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狂信者の乱入


 

 

「——そちらのお嬢さんも」

 

 ヨアン【司祭】が、穏やかな声のまま、ラウンジの隅へ顔を向けた。

 

「どうか、銃を下げていただけますか?」

 

 僕は、つられてそちらを見た。

 

 窓際の席。紅茶のカップを片手に持ったまま、ローレッタさんが座っていた。

 

 その片方の手に、白い筒があった。

 細身の魔鋼でできた、鉄の筒。中は空洞で、らせん状の溝が彫られている。「く」の字に曲がったような道具の手元には、六発の水車のようなものがある。


 引き金に指をかけたまま、鉄の筒はリリアのとクロの間合い。リリアの一刀が振り下ろされる軌道。ちょうど、今僕がリリアと鍔迫り合いをしている場所に狙いを定めていた。

 

 あれが、「銃」か。

 

「……あら」

 

 ローレッタさんは、少しだけ目を丸くして、それから微笑んだ。

 

「【司祭】様がそうおっしゃるなら」

 

 銃が、ゆっくりと下がる。白い銃身が、彼女の外套の内側へ消えた。

 まるで最初から、そんなものは持っていなかったように、銃身は符へ変わり、外套の内ポケットの中にしまわれた。

 

 ——いつから。

 

 《蒼眼》を絞っていたとは言え、気づかなかった。

 

 たぶん、リリアが銃を抜いたその瞬間からだ。恐らく、リリアの刃がクロの首へ向かうより早く、その刃を読んで、弾くための位置に狙いを定めていた。

 

「……なるほど」

 

 冷や汗が頬を伝う。

 弾速がどんなものかはわからない。だが、速度は逆算でき。

 流線形に込められている爆裂する薬と、重なり合う水車の中——二つのリボルバーに詰め込まれた魔力剤、銃身に刻まれた術式と、螺旋状の溝から直感で出した計算結果。

 

 音速の十倍以上。

 

「だいじょうぶ」

 

 ローレッタさんの膝上から、舌足らずな声が聞こえた。

 ヴィータさんだった。脂の塊のような肉をほおばりながら、無機質な目を僕に向けてきた。

 

「初弾はつうじょうだん。でも、次弾はますいだん。だから、あたってもねむくなるだけ。だいじょうぶ」

「そう……ですか」

 

 少し腕にこめている力が抜けた。

 

「……あ」

 

 リリアの剣から力が抜けた。

 血走っていた目に、いつもの青色が戻る。それから段々と、彼女の顔から血の気が引けていく。

 

 へなへな、と座り込むリリアを支える。

 剣を握ったまま、リリアは動けなくなっていた。

 手首を軽くひねって、彼女の手から剣を抜いて、僕の膝の上に置く。

 

「でも、うたなかった」

 

 赤い瞳が、僕を見上げた。

 

「えでぃんが、とめたから。がんばった。えらいね」

 

 それだけ言って、ヴィータさんはまた焼き菓子を口に入れた。

 

 ——なるほど、最初から、ずっと僕らを見ていたのか。

 

「お客様!」

 

 車掌さんが、息を切らして駆け込んできた。


「刃物を抜いた方がいると伺いまして——」

「ご足労をおかけしました」

 

 ヨアン【司祭】が、車掌さんの前に進み出た。

 胸元の、大きな正三角のロザリオ。それを、そっと掌に載せて見せる。

 

「【聖都 サン・ヘレナ】の救民街アデラ地区担当。【月睨派】のヨナラ修道院より、リヴェータ【枢機卿】からお招きいただいた【司祭】、ヨアンです」

 

 銀の蛇が象られたブレスレットを見せ、ヨアン【司祭】が、微笑んだ。

 

「この件は教会が預かります。

 リヴェータ卿との契約通り、【月睨派】だけでなく、【叡神派】とも折半で。皆様にお怪我はありません。

 後ほど、私から改めてご報告にうかがいます」

 

 車掌さんが、ロザリオとブレスレット、それから【司祭】の顔を見る。

 背筋がぴん、と伸びた。

 

「……か、かしこまりました。【司祭】様が、そうおっしゃるのでしたら」

 

 深く一礼して、車掌さんは乗客たちの方へ向き直った。「大丈夫です、皆様、お席へお戻り下しさい」と、声を張り上げながら戻っていく。

 

 アルターが、テーブルの陰で、長い長い息を吐いた。

 

