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凶育

申し訳ございません。 

また話数を飛ばしておりました。


 

 

 

 

 ……動けない。

 

 足が、床に縫い付けられたように動かない。

 

 目の前にいるメーテールさんは、ただ猫背の姿勢で立っているだけだった。

 打棒を右手にぶら下げて、肩を目の前にたらして、どこを見ているかもわからない目で、こちらに顔を向けている。構えらしい構えですらない。

 

 ……なのに、隙がまったくない。

 

 《蒼眼》で何度見ても変わらない。

 右から斬り込めば、打棒が下から跳ねあがってくる。左から回り込めば、肘が先に来る。正面から突けば、半歩下がられて、伸びきった腕を叩き折られる。上から跳べば、着地の前に終わる。

 

 ダメだ。どこを攻めても、その先で僕がやられている。

 

 飛び込んだら、死ぬ。

 

 それが、頭で考えるより先に、身体の芯ではっきりとわかってしまった。

 

「——<玉桂天装(ソーマ)>」

 

 淡い金色の光が、僕とリリアの身体を包み込んだ。

 

 身体が、軽くなった。手足に力が満ちていく感じとは別に、頭の中が冷たく澄んでいく。

 世界が、ほんの少し緩慢になった。

 

「へえ」

 

 メーテールさんが、目を細めた。

 口の端が持ち上がり、楽しそうに弧を描く。

 

「<金鏡歪壁(アルトゥメ)>」

 

 アルターが指を交叉させ、黄金の光を放つ。

 

 続けて、僕らの前に薄い膜が張られた。

 月の光を引き延ばしたような、ほのかに金色を帯びた透明な壁。《蒼眼》で視ようにも、どうにも仕組みがぼやけて捉えられない。

 

 それでも、この壁に何度助けられてきたことか。

 

「エディン。どう」

 

 隣で、リリアが小声で聞いてくる。

 剣を正眼に構えたまま、視線はメーテールさんから一度も外れていない。

 

「……隙が無い」

「ね。膂力では劣るけど、立ち居振る舞いならイルクさんより上かも」

「……そうだ、ね。何より、<蒼輝強化(エネメシス)>も、【天璽聖劍】も、ここじゃ使えない」

「わたしもよ。<神牡牛の蹄嘶(ヴォル・オリュコス)>も、使えないわ」

 

 僕は、背後の気配を《蒼眼》の端で確かめた。

 

 ログマが机といすを積み上げたバリケードの奥に、20人ほどの乗客が身を寄せ合っている。

 一番手前に、ヨアン【司祭】が両腕を広げ、彼らを落ち着かせるために必死で聖句を唱え続けている。

 

 <蒼輝強化>を使えば、確かに今よりずっと速く、膂力も処理速度もけた違いに動ける。

 だけど、それは周囲を気にしないで戦える時だけ。法力を使って人外の領域へ足を踏み入れるあの術は、踏み込みの一歩で床を抜き、振り抜いた壁の余波で壁を裂く。

 到底、非戦闘員を背後に抱えたまま使える術じゃない。何より、あれは仕様上、魔力の消費が手持ちの札の中でも次元が違う。

 

 【天璽聖劍】に至っては、一振りで非戦闘員の仲間入りを果たしてしまう。《聖劍解錠》で【幽輝剣(デ・ジリア)】に換装して、ぶっ放せても一発限り。

 まともに当たるかわからない。相手の目的は僕の捕縛。目的達成即ち、ヨアン【司祭】の死につながる。

 魔力がなくなって動けなくなったら、敗北あるのみ。

 

 つまり、今の僕にできるのは、普通に戦うことだけ。

 

「来ないのか?」

 

 メーテールさんが、首を少しだけ傾けた。

 

 ……それだけ余裕そうなのに、全く勝つ方法も、未来も視えなかった。

 

 それから、右手に握った打棒の柄に、小さな魔法陣を通した。

 赤い光が、柄から先へ、すうっと染み込んでいく。まるで、赤い光の剣のように、得物が輝いていた。

 

 ——<赤念掌力(エゼルヴァ)>。赤い光は、膂力を念力に変え、近くへ飛ばす魔法の光、か。

 文字数にしてざっと2000文字。さほど難しくはないし、威力で言えば警戒するまでもない。警戒するべきは、源流能力であろう、光の棒。

 

