列車の邂逅
ボォ——ッ。
大きなやかんのような、甲高い汽笛の音がアシュドット駅に響く。
今の時刻は午前9時50分。10時の列車の出発まで、10分とない中。
「うおおおおおっっ!!」
僕は、バゲットを口に咥えて爆走していた。
まずい、完全にやらかした。くそう、何もかもこの、この腹が悪いんだっ!
なーに炊き出しの前で腹鳴らしてるんだ。朝の祈りに参加した信徒限定の炊き出しで爆食いなんかしおって。おかげで遅刻寸前じゃないか。
……くぅ、みんな親切だったなぁ……。【月睨派】の信徒って言ってたけど、本当にいい人ばっかりだった。素朴な味わいの芋やパン、塩辛いキャベツと焼いたベーコンをたくさん食べさせてくれた。
おかげで気が付いたらこの時間だ。何もかもマグマのようにあふれてくる空腹感が悪い。
必死で走っていると、こっちに気が付いたアルターが手を振っている。
「遅いのですよエディン! もう出発10分前なのです!」
風が巻き起こらない範囲でホームに駆け込むと、アルターに怒られた。
「ごめん。ちゃんと置き手紙置いたから……」
「置き手紙が雑すぎるのです! 『探さないでね』なんて、ふつーは行方不明者か家出息子の書き置きなのですよ! なあにウチの弟みたいな真似してるのですか!」
「エディン君、それは僕もどうかと思うよ……」
モーリス君が、苦笑いしながら鞄を担ぎ直した。
二度目の汽笛、出発5分前を告げる音がホームに鳴り響く。
「僕は第10号車だから、ここでお別れだね。【聖都】まで3日の旅だ。着いたら、駅で合流しよう」
「うん。また後で」
義足が石の床を規則正しく叩く音が、ホームの奥へ遠ざかっていく。
改めてホームを見渡す。
大聖堂の基壇の、そのまた下。石の巨大なアーチの内側に、何本もの線路が並んでいる。天井は遥か上で、そこから朝の光が、細い柱になって降りてきていた。
その光の中に、白いものが横たわっている。
「あれが、列車?」
「そうなのです。砂漠鉄道の超特急。【聖都】とアシュドットを一駅でつなぐ、<銀砂号>なのですよ」
列車、と聞いて予想していたもの——迷宮都市国家で見た陰陽線での箱が連なったようなものとは、まるで違った。
継ぎ目がない。先頭が水滴のように丸く、流線形になっている。
そこから後尾へ、どこまでも滑らかに細く伸びている。銀色の車体が、天井から落ちる光をぬるりと跳ね返していた
何より、車輪がない。
「浮いているのです。磁力と、重さを軽くする術式が刻まれているんだとか。レールがすごい磁石で、列車そのものに電気? だかを通してばびゅーん、と飛んでいくのですよ」
アルターが腰に手を当て、誇らしげに鼻を鳴らした。自分が作ったわけでも、聖教のニンゲンでもないのにやたらと鼻高々だ。どこからその自信は沸いてくるんだろうね。
「速度は時速600キロ、ノンストップなのですよ」
「……ん? 600で3日かかるの!? 【聖都】って大陸のど真ん中だよね!?」
「エディン、ここを何だと思ってるのです?」
アルターがび、と世界地図を指差した。
そこには、巨大な陸地が地図の中央に陣取っていた。
「マグナ超大陸、なのですよ」
※※※
「ふぽおおぉぉ……」
先頭車両の扉をくぐった途端、アルターが変な声を出した。
床一面に、絨毯が広がっていた。
「驚愕。沈みます」
興味津々に列車に乗ったログマが、目を丸くしていた。
見た目より内部が広い。高さは2.5メテルくらいある。壁は磨いた木で、天井には小さなシャンデリアが等間隔に並んでいる。
通路の両側に個室の扉。その奥に、革張りのソファを並べた広い部屋が見えた。
そして、さらに奥に——料理の山が並んでいた。
長いテーブルに、銀の蓋を外した皿がずらりと並んでいる。
給仕の人が、残りの蓋をひとつずつ外していく。
湯気が上がる。香辛料の匂いが、絨毯の上を這って、ゆっくりと立ち上る。
「食べ放題……」
「バイキング形式なのです! 先頭車両の特典なのですよ!」
アルターの声が耳半分にしか聞こえない。
肉汁滴るステーキには、とろとろに煮込んだグレービーソース。七面鳥が黄金に輝き、とっても大きな骨付き肉。串刺しにした肉をナイフで切り落として、コーンの生地と野菜を包んだもの。
ぐう、と腹が鳴った。炊き出しの飯の消化は、どうやら済んだらしい。