 「ふー……聴取、しなくてよくなったのです。その場で摘まみだされることも覚悟していたのです」

「よかったね」

「よくないのです。寿命が三年は縮んだのです」

 

 

 

 

 ※※※

 

 

 

 

 

「さて」

 

 ヨアン【司祭】が、ぱん、と一度だけ手を打った。

 

「まずは、座りましょう。立ったままでは話し合いもできません」

 

 彼は、ラウンジの一番奥の、窓際の丸テーブルを指した。四人掛けの、小さなテーブルだ。

 リリアは、まだ腰が抜けている。顔色は悪く、視線は別に向いていた。

 

 クロは、バツが悪そうにそっぽを向いていた。

 

「……ごめんなさい、エディン」

 

 リリアが、沈痛な面持ちのまま言う。

 

「リリア。謝ってくれてありがとう。でも、それは僕に言うことじゃないよ。まずは、テーブルに行こう。クロも」

「……ああ」

 

 リリアの腰に手を回し、彼女を支えながら立たせて、テーブルまで誘導する。

 ……意外だ。リリアの腰って、結構細いんだな。

 

 いや、なに馬鹿なこと考えてるんだ。

 

 浮かんだ邪念を振り払い、リリアをゆっくりと腰かけさせる。

 クロが椅子を引き、向かいの席に音もなく座る。

 

 僕は、二人の間に座る。

 

 ヨアン【司祭】は、座らなかった。

 バイキングのカウンターへ歩いていって、給仕の人に何か話しかけている。

 給仕の人が頷いて、奥から小鍋と、小さな炉を持ってきた。

 

 【司祭】は、法衣の内側に手を入れて、小さな缶を取り出した。

 

 ふたを開ける。

 

 甘い匂いが、ふわりと漂ってきた。

 

「……それ」

「ええ。持ち歩いてるんです」

 

 ヨアン【司祭】が、目じりの皺を深くした。

 

「こういうことも、ままありますから」

 

 小鍋に、ミルクが注がれる。

 炉の上に載せる。茶色い粉を匙で掬って、落とす。ゆっくり、ゆっくりと混ぜる。

 

 朝の控室と、同じ手つき。

 湯気が立つ。甘い匂いが、ラウンジに広がっていく。

 

 カップが4つ、テーブルに置かれた。

 

 「どうぞ」

 

 リリアは、カップに視線を落とした。

 クロは、ヨアン【司祭】の顔を見た。

 

 僕は両手でカップを包み、一口飲む。温かい。朝と同じ温かさだ。

 

「まずは、温かいものでも飲みながら話し合いましょう。その方が、話し合いはうまく行きます」

 

 ヨアン【司祭】は、四つ目のカップを手に、ようやく残りの席に腰を下ろした。

 

「私の、ささやかな経験則ですが」

 

 

 

 ※※※

 

 

 

「では、聞かせてください」

 

 【司祭】は、カップを両手で包んだまま言った。

 

「どちらが悪いかを決めるためではありません。何が起きたのかを、ここにいる全員が知る必要があります」

 

 沈黙が落ちた。

 リリアは、唇を噛んだまま俯いている。

 

 ……相当、自己嫌悪に走ってるな。

 

「——公から話そう」

 

 先に口を開いたのはクロだった。

 彼は、カップに口をつけずに言った。

 

「公はエディンと話していた。そこへ、彼女が来て、話題を変えろと言ってきた。

 公は、それを不当だと感じた。先にエディンから席を離れていたのは彼女だ。戻ってきて、自分に合わせろというのは筋が通らない、と」

 

 淡々とした声だ。事実だけを、順番に並べていく。

 

 クロは腕を組み、じっとリリアを見つめる。

 

「そうだね。そこまでは、間違っていない。アイネイアスの誇りに賭けて、誓おう」

 

 リリアの指が、カップの上で強張った。

 

「が」

 

 クロは、そこで言葉を切った。

 深い金色の瞳が、リリアを見た。

 

「そのあとは、貴族的でなかった」

 

 彼は、ゆっくりと息を吐いた。

 

「公は、感情に身を任せて彼女を挑発した。不快な気持ちに身を任せて、傷つけるために皮肉を言った。

 それでは、獣と同じだ。理性を持つ人の行いでなく、誇りを掲げる貴族的でなかった」

 

 クロが、リリアに向き直る。

 背筋を伸ばして、座ったまま頭を下げる。

 

「公の言葉が過ぎた。謝罪をさせてほしい。すまなかった」

 