 最初は、そう判断していた。

 

「来ないのなら、こちらから行くぞ」

 

 瞬間。

 

 彼女の手から、打棒が離れた。

 

 

 ※※※

 

 

 

 打棒が、飛んできた。

 

 投げられたのではない。手を離された打棒が、赤い光をまとって、ひとりでに宙を進んでくる。

 

 遅いと。最初は思った。

 

 ゆっくりと弧を描き、ぅおん、と音を立ててこちらへ向かってくる。

 

 ——速くなった。

 

 と思えば、減速した。

 

 また加速し、止まり、急速に跳ねる。

 

 加速と減速が、まるで規則性を持たずに繰り返されていた。《蒼眼》で軌道を追っても、次の瞬間にどこにいるのかが読めない。読めたと思った位置を、打棒は一拍ずらして通り過ぎていく。

 

 メーテールさんは腕を赤く光らせたまま、じっと僕らを眺めていた。

 

「——っ!」

 

 リリアが前に出る。

 剣に、赤い焱が灯った。

 

 【八炎鼓】。

 

 魔力や原子、夢幻と無限を焼き尽す焱だ。その刃で触れれば、魔法も、魔力で編まれたものも、源流能力だって、燃えていく。

 

 リリアは、迫る打棒の軌道に刃を合わせた。

 

 ——どんッ!

 

「——ッ!?」

 

 リリアの強靭な腕が、跳ねあがった。

 

 あれは——衝撃の逆流か! 衝撃が刃を伝って、逆流していた。撃ち込んだ力が、そっくりそのまま、それ以上の重さになって返ってきた。

 

 『亡星』を構え、リリアのそばへ踏み込む。

 

 —— 一歩、遅かった。


「まずは、ひとり」

 

 メーテールさんは、右腕に赤い光を纏わせたまま、リリアの目の前にいた。

 僕の警戒がリリアへ向いた瞬間、音もなく十歩の距離を詰めてきた。

 

 打棒の赤い光が消え、空に浮いたまま。

 

 メーテールさんは、そのままリリアへ腕を振るう。

 

 重心を崩す掴み。リリアは重心を深く沈め、襟首をつかまれた瞬間にもう一方の手をメーテールさんへ伸ばし。

 

「が、あ——ッ!」

 

 リリアの身体が、持ち上げられた。

 

 <赤念掌力>の赤い光だ。その手がリリアの襟首をつかんだ瞬間、リリアの身体が内側から持ち上げられたように崩れた。重心が、根こそぎ奪われていた。

 

「寝てなさい」

 

 僕が『亡星』をリリアを掴む腕に振り下ろすよりなお早く、メーテールさんはそのまま腕を振る。

 

 ——ずがんッ!!


 リリアの身体が、豪速球となって壁にめり込んだ。


「リリアッ!」

 

 メーテールさんの首めがけて刃を振るい、それを首を一歩引いて躱される。<赤念掌力>の光を《統巡》で逸らし、彼女の間合いから離れながらリリアへ視線をやる。

 

 壁が凹んでいる。

 木の板が割れ、その奥の鉄骨がひしゃげていた。

 

 リリアが、床に落ちる。

 

 ——落ちる瞬間に、身体を丸めていた。

 

 肩から転がって、衝撃を背中へ逃している。受け身だった。300キロ以上で壁に叩きつけられて、それでも身体が勝手に受け身を取っていた。

 

「……ほう」

 

 メーテールさんの眉が、僅かに上がった。

 

「起きているのか。気絶させるつもりで投げたんだが。いいね」

 

「……っ、ぐ」

 

 リリアが、床に手をついて、顔を上げた。

 

 額から、血が流れている。肩の動きがおかしい。それでも彼女は、剣を杖代わりにして立ちあがった。

 

 僕の方は、見なかった。

 

「エディン」

 

 メーテールさんだけを見たまま、リリアが言った。

 

「わたしを見ないで。あっちを見て」

 

「…………」

 

「わたしは平気。今は、あの人から目を離したら死ぬわ」

「——援護!」

 

 バリケードの奥から、ログマの声が飛んだ。

 

「<生命賛歌(アトゥーン)>!」


 

