咆哮
壁の向こうで、砂埃が立ちあがった。
メーテールさんが吹っ飛んでいった方向だ。砂漠の上に、黄土色の煙がもうもうと膨らんでいく。
「——ははァッ!」
土煙の中から、ゆらりと立ち上がる人物。
凶笑が、口に浮かんでいる。口の端が半弧を描き、瞳孔が細まっている。半径数百メテルに及ぶ魔力の探知円が、瞬きする間もなく広がった。
手に握った【黒獅打矛】を、雑に振る。土煙の勢いが増す。
ゆらり、と幽鬼のような猫背の姿勢を取った瞬間。
その煙が、内側から弾けた。
怖気。
体表、体内にまで肉が泡立つ。
思考と認知が極限まで引き延ばされる。あらゆる情報、周囲にある物質、法則、空間の歪み、それ以上までが、視界に収まる。
灰色が空に一条の線を引いたころには、ユースティスさんの目の前に打棒を振りかぶった女傑の姿があった。
——どぉんッ!!
遅れて、幾重にも重なった衝撃が殴りつけてきた。
車両の窓という窓が震え、浮いていた椅子や机が一斉に揺れて、床の上に落ちた。
打棒が、ユースティスさんの首へ振りぬかれる。
『速いですね』
思念が、視えた。
ユースティスさんが、屈む。
それだけで、打棒は空を切った。
彼の頭の上を、輝く打棒が通り過ぎていく。風圧だけで、窓に生き残っていた花瓶が木端微塵に砕け散った。
メーテールさんの左手に、赤い光が宿る。
<赤念掌力>。
屈んだユースティスさんの肩を、赤い光が掴んだ。
瞬間。
ユースティスさんの身体が燃える。
炎を纏ったのではなかった。彼の肌が、髪が、法衣の下の輪郭そのものが、炎と一体になっていた。体と炎が、一つになっている。
赤い手が、虚空を掴むようにすり抜けていく。
「——ッ」
メーテールさんの目が、わずかに見開かれた。
緩慢に動く、ユースティスさんの左手。掌底の構えを取ったユースティスさんが、急加速する。
炎の尾を引いた蹴りが、メーテールさんの胴を捉える。
骨と肉を、掌が沈み込み、メーテールさんの肉体を燃やしていく。
遅れて衝撃が軍服を纏う全身に広がり、壁の外へと吹っ飛んでいった。
三本の、巨大な砂柱が上がる。
転がった回数だけ、砂柱を立てながら、メーテールさんが彼方まで遠ざかっていく。
ユースティスさんの身体から、炎がすっと引いた。
元の、黒い法衣の【神父】に戻っている。
「……ふう」
彼は、小さく息を吐いた。
※※※
遠くを視れば、リリアが倒れている。しかし、命に別状はない。すぐうに<生命賛歌>の術式が飛んでいき、彼女を緑の光が包み込んだ。
「……ぐ」
なんとか上半身を起こす。
ユースティスさんの治癒のおかげで、肺はもう動いている。それでも、身体の芯にはまだ思いしびれが残っていた。
緑の光が身体を包み込めば、それもだんだんと和らいでいく。ログマに頷きを返せば、彼は小さく腹を撫でおろしていた。
……あれはマグロの部位だと胸なのかな?
「……ユースティスさん」
「はい」
思考を振り払い、彼に声をかける。
【神父】は振り返らなかった。壁の向こう、砂煙の立ち込める砂漠に全警戒を向けたまま、静かに答えた。
「あの人の打棒。触っちゃだめです」
「詳しくお願いできますか」
「触れたものの力を膨らませて、逆向きに返します。
剣で受ければ剣のエネルギーごと反射してくるし、魔法を当てれば倍になって返ってくる。さっき、椅子と床が浮いていたのもその影響。
……視たところ、迷宮特典でもない。
あの打棒そのものが源流能力です」
「根拠は」
「虚空から取り出して、魔法法則にも物理法則とも違う。見慣れない法則で動いているからです」
「なるほど」
ユースティスさんは、一度だけ頷いた。
「ご教示、感謝いたします」
声の温度は、変わらず低かった。それでも、言葉そのものは丁寧だった。
「やはり、相当な強敵ですね」
彼は右腕を軽く持ち上げた。
言葉と同時に、手首から肘にかけて透明な刃が生まれる。
圧縮された魔力障壁だ。生命体が無意識に張っているような、身体を覆う膜ではない。極限まで薄く、硬く、圧縮されて、腕に沿った一枚の刃となっていた。
そこへ、荒れ狂う結晶化した魔力が纏わりつく。
——触れずに受ける、ということか。
残心のまま、彼は砂漠を見ていた。
「——わかってはいたが」
砂漠より、声がした。
ちりちり、と足を焦がすような熱が地の底から湧き出てくる。
足元から練り上げた魔力が放出され、地を覆う巨大な魔法陣が描かれる。
そこへ、ダメ押しとばかりに強烈な踏み込みが大地へ落ちる。
地上が跳ねた。
……はは、マジかよ。
