夜の見張り番
「出来たよ」
日が完全に沈み、森が宵闇に覆われた頃。
火の灯る穴倉で、テオが言った。
風呂代わりに湯で濡らした布で体を拭き終えたため、全員汚れや乾燥は無い。
全員で火を囲み、木製の器を手に持っている。その器には獲れた植物の色である赤の液体と焼いた肉の欠片、そして山菜類や茸が乱雑に入っている。
セノカを除く女性陣は今にも飛びつきそうなほど目を輝かせ、他のことは殆ど意識に入っていなかった。
「それじゃ、いただきます」
テオの言葉とほぼ同時に、三人は器の中身をスプーンに取った。
そして食べた。
三人の瞳が鋭く光り、ある程度の気品を保ちつつ手を急速に進めた。
「……お、美味しい?」
「ほいひい」
「そっすか……」
あまりの勢いに作った本人は引いているが、恥も気にせず三人は料理を食べ進める。
ネイズとセノカは普段の様子でテオの手料理のスープを一口啜った。
セノカは大した反応を見せなかったが、一方でネイズの表情が僅かに明るくなった。
それを見たテオは満足そうに胸を張っていた。ネイズもテオの反応に気づき、すぐにいつもの冷たい表情に戻る。
セノカは食べている、というよりも、栄養を摂取している。味云々は特に気にしていないようだった。
テオ自身はというと、三人のものよりもずっと小さな器に汁だけを取っていた。一口で無くなったが、本人はそれで充分そうだった。
「おかわり」
「うわびっくりした」
最速で食べ終えたメルヴィが器を差し出してきた。
かなりの勢いがあったにも関わらず、服は綺麗なままだ。
鍋にはまだ二人分程度残っている。シャノンが狩って来てくれた猪肉全ては流石に入らなかったため、残りは燻製にして簡易異空間に入れてある。
テオは差し出された器に先ほどよりも僅かに少ない量をよそった。
受け取ったメルヴィはまだ熱い器の中身をすぐには食べ始めなかった。
「……貴族だと料理が出来る人自体少ないのに……」
「得意なんだね。家でも作ってたの?」
いつの間にか器を空にしていたラぜメアが口を挟んだ。
「あ……ええと……」
「何故かこいつは幼い頃から厨房に入り浸っては料理人を困らせていた。その結果がこれだろう」
助け船を出したのはセノカだった。
前世のことを口に出すわけにはいかない。
テオは秘かに安堵の溜息を吐くと共に、セノカに感謝の視線を送った。
『結局のところ、何故なのだ?』
セノカの声が直接思考に送られてきた。
他の者には絶対に聞こえないため、安心して前世のことも話題に出せる。
『初めてお前の手料理を食べたのは確か十歳の時だが……その頃からこの腕前だった気がする。見ていない間に何か勉強でもしたのか?』
『や、特に勉強はしてない。何となくこれとこれを混ぜたら美味しそうだなーってのが分かるから、勘かな』
つまり才能か。
碌に食事も摂らないくせに味が分かるのは何故なのか、という新たな疑問が出て来るが、これ以上聞くのも面倒なのでセノカは通信魔法を切った。
火傷しない程度に冷めたスープに再びがっつき、メルヴィとラぜメアは幸せそうに目を細めた。
シャノンは時間も経ち、恥が蘇って来たのか控えめな動作に変わっている。
テオは隣に座るネイズに体を寄せた。
「どう?」
「……不味くは無い」
「素直じゃないなあ」
テオは他の四人に向けるのとは別の、揶揄いを含んだ笑みを向けていた。
それを眺めるメルヴィは、変わらず器を中身を飲み込む勢いで口に入れながらとある友人の顔を思い浮かべた。
皇女と同室であり、彼女のお付きである少女だ。
(……ヘラーがここに居なくて良かった)
セクハラ必至である。
・・・
火を消し、セノカを除く五人は寝袋にくるまっていた。
貴族が野宿に慣れている筈も無いが、矢張り実力者が四人揃うと心強い。特に気の小さいシャノンの顔にも不安は無かった。
夜の見張りは、セノカ、テオ、ネイズの順で回すことになった。夜にも朝にも強く、この面子の中で最も優秀な三人だ。
己の得物である弓と刀を傍らに置き、セノカは背後で眠る五人にも気を配りつつ広範囲に渡って魔力探知を発動させる。日中に活動する獣よりも夜行性の獣のほうが厄介だ。探知にかかりにくい上に慎重で、それでいて得物を狩る能力は高い。
