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異世界に転生した木工屋は、世界の歪みを矯正する  作者: もしものべりすと


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第十八章 世界の鉋がけ

最後の応力点に、最後の楔を打ち込む瞬間が来た。世界中の木工職人が、同時にハンマーを振りかぶった。直樹は、一拍だけ目を閉じた。


 世界樹の塔の頂上で、直樹は最後の楔を握っていた。それは普通の鉄製の楔ではなかった。世界中の協力者が、それぞれの土地の聖木を削って作った、七十本の楔の中の、最も中心となる楔だった。


 楔は彼の手のひらに、ぴたりと、収まる大きさだった。表面に、各地の職人が、それぞれの土地の文字を、彫り込んでいた。文字は彼には読めないものも多かった。だが、それぞれが、誰かの祈りだった。


 彼はその文字を、指で、なぞった。


 各地の職人が、その文字に込めた思いを、彼の指が、感じ取った。家族のために。村のために。自分の誇りのために。世界のために。様々な思いが、文字の中に、込められていた。


 その思いを、彼は自分の手の中に、束ねた。


 束ねた思いの重さが彼の手のひらに、ずしりと、来た。


 彼はその重さを、感じながらふっと、笑った。世界中の七十人の職人の祈りが、ひとつの楔の中に、収まっている。それは本当に、すごいことだった。これを、ただの十五歳の少年の体で、彼は、握っていた。それは彼が、ここまで来た、証だった。


 直樹はジョルダン老の墨壺を、地面に置いた。墨で引いた一本の線が、洞の中央を貫いていた。その線の上に、楔の先端を当てた。


 線は、まっすぐだった。


 彼が引いた線は、十一年間の指の練習が、可能にした線だった。彼の指が震えていなかったから、線がぶれなかった。彼の心がもう震えていないから、指も震えていなかった。


 線の正確さは彼の十年と三月の、すべての結晶だった。前世の工場で、何百本の線を引いた。墨で、チョークで、罫書き針で、シャープペンで。すべての種類の線を、彼は、引いてきた。線がずれた日は、製品が、ずれた。線が、まっすぐな日は、製品が、まっすぐだった。


 今日、彼は世界に、まっすぐな線を、引いた。


 彼は、地上の各地で待機している木工職人たちに、合図を送った。ロウラが、世界樹を通じて、合図を中継した。世界中の七十カ所で、同時に、ハンマーが振り上げられた。


 直樹は息を整えた。


 十五歳の体の心臓が深くしっかりと鼓動していた。


「親方」と彼は呟いた。


 彼の指は、十年以上、何百回も、楔を打ってきた指だった。前世の工場で、新人の頃から、彼は楔を打ってきた。家具の組立で、緩んだ部分に楔を入れる作業を、何百回もやってきた。


 その指が、今、世界に楔を打とうとしていた。


 彼は、振り上げたハンマーを、まっすぐに下ろした。


 楔が、世界樹の根の中心にまっすぐに、入った。


 同時に、世界中の七十カ所で、ハンマーが振り下ろされた。


 遠くの森で、ジョルダン老の村で、隣村の漁師の手で、王都の宮廷魔術師の手で、北の山岳地帯の生き残った騎士団の手で、南の砂漠の遊牧民の手で、それぞれの場所で、それぞれの楔が、それぞれの大地に、入っていった。


 世界中の、七十一人の人間が、ほぼ同時に、ハンマーを振り下ろした。


 その音は、それぞれの場所では、ただの、一回の打音だった。だが、合計すれば、世界全体が、ひとつの大きな打音を、響かせた、ことになる。


 その打音は世界の応力に、伝わった。


 応力は、ひとつの場所に集中していたものが、七十一の場所に、均等に、分配された。集中していたものが、分散すれば、それはもう災厄ではなかった。ただの、世界の応力の、自然な分布になる。


 世界が、軋んだ。


 次の瞬間、空が動いた。


 傾いていた地平線がゆっくりと戻り始めた。


 左半分が低かった空が、右半分と同じ高さに、戻ってきた。


 地平線が、ふたたび、まっすぐな一直線になった。


 直樹は、塔の上から、その光景を見ていた。


 世界が、戻っていく。


 彼は、地面に膝をついた。手で、地面の墨の線を、なぞった。墨は、まだ湿っていた。指に黒い色がついた。


 その色を、彼はじっと見つめた。


 俺の仕事の色だと思った。


 ジョルダン老の親父の親父の代から、この墨壺は墨を吐いてきた。前世の工場でも、彼は墨壺を使った。違う形だったが、同じ機能の道具だった。墨で線を引いて、その線の通りに、刃を入れる。線がずれれば、すべてがずれる。だから線は神聖だ。ジョルダン老が教えてくれた言葉と、前世の工場の老親方が教えてくれた言葉は、同じだった。


