未練③
一階へ下りると、ソファにはエルダとチエリ、それに先ほどはいなかった男性が座っていた。
「パパ、おかえりなさい」
「ただいま、カノン。その子がアカネだね」
「はい! アカネといいます。急にお邪魔してすみません。しばらくの間よろしくお願いします」
「私はブルーノだよ。ゆっくりしていきなさい」
ブルーノは目尻を下げ、落ち着いた声で言った。
眼鏡の奥に見える穏やかな瞳も相まって、知的で優しそうな人に見えた。
「アカネ、おそいよ! もうごはんできるってよ!」
エルダが待ってましたとばかりに、こちらに駆け寄ってきた。
「ごめんごめん、お腹空いちゃったよね。チエリちゃんもお腹空いた?」
小首を傾げ、ソファに座っているチエリに笑顔で尋ねる。
「ん……」
それだけ言って、チエリはブルーノの後ろに隠れてしまった。
ブルーノの背中越しにこちらを覗き見る姿がかわいらしい。
「もうごはんできるからね。エルダ、チエリ! こっちに来て手伝って!」
台所から、忙しそうなクララの声が飛んできた。
「はーい! アカネ、一緒にやろ!」
エルダが私の手を引く。
その後ろを、チエリもついてきた。
台所には大鍋いっぱいのスープ、キッシュのような卵料理、切り分けられたバゲットが並んでいる。
「アカネちゃんまでありがとうね。じゃあスープをよそってくれる?」
「はい! この木のボウルでいいですか?」
「うん、小さいのが子どもたちのね。エルダとチエリはパンをお願い!」
「「はーい!」」
エルダとチエリは元気よく返事をし、バゲットの乗った平皿を食卓に運ぶ。
大鍋からはローリエのような爽やかな香りがただよい、白い湯気が立ち上っていた。
エルダとチエリが、よそったスープも食卓へ運んでいく。
こぼさないよう慎重に歩く姿がかわいくて癒される。
「クララさん、ほかにお手伝いできることありますか?」
「もう大丈夫よ! 先に食卓へ行っててちょうだい」
「わかりました!」
戻ると、すでにみんな食卓についていた。
「アカネさん、こちらにどうぞ」
カノンに促され、隣の席に座る。
ほどなくして、エプロンを外したクララも席についた。
「それじゃあいただきましょう。……フォティア様の恵みに感謝を」
私以外のみんなが目を閉じて胸の前で両手を組み合わせた。
「アカネさん、同じようにお祈りをしてください」
耳元でカノンが囁く。
「あっ、はい。……フォティア様の恵みに感謝を」
見よう見まねで目を閉じ、胸の前で両手を組んだ。
これがこの世界での『いただきます』になるのだろうか。
……あれ? 『フォティア』は国の名前だと思ってたけど、『フォティア様』? 神様の名前でもあるのかな?
不思議に思ったが、みんなが食べ始めるのを見て、ひとまず疑問は置いておくことにした。
シルバーのスプーンでスープを掬い、ひと口。
「……美味しい!」
思わず目を見開く。
野菜の甘みとハーブの爽やかさが合わさった、あっさりと優しい味だ。
柔らかく煮込まれた肉は、噛むとほろほろと崩れ、中から旨みが染み出してくる。
「そうでしょ、我が家自慢のスープなのよ!」
クララが嬉しそうに胸を張った。
「ほんとに美味しいです! このパイみたいな料理はなんですか?」
キッシュのような卵料理を手で示しながらクララに尋ねた。
「これはフォティアの郷土料理、パティネアよ。卵や野菜、チーズが入ったパイね」
パティネアと呼ばれた料理にフォークを入れて口に運ぶ。
焼けたチーズが香ばしく、パイ生地はサクサクとしている。
「んー! これも美味しいです! クララさん、料理上手ですね!」
「ママの料理は世界一だぞ!」
「だぞー!」
エルダとチエリが、パティネアを頬張りながら自慢げに言った。
「嬉しいこと言ってくれるね! どんどんおかわりしてね! ほらバゲットも。スープに浸すと美味しいわよ!」
勧められるまま、バゲットをスープに浸して食べてみる。
バゲットを噛むと、染み込んだスープの旨みが口いっぱいにじゅわりとあふれた。
これもまた美味しい!
「アカネは、気持ちのいい食べっぷりだね」
向かいに座るブルーノが、穏やかに笑った。
「すみません、お腹が空いていてつい……」
「喜んでもらえて嬉しいよ」
「そうよ! 遠慮なんてしないで、たくさん食べてちょうだい!」
スープのボウルはあっという間に空になった。
「アカネさん、本当に美味しそうに食べますね。おかわりいかがですか?」
「あ……もらってもいいですか? えへへ」
「もちろんです。少し待っていてくださいね」
そう言うとカノンは私のボウルを手に取り台所へ向かった。
カノンが戻ってくると、ボウルからは再び白い湯気が立ち上っていた。
二杯目のスープを味わいながら、話題はそれぞれの好きな食べ物へと移った。
「アカネは、なにが好きなんだ?」
「焼肉と、甘いものかな」
「ヤキニク?」
聞き慣れない言葉だったらしく、みんながきょとんとした顔をする。
「あっ、お肉を焼いて食べる料理のこと!」
「それなら、おれも好きだぞ!」
「チーも!」
エルダとチエリは、そろって身を乗り出してくる。
「ふふっ。じゃあ、いつか一緒に食べようね」
「ほんとか! 約束だぞ!」
「やくそく!」
エルダに続いて、チエリも嬉しそうに声を弾ませた。
そうして賑やかに話しながらもう一度おかわりをして、異世界で迎えた初めての夕食は終わった。




