雨が降る夜
起床し、六人は昨日作っておいた燻製を食べた。
味噌のお陰で不満は無く、メルヴィは六人の中で最大の量を喰っていた。
軽く体を拭き、魔法で目を醒まし、見張りと狩り役に分かれる。朝に強いセノカとラぜメアとネイズは森に入り、魔力探知と視界で獲物を探している。
その日は西から濃い雲が流れて来ていた。
セノカの探知能力で驚くほど簡単に目安の量が集まる。
森の中には猪や蛇など様々な生き物が生息しているが、セノカの前では無力も同然だった。
正直なところ、ラぜメアの出る幕は無かった。
セノカもそうだがネイズも学年二位、内部進学首席合格者である。
実力者同士気が合うのか、二人の動きは息が合っていた。成績以前に雰囲気がよく似ているのもあるだろう。言葉を使わずに意思を伝え合い獣と戦う姿は相棒同士のようにラぜメアの目には映った。
結局自分の役割は、二人を邪魔する他の獣が現れないかの確認。要するに無職だった。
(気まずいよお……)
実力差がまあ何ともつらい。
二人が宙を舞い、風の上を走る中、自分は地面に足を付いている。
ネイズが得意とする風魔法に、セノカは自らの魔力を乗せて攻撃する。どちらも動きは自信に満ち溢れ、しかし迷いは勿論驕りも無い。
無駄が無さすぎる戦闘は目で追えず、無理をして平衡感覚が少し狂ってしまった。
短時間の中でいとも簡単に狼を二匹狩り、三人は拠点に戻った。
セノカだけだったならまだしも、今はネイズが居るのでより空気が固まり、普段よりも話すのに勇気が要る。獣と蟲の群れに丸腰無魔力で突っ込んでいくほどの勇気が。
この二人と親しく話すテオが今は眩しい。あの穏やかで気の抜ける笑顔を早く拝みたい。
ラぜメアは涙目で二人の後ろを歩き、穴倉へ向かった。
気圧の影響で軽い頭痛が襲って来る。ネイズも具合が優れない様子だった。
空は銀色の雲に覆われ、湿った風が吹いていた。
・・・
「おかえり三人とも」
帰るなりテオが青白い笑顔で出迎えた。
顔色とは真逆の、輝くオーラが放出される。
ラぜメアは腕で目を覆った。
「どうしたの?」
「存在が眩しくて……」
「あい?」
何も分かっていない可愛らしいあほ面でテオは首を傾げた。
背後のシャノンとメルヴィはやっと目が醒め切ったらしく、慣れない仕事に苦戦しつつも使用した食器を洗っている。テオも直前まで手伝っていたのだろう、洗い終えた食器が積み重ねられていた。
シャノンとメルヴィは何か酷く満足げな顔をしていた。シャノンも時々頭を押さえている。
ラぜメアは二人を見て尋ねた。
「……二人ともどうしたの?」
「ちょっと、話せば話すほど存在が眩しくて……」
「眩しいですよね……」
「ああ……」
テオのことか。
貴族にも関わらず家事炊事を慣れた様子でこなし、話してみれば悩みを自分のことのように受け止め、優しく慰めてくれる。ただの世間話でも面白そうに相槌を打ち、そのおかげで退屈しない。ついでに脳を麻痺させるような甘い香りが漂っている。
嫁か夫に欲しい。そう思わない者は居ない筈だ。
ただあまりにも上の存在過ぎて踏み込む気にはなれない。
「こんな家事炊事完璧な人居ないですよ……。セノカさん、良い弟を持ちましたね」
ラぜメアは複雑な笑みで呟いた。
「そこまでか?」
「あは、でもオレ、針仕事と編み物だけは全然ダメだけどね」
奇術師なら折り紙を使うことは良くある。しかし針を使うことは珍しい。
手先は器用なのだが、どうも真っすぐ縫えないらしい。編み物も真っすぐ編めない。セノカは以前話された内容を思い出した。
前世で十二歳あたりの頃、永は裁縫にハマった。しかし一年経っても上達せず、心が折れて辞めた。
掘り返すと怒るので口には出さないでおく。
「あ、そうそう」テオが言った。「さっき確認したら、雨雲が接近しているらしいから夜は保存食にしようか」
「ええ……でもそんな量あるかな? 雨の中で取りに行くのもちょっと……」
「大丈夫、どうせ姉さんとネイズさん、想定して多めに獲ってるでしょ」
「当たり前だ」
ネイズは不機嫌そうに答えた。
テオは再び明るく笑った。
まだ雨雲はそこまで近くない。今から燻製にしても間に合うだろう。
「さ、食材出して。曇天雨天なんて気にならないくらいの絶品を作るんだから! ……うっ」
大声が頭に響いたらしかった。
・・・
昼食を食べ終えた後、六人は穴倉に留まった。
セノカが風雨対策の結界を張り、ひとまず状況は落ち着いた。
