特別演習
「ふああ……」
ある日の朝。
シャノンは自室のベッドの上で体を起こした。
窓の外から、心地よい小鳥の囀りが聞こえる。良い朝である。
ベッドは実家のものと比べれば狭いが寝心地は良く、シャノンは寝相も良いためいつも熟睡できている。昨晩も例外なく、だ。
脳はしっかりと休まり、眠くはあるが機嫌の良いまま起きられる。健康的な学生生活を送っていた。
シャノンは寝ぼけ眼を薄く開き、カーテンを開けようとベッドから降りる。一度部屋を日光で満たさなければ目が醒めないのだ。
しかし既に部屋の中は明るい。
伸ばした手は布ではなく、窓硝子に当たった。カーテンが開いている。
昨日閉め忘れたか、と思い、シャノンは何となく部屋の中を見た。
すると。
「おはよう」
例の、低い女性の声が言った。
セノカだ。
朝風呂から上がり、今は書物を読んでいる。
寝起きで朦朧としていた意識が一瞬にして晴れた。
「おは、おはようございましゅ!」
意識が醒めても滑舌はまだ悪い。
シャノンの顔が赤くなっていった。
「きょ、今日は居るんですね……。あ、別に居てほしくないとか、そういう意味ではなく……!」
「お前は忘れているのだろうが、早く出る必要があるのでな」
「え? 何かありましたっけ……」
鈍い脳で、シャノンは昨日の記憶を辿る。
駄目だ、特に何も思い出せない。ロザリエたちと話した、「今度の休日はどの店に行くか」という話題くらいである。
セノカは書物を閉じた。
早起きしたためか流暢な、呆れは無いが、冷たい声が告げた。
「……特別演習」
「…………」
シャノンの思考が一瞬、停止した。
この学院で年に一度必ず行われる、二泊三日の所謂サバイバル訓練だ。この学院は魔導士を育てることを目的としている。魔導士は仕事として、度々冒険者(魔物退治や迷宮攻略などで日銭を稼ぐ何でも屋のような職業。この世界では一般的。請け負う仕事の危険性は、冒険者、騎士、フィロイドの順に高くなる)の補佐に着いたり、またはそれそのものに加入する場合が多い。学院出身の冒険者は皆、国からの認定を貰い自身の事務所を所有している場合が殆どだ。
そして冒険者は迷宮内や外に寝泊まりすることが多い。そのための訓練である。
寮内に、シャノンの絶叫が響き渡った。
・・・
特別演習は六人一組で行われる。冒険者組合の平均よりも少し多い程度である。
攻略済みの迷宮周辺や、獣や蟲など魔物の発生が比較的多い山中だったりと、様々な場所に割り振られる。そこで無事に期限を達成すると成功扱いとなる。
死者がでないよう、生徒たちには実戦試験の時と同じような腕輪が与えられる。しかし今回はダメージを蓄積する形式であり、脱落者には筆記試験と、その結果が悪ければ補習が待っているため基本的に全ての生徒は真面目に取り組んでいる。
ちなみに痛覚などは無くなる。
水と食料は自分たちで見つけ出し、調理する必要があるが、学院からは殺虫効果のある着火剤が支給される。飢えと渇きを無くすために緊急用の食料も持たされるが、使い切っても脱落扱いとなる。
風呂や寝床なども自分らで管理する必要があるため、女子にとっては悩ましい講習でもある。万が一を防ぐために、各組はルームメイト三組で、男子二人と女子四人か、男子六人で構成される。そして教師への連絡も一応可能だ。
安全には気を遣っているわけだが、シャノンのような小心者には厳しい課題であることに変わりない。
・・・
「ごめんなさい……私が寝坊したばっかりに……」
「別に良い」
学院の広場に、一年生が集められていた。
二百人程が集中しているため、中々の密度になっている。故にルームメイト同士でかなり近づく必要がある。
シャノンは比較的小柄な上に大して体幹も強くないので、人波に飲まれないようセノカが肩を抱き寄せている。
蟲のことを必死に考えてどうにか平常心を保ち、シャノンは周囲を見回した。
「ロザリエ様たちはもう誰かと組んでしまったのかしら……」
「おそらくは」
「早く私たちのチームメイトも見つけたいですね」
二人は離れないように、というかセノカが肩を抱き寄せているので離れる心配は無いが、慎重に腕輪が示す方向に歩く。はっきりと目視できるがそこまで強くない光を辿り、人混みをかき分ける。
矢張りロザリエ一行は見つからない。早い所セノカから離れる口実を作りたかった。
心拍の異常上昇と体温上昇で今にも倒れそうだった。
セノカは一寸もずれることなく目的の人物に向かう光を辿っていた。
そして。
「……居た、が…………」
腕輪から出ていた光はチームメイトの一人の腕輪に繋がっている。
同年代に比べれば長身なほうであるので、その人物の頭はすぐ視界に入った。
(また学院長の細工か)
そこには小柄な少女が立っていた。
この世界に来て、人々の髪色がやけに派手だと思っていた。しかしここまで特徴的な者は自分たち以外見たことがなかった。
瑠璃石のような色合い。両親からそれぞれ譲り受けたものだ。
セノカはその人物を感情の乾ききった瞳で見下ろした。
相手はセノカを見て驚いていた。それはすぐ満面の笑みに変わった。
目的の集団に合流したセノカはシャノンから手を離す。緊張が解け、シャノンは膝から崩れ落ちそうなところを何とか堪える。
シャノンをよそに、その人物はセノカに駆け寄った。
「姉さん!」
テオだった。
その後に続いて歩いて来たのは、ルームメイトであるネイズだ。