 緑の光がリリアを包む。額の傷が塞がり、肩の歪みが元に戻っていく。リリアが浅く息を吐いた。

 

 僕はうなずいた。

 

 視線を、メーテールさんへ戻す。

 

 

 

 ※※※

  

 

 

 リリアが、右へ。

 僕が、左へ。

 

 言葉は交わさなかった。目も合わせなかった。それでも、リリアがどこへ動くのかわかったし、たぶんリリアも、僕がどこへ動くのかわかっていた。

 

 二人で、メーテールさんを挟むように、じりじりと間合いを詰めていく。

 

 メーテールさんは、宙に浮いたままだった打棒を手元に呼び戻した。

 

「良い連携だ。やっぱり、相性も仲もいいんだね」

 

 笑っている。

 心の底から、楽しそうな声だった。

 

 彼女は、手元の打棒をちらりと見下ろした。

 打棒の表面の一部が、黒く焦げている。リリアの焱が触れたところだった。焦げた部分だけ、淡い光が明滅していた。

 

「へえ。源流能力か。見たところ、15の手前だろう。その歳で覚醒して、ここまで使いこなして、能力だけにかまけていないのは大したものだ。

 私の【黒獅打矛(クロージャー)】を焦がされたのは初めてだ。すごいね。単一特化型かな?」

「褒めても何も出ないわよ」

「事実を言っているのさ。おべっかじゃない」

 

 メーテールさんは、肩を軽く回した。

 

「ただ、あまり時間はかけていられない。ローグ将軍やエリス閣下がいない<執行機関>程度ならともかく、君たちと遊んでいる間に、リヴェータ執政官が飛んできたら事だ」

 

 彼女は、打棒を逆手に持ち替えた。

 

 そして——足元へ、振り下ろした。

 

 ——ごぅん。

 

 床が、鳴った。

 

 打棒が触れた一点から、何かが広がっていく。《蒼眼》に、波紋のように映る。床を伝い。絨毯を伝い、車両全体へ。

 

「……っ!」

 

 一瞬、身体が浮きかけた。

 それを、全身の荷重を下へ意識して向け、気合でいなす。

 リリアも、アルターも、ログマもそうやって耐えたが——。

 

 椅子が、浮いた。

 

 机が、浮いた。

 

 割れた食器が、料理の皿が、絨毯の上の瓦礫が、ふわりと宙に浮きあがっていく。

 乗客たちも、浮いた。

 

「うわぁっ!?」

「きゃあああ!」

 

 バリケードの奥で、悲鳴が上がった。大人たちが手足をばたつかせながら、床から2メテルほどの高さで宙に止まっている。

 

 ——子供以外は、みんな浮いている。

 

 《蒼眼》が、それを拾った。

 

 アルターが抱えていた子供も、母親の足にしがみついていた女の子も、床に残っていた。椅子も机も、大人もみんな浮いているのに、子供たちだけが、ぽつんと床に取り残されている。

 

 この乱戦のさなか。僕らの足場を奪うついでに見せた威圧でも、彼女は子供だけは除いたんだ。

 

 ……はは。底が、まったく見えないや。

 

 わかっていたけど子供がうんたらは、本心から言っている言葉だったらしい。

 

 浮いた椅子と机が、視界を塞いだ。

 

 メーテールさんの姿が、その向こうに隠れる。

 

 そして、彼女の放つ魔力が、急に濁った。まるで霧を巻いたように、周囲に薄く広がって、その奥の動きをぼかしていく。

 探知を乱すための、目くらましだった。

 

 ——でも、《蒼眼》は魔力で物を視ているんじゃない。

 

 視えた。

 

 浮いた机の隙間。

 

 握られた石片がひとつ。

 メーテールさんの手の中で、加速していく。

 

 ——『雷光(エグド)』。

 

 狙いは、バリケードの前。

 

 ヨアン【司祭】。

 

「させるかっ!」

 

 跳ぶ。

 低圧になった重力に一瞬で身体の動きを補正し、調整を完了させる。浮いた椅子を足場に、二歩。机の縁を蹴って、三歩目で射線に飛び込む。『亡星』を寝かせて、差し入れる。

 

 ——ぎぃんッ!

