朋友との邂逅
「なんで、モーリス君がここに!?」
「そりゃこっちのセリフだよ。いや、違うか。エディン君たちは<叡智の学堂>に行くんだよね。リーリエ師匠から聞いてた」
モーリス君は紅茶のカップを持ったまま、こちらの机まで歩いてきた。義足が石の床を叩く音が、かつ、かつ、と規則正しく響く。
モノクルの奥の丸い目が、僕を見て嬉しそうに細くなる。
「そうだけど、モーリス君は?」
「……実は、僕も受けるんだ」
「え」
「<叡智の学堂>。リーリエ師匠が、行って来いって」
彼は、少し照れ臭そうに頭を掻いた。
そりゃあ……またすごいことになってるな。まじまじとモーリス君を眺めながら、頬杖をついていた状態から上体を起こす。
そのまま立ちあがり、彼の隣に立つ。
「意外だよ。モーリス君ならうかるとは思うけど、まさかリーリエさんが許してくれるなんて思わなかったな。どうやって説き伏せたんだい、この、この~」
うりうり、と彼の脇腹を肘で突く。
彼は「もう、やめてよエディン君~」なんて言いながら、軽い調子で僕の肩を叩いてきた。
「あら、モーリスじゃない!」
リリアの凛とした声があたりに響く。
トレーの上にはベーコンとレタスのサンドウィッチ。とろけたチーズを挟んだ白パンには少し焦げ目がついており、香ばしいベーコンとみずみずしいレタスがふんだんに挟まれている。
「おおー! モーリス君。奇遇なのですね。弟子に歪んだ愛情を向けるリーリエさんが出国を許すなんてどんな魔法を使ったのです?」
「それ、気になって僕も聞いてたところなんだよ」
アルターはなんかちんまいトレー上に、ふかふかのクロワッサンとチーズに小さな蜂蜜瓶。半熟卵とコーヒーがあった。
「つか、アルターそれでよく足りるね。アリさんにでもあげるのかい」
「チッチッチ。わかってないのですね~。聖教の料理の本質は量じゃないのです。クォリティなのですよ」
「くおりてぃー、ね」
「ノンノン。クォリティ、なのです」
「そうなんだ。突っ立ってないで座りなよ」
「渾身のアルターのプロナゥンスを流すのですか!?」
「発音って普通に言いなよ。アホみたいだぜ」
ムキーっ、と怒るアルターを片手で制し、モーリス君のほうに笑顔を向ける。
「それで、リーリエさんが受験を認めてくれた理由聞いてもいいかな?」
「あ、うん。実は、師匠から命令されたことなんだ。『お前は理論だけ知ってるんだから、合格はするだろ。技術の最先端に触れて帰ってこい』って。それだけ言って、次の日には船に押し込まれてたんだ……」
モーリス君が遠い目で空を見上げている。
「……船旅、きっついよね……。わかるよ、モーリス君」
「エディン君でも船旅はしんどかったか……。でも、あれでもマシな航路なんだって……。【聖都】に直通の便があるらしいけど、そっちの航路のほうがきついんだって……」
「うげえ、マジか」
海上の拷問施設みたいな揺れだったのに、あれを上回るのか。怖すぎる。世界一周航海したアルフェウスって頭おかしいんだな。
「まあ、海滝から一気に星中海へ落ちる感覚が慣れないのは正直わかるのです。あの瞬間は気絶する人が出るのも仕方ないのですよ」
「…………?」
紅茶と手のひらより小さいクロワッサンを齧りながらアルターが意味不明なことを言っている。
航海で……落ちる? ううん、どういうことだ。言ってる意味がまるで理解できないぞ。
「と、とにかく! それで昨日の朝について、休んでたんだ。今日来たのは入国申請。でも、リーリエ師匠が根回ししてくれてたから、書類出したら申請は終わっちゃって・そしたらエディン君を見つけたんだ!」
モーリス君は鼻先を掻きながらはにかむ。
僕は、リリアと顔を見合わせる。
リリアは、笑っていた。
「あら。じゃあ、五人ね!」
「勉強の人数は多いほど心強いのです」
「肯定。魔法の知識はモーリスさんにも伺いたいことがあります。心強いです」
モーリスが、ぱっと顔を明るくした。手の中の本を、机の上に置く。初級の魔導書だ。意思を持つ魔法の本であり、教科書とは比べ物にならない知識が書き込まれたもの。そこには付箋が鬼のように貼ってあった。赤、青、黄。色付けまでされている。
ってことは、魔導書の調伏もしてあるのか。やるぅ。
「ならさ! みんなで、勉強会しない? ボク、学科試験のところが不安で。理論は知ってるって師匠はいうけど、あの人の理論と試験の理論って、なんか違う気がして」
