銀蛇の送迎
砂塵が晴れると、そこには何も残っていなかった。
メーテールさんの姿も、拾い上げられた腕も、輝く打棒も。
砂の上に残っていたのは、すり鉢状にえぐられた穴と、冷えて黒く固まり始めた溶岩の龍の残骸だけ。
「終わった……のか」
僕は床に座り込んだまま、しばらくそれを眺めていた。
段々と、熱砂の日差しが、肌を刺し始めた。
……暑さが戻ってきた。《蒼眼》の範囲が乾いた空気
……ユースティスさんが荒い呼吸を整えて魔力を練り上げ、魔力円を広げて探知している。
魔力量は四割を切っている。魔力操作、身体の統御、表情にこそ衰えはないが、それは表面上だけだ。
逃げられた。いや、違うか。逃げてもらった、のほうが正しいのかもしれない。あのまま戦闘が続いていたら、勝敗の天秤はどちらに傾いていたのか、考えたくもない。
《蒼眼》を魔力円に重ねるように乗客の容態を確認する。
……うん。怪我人もいない。腰が抜けている人もいるけど、あの戦いの渦中で負傷者がいないのは奇跡だ。
まあ、メーテールさんが聖職者以外の民間人を傷つけるつもりがなかったのが大きいのかもしれない、
ごうん、と遠くで低い音が鳴った。
線路の先。
《蒼眼》を向けると、さっき屋根の上に人影が立っていた銀色の列車が、こちらへ向かってゆっくりと減速しているところだった。
んん? あれ、あの列車僕らが乗っている車両の線路からこっちに来てないか? 【聖都】方面から来てる、逆向きの列車だよな。
……逆走してね?
僕が考えをまとめているその間も、だんだんと車輛が近づいてくる。
車輪のない車体が、宙に浮いたまま滑るように迫ってきて、僕らの車両の鼻先、ほんの数メテル手前でぴたりと止まった。
ぷしゅう、と空気の抜ける音がした。
列車がゆっくりと線路へ降下し、わずかに車体が揺れる。
扉が開いた。
最初に降りてきたのは、そろいの軍装に身を包んだ一団だった。腰には剣、胸には銀の蛇の紋章。
後ろから、白銀の鎧を着こんだ騎士たちが続く。胸には琥珀色に輝く正三角の徽章。
「……【聖騎士】だ」
乗客の誰かが、白銀の一団を見ながらつぶやいた。
黒の兵士と白銀の騎士たちが、無言で降りた車両の周りに散っていく。誰も声を張り上げないのに、動きに一切の迷いがない。
一部の【聖騎士】と黒軍の兵士たちは砂漠へ散開し、溶岩龍との残骸と大小のクレーターが残る戦場痕へ向かう。
あっという間に、砂漠の上に警戒の輪ができあがっていた。
そして。
白銀の騎士が一斉に剣を掲げる。
黒い軍服の兵士たちが背筋を伸ばし、右手で空を切って額に添えた。
それは、最上位の敬礼であるように見えた。
輪の中心、列車の最前列の扉が開く。
小さな人影が、列車のステップをゆっくりと降りてきた。
淡い青銀の髪に、白いヴェール滑らかな肩の出た、半透明の薄絹。やわらかい雪のような肌に、髪の隙間から覗く長い耳。耳には青い宝石に銀の蛇の紋章が刻まれている。
さっき遠くの屋根の上で視た、あの人だった。
近くで見ると、思っていたよりずっと小さい。すごい可憐な少女、って趣だ。絵本なんかにある聖女を、ほんの少しだけあどけなさを足して小柄にした感じ。
見た目だけなら、僕より少し年上の女の子にしか視えない。
外見だけなら、ね。
魔力がおかしい。
体内の魔力が、常に一定なんだ。僅かにも増減がない。寸毫の狂いもなく、機械のような正確さで一定の量で維持されている。
余剰になる魔力は練り上げて圧縮し、都度体内に最適な黄金比で強化を施している。
無駄な魔力が一切ないんだ。
外に魔力が全く漏れていない。クロでさえ、メーテールさんやユースティスでさえ魔力は体の外から漏れるのが普通。
魔力を完璧、それ以上に統御しなければ絶対、こんな芸当はできっこない。
しかも、動きが滑らかすぎる。
あれは、相当に重心と体の動きがかみ合っていないとできない。体全体の重心移動が、足にくっついている。
……たぶん、武術でも僕は足下に及ばない、か。
頬が吊り上がっていくのが、抑えられない。
