かかって、テオは報告書を完成させた。


「ようやく終わったー!」


 テオが伸びをすると、肩甲骨のあたりから不健康な硬い音が鳴った。

 割と大きなその音にシラーが固まるが、前世から聞き慣れているレイは特に反応を見せない。


 何事も無かったかのように、テオは穢れの無い澄み切った瞳で二人を交互に見上げた。


「二人ともありがとう」


「可愛い後輩を手伝ったまでだよ」


「あは、やっぱり学院長は頼りになるね。流石は現役フィロイド(いち)の古株」


 輝かしい笑顔を向けられ、シラーの表情が緩んでいく。

 フィロイドに入って九年、危険な任務と癖の強い面子の世話が重なって疲弊していた精神が癒されていくのを感じた。

 緩んだ表情が戻らないシラーに、テオは頭上に疑問符を浮かべる。


 そしてシラーが一人で勝手に和んでいる間に、テオは報告書を持って立ち上がった。


「付き合わせちゃってごめんね。それじゃあオレ、提出してくる」


「俺も一緒に行く」


 矢張り仲の良い兄弟なのであった。


・・・


「監獄は見たか?」


 帰り道の途中で、変装を解いたレイが言った。

 すっかり夜も更け、周辺に人の姿は無い。一応の魔力探知も反応していなかった。


 テオは突然低くなった視点にふらつきながらも、隣を歩く兄を見上げた。


「監獄?」


「北にある重要犯罪者収容用の建物だ。お前が捕えた少女もそこに収容されたのだろう?」


「そういえば一回、事務所とは別の場所に停まったような……寝かけてたからあんまり覚えてないや」


 テオの目の下には薄い隈が浮かんでいる。

 レイやセノカと違ってテオは徹夜に慣れていないためだろう。

 テオは小さく欠伸をした。


「しかし監獄かあ……あの子があんまり重い罰を受けなきゃいいけど」


「何故?」


「……兄さんって偶に冷たいよね」


 テオは僅かに眉をひそめた。一方でレイは誤魔化すようにテオから目を背けた。

 セノカほど非情でないとはいえ、レイも殺し屋だったことに変わりはない。家族や仲間は大切だが、それとは別で敵は敵だ。同情する習慣は無かった。


「だってあの子はまだ小さいでしょ」


 テオは夜空を見上げた。

 月の一部が雲に隠れ、深い紺碧の星空には普段ほどの星が見えない。

 しかしその場は、澄み切った明るさが残っていた。


「生きて償う時間は十分にある。まだ幼くて、善悪の判別も曖昧なんだ。……命は戻らないけど、あの子がその分人を助けたり、大きくなってからでも罪と向き合っていけば、死んだ人たちも浮かばれると思うから」


 まだ未熟で、高い少年の声が、宵闇に溶けた。

 藤色の宝石の瞳は、微かな星明りを反射して輝いている。

 それは、絶対に汚してはいけない、絶対に壊してはいけない、美しい宝石のようだった。


 レイは前を行く弟の後ろ姿を、ただ眺めていた。


 自分には大切な家族も、友人も、仲間もいる。しかしこの手はとっくのとうに血で染まっている。

 何があろうと、この何も知らない、脆く愛らしい花を汚してはならない。

 だが、もし、この血で染まった手で守るものがあるならば______


「そんなことより、聞いてよ兄さん! 学院長が今度、最近できた喫茶店のお菓子を持ってきてくれるって」


「本当か」


「反応が早い!」


・・・


 夜は深く、濃い闇を地上に落とす。

 星空の光も闇には届かず、影の無い世界が地平線に向かって伸びている。

 雲に隠れた月明かりは、どれだけ手を伸ばそうが、それに応えて地上を照らすことは無い。

 時間を待つ。待てばまた光が照らしてくれる。

 まだ朝日は暗い地平線の下にある。


 そこはとある北の地だった。


 宵闇を集めて固めたようなその監獄は、一つの大きな影と化してその場に建っていた。

 管理者は交代制で、仕事を終えた者は監獄の内側で仮眠を取る。外では同じく交代で見張りが二人一組になって侵入者の有無を確認している。

 背後の巨大な影の気配を感じながら、見張りは周囲を睨んでいる。


 ここに来るのは、一般の牢屋では収容することの出来ない強力な天与魔術を持つ者か、脱出する意思の強い者だ。彼らは何年もそのような犯罪者の協力者の侵入を拒んでいる。

 腰には剣が差さり、軽い鎧を身に着けた彼らもまた、監獄の影の一部と化していた。


 暗い夜の侵入者は少なくない。魔力探知を常時発動させ、最大限にまで集中力を高める。


 蟲の音も、獣の鳴き声も、聞き逃してはならない。

 二人の見張りには、全く隙が無かった。


 ____その時。


 一瞬、一人の視界に人影が映った……ような気がした。


 外套のフードを被った人物。影になった顔は見えない。


 しかし、その人物の姿がどうにも不明瞭に見えた。奥の景色が透けて見える。しかも顔どころか、服装の詳細も掴めない程に姿が薄い。まるで、本当に空中に浮かぶ影か、補色残像を見ているような。