「あー……」
脳裏に高笑いを浮かべるリーリエさんがよぎる。
まあ、そうだよな。リーリエさんの理論はたぶん、試験には載ってないよな。
「いいね。僕、リリアに魔法陣教えてるし。ログマは治癒学やってる——」
——ぴん。
跳ねるような音がした。
手の中の、何も書かれていなかった札が、青く光る。光の中に、文字が浮かんだ。
——エディン・イラ・リステリア様、ご一行。受付までお越しください。
「ログマの読みが当たったね」
「自慢。そうだと思っていました」
受付に戻ると、お姉さんが割符と書類を手に持っていた。
「入国申請、官僚いたしました。割符をお持ちでしたので、即日処理となります。以後、聖教国内はご自由にお動きください」
「え、もう?」
「はい。通常は二日ほどいただいておりますが」
隣の机で、昼間から飲んでいた冒険者が「二日はかかるんだ」と嘆いていたのを思い出す。
「……割符って、すごいね」
「そりゃそうなのですよ。大国の大領主のお墨付きなのですよ?」
アルターが鼻を高くして、下賜された扇を広げ、自慢げに仰いだ。
「恥ずかしいからやめて頂戴」
「同意。品性は金で買えません、アルター」
※※※
「じゃあ、勉強会だ!」
モーリス君が、魔導書を広げる。
僕も椅子に座り直し、教本をのぞき込む。中には魔法陣の基礎構文やら、円陣の維持の仕方などがやたら皮肉っぽく書かれていた。いやに鼻につく書き方してんな、この著者。ヨネル・アイネイアスって人、相当性格悪いんだろうな。
でも、わかりやすくまとまってるな……。魔導書あるあるでもある、奇を衒った暗号が用いられているわけでもない。
うん、これなら僕でも教えられ——。
——ぐぅぅぅぅぅぅ。
腹が、鳴った。
カフェテリアに大きく響いたせいで、周囲の視線が一斉に僕へ向く。
昼から呑んでいる冒険者。受付のお姉さん。モーリス君が、教本から顔を上げて、僕を見た。
「………………………………」
顔から火が出そうだった。
こんなに音が鳴るものなんだろうか。下手な太鼓よりでかい音が、ギルド中に響いたせいで、周囲から奇異なものを見るような眼で見られている。
「えーっと。何か、たのむ?」
静かにモーリス君がメニューを差し出してくれる。
乾き物。ナッツ。チーズに、小さなパン。酒の肴ばっかり。僕の胃袋を落ち着かせられそうなものは、ひとつもない。
「……っすー。あのー、アルターさん。ここのメニューを全品注文とかって、どうですか」
「値段見て言えって回答になるのです」
アルターがにっこにこの笑顔で返してきた。
一番安いものでも、500テレスはくだらない。ここのメニュを全品頼めば、8万テレスは軽くいくだろう。それで足りるかどうかもわからない。ぼ、冒険者ギルドでの食事って高いんだな……。
「…………だよね」
大きな、それはもう大きくて長いため息が腹から漏れる。
どーしよっかなぁ……。耐えられはするんだけど、やばいな。空腹になると眠たくなるんだ。勉強会中に眠りのエディンが誕生してしまう。それは、どう考えても不義理なことだ。
「……さすがに、この状態のエディンを勉強会に置くのはかわいそうなのです」
机の脚って食べられたよな、なんて考えを巡らせていたら、アルターが財布を開く。中から紙幣を数えて、一枚、二枚、三枚。そこで指が止まる。四枚目に一瞬指が伸びたが、取り出したのは三枚だった。
「三万テレス」
僕の手に、紙幣が握らされた。
「屋台の朝食なら安くて多いのですよ。そこで適当に買ってくるのです」
「……いいの?」
「リーダーはエディンなのです。リーダーに恥をかかせたままじゃ、財政担当の名折れなのですよ」
アルターがひらひらと手を振った。
「アルター、ありがとう!」
「早くいくのです。エディンが一番知識があるのですから、教師役はさっさと戻ってくるのです。ほら、ダッシュ!」
黒漆の箱をログマに預けて、僕はカフェテリアを飛び出した。
※※※
三万テレス。
大麦バケットに換算すると、だいたい三百本分。中間層の一日の稼ぎよりも多い。その額を出してくれたアルターには感謝しかない。
だからこそ、効率的に使わなければならない。
むん、と気合を腹に入れ、いざ屋台通りへ向かう。
ギルドの先にある回廊を渡り、裏通りを越えた先へ向かう。
