悲劇のお妃候補10
今回で「悲劇・・・」は終わりです。
嫌な予感がした。
朝から桃園邸は上に下にとひっくり返したような有様で。
それというのも、お忍びで后宮が邸を訪れると連絡があったからだ。
「日取りの話かしら」と敦子の母は呑気に言いつつも掃除に余念がない。
しかし、父の方は本当に、これは本能的としか言いようがないが、「嫌な」予感がした。
ここ1か月程は東宮から誘いが来ることはなくなっていた。
敦子は何も言わずに黙って「大学院」進学への道を歩んでいたが、心の底ではざわつきがあるのも確かだ。
宮内庁を通じて、桃園家に「内定」の「内定」は来ている。
しかし、それと同時に東宮のおでましが消えたのだ。
まさか、こちらから「どうなっているんですか」と聞くような下品な事は出来ない。
桃園家はそういう意味でどこまでも「お育ちのいい」家族だった。
しかし、「噂」は外から飛んでくる。
堂上家の家から、あるいは、他の旧宮家から
「どうも東宮様は大和田幸子嬢を諦めきれないらしい」
「東宮がもし、あの国際的にも非難されている八又奇病の社長の孫娘を娶ったら確実に筵旗が立つ」
「まさかお上がそんな事をお許しにはなるまい」
「しかし、庶民出身の后宮はわからない」
こんな話があちこちから飛んできたのである。
(まさか心変わりを)
(そんな失礼な話があるか)
敦子の父は平常心を保とうと必死だったが、今にも心臓が張り裂けそうな気がする。
(もし噂が本当だったら)
そうこうしている間に先ぶれの車が到着し、その後すぐお忍びの后宮が現れた。
首元まで隠れる程の真っ黒なワンピースにさらに黒いコートを羽織り、女官の案内で玄関に立つ后宮は、とてもめでたい話を持って来たとは思えなかった。
「后宮様、本日はお成りを賜り誠に光栄に存じます」
父が挨拶をすると、后宮は微笑んで「ごきげんよう。皆様お元気でしょうか」とひっそりとした声でおっしゃった。
「はい。お陰様で元気にしております」
母と女官のいざないで、后宮は応接間に通された。
皇族のお出ましという事で、カーテンも真新しいものに変えたしじゅうたんも隅々まで掃除され、まるで以前の応接間とは違う家のような感じがする。
すぐにお茶が運ばれてきた。
后宮は上座に座り、そして下座の方に桃園家家族が座る。
外にも玄関にものものしいSPの数。そして狭い応接間に女官が2名控え、お茶を出すのも女官が行い、敦子の母はただ指図するだけだった。
最初は季節の話から・・・などと考えていると、思いがけなく后宮の方から切り出した。
「実は東宮との結婚について、白紙に戻して頂きたいのです」
「え」
母と敦子は驚いて言葉が出ず、父は(やはり)と思ったものの、実際后宮から言われるとやっぱり衝撃を受け、思わず大声が出そうになった。何とか理性を保ち低い声で
「それはどうしてでしょうか。こちらでは年明けの儀式の為にすでに様々な準備を整えていますが」
「本当に申し訳ないけど、今回の話はなかったことにして下さい」
「何か我が家に落ち度があったのでしょうか」
「いいえ。そうではありません。私は東宮の意志を尊重したいと思って居るだけです。東宮がどうしても結婚は出来ないというので、それなら早い段階でお断りするのが筋と思ってじきじきに来たのです」
敦子はただ黙ってそれを聞いていた。
東宮様は私と結婚したくなかったのだ。
やっぱり美人じゃないから・・・噂のあの方は大きな目をしてとても美人だわ。
要するに好みではなかったという事なの?じゃあ、あの優しさはどこから来たのかしら。
「娘はもうそのつもりで支度をしている所で・・・・」
「ええ。それは申し訳ないと思います。しかし、本人にその気がなくなったのにいつまでも引きずるのもどうかと思いました」
后宮はきっぱり言い放った。
「どうか納得して下さい。仕方のない事なのです。東宮はもう誰の言う事も聞きません。御上のおっしゃる事にも耳を貸しません。仕方ないのです。あちらの方がお出来になるから」
「お出来になるというのはどういう事なのでしょう」
初めて敦子が口を開いた。
「先ほど、后宮様は私に落ち度はないとおっしゃったのに。何があちらの方がお出来になると」
「ごめんなさいね。あなたの失望がわかるわ。でも東宮妃になるという事は家柄がよいだけではダメなのですよ。あなたのお父様だってお仕度に相当なお金をかけた事でしょう?これ以上無理して頂きたくありません。また皇室は伝統を守ればいいという場所でもありません。これからは外国を見据えてグローバル化していかないといけないと思うの。そういう意味ではね」
后宮は言葉を切った。
「敦子さんには何も落ち度はないのですよ。ご縁がなかったと思って頂きたいわ」
父の心臓は張り裂けを通り超えて、もう爆音がしているようだ。
そういえば、先々帝が東宮の時代にも東宮妃内定を受けていた宮家の姫が
「体が弱そう」というだけで帝から直々に断りを入れられた先例がある。
