凶育
申し訳ございません。
また話数を飛ばしておりました。
……動けない。
足が、床に縫い付けられたように動かない。
目の前にいるメーテールさんは、ただ猫背の姿勢で立っているだけだった。
打棒を右手にぶら下げて、肩を目の前にたらして、どこを見ているかもわからない目で、こちらに顔を向けている。構えらしい構えですらない。
……なのに、隙がまったくない。
《蒼眼》で何度見ても変わらない。
右から斬り込めば、打棒が下から跳ねあがってくる。左から回り込めば、肘が先に来る。正面から突けば、半歩下がられて、伸びきった腕を叩き折られる。上から跳べば、着地の前に終わる。
ダメだ。どこを攻めても、その先で僕がやられている。
飛び込んだら、死ぬ。
それが、頭で考えるより先に、身体の芯ではっきりとわかってしまった。
「——<玉桂天装>」
淡い金色の光が、僕とリリアの身体を包み込んだ。
身体が、軽くなった。手足に力が満ちていく感じとは別に、頭の中が冷たく澄んでいく。
世界が、ほんの少し緩慢になった。
「へえ」
メーテールさんが、目を細めた。
口の端が持ち上がり、楽しそうに弧を描く。
「<金鏡歪壁>」
アルターが指を交叉させ、黄金の光を放つ。
続けて、僕らの前に薄い膜が張られた。
月の光を引き延ばしたような、ほのかに金色を帯びた透明な壁。《蒼眼》で視ようにも、どうにも仕組みがぼやけて捉えられない。
それでも、この壁に何度助けられてきたことか。
「エディン。どう」
隣で、リリアが小声で聞いてくる。
剣を正眼に構えたまま、視線はメーテールさんから一度も外れていない。
「……隙が無い」
「ね。膂力では劣るけど、立ち居振る舞いならイルクさんより上かも」
「……そうだ、ね。何より、<蒼輝強化>も、【天璽聖劍】も、ここじゃ使えない」
「わたしもよ。<神牡牛の蹄嘶>も、使えないわ」
僕は、背後の気配を《蒼眼》の端で確かめた。
ログマが机といすを積み上げたバリケードの奥に、20人ほどの乗客が身を寄せ合っている。
一番手前に、ヨアン【司祭】が両腕を広げ、彼らを落ち着かせるために必死で聖句を唱え続けている。
<蒼輝強化>を使えば、確かに今よりずっと速く、膂力も処理速度もけた違いに動ける。
だけど、それは周囲を気にしないで戦える時だけ。法力を使って人外の領域へ足を踏み入れるあの術は、踏み込みの一歩で床を抜き、振り抜いた壁の余波で壁を裂く。
到底、非戦闘員を背後に抱えたまま使える術じゃない。何より、あれは仕様上、魔力の消費が手持ちの札の中でも次元が違う。
【天璽聖劍】に至っては、一振りで非戦闘員の仲間入りを果たしてしまう。《聖劍解錠》で【幽輝剣】に換装して、ぶっ放せても一発限り。
まともに当たるかわからない。相手の目的は僕の捕縛。目的達成即ち、ヨアン【司祭】の死につながる。
魔力がなくなって動けなくなったら、敗北あるのみ。
つまり、今の僕にできるのは、普通に戦うことだけ。
「来ないのか?」
メーテールさんが、首を少しだけ傾けた。
……それだけ余裕そうなのに、全く勝つ方法も、未来も視えなかった。
それから、右手に握った打棒の柄に、小さな魔法陣を通した。
赤い光が、柄から先へ、すうっと染み込んでいく。まるで、赤い光の剣のように、得物が輝いていた。
——<赤念掌力>。赤い光は、膂力を念力に変え、近くへ飛ばす魔法の光、か。
文字数にしてざっと2000文字。さほど難しくはないし、威力で言えば警戒するまでもない。警戒するべきは、源流能力であろう、光の棒。
最初は、そう判断していた。
「来ないのなら、こちらから行くぞ」
瞬間。
彼女の手から、打棒が離れた。
※※※
打棒が、飛んできた。
投げられたのではない。手を離された打棒が、赤い光をまとって、ひとりでに宙を進んでくる。
遅いと。最初は思った。
ゆっくりと弧を描き、ぅおん、と音を立ててこちらへ向かってくる。
——速くなった。
と思えば、減速した。
また加速し、止まり、急速に跳ねる。
加速と減速が、まるで規則性を持たずに繰り返されていた。《蒼眼》で軌道を追っても、次の瞬間にどこにいるのかが読めない。読めたと思った位置を、打棒は一拍ずらして通り過ぎていく。
メーテールさんは腕を赤く光らせたまま、じっと僕らを眺めていた。
「——っ!」
リリアが前に出る。
剣に、赤い焱が灯った。
【八炎鼓】。
魔力や原子、夢幻と無限を焼き尽す焱だ。その刃で触れれば、魔法も、魔力で編まれたものも、源流能力だって、燃えていく。
リリアは、迫る打棒の軌道に刃を合わせた。
——どんッ!
