第16話 カラオケ(2)
俺は全く状況を掴めないまま、ピクトグラムが描かれたドアから少し離れた壁に寄りかかっていた。
「お待たせ」
濡れた手をハンカチで丁寧に拭きながら、竹原が女子トイレから出てくる。
「おう……にしても、なんで工藤じゃなくて俺?」
声をかけてきた竹原の用件は「トイレに行くのに付き合ってほしい」というものだった。
おかげでキッチンのある三階まで同行する羽目になり、傍から見れば女子トイレの前で待機する気色悪い男になっている。バイト先のスタッフに見られたら変質者扱いされかねない。
「家の人に言われたの。『カラオケ店は合法的に個室空間になれる場所だから、ナンパやいかがわしいことを強要してくる男性がいてもおかしくない。その場合、いくら明日香でも成人男性には力で勝てない可能性があるから、部屋の外に出る時は後藤さんを連れて行くように』って」
「なにそれ」
「昨日言われたのよ。どんな危険があるかわからないって」
そう言って、竹原はエレベーターホールに向かって歩き始めた。
確かに、各個室は内側から鍵をかけられない構造になっているため、不審者が入り込んでくるといったトラブルはゼロではない。うちの店舗も防犯カメラを各フロアに大量に設置しているし、スタッフの巡回も徹底している。
俺みたいな男目線での大丈夫だろうという安心感と、女性ならではの危機管理意識は根本的に種類が違う。
それにこれまでの話を聞く限り、竹原の家は超が付くほどの金持ちであり、過保護だ。そう言い聞かしたくなるのも分かってしまう。
そのなかで、俺の名前が個別に挙がり信頼されているのは、何とも不思議な気分だ。竹原家の人に会ったのってあのファミレスの一瞬と、うちに来た少しの時間だけど。
「俺の名前を出してくれるのはありがたいけど、それって俺がその場にいないと成立しなくない?」
「そう、そこが問題なの! 私が呼び出したのはそれが本題!」
竹原は俺に指を突きつけると、周囲をキョロキョロと警戒するように見回した。そのまま、俺の袖口を掴んで、人気の少ない非常階段のほうへと誘導した。
「今日もおかしいと思ったのよ。というか前からだけど……ここ最近変なの」
「な、なにが……?」
「明日香よ。今までのあの子じゃあ考えられないことが多くて……」
俺にはその「今まで」というのがよく分からない。一年生の時は関わりがなかったし、まともに話し始めたのもあの体育祭からだ。質問をすることしかできない。
「ごめん。俺はそのどこがどう変わったのかわからないんだけど……。例えばどこらへんが変わったの?」
「あの子やけに、あなたのこと調べようとしていない?」
俺の好きなバンドのこととか、漫画だとか、食生活だとか、人間関係だとか。色々質問をしてくることは多いけど。
「まぁ友人関係を深めるために気になってるんじゃない? 俺も初対面の人に好きな漫画とか聞くし」
人間関係を深めるには、ある程度お互いの内面を開示し合う必要がある。それを知ろうとする努力は別におかしくないと思うけど。
「いやー、そうなんだけどさ! なんかこうーさ……今までと違うのよ」
「……うん?」
「明日香が人の情報を集めるのは、別に今に始まったことじゃない。私の友達作りとか、見極める必要があるから情報を集めてメモとかを取ってくれてるのは、ありがたいのよ」
竹原は言葉を探すように、視線を落とした。何かとても言いづらそうだ。
「あの子から出てくるあなたの情報が細かすぎる。しかも、それを使って私に積極的に関わるように勧めてくるのし」
「それって、俺と竹原が仲良くなれるようにってことじゃないの?」
「そうなのかもしれないけど……。実際、そう言われたら納得できるんだけど……うーん……」
言葉を濁す竹原の様子を見るに、これは納得していない返事だな。
「友達同士にもっと仲良くなってほしいと思うのって、ない話じゃないよな。今回だって、俺と莉々葉の好きな曲を前もって調べて、竹原がカラオケで浮かないように気を利かせてくれたんだと思うけど」
「え……もしかしてこれって私がボッチだったからゆえの思考? 友達のことって、あんなに細かく調べるものなの?」
「傍から見ている分には、竹原の友人関係構築をサポートするために調べているだけに思えるけどな。俺の周りのこと知ろうとしてるのも、俺を通じて周囲と関係を築くことが多いからじゃない」
工藤と竹原の間には、誰よりも長い年月で培われた強い信頼関係が存在する。だからこそ彼女が直感的に感じた違和感は間違っていないのかもしれない。
でも第三者である俺の目から見れば、今まで閉鎖的だった二人だけの世界に新たな住人を歓迎するための準備に見える。工藤なりに変わろうとしている表れなのだろう。
今までとは違う経験だからこそ、竹原もまだ理解が追い付いていない。少なくとも俺にはそう見える。
それでも納得いっていないご様子で、竹原は腕を組んだま唸っている。
「……うーん、納得いかない! なんか変なのよ……!」
「まぁまぁ、そろそろ行こぜ。二人待たせすぎてるし」
竹原に発破をかけて、階段を下っていく。だいぶ竹原と話しすぎたせいで、二人のことを待たせすぎてしまった。工藤も心配しているかもしれないから、早く下りないと。
リズムを取りながら下っていく俺とは対照的に、竹原の足取りはいまだに重い。
「あのことも言いたいけど……それは流石に明日香が二人に引かれるし……」
下りながら今度は何か、ブツブツと独り言をつぶやき始めた。
一階に着くと、階段近くの部屋では店長が室内清掃をしているのが見えた。今今の時間だと、まだ二人でお店を回しているはずなのに、キッチンから離れているなんて随分暇なんだな。
廊下を進み106号室の前に到着すると、ちょうど莉々葉も部屋へ戻ってくるところだった。両手のグラスにはカルピスとコーラがそれぞれ入っている。
「輝来達、遅ーい。二人でなーに話してたの?」
「わりぃわりぃ。竹原にお店の設備のこと教えてたり、世間話してたりしたんだよ」
「へー。まぁその間、私達は二人だけのこの密室で濃密で甘ーい時間を過ごせたからいいけど」
ものすごく語弊のある言い方をする。俺にはそっちの趣味はないけど、好きな奴が見たら歓喜するシチュエーションだ。特に柴田辺りが好きそうなやつ。
「お前と工藤ってどんな話すんだよ? タイプ真逆だし、まともな会話にならなさそうだけど」
扉を開けながら尋ねた俺の質問に、莉々葉はいたずらっぽく笑った。
「と、思うじゃん? これが私達、案外相性ピッタリなんだよねー、明日香?」
「はい、莉々葉」
部屋に入った瞬間、工藤と莉々葉が軽やかにハイタッチを交わした。
「「えぇ!?」」
今、下の名前で呼び合ったよな? あの堅物な工藤が? しかもハイタッチなんてフランクな真似までしてるし……。
隣の竹原の方を見ても、信じられないものを見たような表情をしている。
当たり前のように工藤の隣に座って腕を組んでる莉々葉と、それを受け入れてカルピスを飲んでる工藤。
なんか竹原が言ってた違和感って……。二人きりの時には見せなかったこういうところなんだろうな、と納得してしまった。
24日(金)にログインできず、作品更新ができなかったため本日の十二時に更新させていただきます。大変申し訳ございません。