踏み込んだ衝撃が、砂の上に波紋を走らせる。走った先で、砂が流れ、寄り集まり、線を描いていく。
魔力の円に重なるように、砂が蠢いていく。
砂が、魔法陣となっていた。
一粒に魔力が浸透し、より強固な魔法陣として列車を丸々飲み込めるほど巨大な魔法陣が、大地に描かれる。
圧倒的な暴。それを完全に統御する、技術の粋。膨大な魔力と、精緻な操作。
まさに、神業。
涼しい顔で成し遂げてはいけない、常軌を逸した技。
「やはり、リヴェータ執政官は」
メーテールさんが、顔を上げた。
「アルフェウス陛下を、裏切ったのだな」
苦い顔で、確信を吐き出す。
砂の魔法陣が、赤く光る。
大地が、割れた。
魔法陣の中心から、地盤が砕け散る。粘度の高い熱が沸々と噴き上がり、破砕された岩と砂が蒸気と共に消えていく。
溶岩が、幾条にも立ち上っていった。
伸びながらうねり、形を変えていく。太い胴。鱗の並んだ背。長大に流線の総身。
龍だ。
溶岩でできた、巨大な龍が3体、砂漠の上に鎌首をもたげていた。
あふれ出る鼻血と、輝く《蒼眼》が術式を暴いていく。
<神罰溶蛇>。原素操作と召喚術の掛け算。大地のエネルギーを束ね、そこに精霊の分け霊を与えることで、自立操作を可能とした術式。
その術式の文字数は、10万文字を超えていた。
「……リヴェータ【枢機卿】の星狩りの魔法。それの、学生時代の源流を習得しているとは。さすがに、これは骨が折れますね」
ユースティスさんが、顔を強張らせて片腕をさすっていた。
顔が強張り、魔力の練度がさらに高まる。
溶岩の龍が、顎を開いた。
こちらへ。
車両へ。
突っ込んでくる。
同時に、僕が魔力の障壁を張る。
……重い! 熱の余波だけで、この火力……! 直撃したら、耐性を獲得する間もなく丸焦げだ。
「すみませんが、任せます」
ユースティスさんが僅かに頭を下げ、跳ぶ。
壁の穴から、砂漠へ。同じく、金灰色の線を残し、音の三倍を遥かに踏み越えた速度で、龍の頭上を取った。
「——《すべての力》、第七戒、っ!」
声に魔力を灯して、刃と化した腕を振り上げるも、ユースティスさんが遥か彼方に吹っ飛ぶ。
ノミにしか視えないほどの遠さへ到達するより速く、溶岩龍がユースティスさんを飲み込んだ。
「のんきに真名詠唱で、技の威力を補正させる暇なんか与えるかよ」
【神父】がいた空には、打棒を振り抜いたメーテールさんの姿。
溶岩を超音速で駆けあがり、反応させる間もなく殴り飛ばしたんだ。
空で身体を捻りながら、打棒を構え、空をかき回して風を呼ぶ。
『竜雲』
『風傷』
『嵐の刃』
詠唱を、メーテールさんが謳う。
ぐ、と風が嵐に変わり、【黒獅打矛】の打点へ集い、さらにそれが際限なく増幅していく。
「真名詠唱ってのは、こうやるんだよ——」
照準が、牙へ向けられ。
「——若造」
——『神獣格闘・斬葉』
大気が、両断された。
風の牙が一文字に飛び、ユースティスさんを咥えたまま空を泳ぐユースティスさん目掛けて走る。
「ええ。ご高説、ありがとうございます」
溶岩を纏った蹴りが、その牙を砕き折った。
ユースティスさんを襲った<神罰溶蛇>は頭から両断される。
空を泳ぐ溶岩の龍が二匹、空を跳び回る黒衣の元へと殺到し、牙を剥く。
そこへ、溶岩龍の頭に乗ったメーテールさんが、打棒を振りかぶったまま突撃してくる。
ユースティスさんは足場に魔力障壁を展開。
即席の足場に変え、空を跳び回りながら龍の噛みつきを躱していく。
右へ、左へ、空へ。
顎の一撃を跳んで躱し、わずかにユースティスさんの体勢がわずかに乱れた。
そこへ、空を【黒獅打矛】で叩いて超加速した、メーテールさんが凶暴な笑みを浮かべて強襲する。
『さすがに、出し惜しみはしてられませんね』
ユースティスさんには、金灰色の稲妻を全身に纏わせた。
「面を上げろ」
号を唱える。
迫る打棒。しかし、焦ることなく、ユースティスさんは気魄を解放した。
「【双神讃痕】」
ユースティスさんの身体が消える。
溶岩龍、そのすべての首が一刀のもとに切り落とされ。
「ハッハァ!!」
女傑の哄笑が響く。
メーテールさんの打棒と、拳が打ち合っていた。
何度も火花が二人の間に飛び交う。音など背の彼方に置き去りにしたメーテールさんを、追い越すほどの連打。
衝撃が走り、幾重にも衝撃波が鞭のように周囲に走る。
いまだ、溶岩龍の頭は地面に落ちていない。
手刀が、打棒が、蹴りが、肘撃が、龍頭が地面に落ちきる刹那に百を超えて、重なりあっている。
メーテールさんの頬に一筋の切り傷。
同時に、ユースティスさんの腕に、痛恨の一撃が叩きこまれた。
