流れを追え (上)
その街は眠ることを知らない。
日本の第三首都である松代シティは、高度に情報化され、また日進月歩の科学技術が惜しみなく注がれ、
人間の空想の鏡写し
などと呼ばれる都市のひとつである。
空中には巨大な地盤が浮かび、それらがゆっくりと巡っている。自然、街には影が落ち、よって電灯、電飾の類は消えることがない。
日本の他の都市と同じように、この都市にも二つの警察組織があった。
ひとつは日本という国家が運営する、首都警察。
そしてもひとつは、企業が運営する、企業警察、である。
この企業警察というものは、企業のために働くのではない。首都の住民のために働くのである。
首都警察と聞くと、まず誰もが思うのは賄賂であり、それほど首都警察は清廉さを失っている。逆に企業警察は、正義とまではいかなくとも、合理的で、よほどまっすぐに見えるのである。
二つの警察組織は、時に歩調を合わせ、時に騙し合い、都市を進ませているのである。
松代シティの中心街は、高層ビルの群れである。もはや地震や自然災害は苦にならないほど、建築技術は進歩している。
その高層ビルのうちのひとつ、さらにその中の一層の、さらにさらにその中の一室に、その男を見ることができる。背広を着ているが、似合っているとは言えない。
「それで」
ゆっくりと右へ左へ歩いている男は、髪の毛をバリバリと掻きながら、呟く。
「俺はそいつをどうすればいいんです? それはもちろん、やろうと思えば、煮るなり焼くなり、出来るわけですけれど」
部屋には男の他には誰もいない。明かりが灯っているだけで、男一人だ。
では、男の視覚を覗かせてもらおう。
するとどうだ。彼の前には一人の男が立っている。こちらの男は背広があまりに似合いすぎて、逆に他の服装をイメージできないほどだ。頬にうっすらと傷跡の影がある。年齢は初老に差し掛かっているだろう。表情はないと言ってもいい。
「マチ」
無表情のままの呼びかけに、髪をかき回すのはやめないものの、二人の視線が合う。
「対象である、シンドウは、我々の電子金庫から三百万アスほど、盗み出している」
「それはさっき聞きましたよ。三百万アス。想像を絶するね。ジュース一本が一アスだから、一万年は毎日、飲めるな」
「口を閉じろ」声は冷酷そのものでも、表情は変わらない。「そのシンドウを追え。手引きした奴もだ」
先ほど、マチと呼ばれた男は足を止めて、頭にやっていた手をぶらりと下げた。
そして敬礼。これも服装同様、似合うものではない。あまりにラフで、敬礼に見えない気もする。
「了解。ニジ・マチ三等警部、命令を受理しました」
「よろしい。人員、装備と支援についてはそちらに通達済みだ。受け取れ。早急な解決を望む」
その言葉が終わると同時に、無表情の男はかき消えた。
部屋にひとりきりの男、ニジ・マチはため息を吐いて、肩を回すと、素早く背広の上着を脱ぎ、ネクタイを緩める。
マチはがっくりと肩を落とし、身を翻す。部屋の唯一の出入り口のドアを開け、その向こうで待っていたやはり背広の女性が差し出すケースを受け取る。
「クリス」マチは女性にいいつつ、ケースの中身を検める。「今日も管理官は寝不足だったのかな」
「管理官はそういう言葉を好まない」
にべもない女性、クリスの返事に肩をすくめつつ、マチはケースの中から拳銃を取り上げる。手の中で回してからグリップを握り、銃口を部屋の隅に向けた。
そこには古びたサンドバックが下がっている。
マチが引き金を引くと、打撃音とともにサンドバッグが大きく揺れる。それだけだ。弾痕はない。
「この衝撃銃、ちょっと威力が弱くないか?」