 リリアが目を見開いた。

 

 思わず、僕は小さく笑った。

 リリアはきっと、謝られるとは思っていなかったんだろうな。いけ好かない、鼻持ちならない貴族のお坊ちゃんだと思ってたんだろう。

 

 ふふん。すごいだろ。クロは、ちゃんとした貴族なんだぜ。

 

「…………」

 

 リリアは、しばらく黙っていた。

 カップを見て、クロを見て、またカップを見た。

 

「……剣を抜いたのは」

 

 小さな声だった。

 

「わたしが、悪かった」

 

 彼女は、声を上げた。

 

「……ごめんなさい。あなたにも、それから——」

 

 ラウンジを見回す。遠巻きに座っている乗客たち。泣き止んだばかりの子供。

 

「ほかのお客さんにも。迷惑をかけたわ」

 

「ええ」

 

 ヨアン【司祭】は、静かに頷いた。

 

「よく言えましたね」

 

 それから、少しだけ首を傾げた。

 

「リリアさん。ひとつだけ、聞いてもいいですか」

「……なんでしょう」

「剣を抜いた理由について。あそこまで怒った理由を、あなたは言葉にできますか?」

 

 リリアの瞳が揺れる。

 僕に、一瞬だけ視線が向き、唇を噛んだ。

 

「……エディンが」


 小さく、唇を開いた。

 

「エディンが、取られると思ったから」

 

 リリアはそう言って、唇を閉ざした。

 耳に髪をかけ、スカートのすそを強く握る。視線を窓の外に向けた。

 

「よく話してくれました」

 

 ヨアン【司祭】はうなずき、僕の方を見た。

 

「エディンさん。あなたはエレクロス殿と仲良くなったら、リリアさんから距離を取りますか?」

「取らないですよ。何があっても、リリアは僕の大切な仲間ですから」

 

 「仲間」という言葉を聞いて、リリアのスカートを掴む手が、少し強くなった。

 

「……そうですよね。リリアさんの望むものには少し遠いかもしれませんが。納得できましたか?」

 

 リリアがこくり、と頷いた。

 

 ……? あれ、僕は思いのたけを語ったんだけどな。もしや、それがまちがいだったのかな。

 

 首を傾げていると、向かいのクロと目があった。

 クロは、目を細めて、リリアを見ていた。それから、僕を視た。

 本当に小さなため息を吐いて、ココアを口に運んだ。

 

 ……なんで?

 

「さあ、みなさん」

 

 ヨアン【司祭】が、自分のカップを持ち上げた。

 

「冷めないうちに」

 

 そう言った、ヨアン【司祭】の勧め通りに、カップに手を伸ばした。

 

 

 

 

 

 ——ごん。

 

 

 

 

 

 カップが、跳ねた。

 

 

 

 

 

 ※※※

 

 

 

 

 

 

 それは、段差を超えたような振動だった。

 

 テーブルの上で、四つのカップが一斉に跳ねた。ココアが淵から溢れて、白いテーブルクロスに茶色いシミを作った。

 スプーンが、皿の上でかちりと鳴った。

 

 ——おかしい。

 

「妙だな」

 

 僕の疑念と、クロの声が重なった。

 

「砂漠鉄道は、宙に浮いている。振動が起きることなど、ありえないじゃあないか」

 

 クロの言葉に、僕はうなずいた。

 

 この列車は浮いている。電磁力を使って浮いているうえ、魔力障壁を使って空気まで薄くしている。

 

 《蒼眼》を、開ける。

 

 クロが立ちあがり、薄く魔力を延ばす。

 

 リリアが腰の剣に手を伸ばす。しかし、その手つきには、どこか迷いがあった。

 彼女の揺れた瞳が、僕を見ていた。

 僕は振り返り、頷きを返せば、リリアは頭を振って迷いを払い、鞘に手をかけた。

 

 絞っていた視界が、一気に広がった。

 

 車両の構造。床下の炉。壁の中を走る魔力の管。障壁の幕の厚み。乗客二十人の心拍。給仕の人の手の震え。そして——。

 

 

 後ろ。

 

 車両の、後ろ。

 

 

 連結から先。

 後方車両が、なかった。

 

 

「……っ!」

 

 ぎゃん、ぎゃん、ぎゃん。

 

 警報が鳴りだした。

 窓の外の青い膜が、真紅に染まる。静寂に慣れ切った耳に、その音は殴りつけるように響いた。

 