 

 甲高い音と共に、石片が天井の穴から抜けていった。

 

 腕が痺れ、軽くなった身体が衝撃で後方に吹き飛ばされながら、なんとかたたらを踏んで耐える。

 

 着地と同時に、左手で魔法陣を描く。

 

 <紅蓮砲殲火(ヴァ・レグロム)>。

 のべ、8万文字の大魔法。

 

 リモルさんから【伯方】で盗んだ、攻城魔法。あれ以来、幾度の死線を共にしてきた、相棒のような魔法。

 

 素直で、高火力で、応用性に富んでいる。そこへ、もう一式術式を足す。熱と爆風を空へ逃がす風を起こす術式。後ろの人たちに届かないように。

 

 掌の上に、小さな紅い太陽が生まれて。

 

 発射。

 

 赤い太陽は轟音を奏でながら赤い尾を引き、浮いた机を溶解させながらメーテールさんへ迫る。

 

 メーテールさんは、避けず。

 

「——すごいね」

 

 打棒を、振り抜いた。

 

 砲弾が、真っ二つに両断された。

 割れたふたつの炎が、打棒に触れた瞬間に膨れ上がった。

 

「——ッ!?」

 

 膨らんで、弾けて、広がっていく。

 爆炎が、車両の上半部を舐めた。

 

 対策されるのはわかっていた。

 防がれるか、何かされるかは、撃つ前からわかっていた。

 

 だから。

 

『<紅蓮砲殲火(ヴァ・レグロム)>』

 

 二発目を仕込んでいた。

 術式の名を呼ぶだけでも、詠唱として機能する。詠唱によって重ねて描いていた魔法陣に魔力が通うよう、術式を組んでいた。一発目がどう処理されても、その爆炎そのものが目くらましになる。

 

 爆炎の向こうへ、二発目が飛び。

 

 

「——【黒獅打矛】」

 

 

 小さな太陽が、僕へ返ってきた。

 

 《蒼眼》に映ったのは、<紅蓮砲殲火(ヴァ・レグロム)>の砲撃を撃ち返すメーテールさんの姿。

 流麗な太刀捌きによって振るわれた打棒が、今度は二発目の砲弾の芯を正確に捉えていた。

 

「——っ」

 

 その一瞬で。僕はようやく理解した。

 

 あの打棒が触れたものは、ただはじき返されるものではない。

 

 触れた瞬間に、増幅と反発が起きる。触れたものの力を膨らませ、膨らんだ力がそのまま反対へ押し出される。

 リリアの剣が触れた時は、その打ち込んだ力が。床に触れたときは、一帯の重力が反転して、上向きに。

 そして、今。僕の砲弾は、増幅と反発によって、二倍以上の威力で爆炎を切り裂き、僕に跳ね返ってきていた。

 

 ——なら。

 

 ちょうど、昨日と同じ。

 

 屋台通りの的あて。

 クロを出し抜いた、あれと同じ。

 

 <紅蓮砲殲火(ヴァ・レグロム)>を、もう一度。今度は、魔力を倍に込める。

 狙いは、帰ってくる砲弾の下段。

 

 ——発射。

 

 ふたつの太陽が、空中でこすれた。

 

 閃光。衝撃。そして、爆音。

 

 跳ね返された二発目が、上へ跳ねあがった。

 

 天井の穴を抜けて、空へ。砂漠の青い空に、紅い火の玉が上っていく。

 

 小さいほう——三発目は、軌道をほとんど変えずに、そのまま目へ。

 メーテールさんへ。

 

「——はああぁッ!」

 

 爆炎の後ろから、赤い影が飛び出す。

 リリアが、剣を構えたまま燃える空気の中を真正面から突っ切ってくる。狙いは同じく、メーテールさんへ。

 

 前から、リリアの刃。後ろから僕の砲弾で、挟んだ。

 

 メーテールさんは笑みを少し深くした。

 

 半歩、身体をずらす。刃が、彼女の外套の裾をかすめて空を切る。

 

 そのまま、打棒を逆手に握り直し。

 背後から迫る僕の砲弾を、すくい上げた。


 打棒は反発せず。しかししっかりと増幅されながら、太陽を運んだ。

 

 ——そのまま、リリアへ振り下ろした。

 

「——ッ、舐めないで!」

 

 リリアの刃が、燃え上がった。

 

 さっきまでの炎とは違う。刃の表面だけに、薄く、薄く。圧縮された赤。その刃で、真上から叩きつけられた太陽を迎え撃ち、縦に裂いた。

 

 避けた炎が、リリアの左右を流れ落ちていく。

 

 その中心で、剣と打棒がぶつかった。

 

 ——ぎぎぎぎぎッ!