夜風が髪を弄る。月明かりを浴びて藤色の瞳が空虚な宝石のように輝いた。
何度かメルヴィが寝返りを打った。どうやらかなり寝相が悪いらしい。彼女と同室のラぜメアは毎日苦労していることだろう。
今頃ヘラーもロザリエの寝相と寝言に苛立って……否、慣れているか。
五人が無事に眠っていることを確認するために背後に目を向ける。
皆穏やかな顔で寝ているが、それぞれ特徴が濃い。
メルヴィは音から予想していた通り、それなりの強度の寝袋が体から離れかかっている。そのくせ姿勢は落ち着いているから、手足が動くと言うより転げまわるタイプのようだ。
ラぜメアは手足の位置が大分変わっているが、体の位置自体は大して動いていない。
自身のルームメイトであるシャノンは少し寝返りを打った形跡がある程度、つまりは普通である。
弟のテオは寝顔こそ死人だが、シャノンと同程度に動いている。顔が白いのが動かなくなると生存確認をしたくなる。
その隣のネイズは実に静かで殆ど動いていない。全くではないので腰痛にはならないだろうが。
寝相と言えば、昔のレイは酷かった。記憶と人格が戻る以前は、毎朝頭の位置が枕の反対側にあった。ベッドの下に潜っていたこともある。
思えば心置きなく眠れたのは記憶が戻る前までだ。警戒心が強まった後は眠りが浅く、精神魔法と薬が無ければ危ない状況だった。
前世では虫の足音が鬱陶しく、部屋中の虫を駆除しなければ朝まで目を閉じていられなかった。あの過敏で制御できない聴覚が弱まったのは幸いだ。警戒のために五感を研ぎ澄ましておく必要はあるが、魔法のお陰でその辺はどうにかなる。
前世の三歳ごろまでは虫よりも同居していた女性……自分を生んだ人物の方が恐ろしかっただろうか。自分にとってはかなり昔の話なのでその頃の記憶はあまり鮮明ではない。映像は思い出せるが、抱いていた感情ははっきりしない。
声を発すれば「耳障り」「うるさい」と言って殴られ、かといって彼女に眠っているところを見られると「私は彼を思って全然寝れないのに、なんでお前が寝てんのよ」「黙ってんじゃねえよ」と言って蹴り起こされる。「理不尽」という言葉を知ったのは売られた後のことだ。彼女の気性のせいで当時は不眠だった。彼女が酒に酔って静かになったのを見計らって睡眠を取っていた。今もその後遺症と言うべきか、他者が近くに居ると眠気がやってこない。シャノンと同室で眠る時も弱い睡眠薬を飲んでいる。
……そういえば。
前世のテオ……つまり永も、ああ見えて殆ど寝ていなかったのではないだろうか。毎晩夜明け直前に扉の開く音とどこかから戻って来る永の足音が二つ隣の寮部屋から聞こえて来た。本人曰く「その時はもう寝てたけど」とのことだが……。
「もう一人」に聞くと適当にはぐらかされたので、それ以上は何も言わないことにした。
結局、奴は今どうなっているのだろう。転生という現象に負けて消滅したか。
本人……と表現して良いか分からないが、そいつは今背後で呑気に眠っている。そろそろ交代の時間なのでその眠りを覚ますことになる。
その時、不意に複数の気配が空から接近した。
見上げると、遠くに鳥獣の姿があった。
遠いがその眼は真っすぐに穴倉を見ていた。鳥獣、それも夜行性の個体は視力が良い。
「前世なら羨んでいたことだろう」
小さく呟き、セノカは傍らの弓を手に取った。
今世は元からそこまで視力は低くない。そこに獲得能力で上乗せし、地平線近くまでははっきりと目視できるようになる。
矢を弓に掛け、引く。
糸が軋む音と共に、矢にかかる抗力が強まる。
敵との距離は目視で九三四メートル。かなり強く矢を引く必要がある。
矢に魔法を纏わせ、限界近くまで引いていく。
静かに接近する鳥類に鏃が向く。月光を浴びて鏃が鈍く輝く。
鳥獣の鋭い視覚の先で、一つの光が瞬いた。
セノカは矢を離し、そして矢はセノカが狙った方向へ真っすぐに向かう。
その時、矢が突然薄い光を発した。
次の瞬間。
矢が増えた。丁度鳥獣と同じ数に。全てがそれぞれ違う個体を狙っている。
