銀蛇の道
冒険者ギルド、アシュドット支部。
午前と正午の間くらいの日差しが照らす支部のカフェテリアで、僕は大量の屋台メシを浮かべたままアルターの前に立っていた。
「はい、これ。お釣り」
お釣りをアルターへ手渡す。
ちゃりん、と小銭の音がアルターの掌の中に響いた。
「——200テレス」
アルターが掌に収まった二枚の銅貨を見ながらため息をついた。
「アルターの予想は正しかったのです。どこの世界に朝食で3万テレスも使ってくる人がいるのですか」
「しょうがないじゃない。お腹すいてたんだもの」
「一生船酔いさせといたほうがいいかもしれないわね」
リリアが白けた目で僕を見つめてきて、紅茶を口につけた。
「ともかく、賭けはアルターの勝ちなのです。リリアもログマもモーリスも、さっさと1000テレス渡すのです」
「仕方ないわね」
「驚愕。エディンの胃袋は奈落につながっているのでしょうか」
「僕の一か月分の食費が一食で消えるのはさすがに予想外」
「僕のご飯代で賭けするのやめてくれない!?」
いったい僕の尊厳をなんだと思っているのだろうか。
アルターが3000テレスを全員から回収してため息をついている。ため息をつきたいのは僕の方なんだけどな。せっかく全員分の朝食も買ってきたのに何て言い草だ。
腰に手を置き、《統巡》で浮かしていた食事を長机の上に並べた。
……む。長机が一個じゃ足りないな。空いていた長机をくっつけて、ようやく収まるか。
「みんなひどいよ。せっかくさ、おなかすいてるのを我慢してみんなの分も買ってきたのに」
……並べた、というより積み上がっているが正しいか。
デカエビとログ茸のアルフマリー焼き。デビルクラブのカルサが、甘口から激辛まで。若鳥のロゲメノミルク煮込みを大鍋ごと持ってきた。
チーズを乗せた平焼きのピッツァ……アルフェリータが塔のように重なり、その脇には、燻した魚の櫛が束になって刺さっている。
持ち込みの許可はもちろん、入り口でもらっていた。受付のお姉さんが苦笑いと一緒に許してくれた。変な顔で見られる筋合いはない。
「……渡したのは3万テレスだったはずなのです」
アルターが机の上と、掌に収まった銅貨二枚を交互に見る。
指を折って、目の前に積まれた料理を数えていく。ピッツァの枚数。串の本数。煮込みの鍋の大きさ。数えるたびに、眉間のしわが深くなっていく。
「どう考えても3万テレスじゃ収まらないのですが。エディンのことだから、絶対これの半分以上は買い食いしているはずなのです。
屋台の相場からして、そう安く見積もっても3万テレスは超えているのです。1万テレスは、どこから湧いたのです?」
「そりゃ食事券だよ」
「食事券」
「1万テレス分の食事券をもらったから、それで追加の分を買ったんだ。最初に買ったのがおいしくてさー。同じのをもう1回買ったんだ」
「……もらった? 誰にです?」
「的あての屋台。500テレスしかなかったから、300テレスを的あてに使って、一等の景品で取った。それが食事券だったんだ」
「…………一等」
アルターの眉間のしわが、限界まで寄った。彼女の頭の中で、何かが高速で駆け回っているのがわかる。
「300テレスで、1万テレス……。利回り、3300%……。どう考えても一等は取れる難易度の奴じゃないのですよ……。またエディンがやらかしたのです」
白髪の少女はそのまま、ピッツァを一枚掴んで、無言で齧った。うなだれたまま、ため息をついていた。
「珍味。このカニ、美味しいですね」
「お、ほんとうだ。ちょっとピリッとしてて美味しいね」
「ちょ、ログマにモーリス! それ、甘口と辛口じゃない! なんでわたしに激辛だけ残すのよ! レディファーストって知らないの!?」
「レディ…………? アルター以外にいないと思われるのです……ぐぇ」