そういう場合、例え帝から言われても形上は宮家が「辞退した」という形にするのが筋らしい。
父は、絶対に譲らないという后宮の顔を見つめ、大きくため息をついてから言った。
「后宮様。よくわかりました。こちらから辞退という形を取らせて頂きます」
「あなた」母が反論しようとするのを父は止めた。
「それでよろしいでしょうか」
「ええ」
后宮はすっくと立ちあがった。喪服のようなワンピースがさらに黒光りして見える。
敦子は呆然としてそれを見送る元気もなかった。
「敦子」母が促すが、敦子は立ち上がれなかった。
それを見た后宮は「よろしいのよ」とおっしゃり、そのまま部屋を出て行った。
東宮を愛していたかと言われれば、それは違うと思う。
よくよく考えてみると、愛とか恋とかそんなものではなかった。
桃園家の娘として「東宮妃」になることが使命であるという感じだった。
宮内庁にもそういわれていた。あの梶とかいう東宮大夫にも。
その使命を外された。
「お前に資格はない」と言われたのだ。
玄関先で母の大泣きする声が聞こえた。父は「敦子に聞こえる」と怒鳴った。
父が怒鳴るのは初めてだった。
「でもひどい。ひどいわ。大宮のご実家なのよ。ここは。何だと思ってるの。何よ何よ。うちの娘の何が悪いの。無理やり見合い話を持ってきて承諾させたのはあっちじゃないの」
母はそれでもわんわん泣いている。
敦子は、いいたいことは全部母が言ってくれているので言葉を発する必要もなかった。
そっと応接室を出て自分の部屋に入る。
何を悲しいと思って居るのだろう。悔しいと思って居るのかも。辛いのはなぜ。
敦子は何度も自分に問いかける。
わかっている。自分は美人じゃない。気のきかない娘なのかもしれない。
結婚には向かないのかもしれない。
でもだったらなぜ夢を見せたのか。
友人たちも親戚筋も桃園家の事は知っている。
破談に追い込まれたと知ったら・・・きっと笑われる。人々の悪意が襲ってくるかもしれない。
それを考えると目の前が真っ暗になった。
東宮はあの大和田幸子と結婚するのだろう。
彼女は海外の名門大学を出ている。もしかしたら学歴がという事なのかもしれない。
確かに自分は修学院だけれど、それの何がいけないのか。
いけないなんてあるわけない。
敦子は涙も出ないまま、夜を過ごした。
後日、憔悴しきった式部職の太田と梶東宮大夫が桃園家に来て、ひたすら謝罪をした。
「こちらからもちかけた話ですのに、本当に申し訳ございません」
太田は泣きそうな顔をしていた。
自分がこんな不義理を働く立場になるとは思って居なかったのだ。
父は「結局の所、あのお嬢さんと結婚されるんですね」と言った。
梶は「はい。東宮様がどうしてもとお聞きにならず」
「いや、本人がそうなら仕方ないですよ。ただ汚された娘の名誉はどうなるのです。私はこれだけははっきり申し上げたい。今まで桃園家は大宮様のご実家として戦前は宮家であり、戦後は一般家庭になろうとも、ひたすら大宮様にご迷惑をかけないように身を慎んで生きて参りました。先帝はそれをお喜びになっていました。しかし、今帝はそういう方ではないのですね。公より私を大事にされるのですね」
「いえ、そのような事は・・・」
「本来なら損害賠償でも何でも請求したい気持ちです。しかしそれはしません。我が家は旧宮家としての矜持を持っております。商家育ちの后宮様に言いたい放題されても決して反論は致しません。ただ、今後はお付き合いはいたしません。親戚でもなんでもございません。帝は藩屏を失ったとお思い下さいませ」
父の毅然とした態度に二人はひたすら平服するしかなかった。
敦子は傷心のまま年明けを迎えた。
いきなり「東宮妃は大和田幸子さんに決定」と速報が流れ、それをただただ茫然と見ていた。
コンクリート張りの屋敷から颯爽とコートを着て現れた大和田幸子という人は綺麗な人だった。
それにかなり裕福そうだ。
自分とは正反対の女性かもしれない。
それから毎日テレビでは大和田幸子の事ばかり報道するようになる。
父も母も出来るだけテレビをみないようにしていた。
家の中が静かで・・その静けさが一層哀れに感じる。
しかし、敦子は前を見るしかないと思った。
結婚とか女の幸せとか、そんな常識はこちらからお断りしてしまおう。
敦子は決心するとすぐに両親に言った。
「1年だけ時間を下さい。私、医学部を受験したいの。必ず合格するわ。そして将来は研究者になる」
両親はもう反対をしなかった。
理系女子のプライドを見せてあげる。
今回も読んで頂きありがとうございます。
皮肉な事だと思いませんか?
キャリアウーマンだ~~と言われ、本人もそのつもりでいたのに皇室に入ることによってキャリアが役に立たなくなった。
一方、結婚すべきと思って居たけど最終的には最高学府の医学部に入って生涯独身を貫き研究に没頭するキャリアウーマンに。
どちらがいいとか悪いとかは申しませんが、間違いはここからあったと思って居ます。