 世界中の、どこの工場でも、職人は同じことを教えてくれていた。


 彼は、十五歳の手のひらを開いて、墨のついた指を見た。指の腹に、墨が黒く広がっていた。


 彼は笑った。


 涙が落ちた。


 墨で黒くなった指の腹は彼の十年と三月の、すべての結晶だった。彼が触れてきた、何千本もの木の、何万行もの数字の、すべてが、今、この黒さの中に、収まっていた。


 彼はその指をもう一度、見つめた。


 手のひら全体が、墨で、黒くなっていた。


 その黒さが彼の人生の色だった。前世でも、こちらでも、彼の人生の色はこの黒さだった。


 成功だった。世界は救われた。


 彼の指の黒い色は、村のあちこちで、世界のあちこちで、職人たちの指についている同じ色だった。世界中で、七十人以上の職人が、今、同じ色を、指につけていた。それは彼ら全員の、共通の、勝利の色だった。


 ロウラが彼の隣に来た。


「ナオキ。終わったよ」


「ええ」


「あなたは世界を、削った。あばれを、抑えた。ちょうど、家具の天板を仕上げるみたいに」


「そうですね」


 直樹は塔の縁に座って、空を見上げた。


 空はもう傾いていなかった。雲がゆっくり流れていた。鳥が、何羽か、塔の周りを、飛んでいた。


 世界は、息を吹き返していた。


 遠くの森で、ロウラと同じ精霊たちが、再び木の声を聞きはじめたのだろう。各地の村で、人々が空を見上げて、安堵の声を上げているだろう。


 ガリスはもういない。


 だが、彼が信じた数字は世界を、保たせた。


 直樹は紙束を、胸に押し当てた。三月分の樹皮紙と、ロウラの葉に書き写された前世の十年分の日報。彼の十三年分の記録。誰にも読まれないと思っていた数字。


 その全部が、今、世界の中で確かに、生きていた。


 彼はロウラを見た。


「ロウラ」


「ええ」


「俺の十年は本当に、無駄じゃなかったんですね」


 ロウラは微笑んだ。


「最初から、無駄じゃなかった。あなたは、ただ、それを認めていなかっただけ」


「俺自身が、俺の十年を、認めるまでに、十年と、三月、かかった」


「十年と、三月、ね。長いような、短いような」


「短いです」と直樹は言った。「俺の十年は、今、終わって、始まりました」


 ロウラは頷いた。


 彼女は、塔の縁から、世界全体を、見下ろした。世界中の村々で、それぞれの楔を打った職人たちが、それぞれの場所で、安堵の声を、上げていた。彼女にはそれが、聞こえていた。森の声を聞く者として、世界中の人々の声も、聞こえた。


「皆が、笑ってる」と彼女は言った。


「皆、ですか」


「ええ。世界中の人々が、空が戻ったのを見て、笑ってる。誰が世界を救ったのか、ほとんどの人は、知らない。でも、皆、笑ってる」


「それで、十分です」と直樹は答えた。


 彼自身もそれで、十分だった。誰が救ったのかは、関係なかった。誰かが、世界を保たせた。世界は、保たれた。皆が、笑った。それで、十分だった。


 彼の頭の中で、ロウラの言葉がもう一度、響いた。


 あなたは誰かに読まれるためにいない。


 今夜、その言葉の最後の意味が彼の中に、収まった。誰かに読まれるためにいないということは、誰にも読まれないということではない。誰かに読まれることを目的としない、という意味だった。目的としないからこそ、結果として、読まれる。読まれることを目的にすると、書けない。書かなくなる。


 彼の十年は、誰にも読まれることを目的としなかった。だから、続いた。続いたから、世界に、届いた。


 その逆説が彼の中でようやく、整理された。


 彼は深く、息を吸って、吐いた。


 長い長い息だった。


 風が、塔の頂上を、抜けていった。

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