「いい度胸してるじゃない、アルター。そのまま締め倒してあげましょうか?」
またも余計なことを言ってのけたアルターの首を、リリアが締め上げた。
絞められる鳥みたいな顔でアルターがじたばたしている。
ログマとモーリスは三角の祈り手を結び、黙祷を捧げていた。聖教の冥福の祈り方だろう。根性据わりすぎだろ。
「やら……れてばかりのアルターじゃ、ないのです……っ」
アルターが激辛のカニをスプーンで掬い、リリアの口にぶち込んだ。
「んぐっ……、~~~~~~~ッッ!?」
「リリア、水、水!」
一瞬で顔を真っ赤にしたリリアの口に、水をぶちこむ。
わずかに緩んだ手から、アルターが華麗に抜け出し、ログマを盾に隠れていた。
「ログマ、そのアホ突き出していいわよ」
「拒否。仲間を死地に送る理由がありません」
「死地って……。まるで鬼がいるみたいな言い分じゃない」
「確かに、僕の隣にいるね」
拳型の隕石が、僕の頭に降ってきた。
「ぎゅぇ……っ!?」
ガツン、と強烈な衝撃が脳天を揺らし、視界がかすむ。
「誰が鬼よ」
非常に心外そうな顔をしたリリアが、ふん、と鼻を鳴らしてそっぽを向いた。
……若干、涙目になっていた。むう、アルターが言ったときより、僕が言ったときの方が拗ね度が激しい。ちょっとからかいすぎたか。
「ごめん、リリア。調子乗りすぎた」
「……ふん」
リリアはそっぽを向いたままだった。まいったな。ここまでリリアが拗ねるとは思わなかった。
「リリア」
「……なに」
「ロゲメノのミルク煮込み。こっちは辛くないよ。リリアが好きな味だな、と思って買ってきたんだ。いっしょに食べない?」
ミルク煮込みを大匙で掬い、小皿に移してスプーンに載せ、リリアの顔の近くに持っていく。
「……たべる」
おずおずとこっちを振り向いた。
差し出されたスプーンに入ったミルク煮込みを食べて、リリアが目を見開いた。
「……おいしい」
「でしょ」
リリアの沈んでいた声が、いつもの調子に戻ったリリアの口へ、再度ミルク煮込みを運ぶ。
「はい、あーん」
「……あーん」
赤髪の彼女は少し照れながら、髪を耳の後ろにかけてもうひと口を食べる。
うん、うん。機嫌が直ってよかった。
「ふー……。ところで、エディンはどんな手品で食事券をゲットしたのです?」
おずおずと自分の席に戻ったアルターが言う。
露骨に話題変えてきたな。いま変なこと言ったらまたしばかれるから、慎重になってるのか。
「それがさ。的あての屋台で面白いことがあってさ——」
僕は激辛のカニを一本取って、今日あったことを話し始めた。
屋台通りのこと。的あての仕組み。珠の魔力だけで的を狙うルール。
同時に名乗りを上げた、金髪の彼のこと。
「——それで、そいつが七芒星の魔法陣を描いたんだ。文字も何もないんだ。円と星だけ。なのに、大気の原素を直接集めて撃ってきてさ。あれは本当におも——」
「待つのです」
アルターが、紅茶のカップを置いた。
「その人の名前って聞いてるのです?」
「エレクロス。エレクロス・ドゥ・アイネイアス」
ぶふっ、と。
アルターが紅茶を吹いた。
「ちょっと、アルター!? だいじょうぶ!?」
「げほっ、げほ……っ。あ、アイネイアスの、エレクロス……!?」
彼女は咳き込みながら、僕の顔を穴が開くほど見た。
「エディン。それ、アイネイアス家の御曹司なのです。いえ、御曹司どころか——次期当主なのですよ」
「うん。そんなこと言ってたね」
「そんなこと、じゃないのです!」
アルターが、机に両手をついて身を乗り出した。
「アイネイアス家というのは、魔法師の王家みたいなものなのです。
世界で一番強い魔法師がいて、優秀な魔法師を二千年間輩出し続けて生きた家なのです。
リヴェータ・ロット・アイネイアス。聖教国の第一【枢機卿】で、<叡智の学堂>の学園長で、このアシュドットをはじめとして、いろんな都市を作った人!