 

 火花が散る。

 

 赤い刃と輝く打棒が鍔迫り合う。

 リリアの足が、絨毯の上を滑る。押されている、それでも刃が退くことはない。

 全身の魔力を強化へ回し、後先を考えずに最大の強化を施す。

 

「【旧流法(レアーラ)】、玖の刃——」

 

 技の名を唱える。出力を上げ、次の一撃の出力を上げる。

 

「——『夜叉』」

 

 後方から、一気に突き上げる。

 

「っ、やるねっ!」

 

 メーテールさんが、身を捻り、僕の一撃を回避。

 しかし——。

 

「『夜叉返し』」


 そこから斬撃へ派生するのが、『夜叉』の強み。

 軍服の袖、釦が斬り飛ばされる。

 

「あら。お忘れかしら!」

 

 リリアが。打棒の下をくぐった。

 そこに、僕も斬撃を逆方面から重ねる。

 

 斬る/突く。

 手首のスナップだけでリリアの剣が弾かれ、僕の突きをいなされる。

 

 振り下ろす/逆袈裟。

 半身になって躱され、【黒獅打矛】の一撃で弾かれる。

 

 横薙ぎ/振り下ろし。

 一撃を弾いて足を交叉。流れるように回転、弾かれる。

 

 三合、四合、五合。

 

 剣と打棒が、眼で追えない速さで撃ちあう。

 速度と重さは、技の冴えは向こうが圧倒的に上。リリアは勘、僕は先読みで刃を交わせていく。

 

 そして、わずかに姿勢に乱れが生まれる。

 

 ——いまだ。

 

 足に魔力を溜める。

 <玉桂天装(ソーマ)>の上から、さらに重ね。

 

 思い切り肘撃ちを叩き込み、わずかにメーテールさんがたたらを踏む。<紅蓮砲殲火(ヴァ・レグロム)>の残火を『亡星』の刃に吸わせる。

 

 そこへ、猛犬のように剣を構え、メーテールさんへ突き立てにかかるリリア。

 

 間髪入れず、深紅に燃え上がる『亡星』を、振り下ろす。

 

 前に、リリア。

 後ろに、僕。

 

 

 ——ひゅう、と。

 

 

 口笛が、鳴った。

 

「いいね」

 

 メーテールさんがわらっていた。

 

「でも」


 打棒を握る手が、両手に変わった。

 

「ここまでかな」

 

 指の関節が、白くなるほど、強く握る。

 

 さっきよりはるかに速く、打棒を振り抜いた。

 

 ——がぁんッ!

 

 リリアの剣が、はじけ飛んだ。

 

 手から離れて、くるくると回りながら天井の穴の向こうへ消えていく。リリアの体勢が、大きく崩れた。

 

 一瞬の間に叩きこまれる、蹴り。

 

 軍靴の踵が、リリアの腹にめり込んだ。

 

「か——」 

 

 リリアが、まり玉のように吹き飛んだ。

 

 ——どごぉッ!!

 

 壁が抜けた。

 リリアの身体が、壁の板を突き破って、その向こうの鉄骨に叩きつけられる。そのまま、ずるずると床へ滑り落ちて——動かなくなった。

 

「——<生命賛歌(アトゥーン)>!」

 

 ログマの緑の光が、リリアへ飛ぶ。

 

「だめだよ」

 

 メーテールさんの打棒が、その光を横から叩いた。

 

 ——ぱしゅ。

 

 緑の術式が弾け、治癒の光が霧のように散って消えた。

 

 その背に、僕の刃が届いていた。

 

 硬い音を立てて、それは止められた。

 

 メーテールさんは、振り返りもしなかった。打棒を後ろ手に回して、背中越しに、僕の刃を受け止めていた。

 

「座興はこれにてお終い」

 

 一瞬、打棒が引っ込んだ。

 受け止めていた支えが、ふっと消える。前へつんのめりかけた僕の刃を、次の瞬間、打棒が下から跳ね上げた。

 

「ぐ——っ」

 

