第11話 教科書
窓の外から見える灰色はここ最近見慣れたものだ。最後に雨が降らなかったのは、工藤が家に来た二日前くらいか。
暑いのか寒いのか分からない気温に、ジメジメとした湿気。寒暖差を考えてセーターを着るか迷ったり、湿気でうねる髪のセットに無駄な時間を取られたり。梅雨時期特有の気温に振り回される忙しなさのせいで、最近はちょっとした凡ミスも増えていた。
「原田ー! 情報の教科書返せやー!」
「そうだそうだー! カップル爆ぜろ!」
「柴田は関係ねぇだろ……春道はサンキュな」
俺と柴田が隣のB組に乗り込んだ理由は、原田に貸した教科書を回収するためだ。一限で使い終わっているはずなのに、六限の授業まで返す素振りがないから回収に来た。ちなみに柴田は、ただ暇つぶしと駄弁る目的でついてきただけだ。
「はよ返せや。お陰でプログラミング詰むところだったわ!」
「四限の時、莉々葉経由で渡そうと思ったんだけど忘れてた。すまんー!」
「おい、連帯責任だ。旦那の教育ちゃんとしてくれよ、莉々葉」
原田の手から教科書をひったくり、ついでにそいつの膝上に座っている女子へ視線を向ける。リリこと莉々葉は原田の彼女で、去年俺と同じクラスだったギャルだ。
原田にぞっこんで、原田と同じクラスになりたいってだけの理由で理系に進んだ筋金入りの狂人。まぁ、休み時間の教室の隅で堂々と膝上イチャイチャかませる時点で、頭のネジが数本飛んでるのは間違いない。
「うち関係ないじゃんー」
「莉々葉も合わせて、今年だけで十回以上は貸してるから。二人とも今度なんか奢れや」
「えー。じゃあ購買のワッフルでいい? みんなでよく食べてるやつ」
「ワッフルはいい。今家に大量にあるから」
詫びの品として工藤からもらった劇ウマワッフルが家には大量に残っている。学校に持ってきておやつにしようかとも考えたが、包装を見ただけで高級品だと分かるため、無駄に目立ちそうでやめた。柴田あたりに集られるのも嫌だし。
そういえば……工藤達って、このクラスだよな。
ふと思い出し、教室に目を向ける。すると、そこにはぽっかりと不自然な空白が広がっていた。そこだけ誰も通りかからず、誰も視線を向けようとしない。そこにいるのは、俺にとってよく見知った二人の顔だ。
……友達がいないとは言っていたけど、クラスでもこんな扱い受けてんのな。体育祭のときは周りも面白がってはしゃいでいたが、日常のリアルな空気感はこれか。
「どうした、竹取姫達の方見て」
「ん? 見てたの外だぞー。今日のバイトだりぃーって思って」
「なーんだ、期待して損した。……って待って、時間やべぇ! 春道、急ぐぞ!」
「マジか! 二人ともー今度なんか奢れよ絶対ーーー!」
時計を見た柴田が声を張り上げ、俺達は挨拶もしないまま早足でパソコンルームへと駆け出した。
工藤を見つめていたなんて言えば、あの体育祭のときのからかいが再来するのは目に見えている。
……それ以上に、あの中に割って入る勇気が今の俺にはなかった。それほどまでにあの空気感は異質で、俺の選択を強制させていた。
◇
そして翌日。俺達はまたB組へと足を運んでいた。
――ただし、今日は昨日とはワケが違う。
「昨日は偉そうなこと言ってすみませんでした……。教科書貸してください……」
「……春道もやっぱりアホだな。やっぱ、俺達類友だわ」
今日に限っては一番忘れてはならない日だった。俺の出席番号と日付がドンピシャで重なっていて、音読を指名されるのは確実。あの先生のことだから隣に見せてもらうのも、コピーで凌ぐのも通用しない。もし忘れたなんてバレたら、一日中ねちねちといびられるのが目に見えていた。
「教科は?」
「英コミュ」
「うち明日だからないかもな。ロッカーあるかなぁー」
原田はそのままロッカーへ向かっていった。一応、俺も他のB組の知り合いに聞いてみたが、誰も持っていないらしい。教科書が必要な宿題で周りは持って帰っているぽい。
原田も必死にロッカーを漁ってくれているが、出てくるのは折り曲がったプリントの山ばかり。……どんだけ汚いんだよ。
文系組は教科書が違って頼めないし、かといって選抜組に俺みたいなチャランポランの知り合いなんていない。どうしたもんだと頭を抱えていると、廊下から莉々葉が教室に入ってきた。
「おーい! 莉々――」
「後藤さん。よろしいですか?」
「――え」
振り返ると、そこに立っていたのは工藤だった。後ろから焦ったように竹原も立ち上がるが、周りの注目がいっきにこっちへ向くのが分かる。
「どしたの、工藤」
俺達は学校で話したのは体育祭以来。屋上に呼び出されたり、放課後にこっそり会ったりはしていたが、周りから見ればこれは借り物競争以来の交流に見えるわけだ。
俺から「学校では話しかけないで」と言っていたわけじゃない。それでもお互いが、事情や空気感を察して、不文律のように意図的に接触を避けていた。
「申し訳ございません。偶然小耳に挟んでしまいまして……もしよろしければ、こちらをお使いください」
彼女の手にはと英語コミュニケーションの教科書が握られていた。俺達のやり取りが聞こえていたと言うが、そんなにうるさくしていただろうか。
ちらっとロッカーの方を見ると、原田が手をバッテンにして「ない」と合図を送ってきた。莉々葉に至っては目を点にして、俺と工藤を交互に見比べながらのけ反っている。
「いいの……? 俺達ってその……」
「はい。借り物競争であなたに選んでいただいたまでです。ですが、私達は友達じゃないですか?」
静まり返った教室に、工藤の落ち着いた声が響いた。誤解を招く言い方だ。だけども時間もやばいし、彼女の好意を無下にするわけにもいかない。俺はそのまま差し出された教科書を受け取った。
その瞬間、教室のあちこちから拍手や歓声、果ては指笛まで聞こえてきた。主に俺を囃し立てているのは、俺の知り合いのバカども。あとで絶対にシバく。
「悪いな。助かった」
「いえ。私と後藤さんの仲じゃないですか」
だからさ……言い方! 大それたもんじゃねぇだろ!
「……まぁいいや、昼飯の時にでも返すな。ありがとう」
「はい。机の上に置いておいていただいたら助かります」
「ん、そうしとく。……うわー時間やば! 柴田、行くぞ!」
今日は俺が柴田にはっぱをかけ、二人で大急ぎで教室へ駆け戻った。そのまま柴田と話す余裕すらなく、教室に着いた瞬間に予鈴が鳴って授業が始まってしまった。
そして案の定、音読で指名された俺は、工藤の教科書のおかげで無事に難を切り抜けることができたのだった。
いやぁーまっっっっじで助かった。工藤様様だし、またなんかお礼しないとな。
胸を撫で下ろし、ぼーっと借りた教科書をめくっていると、ページの間に一枚の付箋が貼られているのに気づいた。
〈明日の昼時、屋上へ来てください。 工藤明日香〉
それはとても既視感のある呼び出しだった。