その人は、砂の上に降り立つと、まず車両の壁の穴を見た。
穴の向こうに立っていたユースティスさんに、ほんの一瞬だけ視線を向けた。
一言もない。ただ、視線を向ける。戦闘の余波で壊れてしまった列車のタラップの代わりに、色をつけた魔力の障壁を階段状に砂漠へ展開した。
ユースティスさんは小さく頷くと、すぐにバリケードの奥へ向かって歩き出した。
「先の襲撃により、この列車は航行不能となりました。リヴェータ【枢機卿】が新たに手配した列車へ移動願います。
誘導は私と、ヨアン【司祭】。そして、【聖騎士】の方々とロー・ヤヘルの軍兵が行います」
言葉と共に、【聖騎士】と黒い軍兵がこちらへ歩み寄ってきた。
黒い神父服の彼は乗客たちに声をかけ、一人ずつ立たせる。立てない人は兵士や【聖騎士】の力を借りて、壁の穴から外へ、銀色の列車へと誘導していく。
「——皆さん、こちらへ。足元にお気をつけて」
ヨアン【司祭】も、それに加わっていた。泣いていた子供の手を引いて、老夫婦の背中を抑えて、ユースティスさんの後ろについていく。
青銀の少女は、それをちらりと見る。周囲の人々が彼女を拝むように感謝の言葉を告げる度、小さく微笑みと手振りを返していく。歩み寄って跪こうとする老紳士に対して膝をついてそれをやんわりと拒む。
遠くてよく聞こえない。だけど、どこか申し訳なさそうな面持ちで少女は彼の紳士に言葉をなげかけていた。
ほとんどすべての人が、彼女の列車へ乗車し終えた頃。
青銀の彼女は、僕の方へ歩いてきた。
※※※
「初めまして」
澄んだ声だった。
壊れた列車の障壁階段を昇り、その人は微笑んだ。氷のような青い瞳が、まっすぐに僕を見ていた。
「リヴェータ・ロット・アイネイアスです。お怪我の具合を見せていただけますか」
返事をするより先に、白い指先が僕の額に触れた。
淡い光が、流れ込んでくる。
治癒魔法。
ログマと一緒に開発した<生命賛歌>と同じ系統の、肉体の損傷や異常を治していく術式。
でも、術式がまるで違った。
術式そのものは、驚くほど簡素。無駄がひとつもない。魔力の操作から術式の構築、演算、実行に至るまで、極限まで無駄を省いた術式が、居合のように構築された。
一斉に魔力が術式へ流れる。
無駄もなければロスもない。原素への変換効率が1に限りなく近い、一種の芸術品。術式の起動から発動に至るまで、どこにも無駄がない。
何より——。
「……すごい」
身体が、軽い。
慢性的な頭痛や体の節々の痛み。だるさや疲労まで、一瞬で拭い去られていた。
……治癒魔法ですらこのレベルかよ。
「ふふ、ありがとうございます」
その人は小さく笑うと、立ち上がって。壁際に倒れていたリリアの方へも手をかざした。
同じ光がリリアを包む。リリアが小さくうめいて、ゆっくり目を開けた。
「……ここ、は」
「大丈夫ですよ。もう、終わりましたから」
穏やかにそう言ってから、指先から魔力の雫を解き放つ。
空気の波が水面に落ちた波紋のように広がり、アルターやログマに触れる。
波動がアルターやログマの全身を包み、彼女がその波形に目を向けていた。
……エコーによる怪我や肉体の異常の確認、か。信じがたいことに、あの魔力の雫そのものが、小さな術式となっていた。
アルターやログマはリヴェータさんを畏れるような眼で見つめ、平伏しようとしていた。
それを困ったような視線で見つめ、片手でそれを制した後に僕へ振り返る。
そして。
深く、頭を下げた。
「——このたびは、危険な目に遭わせてしまい、本当に申し訳ありませんでした」
「……え」
「わたしの見通しが甘かったことがすべての原因です。あなた方を、こんな目に遭わせるつもりはありませんでした。本当に、ごめんなさい」
頭は、下がったままだった。
白いヴェールが、さらりと前に垂れている。
「え、ちょ、ちょっと待ってください!」
僕は慌てて両手を振った。
「あの、なんでリヴェータ様……さんが謝るんですか。襲ってきたのは<アリウスの梯子>の人で、それを頼んだのは【月睨派】の人なんですよね?