「——ッ!?」
リリアの強靭な腕が、跳ねあがった。
あれは——衝撃の逆流か! 衝撃が刃を伝って、逆流していた。撃ち込んだ力が、そっくりそのまま、それ以上の重さになって返ってきた。
『亡星』を構え、リリアのそばへ踏み込む。
—— 一歩、遅かった。
「まずは、ひとり」
メーテールさんは、右腕に赤い光を纏わせたまま、リリアの目の前にいた。
僕の警戒がリリアへ向いた瞬間、音もなく十歩の距離を詰めてきた。
打棒の赤い光が消え、空に浮いたまま。
メーテールさんは、そのままリリアへ腕を振るう。
重心を崩す掴み。リリアは重心を深く沈め、襟首をつかまれた瞬間にもう一方の手をメーテールさんへ伸ばし。
「が、あ——ッ!」
リリアの身体が、持ち上げられた。
<赤念掌力>の赤い光だ。その手がリリアの襟首をつかんだ瞬間、リリアの身体が内側から持ち上げられたように崩れた。重心が、根こそぎ奪われていた。
「寝てなさい」
僕が『亡星』をリリアを掴む腕に振り下ろすよりなお早く、メーテールさんはそのまま腕を振る。
——ずがんッ!!
リリアの身体が、豪速球となって壁にめり込んだ。
「リリアッ!」
メーテールさんの首めがけて刃を振るい、それを首を一歩引いて躱される。<赤念掌力>の光を《統巡》で逸らし、彼女の間合いから離れながらリリアへ視線をやる。
壁が凹んでいる。
木の板が割れ、その奥の鉄骨がひしゃげていた。
リリアが、床に落ちる。
——落ちる瞬間に、身体を丸めていた。
肩から転がって、衝撃を背中へ逃している。受け身だった。300キロ以上で壁に叩きつけられて、それでも身体が勝手に受け身を取っていた。
「……ほう」
メーテールさんの眉が、僅かに上がった。
「起きているのか。気絶させるつもりで投げたんだが。いいね」
「……っ、ぐ」
リリアが、床に手をついて、顔を上げた。
額から、血が流れている。肩の動きがおかしい。それでも彼女は、剣を杖代わりにして立ちあがった。
僕の方は、見なかった。
「エディン」
メーテールさんだけを見たまま、リリアが言った。
「わたしを見ないで。あっちを見て」
「…………」
「わたしは平気。今は、あの人から目を離したら死ぬわ」
「——援護!」
バリケードの奥から、ログマの声が飛んだ。
「<生命賛歌>!」
緑の光がリリアを包む。額の傷が塞がり、肩の歪みが元に戻っていく。リリアが浅く息を吐いた。
僕はうなずいた。
視線を、メーテールさんへ戻す。
※※※
リリアが、右へ。
僕が、左へ。
言葉は交わさなかった。目も合わせなかった。それでも、リリアがどこへ動くのかわかったし、たぶんリリアも、僕がどこへ動くのかわかっていた。
二人で、メーテールさんを挟むように、じりじりと間合いを詰めていく。
メーテールさんは、宙に浮いたままだった打棒を手元に呼び戻した。
「良い連携だ。やっぱり、相性も仲もいいんだね」
笑っている。
心の底から、楽しそうな声だった。
彼女は、手元の打棒をちらりと見下ろした。
打棒の表面の一部が、黒く焦げている。リリアの焱が触れたところだった。焦げた部分だけ、淡い光が明滅していた。
「へえ。源流能力か。見たところ、15の手前だろう。その歳で覚醒して、ここまで使いこなして、能力だけにかまけていないのは大したものだ。
私の【黒獅打矛】を焦がされたのは初めてだ。すごいね。単一特化型かな?」
「褒めても何も出ないわよ」
「事実を言っているのさ。おべっかじゃない」
メーテールさんは、肩を軽く回した。
「ただ、あまり時間はかけていられない。ローグ将軍やエリス閣下がいない<執行機関>程度ならともかく、君たちと遊んでいる間に、リヴェータ執政官が飛んできたら事だ」
彼女は、打棒を逆手に持ち替えた。