白と黒の回廊の両側に、天幕を張った屋台が並んでいる。
あたりにはとんでもなくいい匂いが漂っている。魚の焼ける匂い、溶けたチーズのしょっぱい香り。スパイシーな香辛料をまとった風が、鼻腔をくすぐる。
……やっぱり、どこにも煙突がない。代わりに、湯気だけは上がっている。おかしな話もあったもんだ。
「安いよ安いよ! 小ピッツァ一枚200テレス! あんちゃんどうだい!」
「いただきます」
丸い円状の窯焼きパンを売っていたおじさんに4000テレスを渡し、商品を受け取る。めちゃくちゃ目を丸くされたけど、10枚くらいなら問題はない。
両手程の大きさのパンの上にはチーズが惜しげもなく広げられ、赤い酸味のある香気を放つ小麦の食べ物——ピッツァをほおばる。
「!」
甘い、しかし強い麦の味が最初に舌に乗り。
がつん、と一瞬舌をなでる強烈な塩味と、海鮮の香りがとろりと溶けたチーズと絡む。しかし、その味をさわやかな青い酸っぱさが拭い去った。
「な、なんだこの美味しさは……」
「お、お前さんピッツァは初めてか? そいつは『アルフェリータ』ってんだ! トマトソースにチーズ、それとバジル。へへ、隠し味にガンべーリっつうエビの塩とオイル漬けをレムルー窯で焼き上げた奴さ!」
おじさんが親指を上げ、歯を見せて笑った。
なるほど……。これがトマトってやつか。トマトは単体だと酸味というか、青くさい味になるんだろうな。ここまで味の強いものと一緒にしても味の主張を残すなんて、相当な曲者に違いない。違いないのに、全部が調和している。
「おいしかったです!」
「おうよ、また来いよな! よい風を!」
おじさんにぺこり、と頭を下げて通りを歩く。
人が多い。ロープを着ている人や、革鎧から、鉄の鎧を着ている人。ただ、全体的に涼し気な格好をした人が多いな。通気性がいい、って感じだ。
「デカエビとログ茸のアルフマリー焼き! どうだい、1本150テレス!」
「20本ください」
「今朝あがったばかりのデビルクラブ! うちの特製のカルサだよ! 甘口から激辛まであるよ!」
「それぞれ15本ずつください」
「若鳥のロゲメノミルク煮込み! 辛さは控えめだよー! 100g300テレスだよ!」
「2500ください」
あちこちを巡り、持ちきれない分は《統巡》で宙に浮かべる。
近くに、大きな噴水があった。とりあえず、持ち帰る前にそれぞれを試しに食べてみる。
「あ、ぐ」
大口を開け、アルフマリー焼きと呼ばれた串焼きを口に頬張る。
ぷり、としたエビの食感。表面には塩とバターとなんらかの香草が塗られていて、塩のパンチが強い。エビも噛めば噛むほど味が出てきて、香りがうまい。すごいな、エビの臭みがうまみに代わっている。香草と絡むと、エビ独特の臭みもうまみに変わるのか。
何より、このログ茸ってのがコリコリしていて、またたれと合う。香りが少し独特で、噛むと香りと木のうまみとしかいえないキノコの滋味があふれてくる。めちゃくちゃうまい。10本は残しておこう。
「次は、カルサだね」
大きなカニのはさみの部分に、真っ赤なソースがかけられている。まずは一番辛いらしい辛口から……。
「かっっっら!!!」
汗と唾液が、一気に飛び出てくる。
めちゃ、めちゃくちゃ辛い……! トマトの酸味だけかと思ったら、さらに胃袋を掴んでくるようなニンニクのうまみに、塩の味——そこから、押し寄せる強烈な辛味。
うへー、舌が痺れるくらい辛いぃ……。口に火でもぶちこまれたんか……。
「でも、止まんないんだけど」
食べる手が止まらない。辛い物を食べるのは初めてだけど、こりゃすごい。汗と食欲が無尽に出てくる。うおおん、僕の胃袋は活火山だ。
でも、ここで食べ過ぎるわけにはいかない。五本だけ残して、激辛の次に辛い辛口へ。
「辛口食べた後に甘辛食べるとなんか、物足りないな……」
旨い。うまいよ? カニの強いうまみと、新鮮な磯の香りがしっかりわかる。でもな、あれの後に食べると、なんか足りないや。
「ロゲメノミルク煮込み! これも期待できるぞ」
口の中に魔法で水を作って洗い流し、次へ。
一口齧ると、バターとチーズの香り。鳥のうまみがよく効いてて、ねっとり舌の中で絡み合う。鳥の脂のジューシーさも、煮込んでいるのに消えない。
