友情の齟齬
「な……何をしているんだ、エディン」
僕は、土下座の体勢から動けなくなっていた。
《蒼眼》をフル稼働させて、視点を変更する。顔を上げずに視れば、心底困惑した顔の僕の友。
エレクロスが、僕を見ていた。
「…………クロ。昨日ぶりだね」
声を意識して堂々としたものに変え、頭をフル回転させる。
まずい、まずいぞ。本当にまずい。今の僕は列車の往来で土下座をしている変な人。実情は財務大臣をからかいすぎて餓死を宣告された哀れな仔羊だ。
うまく言い訳を考えないと、クロの中で変な奴にカウントされてしまう。
「学堂の本試験で会おう、って言ってなかった?」
「……言ったとも。予定とは変わるものだ」
一拍おいて、クロがいつもの調子で話し始める。
腕を組もうとして、目を逸らしていた。あ、そのまま話すんだみたいな顔をしている。
「お前は何をしているんだ」
そして、弁解の時間が来た。
弁明の文章は何も思いついていない。どうしよっかな、と思いながら視点を上にしたまま、財務大臣閣下を視る。
アルターはあんぐりと口を開けたまま、鯉みたいに唇をぱくぱくさせていた。
蜂蜜色の瞳に、今まで視たことがない感情が浮かんでいる。
郷愁……、いや、懐かしさ、だろうか。
リリアはこの場にはいなかった。さっき、仲間だと思われたくないだのなんだの言って、ログマを連れて部屋へ退散していた。
薄情もここに極まれり、である。
「僕かい? 僕は……何をしているんだろうね」
「お前がわからなければ、誰もわからないじゃあないか」
はあ、とため息を吐き、小首を傾げている。
こ、これは……あかんか。
「……じゃれ合いの末にそうなったんだよ。ね、アルター」
「あ、ああ! そう、そうなのですよ! 聞いてほしいのですよ、えっと……」
「エレクロスだ」
「そう、エレクロス! エディンってば、アルターの寝言を声真似で真似てきたのです! こんなにひどい話ってないと思うのです!」
「さきに仕掛けてきたのはアルターだろ!」
そう言いながら、僕は何とも言えない違和感を覚えていた。
ほむ……。一体なんだろうか。頭を地面にこすりつけながら首を傾げても、あまりいい回答が出てこない。
「はあ……わかったのです。飯抜きは【聖都】で半日で勘弁してやるのです。次やったらほんとに一週間飯抜きにしてやるのです」
「やったー! ありがとう、アルター!」
即座に頭を上げ、クロの方を見る。
「それで、わが友エディンよ。なぜおまえは地に頭をこすりつけていたんだ。聞かせてもらおうじゃあないか。まさか、一週間の飯抜きで本当に土下座を?」
「うん。一週間の飯抜きはしんどいからね。ほんと。そのあとの機動力とスタミナに、もろに影響が出るから避けたいんだ」
ぷっ、とクロが噴き出した。
「ハハハハハ! 飯抜きを回避するために頭を下げていたのか! この往来で! ハハハハハ!」
「笑うことないじゃないか。君だってリヴェータさんに激詰めされたら土下座くらいするんじゃないか?」
「それは間違いない」
それは間違いないんだ。
クロはとたんに笑うのをやめた。真顔でそう言い、しきりに頷く。
どんだけリヴェータさん怖いんだ。
「しかし、『偶然は運命によって織られた裏糸である』とはよく言ったものだ」
「お、それはアプレの一節かい? 第三巻、4章の15節だね」
「……おお。まさか、お前も知っているのか。アプレ・ラプルイの朝日を。あれの原典は統一言語ではなく、ニホン語で書かれていたはずだが。もしや、読めるのか?」
クロはきらり、と目を輝かせて
「もちろん。原典しか読んだことはないけど。僕にとって、あれは聖書に等しいものだよ」
クロはふっ、と笑った。
「やはり、お前はいいな。今から朝食をとるところだ。せっかくだ。どうだね? 朝食を一緒に取るというのは」
「いいね……!」
彼が差し出してきた手を、僕は迷いなく取った。
※※※
「——おお。それは実に興味深い話じゃあないか。では君は、アプレ・ラプルイの朝日は現実にあった話だと?」
