異質③
特別な加護どころか、何の加護も無い。
何かが起こると期待していただけに、ショックが大きかった。
「加護がない……。そんな者など存在するのか」
ターナーが組んだ腕をほどき、腰に手を当てる。
「ターナー様。この者は異質です」
背後からエレンの鋭く低い声が刺さる。
一方で、ロイスがにやりと笑い、一歩前に出る。
「まあまあ、ターナーさん。加護がないからって、すぐに危険人物扱いする必要はないでしょう」
「しかし、前例がない」
「前例がないだけです。少なくとも、加護の鏡はグラシエルの反応を示していない。今はそれだけで十分じゃないですか」
「我々の知らない力を隠している可能性もあります」
エレンが冷たく言い放った。
その言葉に、室内の空気がまた少し重くなる。
けれどロイスは、まるで気にした様子を見せない。
「なら、試せばいいだけの話ですよ」
そして私のほうを向き、口元だけで笑った。
「なあ、アカネ?」
ここで答えを間違えれば、私は敵として見られるかもしれない。
まだショックから立ち直れていない頭で考える。
試せばいい……。
そうだ。
私が今できることは、言葉で説明することじゃない。
この体で、動いて、証明することだ。
「ロイスさん! 私と試合をしてください! そこでみなさんに私の戦いを魅せて、私が何者なのか証明します!」
私は立ち上がり、真っ直ぐロイスを見た。
「おいおいおい、いいじゃねえの! そういう啖呵、嫌いじゃねえぜ!」
真っ先に声を上げたのはラギだった。
心強いその言葉で、立ち上がった足に力がこもる。
「面白え。お前の戦い方、見せてもらおうじゃねえか」
ロイスの声には、どこか楽しげな響きが混じっていた。
「ターナーさん。こいつは大丈夫ですよ。俺の直感がそう言ってる」
「直感、か」
ターナーは小さく息を吐いた。
「お前の直感はよく当たる。だが、軍として無条件に信用するわけにはいかない」
「もちろんです」
「……アカネ。君の力を確認させてもらう。私たちも立ち会うが、構わないね?」
「はい。むしろ、見てください。私が何者なのか、そこで証明します!」
「うむ。いい気概だ」
ターナーはそれ以上問わず、ロイスに視線を戻した。
「決まりですね。空いてるとこはありますか?」
「……第四訓練室なら、誰もいないはずだ」
エレンが不服そうに答えた。
「じゃあ早速行きましょう。……っとその前に、カノン」
「わかりました」
カノンは短く返事をすると、私の手首に手をかざした。
淡い光が弾け、拘束していた鎖がほどけるように消えた。
「あ、ありがとうございます……カノンさん」
「いえ」
凝り固まっていた手首をぐるぐると回し、指を握っては開く。
そのまま腕を伸ばし、天井を仰いだ。
背中が伸び、背骨のあたりから小気味よい音が連続して鳴った。
「アカネ、行けるか?」
「はい!」
ロイスを先頭に、私たちは小屋を出た。
よく踏み固められた砂利道を進む。
最初は遠くに聞こえていた掛け声が、歩くにつれて少しずつ大きくなっていく。
何かを打ち合う金属音や、地面を踏み込む足音。
どうやら、兵士たちが訓練している場所へ向かっているらしい。
先頭を歩くロイス。
その後ろに、私とカノン。
さらにターナー、エレン、ラギとライノが続いている。
できるだけ人目につかない道を選んでいるのだろうが、この顔ぶれで目立たないはずもない。
すれ違う兵士たちは慌てて道を譲り、ちらちらとこちらを見ていた。
ひときわ大きな石造りの建物の中へ入ると、外の喧騒が少し遠のいた。
いくつか並ぶ扉の前を通り過ぎ、ロイスがひとつの扉の前で足を止める。
扉の上には、『第四訓練室』と刻まれた木製の看板が掲げられていた。
ロイスが扉に手をかける。
重そうな扉が、軋みながらゆっくりと開いた。
ロイスに続いて一歩踏み込むと、こもった熱が肌に触れた。
高い天井。
広く取られた床。
壁際に並ぶ訓練用らしき道具。
そして、その中央に——。
「……リング!?」
思わず声がこぼれた。
そこには、床から一段高く作られた四角い台があった。
四隅には太い支柱。
赤や青に塗り分けられた派手なものではない。
黒ずんだ木材に鉄の留め具を打ち込んだだけの、飾り気のない柱だった。
支柱と支柱の間には、分厚い縄が三段に張られている。
私が知っているリングより、明らかに大きい。
四角く区切られた空間そのものが、見慣れたリングよりひと回りもふた回りも広く見えた。
その台の上には、くすんだ白い革のマットが敷かれていた。
何度も踏み込まれた跡と、擦れた傷。
客席はない。
スポットライトもない。
派手な装飾も、団体のロゴもない。
