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流れを追え (中)

松代シティの中心部にほど近いカフェで、マチはその男、逃がし屋マックその人と対面した。

「うちの若い者が迷惑をかけたな」

 逃がし屋マックは年季の入った男で年齢はもう六十をだいぶ越している。ラフな服装をしているし、おもだちも穏やかで、注意を引くような存在ではない。

 しかしこの男が、三十年前に起こったある亡命事件に関係した重要人物であることに変りはない。

「しっかり仕込んであったようで、銃を見ても粗相はなかったよ」

「言うようになったな、坊主」

 ニコニコと言うマックにマチも笑みを浮かべた。

「侘びと言ってはなんだが、知りたいことを教えてもいい」

 マックの方から切り出したのは、マチには意外だった。

「太っ腹だな、何か隠したいことがあるのか?」

「それはお互い様だろ、マチ。企業警察も隠し事がいっぱいだ」

「その通り」

 応じつつ、マチはすぐに考えをまとめた。

「トヨサキ精機の企業警察の一員で、逃げたかもしれない奴がいる」

「ほう。それはまた、珍しいな。企業警察の警官も、大変だ。組織に属しているうちは幸せだが、下手に情報を知っちまうと、抜けた時に危ない。そういう手合いか?」

「その辺は黙っておくよ」

 今度はマックが黙った。短い沈黙。ただ、地上に落ちる飛行地盤の影が動く。

「おたくの」マチが小声で言う。「手下のヘマを黙っておいてやるよ」

「そいつは、ありがたいね。涙が出そうだ。いくら払えばいい?」

「金はいらない。情報だ」

 また沈黙。マチはマックが黙って通したいのを感じながら、辛抱した。そうすれば喋る、と感覚でわかった。

 わかってはいても長い沈黙になった。

「残念だが、教えられない」

 マックの答えはマチの予想と違った。だが、別の情報がすぐに出てきた。

「ついさっき、一人、逃がしたんだ。急ぎで、しかも断れない相手でね。かなりの額を引っ張り出した。もうこの辺に来ないとしても、俺が受け取った額は安いものじゃない。もし、俺が下手にゲロしたと分かれば、俺が危ない」

 マチは黙ったまま、先を促した。マックも、やや重い口調で続ける。

「だから、この件はここまでだ。別のことなら、協力できる」

 考えていることはいくつもあったが、マチは間を置くのは得策ではないと判断した。即座に質問を返して、相手に隙を与えないのが好判断、というのがマチの発想である。

「いくらで逃がしてやった?」

「三十万アス」

 三十万。

「現金か?」

「電子マネー」

 マチはいつの間にか冷めていたコーヒーを飲み干す。

「また話を聞かせて欲しいね、マック。それと、若い者によろしく」

 立ち上がったマチに、マックが口を歪ませる。

「コーヒーくらい奢らせてもらうよ、いつでもね」

「いい心がけだ。そうしないと警察特製の泥水コーヒーを飲む羽目になるぜ、マック」


 地上に降りたマチは、ギブスンとの情報のすり合わせを行った。

「逃がし屋の端末の操作履歴は、かなりガードが固かったが、抜けたぜ。行動は二つだけ判明した。偽のパスポートの作成依頼と、国際線の航空機チケットだ。他不明。逃がし屋が秘密の記憶装置にアクセスした情報は確認できないから、あるいはそのアクセスがあればそこを手掛かりに調べられたが、これじゃ無理かもな。それに連中はもう記憶装置を隠しているはずさ」

(飛行場の監視カメラと、搭乗手続きの状況を把握して、逃亡者の情報を押さえてくれ。俺はパスポートの方を確認する)

 そう応じたマチの元に、ギブスンがすぐに身分証専門の偽造屋の情報を流してくる。マチの思考の一部が、電脳空間に接続され、即座に広がり、知っている偽造屋へアタック。秘密裏に情報障壁をすり抜け、彼らの行動を探る。

「しかしマチ、逃がし屋はシンドウを逃がしたわけじゃないんだろ? それとも、そいつは何かシンドウと関係あるのか?」

(多分だけどな)

 マチは偽造屋の情報障壁の乱数を読み取りつつ、応じる。

(逃がし屋はシンドウを逃すはずだ。しかし、シンドウと知らずにな)

「わけがわからん」

(そのうちわかるさ。作業を続けようぜ、お互いに)

 思考活動を継続しつつ、マチは地上を歩き、考えをまとめていく。

 トヨサキ精機から金を盗んだシンドウという警官は、おそらく金をまだ電子マネーで持っている。

 その電子マネーは、いくつかに分割され、電子情報上のどこかに隠されていると推測できる。

 そして逃がし屋に、正体不明の逃亡者が駆け込み、その何者かは、もう逃亡寸前である。これを防げるかは、時間との勝負である。マチとしては、その何者かがシンドウだと思っているが、もし違っても、その誰かから情報が出てくる、と踏んでいた。

 しかし、現状はつまり、マチが偽造屋を当たったところで、手遅れになる目もあるのだ。探っているうちにシンドウが逃げる可能性は捨てきれない。

 いや、しかし、とマチが考えた。

 航空機で逃げるだろうか。今のところ、シンドウを追っているのは、トヨサキ精機だけなのだ。首都警察に追われるのなら、日本を脱出する理由もある。

 しかし今は、一企業に狙われているだけで、首都警察どころか、他の企業警察も関わりはない。この件はトヨサキ精機の企業警察が、顔に泥を塗った奴を追っているだけなのだ。

 それなのに、日本を離れるか?