「な、なに!?」

「事故か!?」

 

 ラウンジが、悲鳴に揺れた。

 

「ヴィータ」

 

 ローレッタさんの声が、その喧騒を貫いた。

 

 さっきまで優雅に紅茶を飲んでいた人と、同じ人の声とは思えなかった。

 外套の内側から、白い銃身が再び姿を現していた。

 

「ん。ぶれす・れすは半励起状態にしてる」

 

 ヴィータさんが、懐から符——陰陽道でよく使われていた、符を取り出していた。

 

 ヴィータさんが、皿を置いて立ち上がる。

 二人が、並んで立って。

 

 ——ふたりは、石になった。

 

「え」

 

 ローレッタさんが、いなかった。

 ヴィータさんも、いなかった。

 

 代わりに、その場所に、石の人形が立っていた。

 

 二体。

 

 人の背丈ほどの、灰色の石象。顔も、手も、服の襞も、丁寧に彫られている。

 

 ……石化した、わけでもないか。空間の歪みが、わずかに見える。石と交換で、転移させられたか。

 

 ——それと。

 

 僕は、もうひとつの石像を見ていた。

 

 ラウンジの入り口。扉の脇。

 そこにも、一体。

 

 誰もいなかったはずの場所に、石の人形が立っていた。

 

 ……そこには、誰もいなかったはずなんだけどな。《蒼眼》をさっき展開したときにも、いなかったんだけど。

 

 なのに、そこに石像がある。ってことは、誰かがそこにいたということ。

 

「どう見る」

「空間に干渉してる。魔法の動きじゃないし、魔法じゃ空間に干渉できない。源流能力だと思う」

「組織だった超越者の犯行と見ていいか。なら犯罪組織。それもかなりの大掛かりなもの。

 ……<アリウスの梯子>か。とんだ大物じゃあないか」

 

 ……<アリウスの梯子>、か。

 否応なしに思い出すのは、【出雲】での一戦。リューリュ・ヴェティや、イルゲルムといった、類まれなる強者。

 

 あの時は【魔神】の<神話継承>を持つリモルさんによる、規格外の強化があった、でも、今はいない。イルクも、リーリエさんもいない。

 

 おそらく、狙いは先頭車両。僕か、クロかのどちらかのはず。

 

 そんな状況で、相手取れるのだろうか。

 

「エディン!」

 

 リリアが、立ち上がっていた。

 窓に顔を張り付け、後方を見ている。

 

「後ろの車両が!」

「わかってる!」

 

 窓に駆け寄る。

 《蒼眼》を広げ、後方へ視界を手繰る。砂漠が流れていく。その遥か後方に、銀色の細い列が視えた。

 

 第二号車から先の、全部。

 

 そこに、取り残されていた。線路に浮いたまま、そこで止まっている。

 距離が、みるみる開いていく。

 

 そして。

 

 第二号車の上に、ナニかが立ちあがった。

 

 黒い。人の形をしている。だけど、人にしちゃあ大きすぎる。車両よりもでかい。……8メテルはある、か。

 身体の継ぎ目から、七色の光が漏れている。

 

 赤、青、金、茶、緑、白、そして黒。

 

 単眼を、ぎょろりとこちらに向けた。

 

「……なに、あれ」


 リリアが、腕に立った鳥肌を撫でていた。

 

「——なるほど」

 

 隣で、静かな声がした。

 

 クロだった。

 

 彼は、窓の外の黒い巨体を見上げていた。その目は鋭く、怜悧なまま細められている。

 

「エディン」

 

「おそらくだが、あれは魔法を喰う」

 

 彼は、それだけ言った。

 

「文献で読んだことがある。あれは、偽造創世神。

 魔法を撃ち込めば、その分だけ装甲に変える。大地から力を吸い上げていく。厄介なことに、ここはすでに【熱砂の城郭 アフ・レシス】の近く。燃料は無限にある。時間をかければかけるほど、手が付けられなくなる」

 

「じゃあ、どうやって倒すのさ」

「魔法でない火力で、一撃で跡形もなく屠る。これしかない」

 

 あっさりと、無茶難題を言ってのけた。

 

「少なくとも、公には無理だな。公の手札は、ことごとく相性が悪い」

 

 クロは、コートの襟に指をかけた。

 黒いコートが、ぬるりと動いた。

 

「起きろ、エルちゃん」

 