そして——足元へ、振り下ろした。
——ごぅん。
床が、鳴った。
打棒が触れた一点から、何かが広がっていく。《蒼眼》に、波紋のように映る。床を伝い。絨毯を伝い、車両全体へ。
「……っ!」
一瞬、身体が浮きかけた。
それを、全身の荷重を下へ意識して向け、気合でいなす。
リリアも、アルターも、ログマもそうやって耐えたが——。
椅子が、浮いた。
机が、浮いた。
割れた食器が、料理の皿が、絨毯の上の瓦礫が、ふわりと宙に浮きあがっていく。
乗客たちも、浮いた。
「うわぁっ!?」
「きゃあああ!」
バリケードの奥で、悲鳴が上がった。大人たちが手足をばたつかせながら、床から2メテルほどの高さで宙に止まっている。
——子供以外は、みんな浮いている。
《蒼眼》が、それを拾った。
アルターが抱えていた子供も、母親の足にしがみついていた女の子も、床に残っていた。椅子も机も、大人もみんな浮いているのに、子供たちだけが、ぽつんと床に取り残されている。
この乱戦のさなか。僕らの足場を奪うついでに見せた威圧でも、彼女は子供だけは除いたんだ。
……はは。底が、まったく見えないや。
わかっていたけど子供がうんたらは、本心から言っている言葉だったらしい。
浮いた椅子と机が、視界を塞いだ。
メーテールさんの姿が、その向こうに隠れる。
そして、彼女の放つ魔力が、急に濁った。まるで霧を巻いたように、周囲に薄く広がって、その奥の動きをぼかしていく。
探知を乱すための、目くらましだった。
——でも、《蒼眼》は魔力で物を視ているんじゃない。
視えた。
浮いた机の隙間。
握られた石片がひとつ。
メーテールさんの手の中で、加速していく。
——『雷光』。
狙いは、バリケードの前。
ヨアン【司祭】。
「させるかっ!」
跳ぶ。
低圧になった重力に一瞬で身体の動きを補正し、調整を完了させる。浮いた椅子を足場に、二歩。机の縁を蹴って、三歩目で射線に飛び込む。『亡星』を寝かせて、差し入れる。
——ぎぃんッ!
甲高い音と共に、石片が天井の穴から抜けていった。
腕が痺れ、軽くなった身体が衝撃で後方に吹き飛ばされながら、なんとかたたらを踏んで耐える。
着地と同時に、左手で魔法陣を描く。
<紅蓮砲殲火>。
のべ、8万文字の大魔法。
リモルさんから【伯方】で盗んだ、攻城魔法。あれ以来、幾度の死線を共にしてきた、相棒のような魔法。
素直で、高火力で、応用性に富んでいる。そこへ、もう一式術式を足す。熱と爆風を空へ逃がす風を起こす術式。後ろの人たちに届かないように。
掌の上に、小さな紅い太陽が生まれて。
発射。
赤い太陽は轟音を奏でながら赤い尾を引き、浮いた机を溶解させながらメーテールさんへ迫る。
メーテールさんは、避けず。
「——すごいね」
打棒を、振り抜いた。
砲弾が、真っ二つに両断された。
割れたふたつの炎が、打棒に触れた瞬間に膨れ上がった。
「——ッ!?」
膨らんで、弾けて、広がっていく。
爆炎が、車両の上半部を舐めた。
対策されるのはわかっていた。
防がれるか、何かされるかは、撃つ前からわかっていた。
だから。
『<紅蓮砲殲火>』
二発目を仕込んでいた。
術式の名を呼ぶだけでも、詠唱として機能する。詠唱によって重ねて描いていた魔法陣に魔力が通うよう、術式を組んでいた。一発目がどう処理されても、その爆炎そのものが目くらましになる。
爆炎の向こうへ、二発目が飛び。
「——【黒獅打矛】」
小さな太陽が、僕へ返ってきた。
《蒼眼》に映ったのは、<紅蓮砲殲火>の砲撃を撃ち返すメーテールさんの姿。
流麗な太刀捌きによって振るわれた打棒が、今度は二発目の砲弾の芯を正確に捉えていた。
「——っ」
その一瞬で。僕はようやく理解した。