二千年、ずっと世界の天辺にいる血族なのですよ!?」
「へー、イルクのお義母さんってことは知ってたけど、そんなに権力集中してたんだ。それはそれで問題じゃない?」
「アシュドットでそんなことを言うんじゃないのですよ!? シンパがどれだけいると思ってるのですか!」
アルターが悲鳴のような声を上げる。
「それは! それとして! その家の次の当主と、屋台で、魔法で撃ちあったのですか!?」
「うん」
「……負かしたのですか?」
「うん。ギリギリだったけど。いやあ、楽しかったな」
アルターが椅子に崩れ落ちた。
天井を見上げて、何か口の中で数字を呟いている。たぶん、今回の話がどれだけの損害になるのかを考えているのだろう。
「考えすぎだと思うけどな」
ピッツァを5枚重ね、口に運ぶ。入りそうになかったから、顎の骨を外して大口を開けて一気に食べる。モーリス君があり得ないものを見るような目で僕を見ていた。
……んむ。そもそも、さっきの屋台での一件からして、そういう情報とかも含めてリヴェータさんはだいたい把握しているはず。クロの口ぶりからして、あの統治者らしき洗練された合理性が天性だけのものってのは考えにくい。
おそらく、それを教えた人物がいる。それはたぶん、リヴェータさんだろう。なら、向こうもこちらを無下に扱うとは考えにくい。むしろ、プラスになる可能性が高いだろう。
「あと、クロって呼んでいいって」
「ぶふっ」
今度は、モーリス君が吹いた。
「クロ……」
「エレクロスだから、クロ。好きに読んでいいって言ってたから、短くしてみました。いいでしょ」
「あ、アイネイアス家の人を略称で……」
「いーじゃんね。クロもいいって言ってたし」
「………………そうかな、そうかも?」
モーリス君が、助けを求めるようにリリアを見た。リリアはロゲメノミルク煮込みに舌鼓を打ちながら、呆れた顔で僕を見ていた。
「それで。結局、どうなったのよ。その次期当主様とは」
「友達になったよ」
長机の上に、沈黙が落ちた。
ログマだけが、もりもりとエビを頭から齧っていた。
「……エディンはたまに、とんでもないことをとんでもなく普通に言うのですよ……」
アルターが、机に突っ伏したまま呟いた。
僕は激辛のカニを一口かじり、全身を震わせながら机の端を見る。
そこには、付箋まみれの魔導書が積み上げられていた。
「まあ、それは置いといて。勉強会の続きしようか。食べながらでもできるし」
※※※
「そもそも、魔法ってなんなのよ」
食事が片付いた後、リリアがぼやいた。
机の上で、指先に魔力を灯している。赤い糸が伸びて、円を描く。【伯方】で初めて閉じた円よりは形になっているけど、まだ周縁に歪みがある。
「魔力で身体や武器を強化するのと、何が違うの? どっちも魔力を使ってるだけじゃない」
「魔法法則を使うか、使わないかだよ」
僕は指先に魔法陣をひとつ描いた。その上にもう一つ、さらにもう一つ。重ねた三つの円が、それぞれ違う速さでゆっくりと回る。
「魔力強化は、自分の魔力を身体や道具に流して、力に変えてるだけ。働きを強くしてるだけなんだ。でも、魔法は違う」
円の中に、魔法文字を刻んでいく。
「魔法は、世界の側にある『魔法法則』に頼んで、何かを起こしてもらうものなんだ」
「頼む?」
「そう。で、頼むには設計図がいる。何をどう起こしてほしいのか。法則に分かる形で書いた設計図。それが術式」
「じゃあ、魔力は燃料ってこと?」
「正解なのですよ」
アルターが、机から身を起こした。
手を二度叩く。注目を自分へ集め、喉に薄金色の魔力を籠める。
「『炎霊よ』 『火を熾せ』」
ぼっ、と。
彼女の指先に火が点いた。
小さな火だ。風前の蝋燭の火よりも小さな赤が右へ揺れ、左へ揺れ、ばたばたと暴れて、すぐに消えた。
「詠唱も術式なのです。声で編む術式。これを【詠唱聖秘】と言うのですよ」
アルターが、、ちょっと得意げに鼻を鳴らした。
「今のは二節。三節くらいに増やせば、火は安定するのです。細かい魔力の操作もいらない。言葉に魔力を乗せるだけなのですよ」
「なら、それでいいじゃない。いちい七面倒くさい魔法陣を描く必要もないわ」
「ところがどっこい。そうはいかないんだよ」
モーリス君が、カバンから紙を一枚取り出して、手で握る。
紙の端に、魔力を通した指をあてる。
「『炎霊よ』『我が爪先へ』『火を熾せ』」
ぽ、と。
紙の端に、火がともった。
アルターのものより、さらに小さい。でも、揺れない。爪を当てた紙に火が移り、燃えている。紙の端が黒く焦げて——そこで、火は燃え尽きた。紙は、端が少し焦げただけだった。