「……アルター。僕、この列車のこと好きになってきたよ」
「でしょう~!? 3日間ずっとただなのです! タダ! しかも列車にはジャグジーもついているのです。は~、たまらないのです」
「これで800万って実質タダなんじゃないか~!?」
「なーに言ってるのですか。タダでもらったじゃないのですか!」
「それもそうだ!」
「「はーっはっっはっはっはっは!!!」」
「……あの。恥ずかしいんだけど」
リリアが僅かに赤面した顔で、高笑いをあげる僕らを部屋の中へと押し入れていった。
※※※
『ご乗車ありがとうございます。<銀砂号>、【聖都 サン・ヘレナ】行き。まもなく発車いたします。当列車は、超特急。
【砂漠酪園】、【熱砂の城郭 アフ・レシス】、【星の谷 エル・ヘレナ】、【冷たい祈りのイツールク】、【教令街 ロー・ヤヘル】、【忘れられた雪都】、【大河のほとり、グランアルメ】、その他都市区画で停車いたしません。
発車時、大変揺れますので、発車後、5分間は席をお立ちにならないようお願いします』
列車にアナウンスが入る。
落ち着いた、ゆっくりとした、しかしアクセントが不思議な声だった。
赤い豪華な椅子に腰かけ、金箔の手すりを撫でる。
『発車10秒前です。ドアが閉まります。ドアが、閉まります』
一拍遅れて、警笛がホームに響いた。
同時に、ぷしゅー、と間抜けな空気が抜ける音。近くにあったドアが勢いよく途中まで閉まり、以降はゆっくりとしまった。
『発車します』
ふわり、と浮遊感が身体を包み込んだ。
僕は浮いていない。浮いたのは、列車——。
窓の外の景色が、後ろへ滑り出した。同時に、僕の身体が後ろに引っ張られた。
一気に駅を飛び出し、窓一面に荒野の世界。
アシュドットの街が、遥か後方にあった。
加速している、それも猛烈に。なのに、身体にかかる力は最初の一瞬だけ。あとは、ほとんど変わらなかった。
「……はっや」
よく視ると、窓の外に、うっすらと青い魔力障壁が張られていた。
「加速障壁なのです」
アルターが、窓に指をあてた。
「車体と、1キロ先までを障壁で包んで、中の空気を薄くしているのです。空気が薄ければ、音も衝撃も限りなく薄くなるって寸法なのです」
「はぇ~、なるほど。だからこんなに静かなのか」
路線の外に青々と広がる草原地帯。
それが、《蒼眼》の性能を絞っていると緑の絨毯にしか見えない。草を視認するよりも速く、通り過ぎていく。
果樹が目に入ったと思えば、遥か後方に消えていく。
なのに、静かだった。
時速600キロ。<蒼輝強化>とか規格外の強化を除けば、僕の最高速度の10倍ほど。
そんなえげつない加速をしているのに、揺れひとつない。
「これも、<叡智の学堂>の技術なのです。小鳥遊惟任教授が作った発明品なのです」
「へえ……。あのコレトーさんが。やっぱり、あの人錬金術の腕は確かなんだなあ」
「ふうん。意外ね。砂漠鉄道って言う割に、野草が多いじゃない。あまり砂漠感がないのね」
「まあ、ここらはそうですねー。海が近いので、まだ雨が多いのです。ただ、あと1時間も走れば、辺りは砂漠になるのです。
1時間半後にはまた、ドデカい牧草地がてんこもりなのです。アシュドットの地下から、水を引いてるのですよ」
アルターが椅子に腰掛け、サングラスをつけてふんぞり返えりながら言う。
車内でサングラスつけるの好きね。そんなに車内明るくないだろ。
うわ、なんか七色に光り始めた。マジでダサいな……。
「ほへー。よく知ってんね」
「地理・気候の勉強は行商人に必須なのです。需要を掴むには、まず気候なのですよ」
やっぱ、なんだかんだアルターは色々考えてるんだなあ。アホみたいなサングラスつけてなかったら、もっと説得力あったんだろうけど。
ぼーっと列車の外に目をやっていると、だんだん眠たくなってきた。
……いかん。この椅子、座り心地がよすぎる。ふっかり身体が沈み込んで、しかも最適な座り心地で止まるんだもの。
「うし」
立ち上がり、頬に張り手を入れて気合を入れる。
5分は経っていた。首を回す。こきり、と音が鳴って、息を大きく吸い込み。
「——食事に行くぞ」
コートを、肩に羽織った。
※※※
「むふふふふふ…………っ!」
大口を開けて、肉を食らう。