 黒が、応えるように形を変えた。

 布じゃない。半分液体のような、黒い何かが、彼の身体を這い上がって、腕を、肩を、足を覆っていく。

 

「後ろには、二等車から先の客がいる。数百人だ。消えたふたり、いや三人か。あちらにいるはずだが、あれを相手に取りながら客まで守るには、手が足りないじゃあないか」

「待って。倒せないって、今——」

 

「公には、な。だが、あそこにはヴィータ先輩がいる。エディン」

「うん、視える。貨物車両の中だ」


 《蒼眼》を光らせ、ローレッタさんとヴィータ先輩の安否を確認する。

 ローレッタさんは、すでに銃を抜いていた。右手に銃、片手に銃と刃が合体したような武器。ヴィータさんを護衛するように背後に回し、ヴィータさんは懐から符を取り出していた。


 ……その足元には、幾匹もの魔物の死骸。全て一文字に切り捨てられ、床を大量の血で濡らしていた。


 ……貨物車両から転移させた、ってわけか。やっぱり、予想したとおり。入れ替えは、距離が遠すぎるとできないと見ていい。


 術者がどこにいるかを探そうと思い、辞める。

 今はそちらを確認するより、先頭車両の護衛が先。あちらはあの二人……いや、三人に任せればいい。


 こちらは、こちらのやることをやる。

 

 クロが、僕を見た。

 金色の瞳に、あの的あての時と同じ光が宿っていた。

 

「Breath/Bless Lessが本調子になるには時間がかかる。それまでの、時間を稼ぐ。ここにいることも考えたが、公が本気を出すには、ここは狭すぎる」

「だけど、クロ。おそらく敵の狙いは——」

「おお。わかっている。公か、お前のどちらかだ」


 クロはじっと僕を見つめる。


「次期、アイネイアス家の当主か。それとも次期【勇者】。どちらかの身柄だろう」


 ……やっぱり、クロは僕が次期【勇者】だと気づいていたか。


 彼の腕に、黒い半液体の装甲が張り付いていく。液体だったそれが硬い鉄を彷彿とさせる光沢を放ち、そこに魔力の導線が通う。


「公が狙われるとわかっている。だが、この鉄道はアイネイアスの直轄地であり、後方には民がいる。

 むざむざ見捨てるような真似は、貴種として、魔法師として下の下だ」 

 

 彼は、ラウンジの後方の扉へ歩き出した。

 

 その途中で、一度だけ振り返った。

 

「エディン」


 じっと、僕を見た。

 

「後ろは、公が持つ」

 

 黒い半液体の装甲が、彼の顔の半分を覆った。

 

「前は、任せた」

 

「——ああ」

 

 力強くうなずき。

 

「任された。そっちは頼む」  

 

 扉が開く。

 薄い、刃のような風が一瞬だけ吹き込んで——閉じたときには、もう誰もいなかった。

 

 

 

 

 ※※※

 

 

 

 

「アルター、ログマ! 後ろに下がって! 乗客の人をまとめて。アルターは強化用意。ログマは必要に応じて、<生命賛歌(アトゥーン)>の用意を」

「わ、わかったのです!」

「了解。承知しました」

 

 二人が、ラウンジの奥へ駆けていく。泣きだした子供を、アルターが抱き上げた。ログマが、給仕の人を奥へ誘導し、机でバリケードを作っていく。

 

「皆さん、落ち着いてください! こちらへ!」

 

 ヨアン【司祭】の声が、警報の中に響いた。

 

 彼は両手を広げて、乗客の前に立っていた。

 白い法衣が、警報の光を受けて赤く染まっている。老夫婦の背中を押し、身なりのよい商人や小奇麗な格好をした紳士淑女に方向を示す。

 一人ずつ、確実に、丁寧に誘導していった。

 

 ……よかった。ヨアン【司祭】がいるなら、後ろをある程度気にせず戦える。

 

 

 

  そう思った、瞬間だった。

 

 

 《蒼眼》が、悲鳴を上げた。

 

 真っ直ぐ。後方車両。

 置き去りにしたの後方車両。その前方に、砂煙が一条、こっちに向かってきていた。

 

 何かが、走ってくる。

 

 時速600キロ。先頭車両はいまだ加速し続けている、なのに、砂煙はゆっくりと距離を詰めてくる。

 

「…………うそだろ」

 

 砂煙の正体は、人だった。

 そして、人から魔力が半球状に展開される。

 恐ろしく精緻で迅い。一呼吸の間もなく、列車が魔力の探知に包まれた。

 

