第三十三話 紅眼の助言
静寂を破ったのは、ガイアスだった。
「リオ・ヴァルノクス。俺はお前と戦う気はない」
そう言って剣を鞘に収め、降参するようにゆっくりと両手を上げる。
「……どういうつもりだ」
低く押し殺した声。
殺気だけが、鋭くガイアスを射抜いている。
「おっと、本当だ。俺も多少腕に覚えはあるが、ルクシオン最強の剣士に挑むほど馬鹿じゃない」
肩をすくめて、軽く笑う。
「お前は俺を殺そうと思えば、いつでも殺せるだろ」
掴みどころのない男だ、とリオは思う。
ガイアス・ゼルヴァーン。
異民族の血を引くその剣は、風のように定まらない。
型を持たない戦い方は、アルフェン剣術とは対極にある。
同じ王宮に仕える身でありながら、これまで深く関わることはなかった。
「やっと話せるな」
ガイアスがわずかに目を細める。
「いつも冷静沈着なヴァルノクス隊長を動揺させるとは……あの娘、よっぽど大切らしいな?」
刹那。
風を裂く音すら遅れて届いた。
抜き放たれた剣が、ガイアスの喉元に突きつけられていた。
「ガイアス・ゼルヴァーン」
静かな声。
「やはりお前だったか。彼女は無事か?」
わずかでも答えを誤れば、首が飛ぶ。
そう断言できるほどの圧だった。
ガイアスは苦笑する。
「……安心しろ。すぐにどうこうなる話じゃない」
「何をさせるつもりだ」
「王妃様もな、女なんだよ」
わざとらしく肩を竦める。
「女の切実な願いってやつさ」
軽い口調。
だが——
ガイアスは一度も視線を外さなかった。
紅い瞳が、微動だにせずリオを捉えている。
見られている、というより——覗かれているような感覚。
噂が脳裏をよぎる。
見通す紅眼。
王妃が腹心として傍に置く理由も、それなら説明がつく。
剣先が、わずかに揺れた。
「あの人に何かあったら——許さない」
「……国ごと滅ぼしそうな勢いだな。洒落にならない」
「当然だ」
即答だった。
ガイアスは一瞬だけ目を丸くし、そして小さく息を吐く。
「……なるほどな」
紅い瞳が、わずかに細められる。
「それほど、師匠が大切か?」
答えは出ている。
それでもリオは何も言わない。
「安心しろ。言いふらす気はないさ」
口の端を上げる。
「ただ——いい女だな」
次の瞬間。
剣がわずかに走り、ガイアスの首筋を掠めた。
細く、血が一筋流れる。
「おい、本気か?」
「先生を、軽く扱うな」
低く、鋭い声。
余裕がないことくらい、自分でも分かっている。
それでも——止められない。
「無理言うなよ」
ガイアスは苦笑する。
だがその目は、どこか真剣だった。
「……一つだけ方法がある」
空気が、わずかに変わる。
「王家も、お前も、血を流さずに済む方法だ」
一拍置く。
「もちろん——お前の師匠もな」
その言葉で、リオの思考が一瞬で冷えた。
熱くなりすぎていた頭が、すっと戻る。
リオはゆっくりと剣を収めた。
それを見て、ガイアスは小さく息を吐く。
「このルクシオンで、王家に唯一物申せる存在は?」
「王でさえ顔色を窺う。王命すら拒める」
紅い瞳が、真っ直ぐリオを射抜く。
「“影の王家”と呼ばれてるのは?」
「……アルフェン、か」
「ああ」
ガイアスが頷く。
「夫人と交流があるんだろう? 令息の命も救った」
「アルフェン公爵家が動けば、状況は変えられる」
なぜ気づかなかった。
リオはわずかに目を伏せる。
焦りで、視野が狭くなっていた。
「……お前は王妃の腹心のはずだ」
視線を戻す。
「なぜ、俺に助言する?」
ガイアスは一瞬だけ考え、そして笑った。
「愚問だな」
肩をすくめる。
「俺も、憧れてるんだよ」
ほんのわずかに、声音が変わる。
「英雄様にな」
東の空が白み始めていた。
夜が終わる。
リオは王宮を見上げる。
明日は——長い一日になる。