グレービーソースの焦げ付いた肉がうまい。肉の旨味、わずかな肉のおこげとほんのわずかににおわせる香辛料の香りがたまらない。肉の脂が口の中で溶けるぅ……。後に残る赤身はやわらかいのに歯ごたえがあって、噛めば噛むほど肉汁が出てくる。
300グラムのステーキを三口で平らげ、山もりのマッシュポテトを一口で流し込む。レモンと塩のさわやかな香りに、バジルが刻まれていてうまいうまい。
深皿に盛ってもらったコーンスープもいける。大粒のコーンがプチシャキッ、として、僅かな塩味と、それを拭い去る濃厚な甘み。2秒で飲みほしちゃうね。
ミルクを入れた紅茶と、黄金色のジャムが一緒に渡された。
この匂い……。ははーん、コーンのジャムか。一口なめてみると、ねっとりとした甘さがある。周りを見てみると、コーンのジャムをミルクティーに入れていた。へえ、知らない世界。試してみよう。
……! こりゃあ、意外な組み合わせだ。穀物臭くなるかなあ、と思ったけど、案外イケる。てか癖になる。
食休みはここまでだ。お次は、目の前に盛られた丸鳥やね。
鳥の黄金焼きをナイフで切り分け、フォークで口に運ぶ……なんだ、これ。うまい、うまいぞ。
最初は野菜の濃厚な旨味。それがだんだん辛くなって、最後は肉の旨味が弾ける。
丸鳥一個まるごと食べてもまだソースの深淵にたどり着かない。というか、食べた気がしない。
この謎を解明するべく、僕は列の奥地へ並んだ——。
「………………どうかしてるのです。席みっつも占領してバカみたいな量をバカみたいな速度で喰ってるのです」
「遠くの席にしておいて正解だったわね。他人の振りしましょ」
「……悲哀。エディンが、少しかわいそうな気がします」
「なら、ログマだけエディンの隣に座るのです? めちゃくちゃ奇異なものを見る目で見られるのですよ?」
「…………遠慮、困惑。なぜ、ランニングマグロであるワタシより、エディンの方が化け物を見る目で周囲から見られているのでしょうか」
「狂人に人の道理を説いても無駄なのですよ。エディンの内心を統一言語に翻訳してあげるのです。
『オデ モット、クウ。 ニンゲン ノ メシ、タリナイ』」
「聞こえてっぞ守銭奴ドちび」
あの卑しい成金趣味にんなこと言われたかないね。僕は知ってんだぞ、香水の瓶から手鏡まで金ぴかで構成されてんの。
なんか馬鹿にされたまま並ぶのむかつくな。あの女郎に何か言い返してやらないと気が済まない。
口元に魔法陣を描く。唇をタコみたいにすぼめ、目を半開きにし、
『寝る前の残高が~↓、300万テレスもあるのですぅ↑』
アルターの寝言を、高音にしてアルターにだけ聞こえるように声真似で伝えた。
「おっし。リリア、剣を貸してほしいのです。あの食欲お化けのお腹を観音開きにしてやるのです」
「やめなさい! わたしの宝剣をアホみたいなスプラッタに使おうとしないで」
据わった眼のアルターが、リリアの腰に佩いている剣の柄に手をかけ、おおきなカブでも抜くように思いっきり引っ張っていた。
『それでも剣は、抜けないのですぅ』
「あのバカは誰が財布を握っているのかわかってないのうですね」
アルターが、そろばんをこちらに向け、目をガン開きにして僕を見ていた。
……へっ、こ、怖くなんかないね。三日飯抜きにでもされない限り、僕は謝らないぞ。先に仕掛けたにはあっちだ。やるならとことんやって——。
「一週間飯抜きなのです」
「ごめんなさい——ッ!」
列を放り出し、アルターへ頭を地面にこすりつけながら謝罪する。
「へ、へへぇ。アルターさん、あのお、飯抜きは……」
「するのです」
「せめて、一日……」
「一週間」
「し、死んじゃう。僕死んじゃう」
「いいじゃないですか。ごぼうみたいなひょろがりになれば、次の日の食事の味も甘露のように感じるのではないのです?」
「か、勘弁して……。靴でもなんでも舐めますから、どうか……!」
思い切り、頭を地面にこすりつけているその時。
「…………おお。な、なにをやっているんだ?」
最近聞いた、静かで低い声が、僕の耳朶を打った。
恐る恐る、顔を上げる。
金髪に深い黄金色の瞳。彫が深く、彫刻の天使のような美形の少年。
「エディン」
僕の友、エレクロス・ドゥ・アイネイアスが、入り口から僕を見ていた。




