第7話 カルピス
工藤が帰ってこない。
電話だと言って店の外へ出てから、十分ほどが経っていた。竹原の話を聞く限り、家の用事だということは察しがつく。それでも、心配なことに変わりはない。
本日三回目となるドリンクの補充を終えて席に戻ると、そこには怪訝そうな顔でスマホを睨みつける竹原の姿があった。
「面倒くさいことになりましたわね」
「お家のこと?」
「そんなところ。後藤さんのところにもメッセージが届いているはず」
確かに通知が届いていた。アプリを開くといつの間にか作成されていた俺と竹原、工藤のグループチャットが一番上に表示されていた。吹き出しをタップすると、畏まった文章が目に入る。
「『申し訳ございません、今すぐにお店を出てください。お車で待っています』……だって」
とてもよろしくなさそうなメッセージ。確か屋上で話したとき、今回の集まりは一時間という約束だったはず。まだ時間には余裕があるはずだけど。
「次の予定の時間を過ぎてたとか?」
「いえ、そうではないのだけど……」
竹原は少し気まずそうに視線を泳がせると、小さくため息をついた。
「……異性の同年代と一緒にいるということで、お屋敷の方が少々騒がしくなっているみたいで」
どうやら、時間云々より俺の存在のほうが問題らしい。
噂を信じるなら竹原も工藤も学校には目立った友達がいない。そんな二人が、作りやすいはずの同性の友達をすっ飛ばして男子高校生と出かけているとなれば、家のお偉いさんたちが心配するというわけか。
「えっ……俺の存在教えてないの?」
「教えたら絶対反対されるから……あはは……はぁー」
竹原の声は最後には力なく沈み、彼女はグラスの中身を一気に飲み干して荷物をまとめ始めた。あのメッセージを無視するわけにもいかないのだろう。俺も帰る準備をしようとカバンに手を伸ばした。
「後藤さんはそのままで大丈夫。これは竹原家の都合なんだから、あなたを巻き込むわけにはいかないわ」
素早く準備を終えた竹原は立ち上がり、両肩に学生鞄をかけて俺を見下ろしてきた。
「いや……まぁそうだけど」
「だからもう少しゆっくりしていてください。お会計は私の方で済ませるので」
「いやいや。それは違うから。今回だって工藤へのお礼のためのものだから竹原が払ったら意味ないじゃん。俺が払うから! これだけはマジでお願い!」
両手を合わせて俺は懇願した。その工藤も一杯のウーロン茶しか飲んでないので、お礼になっているかはわからない。それでも流石にここは払わないと立つ瀬がない。
「……じゃあ今回はご厚意に甘えさせていただくわ。本日はありがとう」
「俺、駐車場までついていかなくて本当にいい? 竹原の安全確保的な意味で?」
「大丈夫。これくらいの距離なら何の問題もない」
「あ……うん。気を付けて」
そう言い残すと、竹原も駆け足で店外へと走り去ってしまった。
賑やかなファミレスの中でポツンと残されたテーブルには、俺と、半分だけ飲まれた工藤のウーロン茶だけが静かに残されていた。
◇
もう少しゆっくりと言われたが竹原が出てすぐに俺も、店を後にした。
ついてこなくていいとは言われたけれど、流石に心配なのは変わらない。それに、俺とファミレスにいたというだけで工藤や竹原が怒られるのだとしたら、あまりにも不憫。なにかできるわけでもないけど、とりあえず近場の駐車場を探して足早に歩き出していた。
途中の自動販売機で気休めにペットボトルを二本買い、バッグに押し込む。
そのまま大通りから一本入った路地を進むと、少し先に『コインパーキング』と書かれた黄色い看板が見えてきた。
奥には背筋を伸ばして佇む制服の少女二人。その前を立ちふさがるスーツの方の男女六人と、高級車二台。
……うん。もう見るからに分かる。怖いやつじゃん。
「――言い訳はお控えください。明日香、お前もだ。お嬢様をお護りするのがお前の役目だろう。男子生徒との接触など、失態以外の何物でもない」
「……申し訳ございません」
スーツ姿の女性からの冷徹な声が俺の耳にも聞こえてくる。あんなに怒られることだとは、一般庶民の俺からしたらわからない。