「三節だと、こうなる。安定はするんだよ。でも、威力も持続時間もほとんど変わらない、魔力を増やしても、微増するくらいかな。詠唱で決められることって、すごく少ないからさ」
「……ふうん」
リリアの目が少し細まる。
僕はモーリス君から紙を受け取って、その上に魔法陣を描いた。
「それに対して、魔法陣はこうなるんだ」
さっきの詠唱と、ほとんど同じ内容の術式。魔法文字で換算すると、150文字くらい。火を熾す場所、燃やす範囲、燃える時間。それを文字で、指定していく。時間は10秒も燃えれば儒分だろう。
この内容を、普段よりもゆっくりと展開し、
魔力を通す。
——ごう、と。
火が、渦を巻いた。
紙の中央から立ち上がった炎が、螺旋を描きながら紙全体を舐めていく。消えず、揺れない。指定した10秒だけ、きっちりと燃え続ける。
紙が橋から丸まって、黒くなって、崩れていく。
熱を帯びた灰が、机に落ちる。
「『水霊よ』『我が障盆へ』『水盆を描け』」
僕は、もう片方の手で詠唱した。
机の上に、透明な魔力障壁の盆が浮かぶ。そこへ、どこからともなく水が満ちる。
小さな水面の上に、燃え尽きた紙の灰が、ひらひらと落ちた。
「……威力も持続時間も、けた違いね」
利いらが、水に浮いた灰を覗き込んで言った。
「そう。詠唱は手軽だけど、細か指定ができない。魔法陣は面倒だけど、極論を言えば——。書けば書くほど、細かく指定できる。
こんな風に、魔法文字を記述して術式を作るのが【法陣構築】」
「ふーん」
リリアは腕を組んで、眉を寄せた。
「その【法陣構築】って、魔法を使える人ならみんなできるものなの?」
「いや、そんなことはないよ」
モーリス君がリリアの方を見る。
「魔法を使えるだけの人を、世間では魔法使いって呼ぶんだ。詠唱で火をつけられるなら、それはもう魔法使い。
でも、魔法を使いこなせる人——魔法師を名乗れるのは、その中のほんの一部。【法陣構築】は、その魔法師の入口なんだ」
「入口」
リリアが興味深そうに聞く。
「魔法を使える人の中で、ここまで来れるのは一割もいないんじゃないかな。センスがないと、十年、二十年と研鑽する必要がある。<叡智の学堂>を受けるなら、ここがスタートラインかな」
「……じゃあ、わたしは今、どっちなの」
「今はまだ、魔法使い。円が閉じて、文字を刻めたら、魔法師の入口に立てる」
モーリス君はそういって、串魚に手を伸ばした。
「回答。それでも、これはすごいことですよ、リリア」
ログマが、エビの串を置いて言った。
「【法陣構築】を扱える人間は、迷宮都市国家でも限られていました。ポンポン仕える者でも、覚えられるものでもありません。リリアには思うところがあるかもしれませんが、気にしてはだめです。エディンたちがおかしいだけです」
「君もなー、ログマ」
ログマは、治癒学の本と魔法陣の本と神話の本を、三冊同時に読みながら治癒魔法を開発した傑物だ。人のことを言えたもんじゃないだろ。
「……ふーん」
リリアの声が、少しだけ跳ねた。
彼女はもう一度、指先に魔力を灯した。
赤い糸が伸びて、円を描く。さっきより速い。さっきより丸い。そこへ、たどたどしく文字を刻む。
一文字、二文字。僕が描いた文字を真似て、一画ずつ記していく。
三文字目で、糸がほつれた。
「もう一回」
また描く。閉じる。一文字、二文字、三文字。四文字目で、ほつれる。
「もう、一回」
リリアの目が、変わっていた。
剣を握っている時の目だ。敵を見据えてそこにしか意識が向いていない目。
ついさっきまで、「魔法ってなんなのよ」とぼやいていた人と、同じ人とは思えない。
十回目で、十文字が刻めた。
二十回目で、円の中に術式の形ができた。
三十回目で——。
ぽ、と。
赤い円の中心に、小さな火が灯った。
「……っ!」
リリアの目がきらり、と光った。
火は揺れない。アルターの詠唱の火より小さいけど、じっとそこで燃えている。それから、ほんの少しだけ、明滅した。
一定の間隔で、何かに呼びかけるように。
「できた」
リリアが顔を上げた。
「できたわ! ねえ、今の、魔法陣でしょう? わたし、今【法陣構築】で火をつけたわよね!?」
「うん。つけた。こりゃ、すごい」
「やっぱり!? 【旧神聖曜】でも、【八炎鼓】でもない、ちゃんとした魔法の火よ!」
「すごいのです! たった三十回なのですよ!?」
「リリアさん、すごいよ……。僕、最初の火をつけるのに半年近くかかったのに」
モーリス君が、ちょっと遠い目をしていた。
僕は、リリアの小さな火を視ながら苦笑した。
たった三十回。
さついさっきまで、円を閉じるので精一杯だったのに。「すごいことだ」と聞いたと単位、この速さだ・
やっぱり、リリアも天才なんだな。




