第2話 俺が選んだメイド
俺が工藤の名前を呼んだ瞬間、赤組の喧騒はぴたりとやんだ。周りの生徒たちが口を開け、俺の言葉が理解できないといった表情で固まっている。
「私じゃなくて明日香?」
「……そ。工藤に来てほしい」
俺の言葉に竹原もハンカチで口元を押さえ目を丸くしていた。正直、俺自身も口にしたことを驚いてるし、そういう表情になるのも頷ける。周りからの「あ……そっち?」って声も耳に入ってくる。
「……」
対して工藤はというと、周りと違って表情に全く変化がない。ただ俺の方を向いて品定めをするかのようにこちらを見つめている。その強い目力に意味もなく視線を下にしてしまう。
「私を選んだ理由は?」
「あー……あっちのクラスで人募ったんだけどみんな目立つの嫌で断られて。だから学校内でも目立っている竹原と工藤なら、こういうの慣れてるかなぁ……と。それにお題の可愛いと思う異性にもピッタリだし」
「なるほど。ではお嬢様を選ばず私にしたのは何故ですか?」
それは竹原にお願いしようと思ったけど99.9%断られることが目に見えて、苦しまぎれに工藤を指名した!
なんてことは口が裂けても言えない。工藤に対して失礼すぎるし、断られる状況を自分から作りにいくようなものだ。ここはお茶を濁して誤魔化すのが正解だろう。
「ごめんそれは言えない。竹原にも工藤にも角が立つ気がする」
「……」
工藤は顎に手を当て、何かを考えるような素振りを見せたあと、こちらに頷いた。
「……そうですか。わかりました」
そう言うと、工藤はすっと立ち上がり、レジャーシートの脇に置いてあった運動靴に手を伸ばした。そして、靴紐を結び直し始める。隣の竹原も驚きのあまり呆然とした様子で、靴を履き直す工藤の姿を見つめていた。
これは、もしかして……いけたのか?
「輝来お嬢様」
「……」
「お嬢様」
「え……あ、うん! な、なに?」
「私はこちらの、後藤春道様についていきます。私が不在の間に他の方からのお誘いには乗らないように。すぐ戻ってまいります」
「え、ええ。行ってらっしゃい。後で詳しく話を聞かせてね」
工藤は靴紐をきゅっと結び終えると、凛とした佇まいで竹原へ向き直り深く一礼した。改めて彼女たちの主従関係は噂通り本物のものだと痛感させられる。
……俺、自己紹介したっけ?
まぁとりあえずいい。他の参加者も竹原を諦め、ほかの女子生徒に声をかけて頼み始めたようだし、いつまでもダラダラ話しているわけにもいかない。
髪留めで髪をポニーテールに束ねた工藤は、靴を軽く叩いてからこちらを振り向いた。
「お待たせいたしました。行きましょう」
「じゃあ、お願いします。あそこの目印のマイクスタンドのところまで」
「わかりました」
俺達はそう言って砂埃舞う校庭を走り始めた。校庭中の全校生徒の視線が一斉に突き刺さる。周りからは色めき立つ歓声ではなく、何か言いたげなざわめき声が聞こえてくる。
『さあ、黄色組の後藤君! 工藤さんを連れて走り出したぁぁぁ!? これはどんなお題なのか!』
おまけにスピーカーから爆音で流れる聞き覚えのある実況のアナウンス。うっせぇ! 俺は我を忘れて放送部のいる方へ中指を立ててやった。
「お知合いですか?」
「同じクラスのダチで……あ、すんません」
「いえ大丈夫です。私には気を遣わずに結構ですから。ペースももう少し上げて構いません、後ろからついていけますので」
「あ、はい」
と返事をしたものの、横に視線をやると工藤は息ひとつ乱さずに完璧なフォームで並走している。たぶん、運動神経が化け物の類の人だ。俺が少しスピードを上げてペースを早めても、彼女はぴったりと隣についてくる。
そして――。
俺と工藤は目印のマイクスタンド前へとなだれ込んだ。息を荒らげて膝に手を突く俺に対し、工藤は呼吸ひとつ乱さずすっと背筋を伸ばして立っている。
「……着いたぁ……っ」
「お疲れ。じゃあ黄色組お題をマイクで発表してください」
「お、おれが……い、一番……可愛いと思う異性……です」
「うん……黄色組、判定クリア!」
白旗が上がり、黄色組の得点板にポイントが加算される。その瞬間、黄色組のテントから「行ったぁぁぁ!」「春道よくやった! 生きて帰ってきた!」という歓声が上がった。
「おっけー。じゃあそのまま奥に抜けてねぇー」
「ぜぇ……ぜぇ……つっかれたぁー」
刺さるような視線をくぐり抜けながら、先ほどよりもぐっとペースを落として工藤と歩いていく。肉体的な疲労はもちろんのこと精神的なダメージもひどい。
「後藤様」
「……はい。何ですか」
俺は砂の上にどさりと座り込み、途切れ途切れの息を整えていく。工藤もすっと膝を折り、俺と視線を合わせるように見つめてきた。
「私を指名した理由。先ほどは誤魔化していましたが、お嬢様では絶対に応じてくれないから……ですよね」
どうやら俺の下手な誤魔化しは完全にお見通しだったらしく、気遣いすら不要だったようだ。
「……そうだよ。ごめんな」
「いえ。こういう扱いには慣れていますので」
「慣れているって……。でも、お題の『可愛いと思う異性』っていうのはどちらにしろ当てはまるわけだしさ。助かったよ、サンキュな」
俺が感謝を口にすると、工藤は一瞬だけ丸く目を見開いた。ポニーテールから零れた黒髪が風に揺れる。
「明日香ー!」
突然、甲高く明るい声がこちらへ近づいてくる。見上げると、日傘を差した竹原が小走りでこちらに向かってきていた。
それじゃあ、俺はここで離れたほうがいいだろう。
「今回のお礼は、何か別の形で返すな。うーん、ジュースとか……購買のパンとか? まあ、何かしら奢るわ」
「え……あ、後藤様――」
俺は膝の砂を払って立ち上がり自クラスの観客席へと戻っていった。




