第10話 工藤と後藤家
工藤と一緒にアニメを見ながら過ごしていると、普段はめったにノックされることのないドアが叩かれた。
「二人ともご飯できたってー」
ドアを開けると秋葉と共に、仕事帰りの父さんがいた。額に浮かべる大量の汗から急いで帰ってきたのが分かる。さっきからポケットで鳴り響いていたスマホの通知も、それが理由だったわけか。
「……ずいぶん距離が近いようで」
ズカズカと部屋に踏み込んできた姉貴が、ベッドの上にいる俺たちをニヤニヤと見下ろしながら嫌味を言ってくる。
「俺と工藤はそういうのじゃねぇって。うっせぇ馬鹿」
「じゃあなんでベッドの上に上げてんのよ」
「気遣いだよ。え、なに? 変な妄想しちゃったわけ? これだから拗らせ女子大生は……ぷぷっ」
「あーそっか。ごめんごめん、童貞のあんたにはそんな女の子を誘う勇気もないか。いっつもいい人どまりで終わる都合のいい男子だしね(笑)」
「かっちーん。俺のこと童貞って言ってるけど、お前だって拗らせ処――」
俺が言い終わるより前に姉貴の手が首筋へ伸び、そのままベッドの上から無理やり引っ張り降ろされた。流れるよう鮮やかな手際で首に腕を巻きつけられ、完全なヘッドロックの態勢に入られる。……く、苦しい。
「ごめんね工藤さん、こんな乳臭いガキの部屋で狭かったでしょう? ご飯できたから下行きましょ」
「え……あ、は、はい……っ」
秋葉は俺の首を絞めたまま、一転して爽やかな笑顔で工藤に向き直った。俺達の光景に流石の工藤もポーカーフェイスを崩し、見たことのない困惑の表情を浮かべて固まっている。
「初めまして。春道の父です。妻からお話は聞いております。準備が整いましたので、どうぞ下へ」
「は、初めまして、工藤と申します。本日はお邪魔させていただき、ありがとうございます。え、えっと……後藤様達は?」
「後藤様? あー……春道のことですかね。それだったらいつも通りなので放置しといて大丈夫です」
た、助けろや親父……! 実の息子が娘に絞め落とされそうになってんだぞ! 太もも叩いてギブアップ示してんのに一向に放してくれないし……!
「秋葉。俺、先に風呂入りたいから工藤さん案内して。先食べてていいからー」
「はーい。さ、工藤さん下行きましょ。こんな奴ほっといて」
「あ……はい。失礼いたします……」
工藤は、まだ床に倒れこむ俺を心配そうな目で見つめつつも、秋葉に促されて部屋を後にした。
首の痛みが引くのを待ってから階下へ下りると、リビングからは香ばしい割下が漂っていた。ダイニングテーブルの中央には、ぐつぐつと音を立てるすき焼き鍋。その周りには、例の最高級お肉がこれでもかと並べられている。そしてなぜか俺の席の隣には、給仕の姿勢でちょこんと座る工藤の姿があった。
「……なぁ工藤。なんでお前、俺の隣でトング持って待機してんの?」
「後藤様のお肉やお野菜をお取り分けするためでございます」
「いや客じゃん。普通に食ってよ」
「職業病です。メイドですから」
それを言われたら元も子もないような……ただ解せない。言われるがままお皿を渡すと、お肉数枚と山盛りの野菜を盛り付けられた。こんなに野菜はいらない。
「……なぁ、肉に対して野菜多すぎないか?」
「後藤様のお昼ご飯は、最近お肉料理中心でございますから。栄養バランスの偏りは良くありません」
「なんで俺の昼飯知ってんだよ」
「いつもチャットでやり取りされてるじゃないですか」
「あ、そういうことか。納得」
向かいに座る母さんと秋葉が「あらあら」とニヤニヤしながらこちらを見ていた。別に期待しているようなことは何もない。その視線は俺じゃなくて工藤にも迷惑になるからやめてくれ。
「ほら春道、工藤さんがせっかく取り分けてくれたんだから残さず食べなさい。工藤さんも、自分の分も遠慮しないでどんどん食べてね?」
「ありがとうございます。では、お言葉に甘えさせていただきます」
工藤は丁寧にお辞儀をすると、自分の取り皿に肉と野菜を上品に盛り付け、一口小さく口に運んだ。
「……とても美味しいです。こんなに賑やかな食卓でいただくのは、少し新鮮でございますね」
「そうなの? 竹原達と食べてんじゃないの?」
「普段は業務後に一人で食べていますね。よくて同年代の使用人と二人で食べるくらいです」