 僕の身体が、弾き飛ばされる。机を砕き、浮いた椅子にぶつかり、床に転がる。

 

「……ッ、は」

 

 息を吐いて、顔を上げた。

 

 リリアは、動かない。

 

 赤い光を纏った打棒が、ぐるぐると円を描いて、ログマの治癒魔法を弾いている。

 

 僕ら二人で、相手にもなっていない。

 

 ——このままじゃ、終わる。

 

 

 

 ※※※

 

 

 

 だから、賭けることにした。

 

 僕の源流能力、【星輝戴星】は食らった攻撃に耐性を得て、その耐性をもとに食らった能力を半永久的に学習できる。

 食らうことが、条件。だけど、視えてる光明はこれだけ。

 

 あの打棒を、一度だけ身体で受ける。

 

 【黒獅打矛】の一撃を喰らえば、増幅と反発への耐性が手に入る。耐性があれば、次からはあの打棒を弾かれても、力をあのまま返されることはない。

 なんなら、『亡星』と二刀流にできる可能性が高い。

 

 ——行く。

 

 立ち上がる。

 リスクは承知の上。一撃をもらえば、戦闘不能になるかもしれない。それでも、このまま削られていくよりはましだ。

 

 『亡星』を、正面に構える。

 

 刃に、意識を集めた。視線も、魔力も、全部を刃の先に。メーテールさんの目に、僕が刃で斬りかかってくるように見えるように。

 

 踏み込む。

 塵と空気が舞い、一直線に突っ込む。

 

 刃と、メーテールさんの打棒が交叉する。

 

 ——がぁんッ!

 

 鈍い音を立て、刀が手から弾き飛ばされた。

 

 それでいい。

 空いた両手で。魔力を全身に巡らせる。

 

 メーテールさんの左手に、赤い光が灯った。<赤念掌力(エゼルヴァ)>。リリアを掴んだ、あの念力の手。

 

 ——屈む。

 

 頭の上を赤い光の手がかすめていった。

 

 そのまま、懐へ。

 

 全身の魔力を流動させる。どこを打たれても、軌道を読んでそこへ瞬時に魔力を集められる。胸でも、肩でも、頭でも。魔力と意識を一点に集めれば、あの打棒を受け止めて、能力と耐性を獲得できる。

 

 来い。

 

 その打棒を、僕に——。

 

 ——どぽッ。

 

「——ぉあ」

 

 空気と胃液が、せり上がってくる。

 鳩尾に、何かがめり込んだ。

 

 打棒じゃない。

 軍靴の、爪先だった。

 

「————」

 

 視界が、白くなる。

 身体が後ろに飛んだ。

 

 強烈な衝撃が、背中に走る。

 壁が凹んで、その凹みに身体がめり込む。

 ……壁に、叩きつけられたか。

 

 肺が、動かない。

 膝から、身体が崩れ落ちる。痛みと苦しみには慣れていても、限界を迎えると、肉体が強制的に停止をさせてくる。

 

「——駄目じゃないか」

 

 声が、遠くから聞こえた。

 メーテールさんだった。打棒を肩に担いで、僕を見下ろしている。

 

「さっきまで、あんなに慎重に動いていたのに。急に前へ出てきた。それも、一撃もらうことを前提にした動きでね。不自然だよ」

 

 彼女は、首を傾げた。

 

「そっちの赤い子が、源流能力を持ってるんだ。君が持っていないはずがない。じゃなきゃ、イルゲルムとリューリュのふたりは獲れないからね。

 そして君は、あそこで突っ込んできたとき、刃を見せながら、意識の大半を私の【黒獅打矛】に向けていた。しかも、魔力を流動させながらね。つまり、私の打棒を喰らいにきたと読める」

 

 《蒼眼》が、彼女の口元の動きを、ぼんやりと捉えていた。

 

「受けることで発動する、能力特化の防御型かカウンター型の能力。ゆえに能力を使わず蹴れば恐るるに足りない。そうだろう?」

 

 答えられなかった。

 息が、まだできなかった。

 

「まだ、能力の使い方が青いね」

 

 メーテールさんは、少しだけ目を細めた。

 

「だが、それもいい。ちゃんと手取り足取り、私たちが教えてあげるよ」

 