 音も無く、魔力も無い。気配すら感じない。


 隣に立つ同僚は動いていない上に、まだ周囲に視線を振っている。


 一度、瞬きをする。

 すると。


「……」


 人影は消えていた。


 誰かが立っていた形跡は無く、夜の闇が冷たく、濃く、広がっているだけだった。

 夢の類であることを、疑うことはなかった。


 門の内側に、背の高い影が侵入していることにも気づかず。


 その人物は静かに歩き、監獄の中へと入っていく。建物の重い鉄扉が機能することもなく、影のように通り抜ける。

 中に入ってすぐの位置で、管理者が書類を睨んでいる。

 照明は薄暗いが、余裕で物を視認できる程度だ。


 だが管理者も、侵入者に気づかなかった。


 侵入者は管理者の前を素通りし、軽く頭を下げる。挨拶のように。

 外套が揺れる。誰にも気づかれないまま、影は監獄の中を歩いている。

 その足取りは軽かった。楽しみにしている何かが、監獄の中に待っていると言った風に。

 空気の揺らぎも、魔力の波も立たず、影はまっすぐに一つの独房に向かっていた。


 死刑囚用でも、更生用でもない、ここに送られたばかりの犯罪者を入れるための牢獄だった。


 地下への階段を降り、侵入者は口元に薄く浮かんでいる、貼り付けられたような笑みを深くする。

 扉を軽く押す。厳重に施錠されている筈の扉は、静かにゆっくりと開く。


 中には一人、十歳辺りの少女が蹲っている。


 囚人服を着せられているが、長い茶髪はよく梳かれていて丁寧に切りそろえられている。少女が貴族の出であることは十分に見て取れた。

 少女は突然開かれた扉に顔を上げる。

 僅かな照明が差し込み、侵入者の姿が逆光になる。

 少女はその人物の顔をよく見ようと目を細めるが、フードの影になって詳しい容姿が掴めない。


 その時、侵入者はフードを脱いだ。


 少女の喉から、「ひゅ」、と高い音が漏れた。

 怯えて後ずさる少女に、侵入者は穏やかに歩み寄った。

 その口元には矢張り、優しい笑みが貼り付けられていた。


「安心なさい。君をいじめたあの女性は来ていません」


 人魚の歌のような、麗しく不気味な響きを持つ奇妙な声。

 聞いているだけで、思考が溶かされていくような感覚があった。

 侵入者は後ろ手に扉を閉める。

 少女はまだ不安が残る目で侵入者を見上げる。


「ここ、どこ? 貴方は何でここに居るの?」


「ここは監獄です。君のような厄介な犯罪者を閉じ込めるための」


「監獄……? 何で……」


 少女の手は震えていた。

 侵入者は表情を変えず、その様子を眺めている。


「私悪くないもん! あの人たちが遊んでくれないから悪いんだもん!」


 少女は甲高い声で泣きわめき始めた。

 服の裾を掴み、大きな眼から涙を流しながら侵入者を睨む。

 すると侵入者は、再び少女に向かって歩き始めた。


「皆、幼い者には更生のための時間があると思っている。殺してしまった分、生きて償えると信じている」

 母親が子供に子守歌を聞かせるような、優しい声。

 少女の表情が穏やかになっていく。

 亡霊を彷彿とされる侵入者を縋るように見上げる。

 侵入者は床に膝を付き、少女と目線を合わせた。


「君にはまだ、善悪を区別する能力が無い。だから仕方のないことだった」


 侵入者は少女の頭に手を置いた。

 少女は静かに俯いた。完全に安心したようだった。


 _____しかし、侵入者は、その手を握り締めて少女の髪を掴んだ。


「でも結局、命は命でしか償えない。苦痛は苦痛でしか払えない」


 少女が痛みに顔を顰める。

 その時、侵入者は少女の顔の前に手を掲げた。


「幼いから償える、犠牲の意味が軽くなるなんて、そんな残酷で不平なこと、あってはなりませんから」


 濃く、重い魔力が漏れ出す。

 少女の意識が遠のいていく。


「飢え、渇き、痛み、苦しみ、恐怖。……君の望んだ、夢の世界で朽ちなさい」


 少女の瞼が閉じられた。


・・・


 少女は突然の眩しさに、開きかけた目を慌てて閉じた。

 瞬きを繰り返し、明るさに慣らしていく。

 少女は周囲を見回した。


 そして大きく目を見開いた。


 装飾の施された壁。階段。窓から差し込んだ微かな日光。

