第二十八話 王妃の呼び声
ヴィオレッタは侍女に髪をすかせながら、鏡の中の自分を見つめていた。
今もなお美しいと称される容姿。
だが、嫁いできた頃の――若葉のような瑞々しさは、確実に薄れつつある。
指先が、わずかに止まる。
「王妃様、サラでございます」
「入りなさい」
静かな声で応じる。
サラは実家から連れてきた侍女であり、この王宮で最も信頼を置く存在だ。
「王妃様。命じられた件について、ご報告いたします」
「ええ。それで?」
「アルフェン公爵夫人は、“木漏れ日”という店の茶を飲むようになってから、みるみるうちに体調が整ったそうです」
ヴィオレッタの瞳が、わずかに細められる。
カイル出産以降、不調を抱えていたことは耳にしていた。
それが――改善した。
「木漏れ日……聞いたことがない店ね」
「最近ルクシオンに現れた若い娘が営む店です。郊外の小さな店ではありますが、今では評判も高く、繁盛しております」
「そんな庶民の店に、セレナが通うかしら?」
「カイル様が病にかかった折、その娘が治療を施したことがきっかけだそうです。以降、交流が続いていると」
「……なるほど」
ふと、思い出す。
頭痛と倦怠感に悩まされたあの日。
口にした、あの不思議な茶。
星のように、淡く光っていた。
「星のハーブティーを配っていたのも、その店です」
「……あのお茶を」
小さく、息を吐く。
確かに、あれは効いた。
「その娘の名は?」
「アメリア・ルシアと名乗っております」
「……そう」
鏡の中の自分と、静かに視線を合わせる。
「その娘を、確かめたいわ。丁重に連れて来なさい」
一拍置いて、続ける。
「――エドガルド様には、くれぐれも内密に」
「かしこまりました」
サラが静かに頭を下げる。
世継ぎのためとはいえ、平民の娘に縋る姿など見せたくはない。
それが、ヴィオレッタの最後の矜持だった。
それでも――
必要なことをするだけ。
もしも、あの娘が本物なら。
だが、もし違ったなら――
別の手を取るしかない。
胸の奥に、わずかな希望が灯る。
鏡の中の自分が、静かに微笑んだ。
店の外に、気配を感じた。
アウレリアはカップを洗う手を止める。
――リオ?
違う。
しかも、一人ではない。
足音。気配。立ち位置。
訓練された者たちだ。
正体が知られたのか――?
いや。
今のところ、狙われる明確な理由はないはずだ。
――トントン。
扉を叩く音。
暴漢なら、わざわざ来訪を告げたりはしない。
敵意は……ないのか。
息を整え、ドアを開ける。
「すみません、今日はもう閉店で――」
言いかけて、言葉が止まる。
目の前に立っていたのは、軍服を纏った浅黒い肌の男だった。
切れ長の瞳が、まっすぐにこちらを射抜いている。
「お前がアメリア・ルシアか?」
「そうですが……お客様では、なさそうですね」
男は一瞬だけアウレリアを見つめ――
わずかに口元を緩めた。
「……ガイアスだ。安心しろ、手荒な真似はしない」
名乗りは簡潔だったが、その声音には妙な余裕があった。
背後には、同じ軍服の男たちが四人ほど控えている。
腕章を見て、アウレリアはわずかに目を見張った。
――ルクシオンの兵士。
「高貴な方がお前をお呼びだ。一緒に来てもらおう」
王が気づいた可能性が、頭をよぎる。
できれば、会いたくはない。
だが――断れる状況でもない。
一瞬だけ、戸棚に収めたステラ・ノクティスへ視線を向ける。
この場を制圧すること自体は難しくない。
けれど。
“ただの街娘”が兵士を打ち倒せば、それこそ疑われる。
「……わかりました。行きます」
あっさりと頷くと、ガイアスはわずかに目を細めた。
「随分と堂々としているな」
「すぐに危害を加えるつもりがないようでしたので」
淡々と答える。
「それに、小娘一人のために、これだけの人数で来られては――怖がる前に、呆れてしまいます」
兵士たちの間に、わずかな動揺が走る。
中には露骨に顔をしかめる者もいるが――
ガイアスだけは、くつりと小さく笑った。
「……なるほど。それは失礼した」
一歩、距離を詰める。
「アメリア嬢。丁重にお連れしよう」
差し出された手は取らなかった。
店の外には、すでに馬車が待っている。
その紋章を見て――
アウレリアは、わずかに眉をひそめた。
――王妃の紋。
なぜ、王妃が。
疑問は尽きない。
けれど、今気にかかるのは――
別のことだった。
(……今夜、来るかしら)
リオのことだ。
何も気づかず、そのまま帰ってくれればいい。
そう思う。
思うのに――
彼が、そうしないことを。
アウレリアは、よく知っていた。