「その方が自然なんだよ。実際、天体の動きは6説にあった『星々の黒渦の乱れにより、第二のケンタウリ星は動く』ってあるだろう? 実際に夜空を視てみると、それが一致するんだ。他も然りだよ」
「ほう? しかし、それは聖教の研究とは異なる部分があるな。それでは天動の理論に引っかかるのではないかな?」
「それはね——」
大振りのエビ……しかし、カニのような味のなぞのハサミの肉をナイフで取り、口に運ぶ。
「ん! これ美味しいね。なんだろう。ソースもおいしいね。卵黄のこってりした味と、レモンのさっぱりした風味が最高だ。後味もちょっとぴりっとしてる」
「ほう。舌が敏感だな。ロブスターのヘレネーズソース。サン・ヘレナではよくある料理だ」
「なるほどお、君はロブスターっていうんだ」
「公はエレクロスだ」
「いや、君には言ってないよ。いつからクロはボイルされたんだい?」
そんなことを言いながら、ロブスターの中を視る。
……ほむ。飾りの尻尾の中にはまだ肉が残っているな。だけど、このナイフじゃ切れないか。
ナイフに魔力を通して強化し、尻尾を両断。二つに切り分け、殻ごと口に入れる。
ばり、バキキキ……ッ、と音を立てて口の中で殻がはじけ飛ぶ。ほのかな塩気と、ロブスターの旨味が口の中に広がる。
「……おお。ロブスターを殻ごと食す勇者は、初めて見たよ。ぜひ、良い子の前ではやらないでほしい。真似をしたら大変だ」
「これくらいの硬さなら平気でしょ。豚鬼の背骨よりはやわらかいよ?」
「ハハハハハ! 豚鬼の骨まで食うのか? やはり、お前は規格外だな」
クロが紅茶を口に運び、僅かに微笑んだ。
「…………ねえ。わたしが戻ってきたら、エディンが知らない奴と話してるんだけど。あの量食べてるのにドン引きしてないの、あいつは頭おかしいのかしら」
リリアのすごく不機嫌そうな声が聞こえる。
近くのテーブルから遠巻きに僕らを見ているのが視えた。頬杖をついて、僕を……正確にはクロのほうを睨みつけている。
しかし、クロは相手にしてない。一瞥もせずに優雅に紅茶を飲み、クロワッサンを口に運んでいる。
「歓喜。エディンが嬉しそうでよかった。ひとりは寂しいですからね」
「そんなに気になるなら混ざってくればいいのです。文句を言うだけならだれにでもできるのですよ」
ログマが嬉しそうにアンチョビを大量に乗せたバゲットを口に運ぶ中、アルターがポーチドエッグをナイフで切り分けながら毒を吐く。
「んぐ……っ、そう、だけどさあ……」
リリアは白身魚のピンク色のソースがかかったものと僕、そして鋭い瞳でクロを行き来し、立ち上がる。
ずかずかと大量の料理に占拠された僕らのテーブルにきて、
「ちょっと。エディン、なんでわたし達と一緒にご飯食べないのよ」
とんでもない難癖をつけられた。
「ええ……。恥ずかしいからいっしょに食べたくないって言ったの、リリアじゃんか」
バスケットに山盛りに持った大きなクロワッサンを次々に口の中へ抛り込みながらリリアを困ったような目で見る。
「……そうだけど。でも、わたし達を放って楽しんでいるのは違うじゃない」
「むう。じゃあ、リリアにわかる話に変えよ——」
「その必要はないだろう」
クロがティーカップをソーサーに置き、ナプキンで口を拭いた。
「自分勝手にエディンを引き離し、今度は混ぜてもらえないのが気に入らないと喚く相手のために譲歩するのはよくないじゃあないか。
剣の腕が立ち、所作も洗練されているのは素晴らしいが、あまりエディンを困らせるのは感心しないな。
人が楽しんでいるのに水を差すのが、貴君の家の流儀なのか?」
よどみなく流れる水のように、クロがリリアへ呆れの目を向けながら言った。
「………………………………あ?」
リリアの瞳孔が開いた。
「あ、あの、リリアさーん?」
リリアの顔をのぞき込むけど、完全に僕が視界に入っていない。
これは……やばいか?