 そして——。

 

 人は、弓を取り出し、矢を番えた。

 

 

 

「——見つけた」

 

 

 走りながら、後頭部を通して、剣を構えるように矢を弦にかけ。

 

 

 

「——【司祭】様ァッ!!」

 

 

 反射的に、ヨアン【司祭】の前に立った、瞬間。

 

 

 矢が、目の前にあった。

 

 

「……ぐ、おおッッッ——!」

 

 反射的に構えていた『亡星』の刀身で、その一射を受け止める。

 受け止めたと同時。

 

 音が、裂けた。

 

 矢より後方の窓ガラスが、一斉にはじけ飛んだ。

 後方を護っていた扉が見るも無残に砕け散り、赤熱を帯びた車両の軸が、ひん曲がっていた。

 

 ——重いっ!

 矢が、重すぎる。

 

 たたらを踏み、刃を寝かせているが、流し切れない。

 狙いは、明らかにヨアン【司祭】。明確な殺意、怖気が出るほどの害意を乗せた一射は、まるで杭か丸太。あるいは、山。

 

「ま、ずい……っ」

 

 ジリジリと火花を散らして、刃が押し戻される。

 逸らし切れない。靴の裏が絨毯を滑り、身体ごと持っていかれる。

 

 両腕が、悲鳴を上げていた。

 

 肘から先の感覚が、白く消えていく。

 

 このままじゃ、僕ごと弾き飛ばされる。

 

「——エディン、どいてっ!」


 真横から、赤が飛び出した。

 

 リリアだ。

 

 彼女は、剣を抜いていなかった。

 鞘ごと腰から外して、両手で握って、真横から思い切り振り抜いていた。

 

 ——ごぱんッ。

 

 鞘が、矢の腹を叩いた。

 僕が殺し切れなかった残りの勢いが、それで初めて横へ逃げた。

 矢が傾く。たたらを踏む。三歩、四歩。靴が絨毯を抉りながら、ふたりでこの暴虐の矢に、立ち向かっていた。

 

 矢が、跳ねた。

 

 上へ、かすかに軌道を変えて飛んで行った。

 

 ——ズドンッ!!

 

 轟音と共に、天井が消し飛んだ。

 

 木も、シャンデリアも、鉄骨も。ラウンジの屋根が、まるごと空へ消えいていった。

 破片が舞い上がり、赤い光の中で回転しながら散っていく。

 

 そして。

 

 矢が、青い膜に当たった。

 それでもなお、猪の如き矢は止まることを知らず、600キロの高速が奏でる圧力にすら耐えた魔力障壁を、大きく撓ませ。

 

 破砕した。

 

 同時に、車両が停止し始める。

 大きく、後方へ——。車両の進行方向へ、身体が引っ張られた。

 

「ぐ——っ」

 

 足に魔力を回し、その反動に耐える。

 

「え、エディンさん……」

 

 ヨアン【司祭】が、こちらを見ていた。

 

 何が起きたのか、わからない顔をしている。ロザリオを握った手が、震えていた。

 

「前に出ないで。ここから先は、死地になります」

 

 強く言い切り、両腕を視る。

 まだ、痺れている。

 

 リリアが肩で息をしながら、鞘を杖代わりに立っている。その鞘には大きな穴が開いていた。

 

 ぎゃん、ぎゃん、ぎゃん。

 

 警報が、鳴り続けている。

 その音の中で。

 

 ——ひた。

 

 吹き飛んだ扉の向こうから、足音がした。

 衝撃を完全に殺す、特有の音だった。

 

「——外したか」

  

 人が、入ってきた。

 

「……まさ、か」

 

 旅装の外套。その下に、濃紺の軍服。手には、飾り気のない一張の弓。

 灰色の髪が、高い位置で結ばれている。

 

 僕は、その人を知っていた。

 

 その、ぶれない歩き方。制御された、膨大な人型の魔力。

 

 嵐の船の廊下で会った、あの時と変わらない。

 リリアをして、壁にぶつかり続けるほどの船の中を、平地を行くように歩いていた人。

 

 苦い丸薬を、掌に落としてくれた人。

 

「やあ」

 

 あの時と、全く同じ声で。

 

 

「エディンくん。船以来だな」

 

 

 神獣軍第0期。ネメア隊副隊長。

 

 メーテールさんが、<アリウスの梯子>として、僕の前にたちふさがった。

 

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