決めるのは、僕ではない
水陰村。
禁足が命じられた、霊脈の収束地。
ただの霊地。それなりに希少ではあるが、それ以上でも以下でもない。
直截に言うのであれば、ただのさびれた寒村。<荒神祭>の影響か、雲が集い始めただけの村。
だからこそ、なのだろう。
「――――」
大気が揺れていた。
眼前にたたずむただの二人の威圧。影の鬼と、黒き虎の気を纏う人の覇気が形を取り、半球状になって互いを圧していた。
「――二千年前が魔王連合軍。アレクセイ陛下の親衛隊が第三位」
双剣が円を描く。
胸の前で両腕を交差させ、影の鬼が一礼を取る。
「<影>のイルゲルム」
彼は、僕を護るように立つ男へそう名乗った。
イルゲルムの不愉快そうな面持ちに偽りはない。しかし、イルゲルムが向ける戦士への礼儀もまた、真実であった。
「――五大黒晶級冒険者が一翼」
男の腕が動く。
刀を突き立て、左手に持った鉄球鎖を腕に絡め、その手を胸に当てた。
「<名捨>のイルク」
イルクがイルゲルムへ名乗りを返す。
――黒晶級。名にし負う、世界で五人しかいない冒険者の頂点。
対邪神。対天災を主体とした、神を屠る刃。
その一角である、天災級の威圧が大気を恐れさせる。
すなわち、僕の兄貴分の本気が開眼される。
「押して参る」
頭を上げる。
手に巻き付けた鉄球鎖――黄金級迷宮特典【グリルザガン】を繰り、回転させる。
風を切り、音を砕く自在の鉄槌は速度が一瞬鈍った。
しかし、それは錯覚。あまりの速度に視界が見せた幻惑だった。それを《蒼眼》が払う。
音がしなかった。あれほどの重量。山のような重みを感じさせる重量が振り回されているのに、一切の振動が伝わってこない。
(違う……! あれは、音すら砕かれているんだ)
それほどの速度、驚天の威力が《蒼眼》に映る。
狂気の域に至った超速だった。それを、鉄球鎖が完全に飲み干し、大気すら振り砕いている。
――冷や汗が、鳥肌が止まらない。
鉄球が最高速に乗った瞬間、鎖がイルゲルムへ向かって投げつけられた。
閃光が迸った。
それは横薙ぎの雷霆であった。空気を切り裂き、轟音を轟かせた一撃が無防備のイルゲルムの顔面を穿った。
衝撃。余波だけで吹き飛びそうになるのを何とか堪え、イルゲルムへ目を向ける。
土埃が舞う中、鬼の影が目の前に映った。
「《幽妙影無》」
遅れて、御業の名が響く。
イルゲルムの影が揺れている。衝撃や攻撃を影へ移す彼の源流能力。影の実体と実体を弄るもの。
かつて、リリアの一撃を受け流した能力を持って、【グリルザガン】の一撃を片手で受け止めていた。
「ふ」
イルクが短く息を吐く。
わずかな動作でイルゲルムの腕に鎖を巻き付ける。
そのまま、息を吐きだす。万力のような力が鎖に込められ、イルゲルムを引っ張る。
「ぬるい」
イルクは瞬時に力を籠める。
硬質な金属音。じゃりり、と流れる鎖の音が響き、規格外の膂力同士が引き合う。
イルクは封じていた力を解放し、イルゲルムは影を腕に纏わせ、膂力を底上げしている。
遅れて、大地が波打った。
「…………っ!?」
衝撃が高波となり、海岸に迫る魔物たちが吹き飛ばされる。
局所的な地震が、立った二人の踏み込みによって生じた。浮遊していたリューリュの式神に波があたり、その退魔の力によって焼失した。
「………………」
視線のみが交叉し、戦意が絡み合う。口は一文字に結ばれ、表情に真剣を宿す。
互いに序の口。鎖を引き合い、崩れた瞬間に相手を切り裂くことを目的とした死の綱引きへ、さらなる力が加わる。
二倍、三倍、四倍。
力が最高潮に達する、その瞬間。
イルクが、【グリルザガン】の手を離した。
「…………!」
イルゲルムがわずかに目を見開く。
一瞬、彼の肌が泡立ち、身体が後ろに倒れこんだ。
「隙あり、だ」
イルクはイルゲルムの懐に潜り込んだ瞬間、イルゲルムが遥か上空へと投げ飛ばされていた。
足に【グリルザガン】を巻き付け、追撃するように空へ跳ぶ。
「――リーリエ!」
喝破するような声がイルクから響く。
須臾の間もなく、水陰村を含む【出雲】一帯を、金色の結界が覆った。
『神鉄結界、広域五重結界の展開完了。暴れろ、イルク』
リーリエさんの少し掠れた声が響く。
一瞬、イルクがこちらへ視線をやった。
――そっちは任せた。僕には、そう言っているように聞こえた。