両者、後方へ跳ぶ。
溶岩龍の頭が、地面に落ちた。
同時に地面へふたりが着地する。
メーテールさんは列車へ足を進めるが、身体はユースティスさんへ向けたまま。
ユースティスさんも、僕等の護衛に意識を割きながら、その集中をメーテールさんへ向けたまま歩みを重ねていた。
「……強化型」
メーテールさんが打棒を肩に担ぎ、言う。
頬から流れるかすり傷を舐めとり、にやりと笑う。
対するユースティスさんは、わずかに息が上がっていた。魔力の損耗が激しく、全体の魔力量が2割ほど減っている。
全身を白い光に変え、肉体の損傷を治しながら両腕を構える。
……強化型の源流能力にしては、燃費が悪すぎないか? 源流能力の燃料は基本、気魄。強化型の源流能力なら、減るのは気魄のはず。
「いや、違うな。強化の単一特化の割には、魔力の消耗が激しすぎる。
その強化術。<聖霊羅刹>だな? 原素と肉体を融合させ、自分を魔法と肉体のハイブリッドに変える。火から、今は光に変えている」
メーテールさんが言葉をゆっくりと差し向けていく。
魚の鱗を剝ぐように、少しずつ言葉の剃刀を突き立てていく。
「強化型ならば、<聖霊羅刹>を使う必要がない。おして、能力を使う前と比較して、明らかに燃費が悪くなっている。いくら、強化の最高峰たる<聖霊羅刹>を使ったとしても、だ」
饒舌に語る軍服の女傑に対して、黒衣の【神父】は何も言わない。
その隙を探るように、狼のような視線をメーテールさんへ向けている。
「おかしな話だろう? 源流能力とは、固有法則。不利になるようなものだけを使うことは決してない。にも拘わらず、切り札のように切った。
そして、先の戦闘での速度はおよそ10倍強。膂力は7倍、頑強度にして、9倍。つまり、強化の倍率そのものが上がっている」
ユースティスさんは、否定も何も挟まない。
歩みは止まらず、攻撃もできず、歩き続ける。
滔々と語るメーテールに、打ち込むに値する隙は、どこにも見当たらなかった。
「つまり、貴様の能力。【双神讃痕】と言ったな。それは、倍率。いや、貴様の能力の練度からしてもう少し能力の深度は深い。
いうなれば」
二人の歩みが、列車の前で止まった。
「——限界値の上昇。それが貴様の能力だ」
メーテールさんの言葉に、ユースティスさんは静かに手刀を構えなおした。
……そういうことか。
どの魔法にも共通する大前提。それは、出せる威力には上限があるというもの。
もちろん、魔力を注ぎこめば魔法の威力は上がる。だけど、それは一定以上の向上は見込めない。
【双神讃痕】は、その天井を取っ払うもの。
だから、魔力の消費が激しくなったんだ。
天井を高くしても、そこに積み上げる魔力は据え置き。むしろ、性能の限界が上がっただけだから、天井まで出力を上げても、そこまで積み上げる魔力の量は爆発的に増える。
神域の強化を得るには、それだけの代価があるのか。
※※※
ばちり、と。
ユースティスさんの身体を、金灰色の稲妻が走る。
彼は、空中に魔力を引き延ばし、魔法陣を展開する。
簡単な魔法陣だった。
本当に、簡素。僕が昨日、モーリス君の紙を燃やすのに使ったものと大差ない。火を熾すための、基礎の基礎の術式。
文字数にして、たぶん百もない。
そこへ、金灰色の稲妻が流れ込んだ。
炎が、噴き出した。
あの小さな魔法陣から出てくるはずのない炎。太い柱のような火炎が、何本も、何本も砂漠の上のメーテールさんへ向かって伸びていく。
「はっ」
メーテールさんは犬歯をむき出しにし、瞬速の歩法をもってジグザクに走り、距離を詰める。
そのうちの一条を打棒にてはじき返し、爆散した火炎の中を突っ切ってユースティスさんの懐へもぐりこんだ。
「裏切り者の手下の術など、当たるものか!」
逆袈裟の軌道を描く打棒。
迎え撃つように振り下ろされる手刀。
ユースティスさんの手が弾かれる。弾かれた衝撃を生かし、回し蹴りをメーテールさんの首へ叩き返す。
スウェーの要領で断頭の蹴りを受け流し、その衝撃で地面を跳び、列車へと舞い戻ってくる。
メーテールさんと、目が合う。
彼女の笑みが切り替わる。戦士のそれから、慈しむような教育者の顔へ。
その手に、<赤念掌力>の光を纏わせた。
「——裏切ったのは」
ユースティスさんが、そこへ割り込む。光の<聖霊羅刹>を起動し、その掴みを無効化し、メーテールさんを砂漠の上へ蹴り返し。
「貴女でしょう。【枢機卿】の思いを聞かず、殺戮と外道の道に落ちた貴方こそ。真の裏切り者だ」
強烈な言葉を、言い放った。




