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名前の記憶

 風呂と夕食を済ませた二人は自室に戻っていた。


 普段はテオからの絡みを避けるために眠気など毛ほども無い中ベッドに入っているが、今日はテオに捕まったため部屋には小さく明かりが灯っている。

 ネイズは学院で習う範囲外の算術の問題を答えが見えているかのように解き、テオは眼鏡を掛けて書類を読み進めている。


 テオは一言も発さず、セノカから渡された……と言うより押し付けられた参考書を見て虚無になっていた。いつもが騒がしいため自分が知っているテオとの差にネイズは自身も机に向かいつつその様子を盗み見ている。

 参考書の表紙には「呪術史」の文字が記されている。ゾルヴィアに教わったことを纏め上げたセノカ作の書物だが、歴史書に見えるよう幻影魔法で細工がされていて中身の文章も表紙の通り呪術の歴史が並べられている。掛けている眼鏡を通せば本来の文章が見えるようになっていた。


 しかし偽装よりも本来の文の方が二倍以上文字数が多い。長く見ていると視力が落ちることは確実である。

 セノカの直筆だが、字の線が細く丁寧なことが唯一の救いだった。前世で琴弥にも揶揄われていたセノカの筆跡は時が経ってもパソコンの初期フォントのまま特に変化は無い。


 今日のノルマもあと一頁だが、十頁に七十分の時間を要したためテオの顔には諦めと疲れが滲み始めていた。


 苛立ちか何かで魔力が火花を散らした。

 無理矢理集中力を高めるためか、低い呟きが聞こえ始める。内容を口に出しているのだろうが、聞き取れない程小声である所為でネイズには普段明るいルームメイトが呪いの呪文を唱えているように聞こえていた。

 内容は前世の言葉で書かれているため仮に聞き取れていたとしても謎の言語に変わりはない。



 五分後、ようやくノルマを達成したテオが書類を投げ捨てて腕を伸ばす。魔力も収まり、張り詰めていた空気から解放されたネイズは肩から力を抜いた。


「……ん? どうしたのネイズさん。そんなに疲れた?」


「誰の所為だと……」


「へ? ……あ、ごめん。ちょっと魔力が漏れちゃったのか。じゃ、ちょっと換気…………」


 テオはベッドから立ち上がり、窓に歩く。


 部屋の中が明るいため、窓に部屋の中の様子がはっきりと映った。

 夜闇で暗くなった自分と目が合う。その頭上には青白い光が浮かんでいる。


 テオは大きく窓を開けた。


「あ……!」


 藤色の瞳が輝く。


 風が吹き込み、ベッドの上に放置された書物が捲れた。

 テオは窓から僅かに身を乗り出し、空を見上げる。


「そういえば今日って満月かあ……」


 水晶の瞳に月明かりを宿し、テオは溜息交じりに呟く。


 異世界の月は前世よりも大きい。故に満ち欠けの変化にも気づきやすく、前世の小さな月に慣れているテオたちは尚更だった。更にこの世界の月は満ちると色が変わり、青白い光が薄い金色に染まるのである。テオの楽しみでもあった。