 元々自分が住んでいた屋敷の中だ。


 困惑して何度も周囲を見回し、屋敷内を歩き回る。


「誰か、居ないの……?」


 少女の声が壁に吸い込まれて消えていく。

 静寂が降り、少女の瞳に涙が浮かび始める。


 しかし、そこに居たのは少女だけではなかった。


 廊下の角から、人がこちらを覗いて来た。

 少女は呆然とその人物を見つけた。


「お父様……?」


 来ている服は間違いなく父親のものだった。


 だが、その肌は枯れ木のようにくすんでいて、顔は骨の形をなぞっていた。


 少女は恐怖で踵を返し、駆け出す。

 しかし背後にも、別の死体が迫って来ていた。


 少女は天与魔術を発動させようとどうにか手を前に掲げる。


 反応は無かった。


 少女は焦って視線を振り回す。

 すると、近くに一つの扉が見えた。


 反射的に走り出し、扉を乱暴に開けて中に飛び込む。中にある全ての家具を扉の前に集め、開けられそうになるのを防ぐ。

 少女は床に座り込んだ。

 家具が揺れ、扉が叩かれる音が響く。

 少女は背後の窓に気づき、一気に開いた。


 しかし外には。


「ひっ!」


 大勢の死体が、こちらを見ている。

 少女は窓を勢い良く閉じ、外から見えないよう蹲った。

 息を殺して震え、少女は不安と恐怖で泣き出した。


 その時だった。


 少女は突然訪れた違和感に気が付いた。

 恐怖が、その違和感で上書きされていく。しかしまた恐怖が強まり、そしてまたその違和感に支配される。

 口から涎が流れ出した。


 _____お腹が空いた。


 _____喉が渇いた。


 扉が開かれるのに、少女は気づくことが出来ず、無数の死体が少女に群がった。

 血肉が飛び散るのは、その直後のことだった。


・・・


 体の力が抜け、手がだらりと下ろされる。

 侵入者が少女の髪から手を離すと、少女はそのまま床に倒れた。

 次の瞬間、少女の下に魔法陣が出現し、そこから黒い沼のような染みが浮かび上がる。

 少女は沼の中へと消えて行った。


 侵入者は振り返り、誰も居ない独房に背を向けた。

 部屋に備わっている監視魔法は意味を為さず、管理者はまだ書類を睨んでいた。

 少女の姿が完全にその空間から消え失せ、同時に魔法陣と沼もふっと消えた。

 侵入者は確かに歩くが、矢張り足音は無い。気配も、魔力も無いその人物に、監視用の魔法が役立つことは無かった。


 侵入者が次に立ち止まったのは、その隣にあった独房の正面だった。

 何度か扉を叩く。しかし中の返事を待たずに扉をゆっくりと開ける。

 そこには二十代後半あたりの男が、驚いた様子で侵入者を見ていた。

 視力が悪いのか目つきは鋭く、侵入者を必要以上に警戒している。


「こんばんは」


 侵入者が歌うように言った。

 男は精神の奥底に語り掛けて来る声に、僅かに体を強張らせた。騎士としての、反射的な警戒反応だろう。


「ロゼル・ベリーファさんですね。ある上級貴族を襲撃して、ここに送られてきた」


「貴方は確か……」


 その時、侵入者は口元に人差し指を近づけ、囁くように言った。

 ロゼルは反射的に口を閉じた。


「今夜は貴方を助けたくて来たのです」


「助ける……?」


「そう」


 侵入者はロゼルの傍にある椅子を指差し、「座っては?」と尋ねた。

 何か本能的な恐怖を感じ、ロゼルは素直に腰を下ろす。

 侵入者はゆったりとした足取りで室内を歩き始めた。


「どうしてフレッツォ殿を狙ったのでしょうか?」


 歌のような心地の良い声は、自然と意識を引き付ける。

 ロゼルも無意識のうちに侵入者と目を合わせて聞き入っていた。

 少し俯き、ロゼルは静かに口を開いた。


「……五年前まで私には妹がいた。忙しい両親のことも、私のことも気にかけてくれる朗らかで優しい子だった。……フレッツォは、そんな妹を馬車で轢き殺した。しかも証拠隠滅まで図ったんだ。こちらが立場の弱い下級貴族であるのを良いことに自分の有利なようにことを進め、結果的に私らは左遷されて賠償金も払わされた。……フィロイドに昇格して奴に接近することは叶わなかったが、どうにかして今回はその復讐をするつもりだった……筈なのに……」