あの打棒が触れたものは、ただはじき返されるものではない。
触れた瞬間に、増幅と反発が起きる。触れたものの力を膨らませ、膨らんだ力がそのまま反対へ押し出される。
リリアの剣が触れた時は、その打ち込んだ力が。床に触れたときは、一帯の重力が反転して、上向きに。
そして、今。僕の砲弾は、増幅と反発によって、二倍以上の威力で爆炎を切り裂き、僕に跳ね返ってきていた。
——なら。
ちょうど、昨日と同じ。
屋台通りの的あて。
クロを出し抜いた、あれと同じ。
<紅蓮砲殲火>を、もう一度。今度は、魔力を倍に込める。
狙いは、帰ってくる砲弾の下段。
——発射。
ふたつの太陽が、空中でこすれた。
閃光。衝撃。そして、爆音。
跳ね返された二発目が、上へ跳ねあがった。
天井の穴を抜けて、空へ。砂漠の青い空に、紅い火の玉が上っていく。
小さいほう——三発目は、軌道をほとんど変えずに、そのまま目へ。
メーテールさんへ。
「——はああぁッ!」
爆炎の後ろから、赤い影が飛び出す。
リリアが、剣を構えたまま燃える空気の中を真正面から突っ切ってくる。狙いは同じく、メーテールさんへ。
前から、リリアの刃。後ろから僕の砲弾で、挟んだ。
メーテールさんは笑みを少し深くした。
半歩、身体をずらす。刃が、彼女の外套の裾をかすめて空を切る。
そのまま、打棒を逆手に握り直し。
背後から迫る僕の砲弾を、すくい上げた。
打棒は反発せず。しかししっかりと増幅されながら、太陽を運んだ。
——そのまま、リリアへ振り下ろした。
「——ッ、舐めないで!」
リリアの刃が、燃え上がった。
さっきまでの炎とは違う。刃の表面だけに、薄く、薄く。圧縮された赤。その刃で、真上から叩きつけられた太陽を迎え撃ち、縦に裂いた。
避けた炎が、リリアの左右を流れ落ちていく。
その中心で、剣と打棒がぶつかった。
——ぎぎぎぎぎッ!
火花が散る。
赤い刃と輝く打棒が鍔迫り合う。
リリアの足が、絨毯の上を滑る。押されている、それでも刃が退くことはない。
全身の魔力を強化へ回し、後先を考えずに最大の強化を施す。
「【旧流法】、玖の刃——」
技の名を唱える。出力を上げ、次の一撃の出力を上げる。
「——『夜叉』」
後方から、一気に突き上げる。
「っ、やるねっ!」
メーテールさんが、身を捻り、僕の一撃を回避。
しかし——。
「『夜叉返し』」
そこから斬撃へ派生するのが、『夜叉』の強み。
軍服の袖、釦が斬り飛ばされる。
「あら。お忘れかしら!」
リリアが。打棒の下をくぐった。
そこに、僕も斬撃を逆方面から重ねる。
斬る/突く。
手首のスナップだけでリリアの剣が弾かれ、僕の突きをいなされる。
振り下ろす/逆袈裟。
半身になって躱され、【黒獅打矛】の一撃で弾かれる。
横薙ぎ/振り下ろし。
一撃を弾いて足を交叉。流れるように回転、弾かれる。
三合、四合、五合。
剣と打棒が、眼で追えない速さで撃ちあう。
速度と重さは、技の冴えは向こうが圧倒的に上。リリアは勘、僕は先読みで刃を交わせていく。
そして、わずかに姿勢に乱れが生まれる。
——いまだ。
足に魔力を溜める。
<玉桂天装>の上から、さらに重ね。
思い切り肘撃ちを叩き込み、わずかにメーテールさんがたたらを踏む。<紅蓮砲殲火>の残火を『亡星』の刃に吸わせる。
そこへ、猛犬のように剣を構え、メーテールさんへ突き立てにかかるリリア。
間髪入れず、深紅に燃え上がる『亡星』を、振り下ろす。
前に、リリア。
後ろに、僕。
——ひゅう、と。
口笛が、鳴った。
「いいね」
メーテールさんがわらっていた。
「でも」
打棒を握る手が、両手に変わった。
「ここまでかな」
指の関節が、白くなるほど、強く握る。
さっきよりはるかに速く、打棒を振り抜いた。
——がぁんッ!