 それから、打棒が彼女の手を離れて、ふわりと宙に浮いた。

 

 ぱち、ぱち、ぱち。

 空いた両手で、彼女は拍手をしていた。

 

「イルゲルムに勝って、天狗になっていないのは偉い。あれだけの相手に勝ったら、ふつうはもう少し浮かれるのにね」

 

 拍手が止まった。

 まだ、指先すら動かない。衝撃が、余すことなく全身にダメージを与えている感じがあった。

 

「ただね、エディンくん。イルゲルムは確かに、我らと鎬を削った大魔族だ。だけど、あれは暗殺や工作担当の将。正面切っての切った張ったは、さほど得手じゃない。だが、私は違う」

 

 灰色の瞳が、僕を見下ろした。

 

「私は生涯現役。二千年、ずっと修羅場だ」

 

 ——ああ。

 

 物が、違う。

 

 肺に、ようやく空気が入ってきた。浅く、細く。喉がひゅうひゅと鳴る。

 

 その時、ようやく身体に宿る感覚に気づいた。

 

 【星輝戴星】が、反応していた。

 

 ——耐性獲得。『打撃』。

 

 打撃の耐性。

 

 たった今、僕を沈めた蹴りの耐性が、付与されていた。

 

 ——今更、か。

 

 十分で消える耐性だけが、身体に残っていた。打棒の力は、何一つ学べていない。

 

「さて」

 

 メーテールさんの右手に、また赤い光が巻き付いた。

 

「任務を終えようか」

 

 彼女が、こちらへ歩いてくる。

 

 僕の方へ。それから、壁際に倒れたリリアの方へ。二人まとめて、あの赤い念力で抱え上げるつもりなのだとわかった。

 

 途中で、彼女の視線が、一瞬だけバリケードの方へ向いた。

 

 ヨアン【司祭】が、そこにいた。

 

 メーテールさんはすぐに視線を戻した。先にこちらを確保してから、と言う顔だった。

 

 赤い手が、僕の方へ伸びてくる。

 

 動けない。

 

 身体が、言うことを聞かない。

 その手が、僕の襟首に触れる——

 

 ——直前。

 

「主々よ」

 

「嘆きたまえ。許したまえ。我が凶行」


「——同胞を殺める我が蛮行を」 

 

 声が、三重に聞こえ。

 

 メーテールさんの姿が、消えた。

 

 

 

 ※※※

 

 

 

 

 横へ、壁をぶちやぶって吹き飛んでいった。

 

 代わりに、そこへ誰かが立っていた。

 

 片足を、高く上げていた。

 回し蹴りを振り抜いた後の姿勢だった。

 

 その人は、上げていた足を、ゆっくりと下ろした。両足で床を踏みしめて、まっすぐに立つ。

 

 男の人だった。

 金と灰の混じった、柔らかな色の髪。感情の彩が薄い、薄緑の瞳。黒い法衣は【神父】のもので、その胸元には、ロザリオがふたつ下がっていた。

 

 ひとつは、正三角。

 もうひとつは、銀の蛇。

 

「——遅くなりました」

 

 その人は、僕の額にそっと手を当てる、温かい光が流れ込んできて、潰れた肺がゆっくりと膨らんでいった。

 息が、吸えた。視界の明滅が、止まった。

 

 その人は立ち上がると、壁際のリリアの方へ手をかざした。同じ光が、リリアを包む。リリアの指が、ぴくりと動いた。

 

「申し訳ありません。後方で、少々手間取ってしまいまして」

 

 ヨアン【司祭】と同じ、丁寧な口調。しかし、言葉に宿る温度は低く、平坦だった。

 

「あなたは……」

 

 僕の声は、まだ掠れていた。

 

「申し遅れました」

 

 その人は、表情を変えることなく言う。

 

「私はユースティス・アルバ。【神父】の<神話継承>に憑く信徒にして」

 

 そう言って、彼は僕に背中を向けた。

 

 壁の向こうで、瓦礫の崩れる音がした。

 

 その方へ向かって、ユースティスさんは、左の掌を上に向けて、ゆるやかに前へ差し出した。右手は、胸の前で軽く握られている。

 祈りの形に、少しだけ似ていた。

 

「<執行機関>No.2。<聖餐者>の二つ名をいただく者です」

 

 

 

 

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