セノカは即座にポウ・アンド・スクレープの姿勢に切り替える。カーテシーでないのは男子制服だからである。
「お初にお目にかかります、ネイズ・レーべニア殿。テオの姉のセノカと申します」
「貴女が……」
テオが話していた、癖の強い姉。それを口に出すほど馬鹿ではない。
女子にしては高い身長と低い声と、それに反する少女らしい顔立ちとで大分浮世離れしている。ある程度似てはいるが三つ子で顔がそっくりなわけではない辺り、三卵性だろうか。
だが実際に会ってみるとテオが言っていたような性格は見て取れない。多少誇張でもされていたのかもしれない。
ネイズは軽く頭を下げた。自分の方が地位の高い貴族とは言え、相手は一応ルームメイトの姉だ。
「こちらこそ。しかしそこまでかしこまらなくても良い」
「そういえばネイズさん、上級貴族だったね」
「お前には礼儀を弁えてほしいがな」
テオが目を逸らし、ネイズはそれを追うようにテオを睨んだ。
シャノンが恐る恐る前に出た。
「わ、私はセノカさんと同部屋の、シャノン・マリンワーズです。よろしくお願いします」
人見知りなのか、顔が赤くなっている。
「オ……わたしはテオで、セノカの弟です。えっと……初めまして?」
「……よろしく頼む」
テオも多少人見知りであるため声が僅かに上擦っていた。
ネイズは見るからに無関心だった。
シャノンは視線の行き場と逃げ場所を失い、気まずそうに縮こまる。
そこにもう二つの気配が近づいて来た。
「あのー……」
遠慮がちな声が、セノカの背後からかかった。女子生徒の声だ。
振り返るとそこには、薄桃色の髪の少女と、明らか不愛想な少女が立っていた。
「……あ、セノカ」
不愛想な少女が呟いた。
シャノンが希望の光を見つけたように瞳を輝かせていた。
「メルヴィの友達?」
「うん。ラズには話してなかった?」
「多分聞いてない」
この濃い面子の中で、その女子二人は真面なほうだった。
案内用の腕輪の光が徐々に薄まって消え、その二人がチームメイトであることを示している。
二人は他の四人に向き直った。
「メルヴィ・リオエスティ。よろしく」
「私、ラぜメア・フィオンです」
ロザリエ陣営のメルヴィと、ティニー派閥のラぜメア。
正反対に見えるが、仲は良さそうである。一般の女子学生二人組だが、四人にとっては珍しい。
「! 貴方、レーべニア家の人?」
ネイズを見つけたメルヴィが言った。
「ああ」
「知り合いなの?」横からテオが頭を出した。
「貴方はセノカの……(妹……)……上級貴族同士、関わる機会が多い。それに領地も近いから」
「リオエスティ伯爵はどうしている」
「元気」
上級貴族と言うよりも不愛想同士、と表現したほうが正しい。声色も内容も淡白だ。
一方、ラぜメアはセノカをちらちらと横目で観察していた。
「何だ」
「ひぇっ、何でも!」
突然自分の方に動いた藤色の瞳と目が合い、びくりと肩を震わせる。
慌てて顔を背け、意味も無く虚空を凝視した。
(やっぱり、レイさんにちょっと似てる……)
長身、無表情、髪色。レイも女顔なので、少し変装すれば気づかれなさそうに思えた。
それと同時に、ある考えが突然ラぜメアの脳裏に浮かび上がっていた。
(……この人が弟さんで、あの子が妹さん、よね。つまり、誰よりもレイさんのことを良く知ってる……ってことは)
レイについて上手く聞き出せるかもしれない。女性の好みや、誕生日とか。
二人の性別の認識は合っていなかったが、ラぜメアは人知れず意気込んでいた。
これは自分の恋愛を成就させるための大きな機会であるに違いない。この面子で今回の講習を迎えさせてくれた神に感謝を捧げなくては。
(でも、こんな美人の妹弟と一緒に居たレイさんを落とすの、結構大変そうね……)
自分なら間違いなく目が肥える。
しかし、(でもシャロウさんなら)、と気を持ち直した。
その時。
一人の教師が宙に浮かんだ。
拡声魔法を発動させ、教師の声が広場に響き渡る。
「全ての生徒の集合及び班分けが完了しました。只今より、特別演習の説明を開始させていただきます」
生徒たちが静まり、教師の言葉に耳を傾ける。
教師は慣れた様子で説明を始めた。
「皆さんには三六の組に分かれ、国民の非生活圏の、例えば攻略済みの迷宮周辺の森など、弱い獣や蟲が生息する環境で二泊三日過ごして過ごして頂きます。知性と力のある生物……つまり魔物の報告は無く、教師陣が予め見回りを済ませていますのでご安心を」
教師は使われない腕輪を手の上に浮かせ、言葉を続ける。
「こちらの腕輪は重大なダメージに反応して痛覚を遮断し、持ち主を転移させる魔法がかけられています。ただし今回は実戦試験の時とは異なり一度の致命傷または重傷で即転移となりますので、ご注意を。そしてこの腕輪は収納機能を有しており、このように魔力を込めると簡易異空間に繋がるので、薬、非常食、調味料、その他基本的な道具はここから取って下さいね。……質問がある方は居ますか?」
教師は生徒たちを見渡す。
静寂が降りるばかりで、動く気配は無い。
宙に浮かんだままの教師は静かに頷いた。
そしてその両手に魔力を集中させる。反応するように、生徒たちの腕輪に光が灯る。
腕輪の光が限界まで強まったところで、その所有者たち、つまり生徒たちの体が淡い光を放った。
「健闘を祈ります」
教師が言うと同時に、その場の人影が一斉に、光と共に消えた。
演習終了まで、クラニスタ時刻約二六時間。
我々の世界で言うところの、五二時間の演習が開始された。