クリスの顔がかすかに顰められた。弱くない、という意味と受け取って、なら仕方ない、とマチが呟く。拳銃のボタンを操作すると、それが変形し、小さな板のような形状になる。ポケットにピタリと収まる。
もう一つ、ケースに入っていたカチューシャのようなものを取り上げ、それを頭につけるマチ。
彼の視界に一瞬のノイズが走り、そのあと、視界の隅にウインドウが開く。
そこには顎の下にたっぷりと肉のついた、つぶらな瞳の黒人男性が映った。
「よお、マチ。今回もご苦労だな」
黒人の男の声は直接、マチの耳に響く。
(仕方ないさ、勤め人だからね。俺も、ギブスンも)
思考で応ずると、相手の男、ギブスンが破顔する。
「勤め人には世知辛い世の中だ。話は聞いてるか?」
(これからだ)
マチは視線を実際に目の前にいるクリスに向ける。
「移動手段はどうなってる?」
「公共交通機関を使うように、とのことです。目立つわけにはいかない」
「それは、ビックリ」
クリスが顔に怒りを浮かばせたので、手を振って謝罪しつつ、マチはその場を後にすることにした。
マチは視界の隅のギブスンを見た。
(移動中にたっぷり話せそうだ。まずはあらましを教えてくれ)
シンドウ、という男をマチは知らなかったが、しかし企業警察の一員であったがために、詳細な画像が保存されていた。
その三次元画像が、マチの視界に、仮想映像という形で浮かんでいる。
(それで、この男が密かに、我らがトヨサキ精機の電子金庫から大金を盗んだ訳だが、その我らがトヨサキの企業警察はかなりのマヌケだな)
「おいおい、あまり批判するなよ。俺にも延焼する」
マチは松代シティを横断するモノレールの車内で、立って吊革を掴みつつ、仮想空間でギブスンと話していた。
彼も企業警察の一員で、情報部門が担当だ。マチとは何度か組んだことがある。
(それで、こういう時の基礎に従って、女は洗ったか?)
「当然。しかし、あまりに遊び癖がひどくて、相手が多い」
(十人か? 二十人か?)
「それ以上かもな。仮想空間のマッチングサービス、知っているだろ? 現実、仮想、男と女をとっかえひっかえだ」
マチは顔をしかめ、(法律を無視する連中の巣窟だ)と応じる。
(じゃあ、金の流れだ。それは洗っただろ?)
「こっちはまだマシだ。奴が関係を持っていた電子金融の関係者を主に検索中。奴自身が企業の堅牢な情報防御を突破できるとは思えない。つまり、何者かになりすましたわけだ」
(その程度でマシなものかよ。何者か、って、誰だ? 税理士か?)
こっちも情報が少ないんだよ、と唇を尖らせてみせるギブスン。
(電子金庫の破損具合をまず探れ。次に、三百万アスをどうやって隠しているか、調べてくれ。一箇所にまとめておくわけがない、分割して保管しているのは間違いないだろ。それに電子金庫から盗んだなら、どこかで洗濯するんじゃないか)
「主だった電子銀行は全て監視しているよ。口座への金銭の出入りも、人工知能が検索を継続している。これはもう、待つだけになるぞ」
モノレールが停車し、マチは車両を降りた。改札を抜ける時、自然と電子マネーから支払われる。最初こそ非難されたシステムだが、この仕組みに残高という概念はない。高額にならない限り、借金という形になる。
ちなみに、今の支払いは、マチが所属するトヨサキ精機の企業警察の一人として、企業が支払ったのである。
「しかし、やっぱり女じゃないか?」
ギブスンの問いに少し思案しつつ、マチは移動を続ける。
「端から探れば、分かりそうだろ? そうじゃないか?」
(そんな作業、人工知能に投げとけよ。俺たちには俺たちの流儀がある)
ふふん、とギブスンが鼻を鳴らす。
「で、そんなお前の流儀とは?」
(警察はいつもこれだよ。徒歩さ)