ここで俺が出張ったら、話が更にこじれんのかな。まぁ――そしたらそしたでごめんなさいすればいいだろ。
俺が話しかけに行こうと歩き出すと、スーツ姿の男性と目が合った。俺が着ているものは竹原達と同じ制服だから気づいたんだろう。ものすごい速さでこっちに駆け寄ってくる。
「ちょ、ちょっと待ってくださいって! 怪しい者じゃありません、二人の同級生の後藤春道です!」
「……報告にあった方ですね。お聴きしたいことがあるのですがお時間頂けますか?」
「は、はい……」
優しそうな声色で尋ねてくるが目が全く笑っていない。俺はそのままコインパーキングに連れられるとスーツ姿の大人に囲まれた。
「あなたの目的は何ですか?」
「も、目的……? 特に何も……」
「……では質問を変えます。何が理由で輝来お嬢様とあなたは一緒にいるのですか?」
「え……竹原は勝手についてきたというか……。俺の目的っていうか、今回は隣の工藤を誘ったつもりだったんだけど……」
「ん……?」
さっきまで強面に見えた大人たちが俺の返答に困惑している。その表情から頭に?マークが浮かんでいるのが想像できる。
「あ、明日香……? お嬢様ではなく、従者の明日香の方だと……?」
一番強面なスーツの女性が、思わずといった様子で聞き返してくる。
「だ・か・ら! さっき説明したじゃん! ちょっとあんた達こっち来なさい」
「お、お嬢様……!?」
俺を囲むように立っていた大人たちは、痺れを切らした竹原によって強引に車の陰へと連れ去られてしまった。取り残された俺もわけが分からないまま、とりあえずぽつんと立っている工藤にペコリと会釈をしておく。
「だから、後藤さんは借り物競争の時に私じゃなくて……そう、明日香を選んで……」
「本来、今日の後藤さんの目的は明日香で……それを……」
「いったじゃない。私はついてきただけよ……妙に明日香が……だから……」
何を言っているかは聞こえないが、断片的な情報から俺のことを説明してくれているように見える。そうして数分後、車の陰から神妙な顔つきの大人たちがゾロゾロと出てきた。
こちらに向けられる視線も、先ほどまでの圧のあるものではなく、どこか珍獣を見るような目に変わっていた。
「申し訳ございません。なにやらこちらも早とちりをしてしまったようで……」
「いやいや大丈夫ですって! 本当に! 頭上げて!」
大人のガチ謝罪とか見てるだけで心が痛いからやめてほしい。早く頭を上げてくれ。
「……後藤様。お嬢様からは、先に店を出てもらったと聞いていたのですが……どうしてこちらに?」
まだ狼狽している俺の横から、工藤がそっと話しかけてくる。その声のトーンはいつもより少し小さめだった。俺は逃げるように工藤の方へ向いた。
「ああ、それは工藤に渡したいものがあったからさ」
「私に、ですか……?」
「そう。はいこれ、工藤ってカルピス好きだったんだろ?」
「えっ……?」
俺が自販機で買ってきた冷えたペットボトルを差し出すと、工藤は目を丸くした。
「工藤が電話で席を外してるときに竹原から聞いたんだよ。昔はすごく好きだったのにってさ」
「……あ……はい……」
なんだかものすごく歯切れの悪い返事。
やばい、これもしかして今はそこまで好きじゃないパターンか? 竹原の言葉をそのまま信用したのはミスだったかもしれない。
「……あの、もし苦手になったならうちの姉貴にでもあげるからいいんだけど」
「そうではありません。……ただ、なぜ私にこれをくださるのですか?」
「だって工藤、ドリンクバーなのに一杯しか飲んでなかったじゃん。今日は俺が工藤にお礼をするって約束だったのに、これじゃお礼どころか消化不良だろ。だからさ、これで手打ちってことで頼むよ」
「……手打ち、ですか」
工藤は差し出されたペットボトルと俺の顔を交互に見つめ、それからゆっくりと両手でカルピスを受け取った。その顔はいつもの無表情とは違う。竹原と話しているときの表情とも違って――。
「ありがとうございます……ありがとうございます。とっても嬉しいです」
花がほころぶように、彼女は小さく笑った。