これまで見かけた竹原家の関係者は大人ばかりだったので、同年代の使用人もいるというのは初耳だ。ということは、竹原家に仕えるメイドって一体何人いるんだ……? この現代日本でそれだけの数の使用人を雇えるって、もはや次元の違う金持ちだろ。
「そういえばさ、その竹原さんとの話は分かったけど、そもそも二人の出会いって何なの? 三人でお出かけするような仲になったきっかけって何だったのー?」
肉を口に運びながら、秋葉が興味津々といった様子で聞いてくる。それについては、どうやら工藤もまだ話していなかったらしい。工藤はお皿をテーブルに置くと秋葉の方を向いて淡々と答えた。
「初めて話したのは借り物競争で私を選んでいただいたことです」
「体育祭かー。何のお題で呼ばれたの?」
「はい。あなたが一番可愛いと思う異性ということで、後藤様にお呼びいただきました」
「ん? なんて?」
「自分が一番可愛いと思う異性でございます」
「……へぇー。体育祭に私達を呼ばなかった理由ってそれかー」
秋葉の口角が弓を引くように吊り上がった。それは「良いこと聞いちゃった」といじる対象みーっけ、と言わんばかりの暗黒微笑。
結局、夕飯の肉はとても美味しかったはずなのに、家族からの生温かい視線のせいでまったく集中して味わえなかった。
◇
「後藤様大丈夫ですよ。送っていただくのはここまでで」
「一応な。帰り道なんかあった時、竹原にも申し訳ないし」
「……ありがとうございます」
夕食後、工藤を送るということで俺は家を出ていた。八時なんて他の高校生からしたら部活終わりの時間だろうけど、一応念には念を入れて。それに、ここは学校からもかなり離れているから彼女に土地勘もないだろうしな。
「急に悪いな。楽しめた?」
「はい。初めての体験で少し緊張もいたしましたが、皆様とてもお優しい方々でしたのでとても楽しかったです」
「なら良かった。みんなちょっと浮かれちゃってただろ。なんか失礼なこと言ってたらごめんな」
「いいえ、滅相もございません。後藤様のご家族は、皆様とても温かく私を迎えてくださいました。……お姉様のあのようなお戯れも、とても微笑ましく感じておりましたので」
「微笑ましいっていうか、ただのいじり倒しだけどな……」
思わず苦笑いを浮かべると、工藤も口元に小さな笑みを浮かべた。街灯の明かりに照らされた横顔は、普段学校で見せる隙のない表情とはどこか違い、年相応の柔らかさを帯びているように見える。
今だってスーツ着てるけど彼女は、普通の女子高生なんだよな。
「なぁ工藤」
「はい」
「前から気になってたんだけど、俺のこと様付けはやめてよ。俺達同い年で友達なんだし」
「……友達。わかりました、後藤さん。あなたがそう望むなら」
「それでお願い。そっちの方が俺も気使わずに済むから助かるわ」
ずっとかかっていた様付けという壁がなくなったことで、なんだかんだ言っても俺たちの距離感は少し縮んだ気がする。今日も竹原家の人だからと丁重に扱い過ぎてしまったが、彼女は工藤明日香。
竹原家のメイドが工藤明日香をやっているのではなく、工藤明日香が竹原家のメイドとして働いているだけ。周りの肩書や立場に流されないよう、俺自身も気を付けないといけない。
住宅街を抜け、大通りまで出ると見覚えのある大人が一人立っていた。あのパーキングで工藤たちを威圧感たっぷりに説教していた女性だ。近くには軽自動車が停められているので、あれで帰るのだろう。
「じゃあ今日はありがとな。気をつけて」
「後藤さん。また明日、学校でお会いしましょ」
工藤が車に乗り込み、発車するのを見送ってから俺も家へと戻っていく。今日は楽しかったし、竹原と工藤のおかげであんな良い経験ができた。
スマホを開いて音楽を流そうとすると、大量の通知が溜まっていた。アプリを開いて一番上のチャットから消化していこうと、竹原・工藤との三人のグループチャットを開く。そこには――。
〈春道:わざわざありがとう。家族も喜んでた〉
〈竹原がメッセージの送信を取り消しました〉
〈竹原がメッセージの送信を取り消しました〉
〈竹原がメッセージの送信を取り消しました〉
〈竹原がメッセージの送信を取り消しました〉
〈竹原がメッセージの送信を取り消しました〉
〈竹原がメッセージの送信を取り消しました〉
その下に、グッドポーズをしたサムズアップのスタンプだけが一つ送られていた。
……? なんかミスかこれ。竹原もそういう所あるんだな。俺はそのままトークルームをスワイプした。