マチがモノレールを降りた場所は、松代シティの高層ビル群から外れたところにある、小さな商店街だった。
商店街の活気は前世紀を連想させる。
パッキングされていない野菜や肉、魚は、同じ街でも、中心部では見られない。マイナーなメイカーのカラフルなパッケージの飲料ボトル。古びた食品サンプルが並ぶ棚を備えた飲食店。
その通りを躊躇いなく進んだマチは、地下に通じる階段の前に立った。左右を確認して中へ入る。
地下には商店街があり、しかし薄暗い。
その商店街の中の一つ、見るからに盛っていない書店にマチは入った。
書棚の間を進むと、骨董品のレジの向こうに老人が腰かけているのが見えた。
「いらっしゃい」
嗄れた声にマチは頷き、そのカウンターに寄りかかった。
「名簿が欲しい」
「さて、名簿。何の名簿かな?」
老人は顔を上げず、瞼も伏せているままだ。
「トヨサキに出入りしている金融業者」
そうマチが言った時、やっと老人は顔を上げた。眼球が生身のそれではない。義眼だ。
「トヨサキ精機かね?」
「乗ってきたね、ご老人」マチはずいっと身を乗り出す。「トヨサキに関係のある金融業者と、シンドウという男、その二つに関わりがある奴を知りたい」
「さて……」
老人はじっとマチを見る。マチは臆することなく見返している。
「シンドウというのは、企業警察の一員だ」
そうマチが告げると、老人は目を閉じ、顔を伏せた。
「ふむ。それは、面白いですなぁ」
「何か聞こえてきた話があるかい?」
「あるようだね。名簿はないがね」
老人の手がペンを手に取り、そこに規則性がすぐにはわからない文字列を書き付けた。それを差し出し、
「五千アス」
と、告げる。
「高いな」
「確実な情報だ」
鼻から息を吐いたマチは、ポケットからカードを取り出し、それを老人に放った。老人はそれを受け取り、レジに掲げる。電子音が鳴る。
「五十アスの不足だが、負けておこう」
「え? おいおい、それは俺の個人的なカードだぞ、まさか、今ので文無しか?」
そうなるね、と言いつつ、老人が紙とカードを差し出す。受け取ったマチは、首を振りつつ、
「また来るぜ」
と言って、店を出た。老人が「まいどあり」と呟くように言って、マチの背後でドアが閉まるとき、ベルが鳴った。
地下街からも出て、マチは視界に現れたギブスンに、紙に書かれた数列を伝える。
「こいつは、どこかの銀行の口座の番号だな。すぐにわかるぞ」
(それは良かった。おかげで俺は文無しだ)
「ご愁傷様。こっちからの新しい情報は電子金庫の破損具合が分かったぜ。驚くなかれ、破損は重度だ。徹底的にやられてる」
それを聞いて、マチが黙り込んだので、ウインドウの中のギブスンが不思議そうな顔になった。しかしマチは何かを考えていて、それに気づいていない。
「おい、何かわかったか? とりあえず、なりすましではないわけだが」
(いや……、大丈夫だ。俺はこれから飯にする)
マチは周囲を見回して、記憶通りにそこにラーメン屋があることを確認した。
(俺が飯を食っている間に、文字列の相手を暴いておいてくれ)
「文無しで飯か?」
(こいつは経費だ)
飛行地盤の影の中を、明かりをつけた自動車が駆け抜けていく、その通路は空中に設けられている。高層ビルの間、あるいはビルの中にまで通路は設けられていた。地上の道路は基本的に歩行者専用だ。
飛行車両は高度によって進行方向が決まっているが、飛行車両は全てが自動運転だ。
もちろん、タクシーも無人で飛行する。
「第百七銀行だよ、あの文字列は。示す口座の持ち主を探ったが、何も知らない一般人だ」
タクシーの中で、マチはギブスンの報告を受けた。
(口座の残高は?)