リリアの剣が、はじけ飛んだ。
手から離れて、くるくると回りながら天井の穴の向こうへ消えていく。リリアの体勢が、大きく崩れた。
一瞬の間に叩きこまれる、蹴り。
軍靴の踵が、リリアの腹にめり込んだ。
「か——」
リリアが、まり玉のように吹き飛んだ。
——どごぉッ!!
壁が抜けた。
リリアの身体が、壁の板を突き破って、その向こうの鉄骨に叩きつけられる。そのまま、ずるずると床へ滑り落ちて——動かなくなった。
「——<生命賛歌>!」
ログマの緑の光が、リリアへ飛ぶ。
「だめだよ」
メーテールさんの打棒が、その光を横から叩いた。
——ぱしゅ。
緑の術式が弾け、治癒の光が霧のように散って消えた。
その背に、僕の刃が届いていた。
硬い音を立てて、それは止められた。
メーテールさんは、振り返りもしなかった。打棒を後ろ手に回して、背中越しに、僕の刃を受け止めていた。
「座興はこれにてお終い」
一瞬、打棒が引っ込んだ。
受け止めていた支えが、ふっと消える。前へつんのめりかけた僕の刃を、次の瞬間、打棒が下から跳ね上げた。
「ぐ——っ」
僕の身体が、弾き飛ばされる。机を砕き、浮いた椅子にぶつかり、床に転がる。
「……ッ、は」
息を吐いて、顔を上げた。
リリアは、動かない。
赤い光を纏った打棒が、ぐるぐると円を描いて、ログマの治癒魔法を弾いている。
僕ら二人で、相手にもなっていない。
——このままじゃ、終わる。
※※※
だから、賭けることにした。
僕の源流能力、【星輝戴星】は食らった攻撃に耐性を得て、その耐性をもとに食らった能力を半永久的に学習できる。
食らうことが、条件。だけど、視えてる光明はこれだけ。
あの打棒を、一度だけ身体で受ける。
【黒獅打矛】の一撃を喰らえば、増幅と反発への耐性が手に入る。耐性があれば、次からはあの打棒を弾かれても、力をあのまま返されることはない。
なんなら、『亡星』と二刀流にできる可能性が高い。
——行く。
立ち上がる。
リスクは承知の上。一撃をもらえば、戦闘不能になるかもしれない。それでも、このまま削られていくよりはましだ。
『亡星』を、正面に構える。
刃に、意識を集めた。視線も、魔力も、全部を刃の先に。メーテールさんの目に、僕が刃で斬りかかってくるように見えるように。
踏み込む。
塵と空気が舞い、一直線に突っ込む。
刃と、メーテールさんの打棒が交叉する。
——がぁんッ!
鈍い音を立て、刀が手から弾き飛ばされた。
それでいい。
空いた両手で。魔力を全身に巡らせる。
メーテールさんの左手に、赤い光が灯った。<赤念掌力>。リリアを掴んだ、あの念力の手。
——屈む。
頭の上を赤い光の手がかすめていった。
そのまま、懐へ。
全身の魔力を流動させる。どこを打たれても、軌道を読んでそこへ瞬時に魔力を集められる。胸でも、肩でも、頭でも。魔力と意識を一点に集めれば、あの打棒を受け止めて、能力と耐性を獲得できる。
来い。
その打棒を、僕に——。
——どぽッ。
「——ぉあ」
空気と胃液が、せり上がってくる。
鳩尾に、何かがめり込んだ。
打棒じゃない。
軍靴の、爪先だった。
「————」
視界が、白くなる。
身体が後ろに飛んだ。
強烈な衝撃が、背中に走る。
壁が凹んで、その凹みに身体がめり込む。
……壁に、叩きつけられたか。
肺が、動かない。
膝から、身体が崩れ落ちる。痛みと苦しみには慣れていても、限界を迎えると、肉体が強制的に停止をさせてくる。
「——駄目じゃないか」
声が、遠くから聞こえた。
メーテールさんだった。打棒を肩に担いで、僕を見下ろしている。
「さっきまで、あんなに慎重に動いていたのに。急に前へ出てきた。それも、一撃もらうことを前提にした動きでね。不自然だよ」
彼女は、首を傾げた。
「そっちの赤い子が、源流能力を持ってるんだ。君が持っていないはずがない。じゃなきゃ、イルゲルムとリューリュのふたりは獲れないからね。
