第22話 図書館(2)
「うーん……いいけど」
せっかくの頼みだし、引き受けたい気持ちはある。ただ今の壊滅的な英語の状況もあって、悩みどころだ。煮え切らない俺の返事に、竹原は助け船を出してくれる。
「難しかったら大丈夫よ。後藤さんも今日のスケジュールとか組んでるだろうし」
「そういうのはないから大丈夫なんだけど。俺も英語がやばくて……」
「やばいというのは……どれくらい?」
「あー……テストマエナノニ、ブンポウホボワカラナイ」
「それはなんとも……」
同情するように苦笑いを浮かべて返してくれるが、その反応は心にくるものがある。
「確かに後藤さんは英語の成績がよくないですね」
「もう、当たり前のように俺の成績知ってんじゃん。怖いって」
工藤は平然と、俺の成績を知っているかのように答えてくる。うちの学校は個人情報とかプライバシーの観点で、成績の張り出しなどは一切ない。配られるのもPDFで各教科の学年クラス順位と総合成績だけ。だから他人の成績なんて、生徒間での噂話でしか聞かないはず。
「どうやって知ったんだよ」
「竹原家のメイドですから」
「……」
「『後藤はなぁー、本当に英語が壊滅的だからな。数学で帳消しできてるけど結構やばい』と、先生と後藤さんがお話しているのを耳にしました」
「え、いつだ……。言われ過ぎてわっかんねぇー」
英語の成績をどうにかしろ、耳にタコができるくらい言われすぎていちいち覚えていない。そのn回目の小言を工藤は偶々聞かれたのか。
「そこで提案です。後藤さんに数学を教えてもらう代わりに、お嬢様が英語を教えるのはどうでしょう?」
「竹原って英語できんの?」
「はい。お嬢様は英語コミュニケーション・英語表現ともに、選抜クラスの生徒を抑えて学年一位です」
褒められたことに照れたのか、鼻の頭をかいて竹原が笑う。
選抜クラスっていうのは、勉強特化で青春を勉強に捧げるような猛者達。それを差し置いて二単元の成績を一位というのは、ものすごいことだ。
これはもしかしたら千載一遇のチャンスかも知れない。
今のまま英語の勉強を続けても埒が明かないし、たぶん長続きもしない。だったら、気分転換に竹原に数学を教えて、その後に学年一位から英語を学べばいい
他の友人達と違って、工藤と竹原となら真面目な勉強会になるだろうし。いつものように勉強会とは名ばかりの、お喋りで終わることもない。
「わかった。じゃあそれでやろう。竹原、お願いします」
「うん、こちらこそお願いします」
俺達は顔を見合わせ、会釈をした。工藤と席を変わって俺達の勉強会は始まった。
――20分後。
「これは式を微分して展開すると、y´=3(x+3)(xー1)になるじゃん。そしたら、y´=0の時のxはー3か1になるわけ。そしたらこういう増減表になるよね?」
「……後藤さん、教える時は日本語話してよ」
「……」
――40分後。
「ここに入るのは動名詞のlocking。他のは意味があわないわ」
「え……? 鍵をかけたのを覚えている? これから鍵をかける?」
「……」
――1時間後。
「はぁーだめだぁー……」
俺と竹原は、腕を伸ばして机に突っ伏した。ここまで30分交代でお互いの得意科目を教え合ったが、成果はイマイチだった。
「明日香。見ててどうだった?」
「単刀直入に言うと酷かったですね。なんというか……お嬢様は英語を、後藤さんは数学をフィーリングで解いていることが分かりました」
確かに俺の数学はぶっちゃけ感覚。それは竹原の英語も同じか。だから『他のは意味が通らないからこれしかない』って言われても頭に?が浮かんでたのだろう。
勉強ができることと、人にわかりやすく教えるということは大きな差があるんだなと、学びになった。
「竹原ってなんでそんな英語できんの?」
俺は隣で伸びてる竹原に聞いてみた。
「私は人よりも英語に触れる機会が多かったから。パーティに参加した時に英語喋れないと、交流でもできないからね」
oh……スケールが多すぎて何も参考にならなかった。やっぱり幼少期から英語に触れているっていうのは、それだけアドバンテージを生むのか。俺も興味持ってればなぁー。
「そんなに得意なら文系の方が良かったんじゃね?」
「私のなりたい職業を考えると、理系を選択するしかないの」
「なんか経済学部とか行って、両親の仕事を引き継ぐみたいなのだと思ってた」
「いやいや。そんなの私と結婚する旦那にさせとけばいいのよ」
渋そうな顔をしながら手でナイナイと振ってくる。そこらへんは淡白なのか。
「後藤さんは理系選択したのって……まぁ言わずもがなか」
「そ、英語から逃げた!」
俺は白い歯を出してサムズアップして答えた。数学は昔から得意だったし、英語から逃げて逃げての先がいまだ。だから竹原みたいに将来目指したい職業も、入りたい学部っていうものはありもしない。
9割9分が大学進学を目指すうちの学校で、周りではそんな進路に関する具体的な話題も出始めた。俺が勉強に集中できないのも、そういった将来のことを何も考えていないのが原因なのかもしれない
「お二人とも、一度休憩をはさみましょう。私がなにか御菓子を買ってまいります」
工藤の言う通り、頭がもうショート寸前。集中力も続く気がしない。
「私が行くわ。外の空気吸いたいし」
「……お嬢様。さぼろうとしておりますね?」
「ソ、ソンナコトナイワヨ……」
工藤の指摘に、竹原の目は泳ぎ始めた。そしてスマホを触って耳に当て始めた。
「もしもしー、輝来輝来。図書館の4階にいるから迎えに来てほしい。うん……うん……。後藤さん一人にさせておくわけにはいかないじゃない。……え、聞いてない? 言ってないもの、偶然あったんだし」
竹原が電話を始めた横で。俺もスマホを手に取る。届いていた通知は、莉々葉からのsetlogの更新を急かすメッセージだけ。一時間ごとに更新して、お互い勉強してるか監視しようっていう約束をしてたんだった。すっかり忘れていた。
「じゃあ、私買いに行ってくる。たぶん一時間くらいで帰ってくるから」
「いや、買い出しなげぇーよ」
「スタバいって、たこ焼き食べてくる。あ、丁度来たみたい」
竹原は浮かれた様子で、トートバックを持つと部屋を出ようとする。すりガラスからは黒の背景が見える。
「後藤さん、明日香に勉強教えてもらうといいわ。この娘、学年成績一桁だし去年とか一位もとってるわよ」
「ヒトケタ?」
「教えるというより点数の取り方に特化してるから、私より適任かも。じゃあねぇー」
勢いよく扉が閉まるが、俺の視線はそこより工藤の方に向いてしまった。
「私でよければ、英語教えますよ?」
「お願いします……」
俺は一時間ぶりにまた深々と頭を下げた。