リヴェータさんは【月睨派】じゃなくて、【叡神派】っていう宗派のトップで、むしろ助けに来てくれた側じゃないですか」
「それでも、です」
その人は、ゆっくりと顔を上げた。
「この鉄道はわたしのもので、エディンさんが襲われる可能性を考慮して護衛を用意した。
そのうえで、相手にエディンさんへ接近を許したのは、派兵を決めたのはわたし。だからこれは、わたしに責任があります」
「いや、でも……」
言い淀みながら、視線を逸らす。
なんというか、めちゃくちゃ生真面目な人なんだな。というか、僕が出会ってきた政治家兼超越者って、自由奔放で大胆不敵な人が多かったから、どう対応したものかわからない。
「何か、お詫びをさせてください。わたしにできることでしたら、なんでも」
なんでも、と言われても困る。
困るんだけど、この人の顔を視ていると、何か言わないと本当に引き下がってくれなさそうな気がした。
僕は、少しだけ考えた。
それから正直に言った。
「じゃあ、ご飯を」
「ごはん?」
「はい。その、さっきの戦闘で、おなかがすいちゃって」
ぐう、と。
狙いすましたかのように、腹が鳴った。
……いや、狙ってないよ。本当に。この腹が勝手に鳴ったんだ。
リヴェータさんは、ぱちぱちと二度、瞬きをした。
それから、ぱあっと顔を輝かせた。
さっきまでの静かな微笑みとは、まるで違う顔だった。
年端もいかない女の子が、思いがけない贈り物をもらった時みたいな、心の底から嬉しそうな顔。
「まあ」
その人は、小さな胸の前で両手を合わせた。
「ええ、喜んで。わたし、ぜひあなたとお話してみたいと思っていましたの」
※※※
案内されたのは、銀色の列車の先頭車両だった。
僕らが乗っていた<銀砂号>の先頭車両も豪華だったけど、こっちはさらにその上を行っていた。
「おお…………すごいのです」
アルターが何度も床の絨毯を踏んでいる。
足首まで沈むほど厚くて、壁には落ち着いた色の木材が張られている。天井から下がった小さなシャンデリアが、やわらかな色を落としている。
アルターがめずらしくソワソワしている。<銀砂号>で見せたアホさから一線を画した緊張が視える。
列車の内装は落ち着いている。青と金を基調にした木の内装。
一両まるごと、先頭列車のすべてが貸し切り。
ラウンジにバー、ダイニング、果てには大型のキッチン。
部屋には六人くらいは雑魚寝できそうなくらい広いベッド。天蓋までついている。
赤い木材の化粧台と、クルミの木で造られた机。もちろん、部屋ひとつにバスルームとトイレが別でつけられている。大理石で作られているが、便座には温暖の術式がこめられている。
「お部屋はおひとり様一人ずつ用意させていただきました。
先頭車両にご乗車いただいていたヨアン【司祭】をはじめとするお客様は、すべて二号車に。サービスはもちろん、先頭車両と変わりありません」
リヴェータさんは微笑みながら車両のラウンジを歩きながら語る、
ふと、不思議な匂いが鼻を衝いた。
列車全体にほんのりと香る柔らかなミルクのように滑らかで、甘く、少しスパイシーな上品な香り。
それがどこからともなく、嫌みなく漂っていた。
なんだあ、この匂い。嗅いだことないんだけど。
《蒼眼》で疑問を晴らすべく、周囲を視まわす。
香りのすべては、あの赤く、密度の高い木材から発していた。
「……アルター。木材全部から香りするね」
「………………ヒュ——。聞かなかったことにしたいのです」
アルターが顔を青ざめさせながら、列車の中を粛々と歩いていた。
リリアはきゅ、と唇を窄めて、カチンコチンに緊張した様子で歩いていた。
近くには書棚が置いてある。木目がしっかりと磨かれながら、木材特有のやわらかさを失っていない。
たぶん、全部心材かな。すごい良い香りするんだよね。
「なんか、さわりたくなってくるね」
「頼むからやめてほしいのです。エディンの食費十年分以上の金額するやつなのです」
「そん なに」
アルターがそこまで言うって、絶対やばい額じゃん。
一食当たり僕はだいたい4万でしょ。それが365日……。
あ、あれ? 書棚ひとつでもしかして数千万以上する感じ? じゃあ、同じような木材使ってるこれらを含めらら、この列車の総額は一体……。
……うん。考えないようにしよう。
壁にはいくつかの絵画。青髪の青年に続く、神々しい獣に跨った軍隊の絵だった。
王族専用と見まがうほど、豪華絢爛。
そこを当然のように歩くのは、先行するリヴェータさんと、リヴェータさんに呼び寄せられたクロの二人。
クロは、魔力が底をついていた。
偽造創世神の相手をしていたせいか、装甲のあちこちが焦げて、ところどころひび割れていた。それでも本人はけろりとした顔で、「おお、エディン。無事で何よりだ」と手を挙げていた。
装甲がほどけてコートに戻ったあとも、髪の先が少し焦げていた。
ヴィータさんとローレッタさんも、少し遅れて合流していた。今は別の車両で休んでいるらしい。ヴィータさんがぐったりしていて、ローレッタさんが抱えて運んでいた。
モーリス君も無事で、他の乗客と一緒に後ろの車両にいると、ローレッタさんがすれ違いざまに教えてくれた。
よかった。
本当に、よかった。
リリアは何も言わず、おずおずと僕の後ろをついてきていた。
ログマも同じだ。何かを言う余裕もなく、あたりを見回していた。
奥には、長テーブルがあった。近くには給仕さんがトレーワゴンを押して、僕らに一礼している。
……やっぱりなんか、僕らと住んでる世界違くね?
クロってもしや、僕が思ってたより遥かにとんでもない坊ちゃんだったりする?
リステリアの王族とか比にならないくらいすごそうなんだけど……。
リヴェータさんは長いテーブルに腰かける。続いて、クロも同じく椅子に腰かけた。
「さあ、おかけになって?」
ふわり、と列車が宙に浮き。
「どうぞ」
リヴェータさんがふ、と笑い、紅茶に手を伸ばし。
「遠慮なさらずに」
紅茶に、大量のハチミツとミルクを流し込んでいた。