 ロゼルは拳を握った。

 侵入者は穏やかな笑みを貼り付けたままだった。


「……貴方はここを出た後、復讐を続けるお心算なのですね」


「当たり前だ。あいつを許すことなんて天地がひっくり返っても無い」


「それは少し困ります」


 侵入者は軽く眉尻を下げた。

 ロゼルが侵入者を睨む。不思議と、先ほどまでの得体の知れない恐怖は感じられない。


「僕は罪なき人が堕ちる様子をあまり見たくはないので」


 同情を誘うような声。しかし実際に同情してしまいそうになる奇妙な声色。

 外に音は漏れず、二人だけがその空間に存在していた。

 侵入者はにこにこと笑って見せた。


「『赦しなさい』なんて無慈悲なことは言いません。しかし、貴方の妹は復讐よりも、貴方が全うに生きることを望んでいる。……それを叶えられないまま獄中死するか、妹の願いを優先するかは貴方次第ですけれど」


 ロゼルは何か、反抗する言葉を吐こうとした。

 しかしその言葉は、喉から発せられる手前で止まった。

 声にならなかった呼吸がか細く漏れ出す。

 侵入者は慈悲深く微笑み、椅子から立ち上がる。

 ロゼルの背後にゆったりと回り、その肩に優しく手を置いた。


「貴方が本当に妹のことを思っているなら、答えは一つしかありませんよ」


「……何が目的だ」


「言ったではないですか。純粋に、罪なき人を救いたいのです」


 そう言って侵入者はロゼルの目を覗き込んだ。

 ロゼルはその顔を間近で見て、息を詰まらせた。

 反射的に顔を背けるが、精神の奥底で「もう遅い」と誰かが囁く。


「……僕の目を、ちゃんと見てくれたのですね。目は心を映します。僕に嘘はありましたか?」


「…………無い」


「ふふっ、そうでしょう。……さあ、これ以上は干渉しません。あとは頑張って」


 侵入者は扉へ歩いた。

 ロゼルは俯き、どこか遠い場所を見ているようだった。

 侵入者は扉を閉める直前、また振り返った。

 そして何かを考え込んで顔を顰めるロゼルに、一瞬、僅かに笑みを深めた。


 扉が閉じられる。

 室内が闇で満たされる。

 侵入者は軽やかに、出口へと向かった。


・・・


 外はまだ暗く、頼りの星は暗雲に隠れて完全な暗闇に支配されていた。

 監獄の影が深く、濃くなっている。


 そこから一人、外套を羽織った人物が出て来た。先ほどの侵入者だ。


 侵入者が外へ出て行くことも、門の見張りは気づいていない。

 ただ闇の中で、存在を示すものを完全に消し去った人物が監獄から離れていく。


 楽し気な笑みを貼り付けたままの侵入者は、確実に、明確などこかへと歩いていた。


・・・


 その魔法探知の効果範囲外に、何十人もの姿があった。

 暗闇に溶け込むような衣装に、手には剣や棍棒などと言った武器が握られ、その眼は真っすぐに監獄を睨んでいる。

 中には不安そうに腰を引く若者の姿もあった。

 その集団の先頭は、いかにもと言った厳つい中年の男だった。


 若者の一人がおずおずと前に出た。


「ほ、本当に行くんですか……?」


 手には軽い片手剣を持っている若者を、先頭の男が睨みつけた。

 若者はびくりと肩を震わせ、低い姿勢を更に低める。


「あそこに仲間が囚われてんだぞ? 渋るってことはお前、俺らを裏切るってことか」


「いえ! 違います!」


 若者が顔を青くして首を横に何度も振った。

 他の者は見えていない振りをしてただ正面を見据えている。

 先頭の男は再び前に向き直り、手に握られた棍棒をさらに強く握り締めた。


「たかが三人やったでこんな監獄に入れられて、今や死刑囚だ。そんな可哀想な仲間を放っておくわけにはいかないよなあ?」


「もっ、勿論です!」


 若者は愛想笑いを浮かべ、頭を上下させた。

 そして片手剣の切っ先を監獄へ向けた。


「さあ、それじゃ、早くぶっ潰してしまいましょう!」


「はははは、威勢のいい新入りじゃねえか。……よし。お前ら、準備は良いな」


「はい」


 数人が静かに答え、他の者は視線で返事をした。

 先頭の男は一度、仲間全員の顔を見回す。欠けている者、怯えている者は一人もいない。