「エディンのことを何も知らない外様の分際で随分な口の効きようですわね。僭越ながらエディンの何をご存じでそのようなことをおっしゃっているのかしら」
呼吸ひとつ挟まず一息で言い切った。
これはやばいな。
「おお。友情とは、知識量で深度が決まるものなのかな? それは公の知る友情とは、少し遠い文化のようだ。友のすべてを知る必要などない。
友のことを知る必要はあれど、知らないことや自分とは相違のある点も受け入れ、共にあることが友情であると思っていたが……。
なるほど、なるほど。貴君は、知識大会で優勝した者が友人なのだな」
リリアの呼吸が落ち着いていく。ただ、まとう気配は極めて剣呑なものになっていく。重心をわずかに落とし、鞘の鯉口を握った。
対するクロは落ち着き払ったまま。紅茶を優雅に飲みながら、静かに魔力を練っていく。しかし、指先がせわしなくテーブルを叩き、刃のように鋭い目でリリアを見ている。
付き合いの短い僕にも、クロがめちゃくちゃキレているのが伝わってくる。
やばいな。
「クロ。それは言いすぎだよ。リリアも、お互いにどっちもどっち。リリア、向こう行こ。いったん部屋で、休も? ね?」
立ち上がり、リリアの腕を掴む。
これ以上は刃傷沙汰になる。どう考えても今やるべきじゃない。降りた後に決闘する分には付き合うけど、今はそういう場ではないでしょ。
アルターに視線をやると、彼女も頷いていた。
「おお、そうだったな。これ以上は弱い者いじめだ。公もここで引こ——」
あ、こりゃやばい。
聞き終えるや否や、僕を振り払ってリリアが目にも止まらぬ速度で腰の剣を抜き放ち、クロの頸動脈めがけて振り下ろす——。
ガキィ、ンッ!
寸前で、僕も『亡星』を抜いてリリアの一刀を受け止める。
じり、じりと火花を飛ばして鍔迫り合いながら、低い声でリリアの耳元に声を届ける。
「……リリア、キレすぎ。今回の件はどっちもどっちだけど、先に手を出したらダメだよ。他のお客さんの迷惑になる」
「……ふーっ、ふーッ!」
まずい、こりゃ僕の声聞こえてないな。
血走った眼でリリアがクロを睨んでいる。
乗客のみんながざわめいていて、僕らを遠巻きに見ている。一部のお客さんが乗務員を呼びに行ってる。
アルターが額に手を当て、大きなため息を吐く。
ぶんぶんと頭を振って切り替え、周囲のお客さんに頭を下げて、聴取を受けるためにテーブルを整え始めている。
「クロも。挑発しすぎだよ。ここは僕が抑えるから、部屋戻ってて」
「………………すまない」
クロが僅かに目を伏せ、しかし指を机の上を叩き続けている。
……クロもか。まあ、クロからすればそうか。僕の勘違いでなければ、クロはとっても楽しそうに僕と話してくれていた。
そこをリリアが割り込んできて、話題を変えるように言ってきた。
そりゃあ、クロが怒るのもわかる。煽りすぎたのは理解しているけど、腹の虫がおさまらないのか。
うーん、こりゃ途中下車してふたりを殴り合わせた方が早いか?
「——そこまでです」
なんて、考え事をしていた時。
ラウンジから、見知った声が聞こえた。
「一部始終を見ていました。星と大地に誓い、この場は私」
「あなたは……」
白い法衣。首から下げた、大きな正三角のロザリオ。年は、たぶん四十手前くらい。短く刈った灰色の髪に、目じりにしわの寄った、穏やかな目をしている。
「ヨアンが持ちましょう」
今朝、大聖堂で話したヨアン【司祭】が、ロザリオを握りしめたまま語り掛けてきた。