 俺なら、とマチは想像する。

 俺なら、どこか人目につかないところで、少しずつ金を使って隠遁する。世間と不自然にならない程度に関係を絶って。

 思わずマチが足を止めた時、ギブスンの顔が視界の隅に現れ、その声が響いた。

「来たぞ! シンドウだ! すごいな、マチ! お前の思った通りだ!」

 まさか、というのがマチの第一感だった。

「ギブスン! 監視カメラの映像を回してくれ!」

 思わずマチが怒鳴った、まさにその刹那、視界にノイズが走る。

 違和感も瞬間で消え、無意識に頭の中で情報ネットワークから自分の思考を分離しようとする。設定した思考行動を読み取った、脳に転写されている人工思考回路が反応。思考を分離。

 が、分離の途中で動きが凍りつく。

「おい! マチ! マ……! ままままちちちちち」

 頭の中でギブスンの声が乱れて、弾ける。

 どこかから不正規に接続されて、頭の情報が探られている!

 マチの意識がそう認識しても、思考は思うままにならない。胸の内側に何かが突っ込まれたような違和感。その違和感が這い回る。

 それでもマチが慌てなかったのは、意識が相手の動きを追いかけ、その行き着く先を予想できたからだ。

 彼の思考を乱しに乱し、勝手を働いた別の誰かの思考が、前触れもなく途切れ、消え去る。

 マチの思考に仕掛けてあった罠に引っかかったのだ。彼には相手が、無害な存在に偽装してあったそこに手をつけると、予想できていた。手をつければ、そこでマチの思考は強制的に情報ネットワークから分離される。

 思考がクリアにあると同時に、マチの思考が情報ネットワークに再接続、自分の中に残る痕跡を収集しつつ、相手を追い始める。

(ギブスン、おい、大丈夫か?)

「そっちこそ」

 慌てたギブスンの声だけが響く。映像は、マチが他に手を割く関係で、通信量を抑えるために切っている。

 マチが舌打ち。偽造屋から盗み出したデータは消えている。それと同時に、偽造屋にこちらの行動を悟られていて、防御が固められているのがすぐに理解できた。

 ため息を吐いたマチの頭の中でギブスンの声。

「大丈夫か? すごい通信が突っ込まれて、手が出なかった。冷や汗ものだ」

(こっちは脂汗さ)

 マチは意識を現実に戻す。路上で立ち止まっていたマチを周囲の人が不思議そうに見ている。

 現実に戻った一方、情報の中を走り抜けたマチの思考は、心を侵した相手の痕跡を終えるだけ追って、そこにマーキングすることで手を引いた。

「マチ、おい、シンドウの話だ。覚えてるか?」

 そうだった、とマチは顔をしかめる。

(映像を回してくれ。どこにいる)

「松代空港、国際線のカウンターだ。映像は全部記録済み。今、空港に到着するまでに行動も追うために調査中」

 マチの視界が切り替わり、空港の監視カメラの映像になる。

 カウンターで女性型アンドロイドに話しかけている男がズームされている。これといって特徴のない服装。頭には帽子をかぶっている。視線はアンドロイドで固定されている。

 その映像が三次元化され、その三次元画像が、トヨサキ精機の企業警察所有のシンドウの三次元画像と照合される。

 これになかなか、時間がかかる。

「俺の感覚だと、こいつはマチ、間違いない、奴だ」

 ギブスンが興奮気味に言うその声を聞くと、逆にマチは心が冷えていく気がした。

 何かおかしい。シンドウはこちらの動きが読めていないのか? トヨサキ精機が後を追うことはわかったはず。逃がし屋は、名前の通ったマックを利用して、そのマックからは情報が流れないと踏んだのか。

 あるいは、そうなのかも知れない。

 シンドウが底抜けの楽天家ということもある。

 ただ、そこまで計画性や、無数に分岐する可能性の先を読まない人間が、大企業の電子金庫を破るようなことをするか?

 マチにはよく分からなかった。

「空港までの行動は不明だ。徒歩かもしれない」

(徒歩? 監視カメラ、認証装置、そういう全てを拒否したってことか?) 

 やはりありえない、とマチは思っている。シンドウが空港に現れたことも、シンドウの行動の一貫性のなさも。

 そしてマチの視界で、監視カメラの映像が本当にシンドウその人と確認された。

「ビンゴ!」

 ギブスンが叫ぶ。

 そして監視カメラの映像の中で、ちらっとシンドウがカメラを見た。

 いや、見た気がした。

 はっきりしなかったのは、強烈な閃光と同時にカメラの映像が消えたからだ。

 もしマイクもついていたら、爆発音が轟いただろう。

「まさにビンゴだな」

 思わずマチは呟く。

 松代空港自爆テロ、と呼ばれることになる事件が、目の前で起こったのだった。






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