「それがどうした。風が邪魔だから閉めろ」


 ネイズは紙を腕で抑えて言った。


 しかしテオは不意に振り返り、ネイズと、その手元の紙に目を向ける。

 この一時間で書かれた数字の列を見たところ、かなり勉強は進んだようだ。


 つまり、もう充分だろう。


 にやりと薄笑いを浮かべたテオに、ネイズは小さく首を傾げた。


 次の瞬間。


 テオは指を鳴らし、部屋の灯りを全て消して見せた。


「な……」


 何を、と言う前に、手に冷たい感覚が走った。

 手を握られたのだ。


「お詫びにちょっと気分転換!」


 ネイズの腕を掴み、舞踏のように引き寄せた。


 とは言えネイズの方が身長は高く、それなりに差もあるため、テオは魔法で体を浮かせてそれらしく見せている。

 テオはそのまま開け放した窓の外へふわりと躍り出た。


「折角月が綺麗なんだ。紙切れなんて睨んでいたら勿体ないと思わない?」


 指を鳴らすと部屋の灯りがふっと消えて窓が閉められた。


 こうなるとこの少年は自分の理屈を聞かない。流石に学んだネイズは引かれるまま屋根の上に浮き上がった。


 緑の屋根にテオが腰かける。そして自分の隣を叩き、ネイズが座るよう促した。

 ネイズは渋々とテオの隣に腰を下ろす。


 テオが虚空に手を掲げた。すると月明かりに浮かぶ黒い魔法陣が現れた。

 魔法陣には所有者の性格と魔力の特性が表れやすい。この黒さは闇魔法向けの魔力故なのか、はたまたこの天真爛漫な表情の奥にとてつもない闇が潜んでいるのか。

 おそらく前者だろうとネイズはどうでもいい思考を適当に片付けた。


 魔法陣の中から、ティーポットとカップが掌に落ちる。テオはそれを器用に受け止め、自分のもう片隣に置いた。

 いつのまにか入っていた茶をカップに注ぎ、ネイズに手渡す。

 陶器の中身の温もりが滲んできた。


「温かくて良かった?」


「……ああ」


「それ、うちの領民が育ててくれた茶葉でね。栽培できると態々持ってきてくれるんだよ」


「貴族なら当たり前の事だろう」


「そうだろうけど、感謝の気持ちってやつ」


 自分のカップにも紅茶を注ぎ、テオはそれをゆっくりと口へ運んだ。

 何気なくネイズがカップの中を見ると、琥珀色の鏡面に青白い月が映っていた。

 一口飲んでみると、何やら果実に近い味がする。加工がされているのだ。


「美味いでしょ。兄さんが作り方を教えてくれたんだ。オレが風邪ひいた時はいつも兄さんの特製だったから」


 前世でも。

 慣れていないくせに、スマホを見ながら調合していた。


 テオは感じ入るように月を見上げる。

 ネイズも特にやることが無いので月を見た。

 その時、不意にテオが言った。


「……ネイズさんの名前って、もしかして月光から来てる?」


「どういう意味だ」


「古語で月光って、『ネイゼル』て言うでしょ。君の目、月みたいだし」


 クラニスタ帝国の国民たちは基本的に、親の名から何文字かを取って子供に名づける。故に大体は二文字から四文字が普通である。


(そういえば……)


 ネイズの両親の名前からどう取っても、「ネイズ」にはならない。となると本当にテオの言った通りなのかもしれない。


 一度も聞いたことが無かった。

 そもそも気楽に話すような仲でもない。


 彼らよりも先に、知り合ってから数か月の同級生に教えられるとは思っていなかった。瞳の色に言及されたのも初めてだ。


 月光、か。

 太陽にはなれない、淡く青白い光。太陽が去った後の夜空で我が物顔で輝く、卑怯で傲慢な星だ。

 自分が月なら、太陽は今隣に座っているこの少年だろう。

 矢鱈と明るく、自分の知る中で最も強く、神の子のような容姿を天から授かった。兄姉から英才教育を受けているから頭脳も優れている。


 何故両親は自分にこの名を付けたのか。

 深く考えないようにした。


 しかしテオは月を見上げたまま、浸るような声で呟いた。


「良い名前じゃない。暗闇を照らして人を導く、優美なようでとても力強い星だ」


 その言葉に、ネイズは目を見開いた。


 言った本人は呑気に月見をしながら鼻歌を歌っている。


 藤色の宝石が月光を反射してきらりと輝く。淡い光に酔いしれるように、目が細められていた。


「オレ、見ての通り体が弱くてさ。昔は殆ど夜にしか皆に会えなくて、日光よりも月光の方に馴染みがあるんだよね」


 昔、とは、いつのことなのか。


 テオとネイズの会話を盗み聞きしていたディウルカは、今度セノカ様にテオの前世について詳しく聞いてみよう、と考えていた。

 この主人は確かに体こそ弱いが、いつも太陽の下で駆けまわっている。前世はそんなに病弱だったのだろうか。元気な姿はその反動だったりして。


(……はあ、やめよ。眠くなってきた)


