僕達は、大人になることが出来ない⑥
並んだ優樹からの着信履歴は見ないふりをして、店長からの履歴を探す。
今電話したら迷惑だろうか。一応今はアイドルタイムのはずだ。今のうちに夜の仕込みをやっているだろうか、それとももう別の場所に応援に行っていたりするだろうか。
そんなことを考えながらも、スマホは簡単に店長の電話番号を表示する。テクノロジーの進化は凄まじいなあなんて、悠長なことを考えてみる。受話器が上がったサインの前で、親指が行ったり来たりする。
電話をかけたところで、一体何と言えばいいのかもわからない。まずは今日のことを謝らなければいけない、それから明日どうするのかを説明しなければいけない。それから、高橋くんのことも。元はと言えば私が高橋くんを連れ出したようなものだ。高橋くんの親が、店長の元に殴り込みに来ている可能性も大いに有り得る。
「……考えてもしゃあないな」
散々迷ってようやく、そんな言葉を無理矢理吐き出して自分に言い聞かせる。そう、しゃあないのだ。店長と話をしない限りはどうしようもない。
通話のボタンを押して、硬い板を耳に押し付けた。呼び出しのための電子音が、何かを急かすように鳴っている。その音と重なるように、鼓動が激しくなる。
『……もしもし、坂田さんか?』
呼び出し音がぷつりと途切れ、聞き覚えのある声が流れる。少し焦ったように、声が上ずっていた。
「あ、あの」
風邪をひいた時に喉奥に絡まる痰のように、言葉が詰まった。店長が電話に出てからたった二秒ほどしか経っていないというのに、もう既にスマホを握る手のひらは汗が滝のように流れている。
『坂田さんどうしたんや、何かあったんか? 事故とかではないんか、なんせ無事ならええねんけど』
私が黙ったままだったからか、店長は立て続けに言葉を並べた。その優しさがシンプルに痛い。事故をしてパニックになって声が出せなくなっているとでも思われているのだろう。焦った店長の声の後ろで、ひーちゃんが私の名前を呼んでいる声が聞こえた。
「……すいません」
ようやく出た声で、そう言った。店長には見えないと分かっていながら、何度も何度も頭を下げる。
「ほんまに、ほんまにすいません」
『いや、無事ならええんや。なんや体調でも悪かったんか? 店の心配ならせんでもかまんよ、電話して臨時でアキちゃんに出てきてもろてるから』
「すいません、ほんまに大丈夫です。体調も大丈夫で」
言ってから、体調が悪いことにすればよかったのかと思う。体調が悪いのでしばらく休みにしてほしいと言えば、面倒な説明は要らなかったはずだ。面倒な道を自分からどんどん進む。体の奥深くに染み付いた物は、咄嗟の時に顔を出す。正直な人が報われるなんて、幻想でしかないのに。
私の声のトーンで何かを察したのか、店長が少し黙った。スマホから顔を離したのか少し遠い声で、ちょっとあとやっといてくれ、と指示を出しているのが聞こえる。ぱたぱたという足音と、ぎいと音を立てる古いドア、その扉の閉まる聞き慣れた音と聞こえなくなる店内のBGM。それを聞きながらだんだん深くなる私の呼吸音が、心臓の中を走り回っている。
『……すまん、おまたせ。ちょっとキッチンうるさかったからよ』
聞き取りやすくなった店長の声の後ろで、キャスター付きの椅子が鳴る音が聞こえた。落ち着いて話そう、ということらしい。せっつくようなBGMが聞こえなくなったおかげか、店長の声のトーンが少し落ち着いたからなのか、少し手の中の汗が引いている気がする。
「いえ、お時間取らせてしもてすいません」
『ええんよ。なんか理由があんねやろ』
理由、と言ってしまっていいのかどうかは分からない。私はただ逃げただけだ。直面したくない現実と、それを帰ることが出来ない自分から。
「本当に、すいません」
何度目か分からない謝罪の言葉を呟く。謝罪の言葉なんて一文の価値も無いのに、まるでそれさえ言っていれば助かるかのように繰り返す。
『いや、なんとかなるから大丈夫や。ほんで、今どこにおんねん』
私は、家から二つ隣の県の名前を口にした。
『は? なんでそんなとこにおんねや』
ごもっともな質問だ。正直自分でも、どうして今ここにいるのか説明が出来ない。ただ走り続けていたら、ここに来ていた。理由は無い。
「あの、何言うても怒りませんか」
『なんや、浮気した時の彼女みたいな言い方しよって。そりゃ返答次第で怒ることもあるけどもな。まぁ坂田さんは日頃の行いがええから、差し引いて発言したるわ』
少しふざけて言う店長の優しさが、今はかなり刺さる。
「いやあの……ちょっと、逃げたくなって。色んなことから」
『ふぅん……なるほどなぁ。家出みたいなもんか』
「そんな感じですかね。彼氏に出て行け言われたんで、反射で飛び出してしまって」
『そういうことか。いや別に怒らへんけど、それやったら前もって言うといてくれたらよかったのに』
「すいません」
『いや、責めとるわけやなくてな。言うといてくれたらなんか助けれたかもしれんのにっちゅうことよ』
ぎいぎいと、店長が椅子を回している音がする。
「……どっちにしろ、結果的にはご迷惑おかけしとるんですけどね」
『ご迷惑って、店の話やろ? そこ上手く回すんが店長の仕事よ。ただほら、女の子一人で飛び出したら危ないやろし、夜明かすんもその辺やったら危ないやろ。バイトの子の家にでも泊まったらよかったのに』
はい、はい、と小刻みに相槌を打ちながら、合間にすいません、すいませんと呟く。でも、誰にも迷惑かけたくなかったんです。誰かの負担になりたくなかったんです。助けてなんて言えるわけが無いやないですか。言いたいけど言えない声だけが、胃の辺りで空回っている。
『……まあかまへんのやけどな。ただ危ないことだけはしたあかんで。他の子にもちゃんと言うとくから』
「なんで怒らないんですか」
『なんでって……怒ってもしゃあないやろ』
乾いた笑い声が聞こえる。店長が疲れているときの笑い声。
「ほんまに、ご迷惑おかけしまして」
もう一度頭を下げた。人の声の裏側を必死で解読しようとして、頭を下げて、そうしてまた私は、心に積み上がった箱を増やしていく。