でも、なんだろう。全然臭みがない。全然くどくない。飲めば飲むほど、スパイシーさが口の中にたまっていく。そして、どこかで残る野性的な味。うまい、うまいんだけどわからない。わからねば……。
一口、二口と端材で作られたであろう安物の木製スプーンで口に運んでいく。
「…………あ」
気が付けば、全部食べてしまっていた。わかったのは、めちゃくちゃうまいってことだけ。
たぶん、リリア好きな味だよな。これはリリアのために買っておこう。
「むぅ。参ったな」
噴水から腰を下ろし、また屋台通りを歩く。
参った。腹三分目くらいしかない。戻ってみんなとわけて食べることを考えたら、たぶんこれでも腹四分目になるかどうかって感じ。
しかし、残り500テレスしかない。これじゃあ、食べれてもあと一食がせいぜいだろう。
ぷかぷかと串焼きやらなんやらが入った袋を浮かべたまま、思考を加速させる。
驚いたようにすれ違う人々は無視だ。いまはそんなことを考えている場合じゃない。残るのは500テレス。屋台で一人前を買うのでせいぜい。
どうするか。どれを締めにするか。アルフマリーか、それともロゲメノミルクか。カルサはだめだ、食欲が噴火する。
それとも、新しい食へ挑戦するか——。
——ぱん。と。
破裂音がして、振り返る。
回廊の端に、変わった屋台があった。
食べ物の屋台じゃない。天幕の下に、木の台。台の奥に、三段の棚。棚には色とりどりの小さな球が並んでいて、その最上段だけ、少し大ぶりの——磁器のような、白い的が五つ並んでいる。
台の手前に、子供が立っていた。
店主から何かを受け取って、手をかざす。小さな魔法陣が玉の魔力を使って描かれ、十門ひと息に描かれた。
水原素をまとった10発の球が飛翔し、下段の玉に当たって、緑に光った。
「はい、残念! 木属性! 駄目だぜ、坊主。最初の一発は属性を探るための試金石にしなきゃなあ。次の方ー!」
店主のおじさんが、声を張り上げた。
看板を見る。
——属性当て。一回、三百テレス。
——魔力珠をひとつお渡しします。珠の魔力のみで魔法を構築し、的を狙うこと。
——最上段の的、三つ落とせば一等。
—— 一等:近隣屋台食事券1万テレス分、および大粒の闇瑪瑙。
……マジか。
1万テレス分の食事券、か。
闇瑪瑙は、まあいい。《蒼眼》で視たところ、たぶん市場価値は10万テレスほど。
だが、そんなものよりも食事券だ。
一回300テレス。500テレスでも、ぎりぎり足りる。もろもろ細工はしてあるようだけど、僕なら十分に突破可能だろう。
「これ、得じゃんね」
僕は、屋台に向かって歩き出した。
「おじさん! 一回、お願いします!」
100テレス硬貨を三枚、台に置いた。
同時に。
「—— 一回、頼む」
低く、静かな声が響いた。
同額が、僕の隣に置かれる。
少年が、立っていた。
僕より少し背が高い。金の髪をまっすぐに下ろしていて、瞳は深い金色。白い貴族服の上に、漆黒のマントを羽織っている。
コートの胸に、銀と青い蛇の紋章。その立ち姿は、屋台通りの喧騒の中で、そこだけ音が消えたように静か。
ポケットに手を突っ込みなおし、顎をわずかに突き出したままや店主のおじさんを見ている。
——すごくきれいな魔力操作だ。
魔力が肉体から少ししか漏れ出ていない。体内で制御され、練り上げられている。その精度は、もしかすると。
僕より、上かもしれない。
僕の口角が、わずかに上がったのを感じた。
その無機質な金の瞳が、僅かに僕の方を見た。
「——ほう。公を見ても怖じ気つかないとはな」
彼はわずかに口の端を歪め、僕と向き合った。
静かな、魔力の動き。小川のように自然な動作で、彼は魔力を僕に向けて放出した。
対抗するように、僕も自分の魔力を解き放つ。
互いに半円状に魔力場を構築し、その力場がぶつかり合い。
バチンッ、と音を立てて拮抗した。
「——ほほう」
彼の眼が、楽しげに細まった。
「公と魔力操作で並ぶか」
彼はポケットから手を出し、顎を引いた。
魔力の圧を強め、僕の魔力場を押そうとしてくる。それより早く、僕は魔力場をわずかにひっこめ、突出して流れてきた魔力を包み込んで、操作を奪う。
互角。
勝るでも、劣るでもない。
僕と拮抗した彼の魔力操作は、互いに競い合う土俵に上がっていた。
「お前——」
「君——」
唇が重なり。
「「——いいな」」
互いの唇が、獣のような孤を描いていた。




