第十七話 残る声
意識が、ゆっくりと浮かび上がっていく。
体が重い。
だが――生きている。
ぼんやりと見覚えのある天井を眺めていると、人の気配がした。
視線を向けると、ディオン・アルヴェインと目が合う。
彼は安堵したように表情を緩めた。
「……負傷者は」
「隊長」
声が重なった。
一瞬の沈黙のあと、ディオンは落ち着いた様子で答える。
「何人か出ましたが、皆、命に別状はありません」
「そうか」
リオは短く息を吐いた。
「どれくらい経った」
「一晩です。あれから魔物も現れておりません」
その言葉を聞きながら、リオはふと違和感に気づいた。
体に痛みがない。
肩や胸に手をやる。
だが、あるはずの傷が見当たらない。
完全に塞がっている。
「この傷を治した者は?」
ディオンは首を横に振った。
「すぐに立ち去り、消息は分かりません」
治癒魔法だ。
今までリオに治癒魔法を施すことができたのは、ただ一人しかいない。
――大丈夫、助かる。……いいえ、助ける。
幻聴だったのかもしれない。
だが、あの声は――
懐かしくも遠い日に置いてきた、大切な人の声だった。
「隊長……もしかして、あの人は隊長の知り合いですか?」
ディオンの言葉に、リオがはっと顔を上げた。
その鋭い視線に、ディオンは思わず言葉を詰まらせる。
「その……隊長を、とても心配しているように見えたので」
ローブからちらりと覗いた顔色は、酷く青ざめていた。
あれはディオンもよく見る表情だ。
兵士たちの家族が、その身を案じて見せる顔によく似ていた。
「……顔は見たか?」
「いいえ。ですが、若い女性だったかと」
「そうか」
小さく呟き、リオは視線を落とす。
そのとき、扉の方で気配がした。
「良かった!目が覚めたのね」
聞き覚えのある声とともに、盥とタオルを持った女性が部屋へ入ってくる。
セレナ・アルフェン公爵夫人だった。
彼女は安堵したように胸を撫で下ろした。
「……セレナ様がいらっしゃるということは、ここはアルフェン邸ですか?」
リオがディオンを横目で見る。
ディオンはそっと視線を逸らした。
「それでは私は任務に戻らせていただきます。隊長はごゆっくり体を休めてください」
どこか逃げるように部屋を出ていくディオンを見送りながら、セレナが苦笑した。
「私が言いつけたのよ。呼び出さないと、あなた全然顔を出さないんだから」
「……」
「あなたにも休養が必要だわ。ここはあなたの部屋なんだし、良い機会でしょう?」
「……そうですね」
アウレリア亡き後も、彼女の遺言により、現在の地位に至るまではアルフェン家の庇護下にあった。
今でも名目上は、アルフェン家の人間である。
アウレリアの親友であったセレナは、こうして今も何かと気にかけてくれていた。
「痛むところはない?」
「はい。傷は完全に治っています」
「それは何よりだわ……でも、そうなのね」
セレナの言葉には、わずかな含みがあった。
治癒魔法でリオの傷が治った。
それが特別なことであると、彼女も知っているからだ。
「ねえ、良いハーブティーがあるの。今、淹れるわ」
思い出したようにセレナがポットにお湯を注ぐ。
やがて、ふわりと良い香りが部屋に広がった。
どこか懐かしい香りだった。
差し出されたカップを見つめる。
師はハーブティーが好きだった。
ひと口含むと、温かさが体に染み渡る気がする。
「美味しいですね」
「でしょう? アメリアさん――この前知り合いになった、薬草やお菓子を売っているお店の店主なんだけど……話したことあったかしら?」
「カイルの件でお世話になった人よ」
その話はリオも人伝に聞いていた。
その頃、任務で遠出をしており、カイルが回復してから知ったのだ。
腕の良い薬師でもあるらしい。
「そのお店で譲ってもらったハーブティーなの。本当に体の調子が良くなるのよ」
彼女の言う通りだった。
心なしか疲労が和らぐ気がする。
それに――
この香りも味も、初めてのはずなのに懐かしいのはなぜだろうか。
リオは確信のないまま、
遠い日の面影を思い浮かべていた。