 そして再度、監獄の方を向き、何かを言おうと息を吸った。


 が。


「……ん?」


 再び仲間の方を振り返り、男は一人一人を注視した。

 行動命令が出されるかと思っていた部下たちは、困惑した様子で男を見ている。

 男は目を凝らして周囲を見渡し始めた。


「……(かしら)、どうしました?」


 部下の一人が言った。


 男は普段は絶対に見せることの無い、焦りと微かな恐怖を滲ませた表情を浮かべていた。

 部下が首を傾げる中、言葉にならない声が何度か喉から漏れた。


 そして、掠れる声で言った。


「____今、誰か居なかったか?」


 次の瞬間。


 男は、部下たちが驚愕と恐怖の視線を、自分___ではなく、自分の背後にいる何かに向けていることに気が付いた。


 それは少しだけ、しかし、致命的に遅かった。


 外套を羽織った、気配の無い影が、無慈悲な微笑を浮かべた。


・・・


 その日は青空が完全に隠れた、曇天だった。

 鈍い銀の雲が空を覆い、深いな眩さが視覚を刺す。


 フィロイドの事務所にはオルバ、レイ、ノイヴァが集められていた。


「フレッツォが自首したらしいぞ」


 窓枠に寄りかかり、書類に目を通していたオルバが言った。

 妹と違って天気に左右されやすい体質らしく、晴れの日には見たことの無い隈が目の下に薄く浮かんでいる。


 レイとノイヴァは顔を上げた。


「自首だと?」


「おう。ベリーファ家の令嬢……つまりはロゼルとか言う奴の親族を馬車で轢いたこと、証拠を隠したことを騎士に言いに来たんだとよ。……だが様子がどうもおかしかったらしくてなあ。何と言うか、妙に生気が無くてぼーっとしてたんだってさ。馴染みの騎士が話してたんだ」


 オルバは普段中々見せない生真面目な表情を更に強張らせた。


「____まるで、死体が動いてたみたいだ___なんて」


 空気が何度か下がった……ような気がした。

 冷たい沈黙がその場に降り、曇天が三人を見下ろして卑しく嗤った。


 誤魔化すように、オルバはいつもの軽い調子に戻った。


「嫌に怪談じみてるよな。……しっかし、ほんとに何があったんだか。ロゼルは任務の時の見る影もなく改心してたっていうし……マジで何かが関わってたりして」


「その可能性は十分にあるだろう」


「冗談で言ったのに、弟と違ってお前はこういうの大丈夫なタイプか」


「テオにこの話はするな。しばらく不眠になりかねない」


「分かってるよ。……ちなみにノイヴァは……」


 オルバは黙々と書類を処理するノイヴァを見た。

 それに気づいたノイヴァはオルバを睨み、小さく溜息を吐いた。


「何を期待している」


「可愛げねえ後輩ですこと」


「お前なんぞに可愛がられてたまるか」


 けらけらと笑うオルバと、すぐ書類仕事に戻るノイヴァ。

 二人を横目で見ていたレイは頬杖を付いて目を伏せた。

 ロゼルの改心と、フレッツォに起きた異変。それらの原因に、思い当たるところがあったのだ。


 _____以前、セノカは事務所の管理職の男の性格が突然変わったことについて、自分にこう報告していた。


 『おそらく本物は死んでいる。……今回の件で一つ、考慮しておくべきことが増えた』


 管理職の男が過去に殺人を犯していたことは自分にも読み取れた。調査したところ、その男の妻子が行方不明になっていたことから、殺されたのはその二人で間違いなさそうだった。

 セノカの言葉の先は容易に予想がついた。


『「奴」が居るかもしれない。……否、かなり高い可能性で、今この瞬間も動いているだろう。確信が持てない以上深くは踏み込めないが、任務の都合には重要なことなので把握しておけ』


 セノカにしてはあまり高くない予測の精度。

 そして最近、行方不明者が増えている。しかもその全ての記録と記憶が自分たち以外の人々から消え失せている。

 行方不明者の調査の結果判明した、彼らの隠された経歴。


 疑う余地は無いに等しい。


 _____再会の日は、そう遠くない。

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