婚約記者会見2
重要な場面に来ました。記者会見の中でも特に後々語り草になるような章です。
かみしめて下さい(笑)
記者たちは次第に壮大な劇場で舞台を見せられている気がした。
しかも主役は大和田幸子だ。
主役の筈の東宮がは、先ほどからほとんど喋らず時々幸子を見るだけで、「次に行きます」という記者の言葉にも「はい」と頷くのは幸子だけだった。
ありがたい事に「お互いの第一印象は」というt問いが来たので、東宮ははりきって周りを見回し、また幸子を見ながら答えた。
「一番最初にお会いしたのはパーティでしたね。その際とても強い・・というかいい印象を受けました。控えめでいらっしゃるんだけども、自分の思って居る事をはっきりおっしゃってそれでいてとても聡明であること。話題にも共通性があってお互いに心が通じ合うというようなそういう感じを強く持ちました。話してて楽しいというのが第一印象です。5年ぶりに会った時は第一印象と変わらなかった事です。外交官として非常に大切な仕事をしているせいか、人間として一回りも二回りも大きくなったというか、非常に嬉しく思ったわけです」
後に幸子妃が「外交官だった」という話は恐らくこの時の東宮の勘違いだったろうと思われるが、正直言って東宮は「外交官」と「外務省勤務」の違いがよくわかっていなかったのだろうと思われる。
実際には幸子は外務省内の事務員の一人であり経験2年のまだまだ新人の域を出ていなかった。
幸子は目を伏せつつ
「あの・・私としては大変緊張しておりました。で、緊張してご挨拶申し上げたんですがその後は、意外なほど話が合ったというか、話が弾んだという事を覚えております。
ですからその時私が受けた印象はとても気さくでかつすごく配慮のある方だという事でございました。
5年ぶりに会った時にはやはり楽しくお話することができました。
が、その時点では東宮様のお気持ちをうかがっておりましたので、ま、内心、正直複雑な心境でございました。で、私が東宮様のどういう所に惹かれたかという事を申し上げますと、まずご自身が大変お苦しい時にでも他の人の苦しい事についてまず考えられるような、大変に思いやりの深い方でいらっしゃるという事、それに大変忍耐強く・・根気強くいらっしゃる、こう言っては失礼かもしれませんがとても人間が出来た方、で、いらっしゃるという事に大変敬服いたしました」
それを聞いた東宮は少し笑った。
しかし記者たちは「なんだこれは」と思わずにはいられなかった。
東宮に対して「人間が出来た方」というのも上から目線、いやそれだけではない。根気強いだの忍耐強いだの、学校の先生じゃあるまいし。
(ひえ~~とても婚約者の言葉とは思えんな)
「あとはあの・・・」(まだしゃべるのか?)
「ご趣味とかご交際とか大変広くいらっしゃって心の豊かな方でいらっしゃるという事でございます」
この間、二人が目線を合わせる事はとうとうなかった。
テレビの画面でみているだろう皇族方の「怒り」が記者たちにも伝わってきて、どうやって収拾しようと考え始めていた。
そもそもこの文言を考えたのは幸子の父だろう事は容易に考え付いたが、しかし、だからダメとか悪いという事はマスコミ的には絶対タブーである。
この白々しい婚約記者会見を「祝福」で持ち上げないといけないのである。
「外交官という仕事を捨てる事に未練はないのですか?」
ここでも「外交官」という言葉が出てきたがマスコミの中ではすでに「幸子=外交官」になった。
哲也の策略に、誰も気が付かないうちに嵌った。これがいわゆる印象操作である。
幸子は東宮を差し置いてというか、自分にだけ向けられた質問なのですぐに答えるべきと思ったのか、東宮に了承も得ず、勝手に語りだした。
「あの、これまで6年近く勤めておりました外務省を去ることに寂しさを感じないと申しましたら、あの、それは嘘になると思います。
外務省では大変やりがいのある仕事をさせて頂いておりましたし、あの、大変学ぶべきところの多い尊敬すべき先輩や同僚にも恵まれてとても充実した勤務でございました。