天気痛が激しいラぜメア、シャノン、ネイズ、テオを休ませ、定期的に天気を確認する。つまりは六人中四人が使い物にならなくなっていた。
結界を張ってから約十分後、雨が降り始めた。
乾いた岩の上に小さな水玉模様が広がっていく。
銀色の空は、時間と共に色を鈍く、濃く変えていった。
雨の音に耳を傾けていると、夜の訪れは普段よりずっと遅く、重かった。
簡素な夕食を食べ終え、セノカは再び配置に着いた。
「あんまり酷く無さそう」
健康体のメルヴィが、外を見張るセノカの横に並んだ。
「何の用だ」
「話せる人が居ない」
背後を見れば、ぐったりと壁にもたれかかる四人が居る。
回復魔法はあくまで傷を癒す魔法だ。鎮痛効果は無い。魔法や呪術による痛みなら対策できたが、今回は完全にただの頭痛である。
セノカ自身が鎮痛薬を作っても良いのだが、諸事情でその力を公開したくは無かった。
「セノカは雨、好き?」
不意にメルヴィが尋ねた。
「晴天と比べれば嫌いではない」
「……意外」
「そうか?」
「セノカのことだから、無駄なものが無い青空の方が好きだと思ってた」
「…………」
二人の間に、薄い沈黙が降りる。
セノカは鈍い銀色で覆われた暗い空を見上げた。
結界に水滴が落ち、外側の景色を歪めている。
「私も」
メルヴィが言った。
セノカと同じように、結界の向こうの雲を眺めている。
「雨は好き。小さい頃は嫌いだったけど。……私が十歳の時、兄様が魔王に会いに行って、心配で仕方が無かった。尊敬するところと言えば顔と力くらいだけど、一応私の兄様だから」
遠い過去を瞳に映し、メルヴィは淡々と語った。
メルヴィはオルバを嫌っている。それは他者がオルバにばかり注目することに腹を立ててのことだ。
しかしそれだけではないことくらいは兄弟間の事情に疎いセノカにも分かった。
話してみて思ったが、オルバは自分の危険を気にしない。それが彼の親しい人物にどのような影響を与えるのか、彼自身が分かっていないのだ。メルヴィが彼を馬鹿と評するのはそれが理由だろう。
「兄様が返って来た日、弱く雨が降ってた。何だか暖かくて、兄様の疲れた顔を見ると気が抜けて。……だから雨が好き」
普段は表情の乏しいメルヴィの口元に、小さく笑みが浮かんだ。
セノカはそれを横目で見ていた。
自分の兄は今、別の森で結界に隠れて雨をやり過ごしている。
共に数々の非合法組織を潰した上に同い年の兄弟として転生したわけだが、大して情が持てないのは何故なのか。
何となく、再び結界の向こうを眺めた。
雨は勢いを増している。打ち付けるような音が結界を通して響いて来る。
「……それはそうと、終わるまでに止むといいけど」
「この激しさだ。一日も続かん」
翌朝には晴れている筈だ。
雨天では獣と蟲の活動も制限される。音に目を瞑れば、セノカの魔力が切れない限り安全と言ってもいい。
問題は結界から出た後だ。この世界の雨水は魔力を含んでいる。雨上がりの湿気でもそうだが、雨に打たれた獣や蟲は力を増す。
セノカ、レイ、テオからすれば僅かな差だが、他の者にとってそのような獣を相手にするのはそれなりに危険を伴う。
調べてみたところ、学院は雨を狙って演習の日付を決めるらしい。これは不運ではなく、初めから決まっていたことだったのだ。考案者は矢張りと言うべきか、今の学院長である。
重苦しい空気が流れ込み、セノカは軽く溜息を吐いた。
と、その時。
閃光と共に、轟音が鳴り響いた。
「ひいっ⁈」
「きゃあ!」
背後から、少女二人の叫び声がした。
叫び声で頭痛が走り、二人は口を覆って頭を押さえる。
落雷だ。それも近くに。
叫んだ二人……シャノンとラぜメアは布にくるまって震えている。
叫び声で最も被害を受けたのはテオだった。頭痛が激しさを増したらしく顔を顰めている。
「いてて……」
小さく唸り、テオは二人から距離を取った。
何度か連続して雷が落ちる。その度に結界外から青白い光が漏れ、轟音が地面を震わす。
二人は肉食動物を前にした小動物のように縮こまって怯えていた。
「うう……メルヴィイ……」
「はいはい」
ラぜメアが嗚咽混じりにルームメイトを呼んだ。
メルヴィはゆっくりと立ち上がり、ラぜメアに歩み寄る。
すり寄って来るラぜメアの頭を抱き、メルヴィは柔い桃色の髪を撫でた。
「気にしないで。怖がると人に甘えたがる習性があるだけだから」
