未練①
再びブーツを履き、パーカーを羽織ったそのとき。
静まり返った訓練室に、腹の虫が鳴く。
忘れていた空腹が一気に押し寄せてきた。
よりによって今ー!?
恥ずかしさで耳が熱くなる。
「あはは……恥ずかしっ!」
「お腹、空きましたよね。私たちも行きましょうか」
カノンの口元がほころぶ。
初めて見る微笑みに、少し緊張が解けた。
「その格好では目立ちますので、まずは私たちリベラブレイズのユニットベースに寄りましょう。私の外套をお貸しします」
言われて改めて自分の服装を見た。
例のラブデビルズの黒Tシャツ。
ジップアップパーカーも、Tシャツほど派手ではないが背中にはマギレンジャーのロゴが大きくプリントされている。
日本なら珍しくもないけど、この世界では浮くのだろう。
「そういえば……ユニットってなんですか? ユニットベースも……」
ずっと気になっていた疑問をカノンにぶつける。
「そうですね……歩きながら説明しましょう」
訓練室を出て廊下を抜け、建物の外へ出る。
空にはまだ昼の青さが残っているが、傾き始めた陽が私たちの影を伸ばし始めていた。
カノンの説明に耳を傾けながら、城壁の内側に続く砂利道を進んでいく。
「ユニットは、リーダーを筆頭に、十人ほどで構成される小隊です。各ユニットには、それぞれ異なる役割があります。私たちリベラブレイズは、遊撃を中心に、今日のような少人数での任務を任されることが多いですね」
プロレスにおける『ユニット』も、共通の目的や思想を持ったプロレスラーで構成されたチームのことを指す。
そういった意味では似ているのかもしれない。
私が所属していたラブデビルズのようなヒールユニット——つまり、悪役プロレスラーのチームはないと思うが。
「そうなんですね。じゃあ、ユニットベースっていうのは?」
「ユニットごとに与えられる拠点のようなものです」
「なるほど。いいですね、そうやって集まれるところがあるって」
「はい。作戦を立てたり、任務の準備をしたり。なくてはならない場所ですね」
家や道場とは違う、仲間たちだけの拠点。
こういう場所があると、より仲も深まりそうだ。
そんなことを話しているうちに、カノンはある建物の前で立ち止まった。
「ここがリベラブレイズのユニットベースです」
見たところ、ただの木造二階建ての一軒家だ。
慣れた様子で扉を開けるカノンに続いて、私も中へ入った。
玄関は小さな土間になっており、その向こうには一段高い板張りの広間が続いている。
左奥には二階へと続く階段があり、半吹き抜けになっていた。
その吹き抜けに沿うように二階の廊下が続き、いくつもの扉が並んでいる。
広間の左手には大きなソファと低いテーブル、右手奥には広間を見渡せる対面式の台所がある。
台所の棚には、調理器具や食器が整然と並んでいた。
カウンターの手前には十人ほどで囲めそうな長いテーブルが置かれ、その上には地図や書類がいくつか広げられている。
作戦を練る場所でもあり、憩いの場でもある。
そんな居心地のよさが、広間から感じられた。
「……戻ったか」
台所に立っている男がこちらを振り向いた。
何かを煮込んでいるらしく、食欲をそそる匂いが漂っている。
「ティガさん、お疲れ様です」
ティガと呼ばれた男は私に気付くと、三白眼でじっと見据え、眉根を寄せた。
「んん……? 誰だそいつは」
「本日の任務先で出会ったアカネさんです。六日後にリトルファイヤーの入隊試験を受けるので、それまで私が預かることになりました」
「どういう風の吹き回しだ、そりゃ……。ロイスさんも知ってるのか?」
「むしろ、ロイスさんの推薦です」
「まじかよ……こいつが……?」
ティガの眼が品定めをするように上から下へゆっくりと動く。
歓迎でも拒絶でもない。
ただ、疑うような視線だ。
「は、はじめまして。アカネといいます。よろしくお願いします!」
「……ティガだ」
背を丸めているせいで小柄に見えるが、細身の身体から伸びた手足はやけに長い。
粘りつくような目線と、撫でつけるようにオールバックにした黒髪。
その姿には、ひと目で忘れられない不気味さがあった。
名乗りは短く、それ以上の説明もない。
「アカネさん、羽織るものを取ってきますね」
「あ、はい! お願いします」
「ティガさん、カウンターにあるパンをいただいてもいいでしょうか?」
「ああ……。全部は食べるなよ」
「ありがとうございます」
カノンはティガに軽く礼を言い、カウンターの上のバスケットからパンを一つ取って、私に手渡した。