「五十万アス」
すると、とマチは考えた。総額の六分の一程度のわけだから、同じ程度の額を保管した口座があと五つ、あるのだろうか。それにしても、額が大きい。
他方、現金に両替した可能性もある。一体、どれくらいを現金化したのか、それははっきりしない。
アスという通貨は地球共通の通貨で、紙幣は百アスが最も大きい額面の紙幣になる。硬貨もあるが、こちらはもっと額が少ない。
普通に考えれば百アス紙幣の束に両替する。マチはそう予想しつつ、その可能性にはどことなく不安を感じていた。
百アス紙幣を大量に持ち歩くのは、逆に不便じゃないだろうか。もちろん、硬貨を大量に持つのもおかしい。
やはり電子マネーが最も取り扱いやすい。なによりも、移動する時に便利なのだ。札束を持ち歩くと怪しいが、大量の電子マネーを持っているのはまったく不自然ではない。
となると、現金化していない?
どこかの銀行に電子マネーとして預けてある? 追跡を防ぐ手法はいくつもある。
(その第百七銀行の口座に金を振り込んだ奴を探れ)
「もうやった。十四人がそれぞれの額を振り込んでいる。それで五十万アスだ。もっと増える可能性もある」
なるほど、と街は少し腑に落ちた。その口座の情報や、これからを監視していれば、まだ分かることはありそうだ。
「お前はどこに向かっている?」
(古い知り合いのところだ。そっちでも俺の現在地点は追えているだろ?)
「そういう仕組みでね、現在地はわかる。企業警察は清廉潔白が信条だ」
やれやれ、と首を振っているうちに、飛行車両のタクシーはあるビルの屋上に着陸した。マチはタクシーを降り、素早くエレベータへ乗り込んだ。
「二十三階」
音声入力で移動が始まる。あっという間に指定した階に着いた。
エレベータを降りると、通路が伸びて左右にドアが並ぶ。それぞれのドアにプレートが付けられて、企業名が記されてあった。
その中の、カガミ運輸とプレートのついたドアがマチの目当てだ。
ドアをノックすると、かすかに返事が聞こえた。インターホンも必要ない場所なのだ。前時代的である。人が歩み寄る気配の後、ドアの鍵が開き、薄く隙間ができた。
チェーンがかかっているのが見えた。
隙間の向こうの男と、マチの視線がぶつかる。
「どなたかな?」
隙間の向こうの男の用心深そうな顔。その顔にマチは見覚えはない。
「こういうものだけど」
そう言って、マチはポケットから板を取り出した。マネーカードではない。拳銃が変形した板だ。
それを見て、ドアの向こうの男の血相が変わるのがわかった。
ドアを閉めようとする男と、ドアを掴んでいるマチの力が拮抗する。
その間にもマチの片手の中で、板が変形して拳銃の形になっている。
次の瞬間、男がドアを放して、部屋の奥へ走り去る。
マチにも躊躇はない。衝撃銃をしっかり掴むと、ドアのチェーンに向けて発砲する。チェーンが歪むが、切れはしない。発射される衝撃の焦点を調整すればいいのだが、その手間を省いたのはマチのミスだ。
力任せにチェーンを切ろうとするが、意外にしつこい。仕方なく今度はチェーンの根元を衝撃銃で撃って、今度こそチェーンを吹き飛ばす。
ドアを開け放って中に飛び込むと、男は目を閉じてテーブルに置かれている小さな装置から伸びたコードにつながったカチューシャを頭に当てている。
即座にマチが発砲し、装置を吹っ飛ばす。ビクッと体を震わせた男が目を開けて、こちらを見る。顔中が冷や汗に濡れている。
銃口を向けつつ、マチは心の中で舌打ち。装置を吹っ飛ばす前に男を吹っ飛ばすべきだったか。しかしもう遅い。
銃口を振って男を移動させ、床に落ちた装置を確認。だいぶ壊れている。
マチは自分の頭のカチューシャからコードを引っ張り、その装置に繋ぐ。視界の隅に赤い点滅、装置の異常を伝えてくる。
(ギブスン、こいつの接続先を追跡しろ)
「死にかかってるぜ」
(人間が死にかかるよりかはマシと思ってね)
ギブスンに仕事を任せたマチは、部屋にあった椅子に腰を下ろしつつ、しかし銃は男に向けたままで、落ち着いた声で言った。
「ここは、逃がし屋マックの事務所で間違いないかな」




