第二十九話 揺れる道、残された影
静寂の中、車輪の音だけが響いていた。
王妃の馬車だけあって乗り心地は悪くない。
――けれど、気分はまったく良くなかった。
夜も更け、人の気配はない。
あえて人気のない道を選んでいるのだろう。
(……不穏ね)
「そんな顔をするな。せっかくの美人が台無しだ」
向かいに座るガイアスが、退屈そうに足を組み替えた。
その視線が、こちらを捉える。
――紅い。
灯りの加減ではない。
底を覗き込まれるような、深い色だった。
一瞬、見透かされたような感覚が走る。
だが。
次の瞬間には、何事もなかったかのように視線が外された。
「私が美人なら、世の中の大半は美人でしょうね」
アウレリアは淡々と返し、窓へ視線を向ける。
外は暗く、何も見えない。
「いや、美人だよ」
「ごく平凡です」
「俺は目がいいんだ」
わずかに間を置いて――
「……見えるものが、少し違うだけだ」
含みのある言葉。
けれど、それ以上は語らない。
「そんな軽口を叩いている場合ですか?」
静かに言葉を返す。
「王宮に近づいていますね」
「ああ。あと五分とかからない」
「……やはり」
避けてきたはずの場所。
気づかないふりをしていたものが、否応なく近づいてくる。
背筋を、ぞわりと何かが這い上がった。
――重い。
魔力の歪み。
城へ近づくほど、それは濃くなる。
逃げることも、考えなかったわけではない。
このままルクシオンを捨て、遠くへ。
だが――
木漏れ日で出会った人々の顔が浮かぶ。
簡単に、切り捨てられるものではなかった。
それに。
(この異変……王宮が関わっているのなら)
見過ごすわけにはいかない。
アウレリアは静かに息を吐いた。
馬車は、静かに進み続ける。
逃げ場は、もうなかった。
リオが木漏れ日に辿り着いたとき、違和感があった。
――灯りが消えている。
訪れる時間は告げていない。
それでも、彼女はいつもそこにいた。
ドアノブに触れる。
鍵は、かかっていなかった。
胸騒ぎが走る。
勢いよく扉を開けた。
「店主――!」
返事はない。
ランプに火を灯し、店内を見回す。
洗いかけのカップ。
片付けられていない卓。
わずかな乱れ。
視線を落とす。
床に残る痕跡。
踏み荒らされた様子はない。
だが、複数の足跡がある。
その先を追うように、外へと視線を向ける。
車輪の跡と、馬の蹄。
リオはゆっくりと息を吐いた。
「……連れていかれたのか」
争った形跡はない。
自分の意思か。
あるいは、そうせざるを得なかったか。
奥歯を噛み締める。
拳を壁に叩きつけた。
鈍い音が響く。
皮膚が裂け、血が滲む。
「……なぜだ」
低く、押し殺した声。
あの人はいつも――
何も言わずに、背を向ける。
ようやく見つけたと思ったのに。
もう一度、会えたと思ったのに。
「……先生」
その呼び名は、小さくこぼれ落ちた。
誰にも届かず、静寂に溶けていく。