 ディウルカは一つ欠伸をし、監視魔法を切った。


 テオはネイズに明るい微笑みを向けた。


「ちなみにオレの名前は、えーと確か……『果てなき星の輝石』って意味なんだって」


「二文字のくせに、随分と複雑な言語があったものだ」


「『テオ』が本名じゃないっての。名簿で一度くらい見たことあるでしょ」


「確かに、同じような苗字の、長ったらしい名前を一度見た気がする。覚える必要も無いので放置したが」


「酷い」


 二人の会話は気の抜けたものに戻っていた。


 紅茶も飲み終え、集中して月見をする時間も過ぎ、テオは音響遮断の結界を張って雑談に熱中している。ネイズも返事をするようになってきた。


「それで兄さんが『慈悲の花の賢者』とかでー……うん?」


 突然テオが言葉を止めた。


 その視線が、水平より僅かに下に向いている。そして何かを追うように動き始める。

 見詰めているものが二人に近づいて来た。


 蝶だった。


 鮮やかに青い羽が繊細に輝き、幻想のようにふわりと舞った。

 それはテオの周りを飛び、差し出された人差し指の上に止まった。

 ゆったりと羽の開閉を繰り返し、月を背にテオを見つめ返す。


「何かこの蝶……骸喰蝶(コープシーター)に似てない?」


 口の形が普通のものとは異なっている。


 花の蜜を吸い上げるための筒ではなく、何かを噛み千切るための歯がついている。



 骸喰蝶は、この国で「死の蝶」として尊ばれ、恐れられる蟲だ。成体は卵を得ると羽を落とし、地中に潜る。そして埋まった死体の肉を食い破り、卵を産み付ける。幼体はしばらく死体の肉を食べて育ち、蛹を作り、羽化した後に地上に出て羽を広げる。そして番と死体を探して最長三年間旅をするのだ。



 しかし、テオの指に止まる蝶には他にも異変があった。


「……けど、こんなに鮮やかだっけ。この蝶」


「不吉だな」


 ネイズが口を挟んだ。

 テオは蝶と共にネイズをほうを向く。

 ネイズは月を見上げて語り出した。


「骸喰蝶は死体の鮮度によって色を変える。寄生した死体が新しいほど羽の色は鮮やかになる。そいつは見たところ二か月以内の個体だろう」


「……え」


 テオの顔が青ざめた。

 この手の話には弱いのである。


 ネイズの言ったことはつまり、この二か月間でこの付近で死んだ者が居たということだ。墓に入っていれば成体が潜り始めてから子供が羽化するまで、短くても二か月と少しはかかる筈だ。それでも十分鮮やかだろう。

 この蝶が育った死体は、しっかりした墓に入っていないことになる。


 死体の出来た経緯が想像できてしまったのか、テオは緩く指を振り、蝶を払う。

 死を象徴するその蝶は、名残惜しそうにテオの周りを二週ほど飛んだ後、我が子を残すためにどこかへ旅立っていった。


「……知らなかったのか。墓へ行けば一匹は居るだろうに」


「姉さんが一匹残らず殺しちゃうから」


 また姉の話だ。どれだけ癖が強いのか。

 弟に小難しそうな呪術史の書物を寄越したり。矢鱈と他者への警戒心が強かったり。

 そこに極度の蟲嫌いが加わり、ますます姉の人物像が見えなくなる。無駄な興味が湧いて来た。


 テオはポットとカップを魔法陣の中に収納し、立ち上がった。


「……戻ろうか」


「ああ」


・・・


『ディウルカさん、ディウルカさん! ネイズさんと距離縮まったと思わない?』


 部屋に戻り、布団を被ったテオは嬉しそうに従者に言った。勿論、思考の声で。

 ディウルカは心底どうでも良さそうに『うん』とだけ返した。


『ネイズさんの親って、あんまりいい話聞かないけどちゃんと子供に意識があったってことだよね』


『そうなんじゃない?』


(僕は親とかよく分からないけど)


 ディウルカは異空間で寝っ転がりながら、テオの話を適当に聞き流した。

 そしてふと思いついたように、テオの話に割り込んだ。


『テオ様の前世の親の話とか全然きかないけど、どんな人だったの?』


 病弱ならばそれなりに面白い話が聞けるかもしれない。

 ディウルカは特に深く考えてはいなかった。


 テオは僅かに躊躇ったようだった。

 しかし少し間を置き、ディウルカの問いに答えた。



『……正直、オレもよくわからないんだ。オレが四歳の時に死んじゃったらしいけど、六歳以前のことを覚えてなくて。多分犯罪組織か何かに殺されちゃったのかな。オレにとっては、前世から兄さんが家族みたいなものだったから』



『セノカ様は?』


『前世では家族っていうより、姉貴分というか、友人というか』


『納得』


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