そして君は、あそこで突っ込んできたとき、刃を見せながら、意識の大半を私の【黒獅打矛】に向けていた。しかも、魔力を流動させながらね。つまり、私の打棒を喰らいにきたと読める」
《蒼眼》が、彼女の口元の動きを、ぼんやりと捉えていた。
「受けることで発動する、能力特化の防御型かカウンター型の能力。ゆえに能力を使わず蹴れば恐るるに足りない。そうだろう?」
答えられなかった。
息が、まだできなかった。
「まだ、能力の使い方が青いね」
メーテールさんは、少しだけ目を細めた。
「だが、それもいい。ちゃんと手取り足取り、私たちが教えてあげるよ」
それから、打棒が彼女の手を離れて、ふわりと宙に浮いた。
ぱち、ぱち、ぱち。
空いた両手で、彼女は拍手をしていた。
「イルゲルムに勝って、天狗になっていないのは偉い。あれだけの相手に勝ったら、ふつうはもう少し浮かれるのにね」
拍手が止まった。
まだ、指先すら動かない。衝撃が、余すことなく全身にダメージを与えている感じがあった。
「ただね、エディンくん。イルゲルムは確かに、我らと鎬を削った大魔族だ。だけど、あれは暗殺や工作担当の将。正面切っての切った張ったは、さほど得手じゃない。だが、私は違う」
灰色の瞳が、僕を見下ろした。
「私は生涯現役。二千年、ずっと修羅場だ」
——ああ。
物が、違う。
肺に、ようやく空気が入ってきた。浅く、細く。喉がひゅうひゅと鳴る。
その時、ようやく身体に宿る感覚に気づいた。
【星輝戴星】が、反応していた。
——耐性獲得。『打撃』。
打撃の耐性。
たった今、僕を沈めた蹴りの耐性が、付与されていた。
——今更、か。
十分で消える耐性だけが、身体に残っていた。打棒の力は、何一つ学べていない。
「さて」
メーテールさんの右手に、また赤い光が巻き付いた。
「任務を終えようか」
彼女が、こちらへ歩いてくる。
僕の方へ。それから、壁際に倒れたリリアの方へ。二人まとめて、あの赤い念力で抱え上げるつもりなのだとわかった。
途中で、彼女の視線が、一瞬だけバリケードの方へ向いた。
ヨアン【司祭】が、そこにいた。
メーテールさんはすぐに視線を戻した。先にこちらを確保してから、と言う顔だった。
赤い手が、僕の方へ伸びてくる。
動けない。
身体が、言うことを聞かない。
その手が、僕の襟首に触れる——
——直前。
「主々よ」
「嘆きたまえ。許したまえ。我が凶行」
「——同胞を殺める我が蛮行を」
声が、三重に聞こえ。
メーテールさんの姿が、消えた。
※※※
横へ、壁をぶちやぶって吹き飛んでいった。
代わりに、そこへ誰かが立っていた。
片足を、高く上げていた。
回し蹴りを振り抜いた後の姿勢だった。
その人は、上げていた足を、ゆっくりと下ろした。両足で床を踏みしめて、まっすぐに立つ。
男の人だった。
金と灰の混じった、柔らかな色の髪。感情の彩が薄い、薄緑の瞳。黒い法衣は【神父】のもので、その胸元には、ロザリオがふたつ下がっていた。
ひとつは、正三角。
もうひとつは、銀の蛇。
「——遅くなりました」
その人は、僕の額にそっと手を当てる、温かい光が流れ込んできて、潰れた肺がゆっくりと膨らんでいった。
息が、吸えた。視界の明滅が、止まった。
その人は立ち上がると、壁際のリリアの方へ手をかざした。同じ光が、リリアを包む。リリアの指が、ぴくりと動いた。
「申し訳ありません。後方で、少々手間取ってしまいまして」
ヨアン【司祭】と同じ、丁寧な口調。しかし、言葉に宿る温度は低く、平坦だった。
「あなたは……」
僕の声は、まだ掠れていた。
「申し遅れました」
その人は、表情を変えることなく言う。
「私はユースティス・アルバ。【神父】の<神話継承>に憑く信徒にして」
そう言って、彼は僕に背中を向けた。
壁の向こうで、瓦礫の崩れる音がした。
その方へ向かって、ユースティスさんは、左の掌を上に向けて、ゆるやかに前へ差し出した。右手は、胸の前で軽く握られている。
祈りの形に、少しだけ似ていた。
「<執行機関>No.2。<聖餐者>の二つ名をいただく者です」