けれどそこは、私が命を懸けて立っていた場所に、とてもよく似ていた。
足が勝手に、その台へ駆け寄っていた。
ロープの外側にある細い足場。
プロレスのリングでなら、エプロンと呼んでいた場所だ。
その表面を指先で押し、軽く叩く。
固い。
革の下に、分厚い木枠が通っている。
似ている。
けれど、同じじゃない。
「でも、本当にちゃんとリングだ」
「ただ知っているだけ、という反応じゃねえな」
「あ、はい。私のいた場所にも、よく似たものがあったんです」
「なるほどな。なら話が早え」
ロイスが中央の台を見やる。
「こいつは対人訓練や模擬戦で使うリングだ。広い床でやるより、逃げ場も間合いも限られる。……つまり、実力を見るには都合がいい」
そう言って、ロイスはエプロンに片手を置いた。
軽く身を沈めたかと思うと、次の瞬間には跳んでいた。
助走もなく、三段に張られた縄のうち、一番上の縄を軽々と越える。
そのままほとんど音を立てず、リングの中央へ着地した。
「えっ……何いまのジャンプ力!?」
その人間離れした動きに目を見開いた。
だが私の驚きなど気にも留めず、ロイスは顎でリングの内側を示した。
早く上がってこい、ということらしい。
それを受け、私もエプロンに手をかけた。
……その前に。
「裸足になってもいいですか?」
「もちろんだ。好きにやれ」
厚底ブーツを脱ぎ、靴下も足先から抜く。
パーカーは軽く畳んで、ブーツと靴下と一緒にリング脇へきちんと揃えた。
ロープをくぐってリングに入った。
準備運動代わりに、トップロープを両手で掴み、軽く屈伸する。
プロレス用のリングロープのような反発はない。
縄は麻のような素材で、硬く、しなりも少なかった。
さらにマットの上で垂直飛びを数回。
実際に立ってみても、私が知っているプロレスリングよりサイズが大きい。
けれど、足裏に返ってくる感触は覚えがあった。
素材こそ違うものの、踏み込んだ衝撃をわずかに逃がす質感は、間違いなくリングのそれに近い。
振り返り、ロイスと対峙する。
やっぱり、大きい。
身長も、体格も、私とは比べものにならない。
どこか気だるげに立っているだけなのに、隙がない。
その強者の余裕が、ロイスの姿をさらに大きく見せていた。
「……随分と変わった服だな」
そう言われて、自分の服を見下ろす。
真っ赤なハートと血みどろの悪魔。
それが大きくプリントされた、パンクバンド風の黒いTシャツ。
この世界ではかなり奇抜なデザインなのだろう。
「これは、私が所属していたユニットのTシャツで——」
「ユニット? なんてユニットだ?」
「ラブデビルズ、っていうユニットなんですが……聞いたことないですよね」
ユニットは、プロレスにおけるチームのようなもの。
この世界でいうユニットとは、意味も立ち位置も違うだろう。
伝わるはずがないと思いつつも、正直にその名前を告げた。
ロイスがターナーたちに確認する。
けれど、その名を知る者はいなかった。
「初めて聞いたけどよぉ、なかなか良いユニット名じゃねえか!」
ラギの声が響き渡る。
ラブデビルズ——愛の悪魔。
少し物騒で、でも可愛げもある。
私はこのユニット名が、とても気に入っている。
私がつけた名前ではない。
それでも、褒めてもらえるのは単純に嬉しかった。
「ラブデビルズ、か。……俺は——」
短く呟いたロイスは、拳を握ったままゆっくりと頭上へ伸ばす。
伸ばし切ると同時に拳に炎が宿った。
真っ赤な炎が、拳の周りで小さく爆ぜる。
今にも爆発しそうな熱が、リングの上に揺らめいた。
「フォティア王国、リベラブレイズのリーダー、ロイス・アストラーンだ」
名乗ると同時に腕を振り払う。
まとっていた炎はリングの上に散り、消えた。
手から炎。
あれが、この世界の力。
すごい。
派手で、強くて、ずるいくらい格好いい。
でも、感心している場合じゃない。
次は私の番だ。
瞼を閉じる。
本来なら今日立っていたはずの、タイトルマッチのリングを思い浮かべる。
鳴り響く入場曲。
眩しい照明。
観客の声。
実況の叫び。
ここには、そのどれもない。
けれどリングがあって、対戦相手がいる。
だったら、やることは同じだ。
深呼吸をひとつ。
瞼を開け、ロイスを見据える。
これは、異世界での大事なデビュー戦。
『ハートブレイカー』の名に懸けて、全力で行く!
「私は……」
胸元で両手の指を合わせ、ハートを作り、自分を魅せるようにゆっくりと掲げた。
「シャイニングプロレス、ラブデビルズ所属——」
そして、それを引き裂くように両手を左右へ広げる。
「ハートブレイカー、アカネです!」
聞こえるはずのないゴングが、頭の中に鳴り響いた。




