誰も予期しなかった結婚の儀 1
今回は東宮の結婚の儀のお話です。
あの日の事はよく覚えていますが。
幸いにして夕方には雨が上がり虹が出ましたから・・・
ただ裏側ではこんな風だったのではないかなと。
幸子はお妃教育をきちんと終わらせることが出来なかった。
さらにお妃候補として受けなければならない婦人科健診、つまりブライダルチェックを拒否したのだ。
「私の体に触らないで」とそれはもう恐ろしい形相で医師に突っかかっていくので、東宮の侍医達も結局はあきらめざるを得なかったのだ。
幸子にとって最も嫌な事。
それは「体に触れられる事」で、足のサイズも寸法を測らせずに使っている靴を渡したり、ドレスの寸法もなかなか測らせてくれないので、花森恵もローブ・デコルテ作りに四苦八苦していた。
結婚の儀が近づくにつれてどう見ても太っていくその体型をどうしようもなかったのだ。
しかし、プロの腕で皺を作らずに作ってのけたのだけれど。
ブライダルチェックは、婦人病などの既往症がないか調べるもの。
東宮の結婚にとって一番大事な事は「世継ぎ」を得る事で、その為に支障がないように健診を行うのだが、それを侮辱と受け取った幸子は猛烈に反発した。
「子供を産むことが第一なんて東宮様から聞いておりません」
それは確かにそうだった。
東宮は一言も幸子に「子供を産んで下さい」とは言っていない。
彼にしてみれば「結婚すれば自然に子供が出来る」と思いこんでいたのだ。
今更男女のあれこれをばあやが教える時代でもないし、東宮が本気で「コウノトリのご機嫌に任せて子供がやってくる」などとは思ってもいないと、誰もが信じたかった。
幸子は「結婚してキャリアを皇室で生かして欲しい」とは言われたけど「子供を産んで下さい」とは言われていない。ゆえにそういう検査を受ける必要もないし、子供を産む必要もない・・・正直、「子供を産んで」と堂々と言われたら結婚を承諾するわけないじゃないの。そんな気持ちだった。
これには父の哲也も困ってしまった。
まさか、自分の娘がかたくなに「キャリアを皇室で生かす」のみで結婚をするとは思っていなかったのだ。
しかし、下手に「チェックを受けろ」と言ったらどれだけ取り乱すか。しかも結婚を止めると言いかねないので、娘に強要は出来なかった。
后宮ですら、後から面倒な事になると困ると思って口を出さなかった。
結婚前から嵐の前兆のような状態だったのだ。
その年は春先になってもコートが脱げない、温暖化しているといわれるわりには暖かくならなかった。
梅雨の時期になっても湿度は高いものの、気温が上がらず長袖が離せない。恐ろしく寒い日々が続いている。後に戦後最大の冷夏と呼ばれ、全国的に米騒動が起こる予兆がすでにあった。
帝も5月にお手植えをされた稲がさっぱり育たない事に危惧していらした。
そして、その日は朝からバケツをひっくり返したように大雨が降った。
梅雨前線というよりは線状降水帯が出来たとでもいうのだろうか。
目出度い朝だというのに、雷が響き、雨が地面を突き刺して跳ね返り、騒音を響かせていたのだ。
宮内庁差し回しの車が大和田家に到着した時も、びちゃびちゃと大きな音を立てて雨が降っており、排水溝からはものすごい量の水が出ている。
低地ではすでに洪水が起こりそうな勢いで、とても「東宮妃」の門出を祝うどころではない。
それでも、空色のワンピースに帽子を被り、白い手袋とバッグの幸子は家族でマスコミに写真を撮らせてから車に乗り込んだ。
妹達はすでに姉との別れを惜しんで泣いていたが、当の本人はいつもと同じような雰囲気で動じない。帰ろうと思えばいつでも帰れると思って居る風だ。、いつでも帰って来られると思って居るのか全く動じていない。
「行ってきま~す」と笑顔で手を振って皇居へ出発した。
もうすでに足元がぐちゃぐちゃになるほど濡れていたのだが。
皇族の結婚式は賢所で行われる。
筆頭宮家の秋月宮夫妻から蓮宮、雲井宮・・と大雨の中、傘を差しながら鳥居くぐって所定の位置にすわる。
テレビではすでに生中継が入っており、東宮と幸子が登場するまでの間、学友達が楽し気に思い出を語っていたが、幸子の学友は大和田家が「ぜひ出演を」と要請した高校時代の友人で今ではほとんど付き合いのない女性であったので、華やかに笑う東宮の学友達に比べると共通項がなく、全く話が合わなかった。
一方賢所では、大和田家の面々も入場したのだが、賢所に向かって拝礼もせず偉そうに歩く哲也の姿に二宮は露骨に嫌な顔をした。
皇族方はこれから慶事だというのに、明るい顔をした皇族は一人もいなかった。
東宮と幸子の間を取り持った韓駒宮夫妻ですら、回りの雰囲気に押されたのか笑顔を見せない。
時間は刻刻と過ぎていく。
雨は一層激しく降り続き、賢所の前にしつらえた屋根も恐ろしい程に音を立てていたし、一直線にどうどうと降る雨で視界が悪かった。
女性達はみなドレスの裾を気にしてたし、時々降り込んでくる雨に濡れてしまう。
菜子と二宮は二人とも真正面を向き、一言も会話もなく動かないし。蓮宮もポーカーフェイスを貫きとおしていた。
朝の5時からおすべらかしに、唐衣・裳をせっせと着付けされていた幸子は、髪を引っ張られ、鬢付けのりの匂いに不快になり我慢も限界にきていた。
「もう少しきちんとお立ち下さいませ」
女官に叱られた幸子は「疲れました」といい放つ。
「座りたいんですけど」
「そうは参りません。もう少し辛抱遊ばせ」
「でも疲れたんです」と幸子が言い張るので、仕方なく女官は少し座らせた。
しかし、時間は決まっている。
外の侍従が「まだでしょうか。東宮様はもうお仕度が出来ております」と声をかける。
「あと少し」
「あと少しってどれくらい」
「わからないけどあと少しお待ちください」
「時間が迫ってます」
女官と侍従の会話は緊迫感の度合いを増し、時計の針がこちこちと鳴っているような焦りが包む。
「よろしいか?あなた様はこれから東宮様のお妃になられるんです。これくらいの我慢が出来なければこの先、やっていけませんよ。式が終わればドレスに着替えなくてはいけません。時間を守るのは皇族の務めや。そう習いませんでしたか?」
京言葉で話す着付け女官の顔は無表情とはいえ、そこには厳しいものが漂っている。
ちょっと怖いので幸子は仕方なく立ち上がった。
内心では(何で私に命令するのよ)と怒り心頭だったが。
「早く」
外ではせかすような声が響いていた。
結婚の儀は晴れの日ですが、土砂降りの雨になってしまい、残念な幸子さん。
しかし、雨なんて関係ないって感じの笑顔ですね。
他人が考えるほど大きな事とは思って居なかったのかも。
しかし、この雨が私達の未来を表現していたのだとしたら怖いです。