「人を野生動物みたいに言うんじゃないわよお……」
「将来一人で生きていけるの?」
「当たり前でしょ! うっ……でも仕方ないじゃない……父様と母様が甘やかして来たせいで……」
ラぜメアは小声でうじうじと文句を垂れている。
フィオン伯爵は親バカで有名だ。それもロメリオスト家とは異なり、子供のことになると常識と言うものが抜け落ちてしまう厄介な親バカである。
これでは万が一レイとの関係が発展しても、親が最大の壁となりそうだ。
ラぜメアは度重なる落雷で、顔が見えない程メルヴィにくっついている。メルヴィ本人は苦しそうだが、慣れているのか拒否しようとする素振りは見せない。
その横で、シャノンは心細そうに蹲り、ひたすら壁に背中を押し付けていた。
何か言いたげにちらちらと二人を見ている。
「ごめんなさいシャノン。……ぐ……ちょっとこの子で手一杯……あの、ラズ、力緩めて」
自分を抱きしめる腕の力が強くなり、流石にメルヴィの顔にも焦りが出て来た。
ラぜメアは激しくなってきた雷風雨に怯え、他のことは殆ど頭に入っていないようだ。
思えばそろそろ睡眠を取る時間だ。今夜はテオとネイズが駄目になっているので、セノカが徹夜する他ない。
その由を告げられたテオとネイズは青白い顔で頭を下げた。
それなりに精神の図太いメルヴィと、頼れる抱き枕を手に入れたラぜメアは割と早く睡眠に入った。
テオとネイズはまだ起きていたが、疲れもあるので痛みを忘れてすぐに寝るだろう。この二人ならば徹夜でも大して支障は出ない。
見張り役のセノカと、雷に怯えるシャノンだけが残された。
幸いセノカの体力は有り余っているし、前世から徹夜は日常茶飯事だったため眠気は無い。一晩は余裕で越せる。
しかしシャノンは別だ。精神的にも身体的にも疲労が溜まっている上に、それが翌日に及ぼす影響は大きい。眠気を轟音で覚まされ、随分追い詰められているらしかった。
獣の鳴き声や襲撃音を聞き取るために、結界を音響遮断にしていないことが災いした。
「……」
セノカは背後で震えるシャノンを横目で覗き見た。
(……足手まといになられても困る)
そして立ち上がった。
懸命に耳を塞ぐシャノンは、態々セノカが鳴らした足音に気づいていなかった。
瞼の奥から嫌でも差し込んでくる白光に涙を浮かべ、縮こまっている。
その時、その頭に何か、冷たいものが触れた。
「ん……?」
シャノンは固く閉じていた目を開き、それを見上げた。
低めの体温が、布越しに伝わって来た。
同時に、頭の上から大きな布を掛けられていたことを理解した。
夜空を溶かしたような、深い青の外套。女子のものにしては大きい。
見上げた先には、白金の長髪。自分よりも背の高い人物の影。
「え、セ、セノカさ……うぐっ」
上ずった声が頭蓋に反響する。
セノカは無表情のまま体を寄せ、何の恥じらいも込めた意味も無くシャノンを見た。
「眠れるまでだ。こちらにも見張りがある」
対応とは真逆の冷たく淡々とした声でセノカは囁いた。他の者を起こさないためである。
シャノンに精神魔法をかけ、更に聴覚と視覚を一時的に奪う。あの様子からして、こうでもしなければ寝ないだろう。
突然近寄って来たセノカに困惑していたシャノンは、顔を赤くして呆然としていた。
しかし遮られた眠気の蓄積により、恥よりも不安が勝った。
自分からもセノカに体重をかけ、見えていない目を閉じる。学院に入って寮生活となり、人の体温を感じたのは久々だ。
仄かな甘い香りが鼻を突く。そういえばこの人女性だったな、と改めて思い、底の無い闇に身を委ねる。
本来五感の一部など奪われれば生存本能として強い恐怖が芽生えるものだが、精神魔法によって無効化されている。
低い体温と、静けさと、暗闇。
そして圧倒的な安心感を前に、シャノンの意識は深く沈んだ。
体から力が抜け、荒かった呼吸が整っていく。
_______十分後。
シャノンは寝た。
穏やかな表情で、呑気に寝息を立てている。
かなり睡眠が深いことを確認し、セノカは魔法を解いた。
シャノンに視覚と聴覚が戻って来る。最も、今それが使用されているのは夢の中の話なのだが。
セノカはそっとシャノンから離れ、元の場所に座る。
結界の外では矢張り激しく雨が降り続けている。
____晴天と比べれば、雨天はそこまで嫌いではない。
暗い銀色を虚ろな藤色の宝石に映し、セノカは見張りを再開した。
夜はまだ長い。