鳥獣は、それが眼前に迫るまで矢の存在に気づかなかった。
全ての矢が正確に、鳥獣の額を貫通した。食用に出来ない種類ならば殺せる弱点を撃ってしまえば良い。
大きく姿勢を崩し、鳥獣が落ちる。セノカはその姿が森の中に消えるのを見守った。
遠くから葉の揺れる音がした。木々が揺れるのが見えた。
セノカは再び地面に腰を下ろした。他に自分たちを狙う魔力は感じない。
交代時間まであと数分。テオもネイズも、自分には及ばないが実力者だ。安心して任せられる。
魔力探知は絶やさずに、思考を再開する。
過去の出来事を追うのではない。今後の計画を完成に近づけたいのだ。
この演習が終わった二日後にフィロイドの任務がある。補佐付きの任務をさっさと終わらせて、より多くの任務を遂行して上に実力を認めさせなければ。
最高神が言っていた「知り合い」にも会う必要がありそうだ。
他に思いつくのは訓練と、武器の強化だ。今のところ使っているのは、ただの一般武器に魔力と魔法を纏わせているだけの粗悪品である。魔王を相手にする以上、元から何かしらの魔法効果や獲得能力が宿っている武器が欲しい。
どのような経緯で手に入れるか。何を求めるか。任務を滞りなく進めるために決められることは決めてしまいたい。どうせ今は暇だ、それならば何かしらの作業をしなければならない。
諦めが良く飽き性の癖に、暇と怠惰は埋めたくて仕方がない。自分でも面倒な性分である。
結論が出たら、レイにも共有しておこう。
そこで丁度交代の時間になった。
穴倉の中で眠るテオの傍に歩み寄り、肩を揺する。
「起きろ。交代だ」
「……ん。おけ」
テオは瘦せ細っている体を重そうに起こす。
控えめな欠伸を一つと、体の関節を伸ばす。肩甲骨辺りからぼき、と嫌な音が鳴った。
セノカは適当にシャノンの隣に移動し、予め作ってあった自分用の寝袋に入る。
テオは穴倉の外に出る直前に足を止めた。
そして振り返った。
「じゃあおやすみ、姉さん」
・・・
「………………うん?」
空の色が僅かに青を取り戻してきた頃。
穴倉の中でネイズは目を覚ました。
交代時間に起きるために魔法式を組んでおいたのだ。
テオの姿は無い。もしや見張り場所で寝落ちしたか?
ネイズは体を起こし、立ち上がった。魔力探知を発動させ、テオの場所を探る。
穴倉の上。今自分が居る場所の真上だ。
穴倉から出て、寝起きで制御が不安定であるため風魔法でゆっくりと上昇する。薄い反応が近づく。
その時、声が聞こえた。
人魚の歌のような、人を狂わせて喰らう美しく恐ろしい声。
鼻歌……だろうか? 聞いたことの無い旋律だが、不思議と聞き入ってしまう。
顔を覗かせると、目的の人物が草むらの上に座っていた。
手が何か、膝に乗ったものを撫でているように見える。景色を眺め、月光に照らされながら歌っているその人物は間違いなくテオだった。
……何だ?
何かの違和感が脳裏を過った。
多分気のせいだろうと片付け、テオの背後に歩み寄る。
矢張り夜に見ると、尚更瑠璃石の精のようだ。
「ロメリオスト」
歩み寄りながら名を呼ぶ。
歌が止まった。
テオはゆっくりと振り返り、藤色の瞳でネイズを見た。
「……ああ、ネイズさん」
「交代時間だ」
「おや、いつの間に。これは失礼」
テオは悪戯っぽく笑った。
そしてそのまま立ち上がった。
「……ん?」
ネイズは首を傾げた。
テオは気にせず、ネイズの横を通り過ぎようとする。
「先ほどまで、何か膝に乗っていなかったか?」
「さあ」
軽い声が答える。
甘い香りと共に、濃く重い魔力が真横を通り過ぎ、脳が一瞬麻痺する感覚があった。
(……何だ、この違和感は……)
恐怖心にも似た感情が僅かに顔を覗かせる。
ネイズはとりあえず気にしないことにした。否、とりあえず、というより、本能に近いものだった。
穴倉の付近に降り、中を見る。
そこには穏やかに眠る、他の仲間の姿があった。勿論、テオも居る。
死人のようだが無邪気で美しい寝顔に、疑いと恐怖が無意識のうちに晴らされる。
ネイズはその場に腰かけ、穴倉の外を眺め始めた。




