邂逅①
目を開けると、辺り一帯は緑に覆われていた。
頭上から差し込む木漏れ日はやけに鮮やかで、葉の一枚一枚が宝石のように光を反射している。
風が吹けば枝葉がざわめき、鳥の羽ばたく音がかすかに混じった。
「……え? ここ、どこ……」
つい先ほどまで、ハルナの運転する車の中にいた。
確か、渋滞に巻き込まれてスマホで何かをしようとして——そこで記憶が途切れる。
今は車どころか道路すらなく、見渡す限り木々ばかりだ。
「え、ハルナは……? ハルナー!?」
返事はない。
森の中に私の声が虚しく反響する。
「と、とりあえず誰かに連絡……」
慌ててポケットを探るが、スマホはない。
「……スマホがない! え、荷物もない! どうしよう……」
どこかに落としたのかと思い、辺りを探す。
草をかき分け、木の根元まで確認して——それでもどこにもない。
森はやけに静かだった。
人の気配も、車の音も、街のざわめきも一切しない。
自然の音しか聞こえない静けさが、心細さを際立たせる。
一体ここはどこ……?
ハルナは無事……?
試合はどうなる……?
不安に駆られるのをぐっと抑え、辺りをもう一度探そうとした、そのとき。
「動くな」
背後からの冷たい声が空気を断ち切った。
反射的に振り返り、ぎょっとした。
そこに立っていた黒ずくめの三人が、一様に鼻から上を隠す仮面をつけていたからだ。
仮面舞踏会で見るような、銀色のマスカレードマスク。
なのに華やかさはひとつもなく、ただ不気味だった。
目元の穴から覗く三人分の視線が、私をじっと見据えている。
どう見ても怪しい三人組だが、今はこの人たちに頼るほかない。
「あっ、あの! その、迷っちゃったみたいで! スマホもなくしちゃって。……ここって、どこですか?」
「……捕らえろ」
中央の男が無機質に言い放ち、両脇の二人が距離を詰めてきた。
よく見ると、二人の右手には短剣のようなものが握られている。
——え? 刃物……!?
「え、ちょ、ちょっと——」
肌が粟立つ。
向けられているのは殺意そのもの。
本能的な恐怖が背筋を這う。
私はとっさに走り出した。
「何で急に襲ってくるの!? 私、何もしてないじゃん!」
「追え!」
走り出したはいいが、木の根や飛び出した小枝に足を取られそうになる。
あーもー!
せっかく人に会えたのに、いきなり命狙われるとか意味分かんない!
せめて話を聞いてよー!
そんなことはおかまいなしに、三人組が距離を詰めてくる。
必死に逃げる中、大きく盛り上がった木の根に躓く。
その隙に一気に距離を詰めてきた一人の手が乱暴に私の肩を掴む。
筋肉が硬直するのを感じた。
——やばい、追いつかれた!
刺される……!?
殺されるくらいなら——!
「悪く思わないでよ!」
私は体を翻し、男の振り下ろしてきた短剣を紙一重でかわすと、短剣を握る手首を逆に掴み取った。
勢いのまま引き寄せ、背後へ一気に回り込む。
暴れる肩と腕をまとめて抑え込むように男の両腕を抱え、逃げ場を潰す。
踏み込んだ足に力を乗せ、全身の力を一気に後方へと流す。
「っ……らぁああああッ!」
背中が弓なりに反る。
腕の中にいた男の体がふっと軽くなり、宙へと抜けていく。
その背中が地面へと叩きつけられた。
二人分の体重がそのまま威力になる大技、ダルマ式・ジャーマンスープレックス。
衝撃で地面が低くうなり、草が一斉に揺れる。
握られていた短剣が手からこぼれ落ち、乾いた音を立てて地面を転がった。
男は仰向けに倒れたまま動かない。
残った二人が凍りついた。
武器を持つ手がわずかに下がる。
信じられないものを見るような沈黙が流れる。
よし、いまのうちに——。
「おい……こいつはただの女じゃないぞ!」
「……『氷槍』!」
仮面の男が叫ぶと同時に、その右手が青白く光り出す。
「アイシクル……? えっ?」
手のひらに浮かび上がるのは、幾何学的な紋章。
空気が一瞬で凍りつき、氷の軋む音が鳴り響く。
何が起きているのか分からないまま、紋章から槍のように尖った氷柱が放たれた。
「ちょっ……ウソ……っ!」
氷柱は真っすぐこちらへ飛んでくる。
やけに、ゆっくり見えた。
尖った先端は私の体を貫こうとしている。
まっすぐ。一直線に。
逃げ道なんて、どこにもない。
避けられない。
いくら鍛えた反射神経でも、これは無理だ。
そもそもプロレスラーは『受け』が基本。
技を受けて、技で返して、試合を成立させる。
でもこれは——受けたら終わる。
せめて、全力で受けるしかない——!
覚悟を決め、全身に力を込めた、その瞬間。
氷柱が何かにぶつかったかのように、空中で砕け散る。
透明な破片が光を反射しながら飛散した。
耳をつんざく破裂音が響き、遅れて冷気が肌を刺す。
「あっぶなーい! ギリセーフ!」
背後から聞こえた声に、反射的に振り向く。
そこには、足元まで覆う赤茶色の外套を羽織った三人の男女が立っていた。
そのうちの一人、エメラルドグリーンの髪をした青年が、前髪をかきあげながら軽く笑っている。
細身でイケメン風、見た目や喋り方からして『チャラい』という言葉がよく似合う。
正直言ってちょっと苦手なタイプだ。
「大丈夫ッスかー? かわいい顔に傷が付いたら大変ッスよ!」
軽く手を振るチャラ男の横で、女性が静かに一歩前へ出た。
「おケガはありませんか?」
彼女の年齢は、私より少し上だろうか。
幻想的な薄紫色の髪が、木漏れ日に照らされて柔らかく揺れた。
整った顔立ちも相まって、思わず見惚れてしまうほどだった。
「あ、はい……なんとか……」
まだ落ち着ききらないまま、絞り出すように答える。
彼女は表情を崩さず小さく頷いただけだった。
それだけで、不思議と張りつめていたものが少しだけ緩む。
仮面の二人は一斉に距離を取り、後ずさった。
怯えを隠そうとするように、声が荒くなる。
「リ、リベラブレイズ……!? チッ、撤退だ!」
「あーあ、ロイスさん、どうするんスか? 逃げちゃうッスよ~」
「俺だけでいい」
「オレたちは付いていかなくて大丈夫ッスか?」
「どうせ雑兵だ。二人はこいつを連れてラギんとこ行ってくれ。念のため拘束もな」
「了解ッス! またあとで!」
「おう」
仮面の二人を追って、巨体の男が一歩踏み出した。
途端に、周囲の空気が変わった。
この切り替わりを、私は知っている。
私がまだ練習生だった頃。
ベテランプロレスラーがリングへ向かうのを見送ったことがある。
入場ゲートをくぐった途端に変わる空気。
場を支配するような重み。
圧倒的な強者感。
ロイスと呼ばれた男も、それをまとっていた。
私はただ、その背中を目で追うことしかできなかった。