僕が拳を握りしめたのを見届けたイルクは雲を突き抜け、イルクの姿が雲海の果てに消える。
雷鳴。いや、ふたりが武器を鍔迫り合う火花が、雲を貫いて発光し続けていた。
「さて――」
視線を海に戻す。
そこには未だ蔓延る有象無象。無作為に集められた魔物の軍勢が、よだれを垂らして僕を見つめていた。
光が、僕の隣に集まる。
それは一人の少年を象り、地上に膨大な魔力がまき散らされる。
「やろうか、エディン君」
隣に立つリモルさんが不敵に笑う。
首肯を返し、僕は刀を抜いた。
※※※
「まずは肩慣らしよ」
リモルさんが指を躍らせ、複雑な魔法陣を描く。
五芒星の魔法陣が描かれ、その中から極天の氷雨が吹雪く。
凍てつく冷気は一瞬で大気を、大地を伝い、海を凍結させる。
魔物は一瞬でその身を凍らせ、冷たい彫像へと変えた。
「まだまだ」
リモルさんは魔法陣を背後に何百門も展開する。それは色とりどり、火以外のすべての属性の大魔法を宿し、星団のようにきらめいていた。
圧倒的な破壊力と制圧力を備えた暴威を、雨のように撃ち放つ。
……すげえや。今の掃射だけで、僕の総魔力の2倍分だ。なのにリモルさんの魔力には一切の陰りが見えない。どんだけ魔力持ってるんだ。
っと、その前に。
「リリア」
隣に力なく座るリリアを抱き上げる。
「ちょ……、エディン!」
抱き上げたままの彼女を海浜の内陸側へと運び、廃屋の中へと運びこんだ。
そのまま箱の上に座らせる。
「リリアはここで休んでて」
「はあ? わたしはまだ戦えるわよ」
リリアはそう抗議する。
だけど両膝が笑っていた。力なく震え、立つことすらままならなくなっている。
「だめ。リリア、今は休んでて」
「でも……」
「いいから」
今なお抗議する彼女を押し止め、海岸の先を睨む。
その先には、瘴気を纏うログマがいた。僕を頼り、僕が助けると決めた友人が、魔物にされていいように操られていた。
「いまのリリアじゃ、足手まといだ」
わざと強い言葉を使う。
ついてきてほしくなかった。これは、僕の抱えた問題なんだ。いかにリリアが気の置けない仲間だとしても、今の状態のリリアを連れていくわけにはいかない。
「イルゲルムを相手に、あそこまで頑張ってくれたんだ。もし回復したら、助けてほしい」
片膝を地面につき、リリアに視線を合わせて笑いかける。
彼女はもう十分頑張った。これ以上頑張れば、リリアの命に関わる。僕はリリアに死んでほしいわけじゃない。
リリアが逡巡するように、わずかに視線を逸らした。
「………………わか、った。わかった。わかったわ」
赤髪の少女は、顔を顰めながら頷く。
まるで自分を納得させるように何度も頷いていた。
よし、これで問題のひとつは解決。リリアを下手に動かすわけにはいかない。できれば、この戦闘が終わるまでは休んでいてくれるとありがたい。
「それで、何しに来たんですか」
――背後に、近づくふたつめの問題。
「あなた達」
ひどく冷たい自分の声。
やってきたのは申し訳なさそうな顔をした民衆や武士たち。
ログマに罵声を浴びせたと思えば、リーリエさんの言葉で掌をひっくり返した連中だった。
※※※
集まってきた集団は、武士だけじゃない。
水陰村の村人や、そうでない冒険者。ログマへの罵声を止めていた人も入れば、ログマへ罵声を浴びせていた人まで。
玉石混交と呼ぶのがお似合いの連中が、恩知らずの連中が一体何をしに来たんだろうか。
「………………我らも」
武士の一人。
リーリエさんに意見していた武士が一歩、前に出た。
「我らも、御簾籠り殿を助ける助勢に参じたいのだ」
…………ふうん。
ログマにあんなことを言っておいて、まだ仲間に入れてもらえると思ったんだ。
「お勤めご苦労様です。こちらの人員は充足しております。どうぞ、お引き取り願います」
冷え切った声がのど元から出てきた。
あふれ出てくる乱暴な言葉すべてを胸先に収め、できる限り丁寧な言葉を武士たちに奏上する。
今更なにをしにきたんだ。あれだけ無償で治癒をしてもらって、助けてもらっておきながら成敗なんて言葉を使った輩共が。
それでリーリエさんの一声で何か義憤とか誇りとかが沸いてきたような掌の軽い連中に何ができるんだ。
また瘴気にとりつかれて、成敗だの騙してただの言ってくるのが関の山。時間の無駄だ。
リモルさんが振り返った。