「アカネさん、こちらをどうぞ。そちらのソファに座って、召し上がっていてください。すぐに戻ります」
そう言ってそそくさと階段を上がりかけたカノンは、何かを思い出したように振り返った。
「ティガさん。アカネさんには、今は何も聞かないであげてください。詳しくはロイスさんから話があると思うので」
それだけ告げると、足早に二階へ上がっていった。
「なんだなんだ……ワケありか? 奇妙な格好だしよ……」
「まあ、その、色々ありまして……」
「……マナ感じねえのと何か関係があるのか?」
「…………」
何も聞かないでと言われたそばから、遠慮がない。
なんと返したらいいのかわからず言葉に詰まる。
「……まあいい」
ティガはそれだけ言うと、私に背を向け、調理に戻った。
腹の虫がもう一度鳴く前にパンを食べてしまおう。
パンを手にしたままソファに腰を下ろす。
柔らかな座面が、身体の重みを受けてわずかに沈んだ。
拳ほどの大きさの丸パン。
小麦の香ばしい匂いがほんのりと漂い、さらに空腹を刺激する。
「いただきます」
手を合わせて呟いてから、ひと口。
見た目よりずっと柔らかい。
素朴な甘みが口の中に広がった。
「……美味しい!」
思わず声が漏れる。
空腹も手伝って、あっという間に食べ終えてしまう。
「ごちそうさまでした」
手を合わせ、異世界での初めての食事に感謝する。
思えば、朝に食べたっきりだった。
「もう食ったのかよ。……まだいるか?」
いつの間にか、カウンター越しにこちらを見ていたティガが、呆れ半分で言った。
「え、えっとー……」
「そこにあるから好きに食え」
「あっ、ありがとうございます!」
それなら、もう一つだけ。
カウンターへ向かい、バスケットからパンを一つ取り、その場で食べる。
二つ目はゆっくり味わうつもりだった。
けれど、食べ進めるうちに、あっという間になくなってしまう。
……もう一つくらい食べちゃおうかな?
「くくく……お前、けっこう遠慮ねえな」
三つ目に手を伸ばしかけたとき、ティガが面白いものを見るように笑った。
私はその言葉に、慌てて手を引っ込めた。
「あっ、いえ……。好きにって言われたからつい……」
「それは構わんが、よく食うなと思ってな」
「あはは……お昼食べてなかったんで……。それにしても、いい匂いですね! 何を作ってるんですか?」
「ニードルラビットのルメラ煮だ。まだ味が染みてねえから、今食っても美味くねえぞ」
「ええー……それは残念です」
ニードルラビットのルメラ煮。
聞いたことのない単語が二つも入っている。
どちらも、この世界独自の食材なのだろう。
どんな味がするのか、いつか食べてみたいものだ。
「お待たせしました」
振り向くと、外套を羽織ったカノンが立っていた。
森で羽織っていた赤茶色の外套よりも丈が短く、ケープに近い形をしている。
色は深いワインレッドで、どこか上品な印象を受けた。
「パンはお口に合いましたか?」
「はい! このパン、すっごく美味しいです! ……もう一つ食べていってもいいですか?」
「もちろんです。私も一ついただきますね」
カノンはバスケットからパンを一つ取り、私に手渡した。
続けて自分の分も取り、小さくちぎってひと口ずつ静かに口へ運んでいく。
その隣で、私は三つ目のパンを頬張った。
二人とも食べ終えると、カノンは外套を私に差し出した。
それは、彼女が羽織っているものと同じものだった。
「私の予備です。少し大きいかもしれませんが、服装を隠すにはちょうどいいと思います」
「カノンさん、ありがとうございます」
外套を羽織ると、裾は腰の下まで届き、Tシャツもパーカーもすっぽりと覆われた。
胸元の悪魔も、背中のロゴもこれなら見えない。
ぐっと異世界らしい姿になったようで、少し気持ちが浮き立つ。
「いいですね。では、私の家に行きましょうか」
「はい! ティガさん、パンありがとうございました!」
「……ああ」
「ティガさん、今後アカネさんのことでお願いすることがあるかもしれませんが、そのときはよろしくお願いします」
「めんどくせえな……。俺ぁこう見えて忙しいんだよ……」
「きっと、ロイスさんから頼まれると思います」
「……そりゃ、しょうがねえか」
ティガが諦めたように溜め息を吐いた。
ロイスには頭が上がらないのだろう。
さすがはユニットリーダーだ。
「では、お先に失礼します」
「ああ……またな……」
外に出ると、オレンジ色の西日が視界を満たし、思わず片手をかざした。
一歩踏み出すと、夕方の心地よい風に吹かれ、外套の裾がひらりと舞った。