でも昨年の秋、私は色々と考えた結果、今、私の果たすべき役割といのは東宮様からのお申し出をお受けして皇室という新しい道で自分を役立てる事ではないかという風に考えましたので、決心したわけですから今、悔いというものはございません。
で、その考えている過程で東宮様からは私の心を打つような言葉をいくつか頂きました。
その一つはあの・・私に対して、皇室に入られるという事にはいろいろな不安や心配がおありでしょうけれども、幸子さんの事は僕が一生全力でお守りしますからとおっしゃって下さいました。
またさらには私がまだ・・いや、私に対して、どうぞ十分お考えになって下さいとおっしゃられて、で、ご自身も大変悩んだ時期がありましたとおっしゃられたので私が何をお悩みになられたのですかという風に伺いましたらご自身としては・・・僕としては幸子さんに皇室にぜひとも来て頂きたいという風にずっと思っているけれども、本当に幸子さんの事を幸せにしてあげられるんだろうかとか、そういう事を悩みましたという事を言われました。で、そのような東宮さまの真摯な、大変誠実なお言葉を頂いて、そういう事を私は大変幸せと思う事が出来ましたので、私で出来る事でしたら殿下の事を幸せにさせて・・して・・して差し上げたいという風に言った次第でございます。
その間、帝や后宮様からのお言葉という事でございますけれども、東宮様からは私がもしお受け、する、事になったらお上も暖かくお迎えするとおっしゃって下さってるという事がございましたので、それは私にとって大変な大きな事でございましたが、直接、一部で言われているように后宮様から私にお気持ちをお伝えになられたとかそういう事はございませんでした」
幸子の声はだんだん小さくなっていく。
とにかく記憶したセリフを全部言ってしまわないとあとで父に責められると思うと、これで大丈夫か、あっているかと心配になって来たのである。
回りはまさか、東宮妃になる女性が自分からマウントを取りに行く、そして言質を取るなどという事をするとは思わなかったので、事の成り行きに驚き、また大きな違和感を感じた。
するとそれまでじっと黙っていた東宮が男気を出したというか、
「あのそのことについて私の方からもちょっと申し上げたいと思うんですけれども、私の方からも帝には折に触れて色々ご相談して参りましたけれども、后宮は結婚問題が始まった頃からもうこの件に関しては全て当事者である私とそれから関係者に任せておられたので、ご自身としては東宮妃という立場になる方に対してお心砕いてくれたわけです。ですからあの。私が結論に達する前に后宮が特定の人に対して、それを否定したり、それから指示されたりという事は一切ありませんでした。
それは今回の幸子さんの時も全く同じなわけです。后宮様はあくまでも私が選んだ人を心から受け入れる気持ちを終始貫いてくれました」
東宮の結婚が決まらなかった頃、后宮がわざわざ大和田家に出向いて何とか結婚してくれるようにと説得した・・そんな事が週刊誌をにぎわせていた。
大切な婚約記者会見において「帝と后宮の関与」をわざわざ否定しなければならないという事が異常であるとはその時は誰も考えていなかった。
幸子のセリフが全部本当であればもっと早く結婚が決まっていたのではないか。
では留学中のあのセリフは何だったのか。
桃園家の敦子嬢が決まりかけていた段階でのどんでん返しはどうして起きたのか。
本当に謎だらけで、「后宮の関与」が疑われても仕方なかった。
桃園家は一切取材に応じず沈黙を守っていたし、東宮はこれまで破談になった沢山の女性達ど同様にしか敦子の事は思って居なかった・・というかその存在を忘れてさえいたので、全部自分の手柄であると思い込んでいたのかもしれない。
だらだらした記者会見はまだ続いていた。
今回もお読み頂きありがとうございます。
何度も思います。過去を変えられるならいいのにと。
このまま崩壊へ進む道しか本当になかったのかなと。
でもこの時は国の状況もあったのかなと思います。バブルがはじけてもまだその余韻に浸っていた時、国民総思考停止状態であったかと。
東宮の結婚という素晴らしい慶事がこのような形から始まった事。私達は忘れてはいけないと思います。
これからもよろしくお願いします。