乱射されていた魔法陣のうちの一つがこちらへ反転する。その照準は、武士や連れてきた民衆に定められている。
手で制する。民衆を巻き込むのはまずい。
「武士殿。失礼ながら申し上げますが、僕は貴殿らが信用できません。恩があるはずの僕の友人にした仕打ち。看過することが難しい」
僕はリリアの前に魔力で結界を張り、立ち上がる。
武士たちや民衆は歯噛みしているが、知ったことじゃない。
治療してもらっておきながら、助けてもらっておきながらリューリュ如きの言葉を真に受けた連中の言葉だ。一刻を争う現状で、耳を傾ける価値がない。
『亡星』に魔力を籠め、鞘から抜刀する。
「リーリエさんからの指示であれば、これから魔物を掃討いたしますので、そちらの戦果を――」
「伏してお頼み申す!!」
武士の一人が、僕の前に立ちふさがる。
頭を地面にこすりつけ、謝り倒している。
「鴉門将軍の命ではござらぬ。拙者は、拙者たちの意思でここに参った」
僕の知る、土下座に近い対応だった。
「今更謝罪など――」
「無用、と言われるのはわかっておりまする」
一瞬、僕の指が止まった。
「拙者たち、【出雲】の民は御簾籠り殿に。ログマ殿に、何度も救われた。その上で讒言に惑わされた。……ご友人殿のお怒りも、当然」
「それでも、謝罪の機会を作りたい。あそこまでの献身を、恩を受けたのならば奉公で返す。それに後ろ足で砂をかけてしまった我らに、謝罪の機会を作りたいのです」
「そうだ、おら達だって覚悟を決めてきたんだ」
「ご友人殿だけに助けさせたら、水陰村の名折れだ!」
目を視る。
熱い眼差し。一点を見据え、曇りなく僕の眼を見つめている。熱に浮かれているだけだろうと思っていた。
なのに、鼓動も呼吸も静か。偽りも浮つきもない、定まった覚悟だけが透けて見えた。
戦場へ視線を移す。
まだ、魔物の群れは進軍を続けていた。リモルさんが単独で抑え込んでいるけど、退魔の力が強い海。魔法の威力が落ちるのは避けられない。
覚悟は伝わった。だけど、これ以上時間をかけられない。急がなければならない。
「瘴気の対策は困難でしょう。ないと思いたいですが、後ろから刃を向けられたら困ります。そこへ対策なしに来られては――」
「――対策ならあるぜ、エディン」
人ごみを割って、少女が姿を現す。
避難しているはずの、コレトーさんだった。
「こいつらは全員、裏切ったらその場で腹を切って死ぬって契約を交わした。ま、結ぶのを溜めった連中はここには連れてきてねえよ。
これがその証明だ」
コレトーさんが紙を見せる。
血判状だった。のべ数百人ぶん。ここにいる全員の名前が書かれてあった。
そのすべて、偽りなし。熱に浮かされたものではない。
感謝と、その慚愧。ログマの積み上げてきたものと、この国民の意地と、矜持が血として刻まれていた。
そこには、小鳥遊惟任の名前まであった。偽名ではない、本名が乗っていた。
「コレトーさんの名前まで……」
「応よ」
コレトーさんが頷きを返した。
「ログマはダチだ。助けてやるのは当然っしょ。何よりさ」
彼女は遥か先を見据える。
「あいつに、言ってやらなきゃならないことがあるからな」
コレトーさんは不敵に笑う。
…………そう、か。意固地になっていたのは、僕だったのか。
「どうか、伏してお頼み申す」
「我らを、貴殿の麾下に加えてくだされ」
武士の一人が、全員を代表して語り掛けてきた、
全員が、頭を下げていた。どうしようもないほどの覚悟と熱意が伝わってくる。
すべて、ログマを思った言葉のもの。
ログマの積み上げてきた結晶が、僕の目の前にはあった。
「――わかりました」
全身に魔力を回す。
強化を全開に回し、青い稲妻を体表に纏わせる。
ああ、苦いなあ。
――正直、信用するには物足りない。
全く持って信用はしていない。でも、彼らの決意を。ログマの積み上げてきたものを蹴ることは、僕にはできない。
許しはしない。あの時に取った彼らの行動は、何があっても許すべきではない。
「あなたたちの覚悟。十分に伝わりました」
「ともに、ログマを助けに行きましょう」
刃の切っ先を、魔物の群れに向ける。
だが、認めることは。ログマの研鑽の成果を試してもいいかもしれないと思えるくらいの心持には、なれた。
そも、許すも許さぬも決めるのは僕ではない。
「応!!!」
全員から、熱い返事が返ってきた。
目を逸らしたのは、リリアだけだった。




