迎撃の撃鉄
広間は混沌と化していた。
「ちくしょう、あの詐欺師野郎どこに行きやがった」
「俺たちを散々利用しやがって!」
「魔物にするための実験だなんて」
「落ち着けよ、まだそうと決まったわけじゃ…………」
「それに近いようなもんだろうが!」
群衆がざわめき、ログマへの悪口や混乱を思い思いに吐き出している。
聖なる雨は、今も降り続いている。体温を奪うことなく、べたつくこともない、神聖を宿す雨が止むことなく降り注いでいる。
海浜、水陰村、地下道、神殿、その他もろもろ。
俯瞰視点で【出雲】上空を観測し、頭から血が噴き出しそうなほど《蒼眼》を酷使して、ログマの姿を捜索している。
見つからない。視えることだけが取り柄の僕が、何の役にも立っていない。
「エディン……」
隣に立っているリリアが声を震わせ、僕の方を見ている。
その瞳には、拳から血が滲むほど握りしめた僕の姿が映っている。すとんと表情が抜け落ち、眼だけが輝いている。
落ち着き払った呼吸を繰り返し、外見上は普段通りになっている。
ああ、外から見た僕はいま、こんな感じなんだ。
感覚が鈍い。
掌から出ている血や痛みも、リリアの瞳に反射する自分を見て、ようやく理解できた。
耳鳴りまでしてきた。
周囲にいる住民の声も、雑音程度にしか感じない。というか、うまく聞き取れない。
世界がいやに静かだ。思考が鋭敏に回る。
感情がどうなっているのか、知る由もない。ただ、胸の奥には自分で測るのも難しいほどの嵐が荒れ狂っているように感じる。
もう、聞く必要もないから。
時間と体力の無駄。
功利的な思考ばかりが出てくる。本来通るはずの自分の思考が短絡している。
でもまあ、いまそれを気にしている余裕はない。
ログマを探す。障害は最短で排除する。
――違和感。
普段とは感覚が違う。感覚が遠い。感情が、見えない。
合理一辺倒になり、普段通りの思考とは違う何かが表出している。
その前に。
「クソが、こうなりゃ俺もあの野郎を探し出して、締め上げて――」
障害を先に排除しておくか。
手元に魔力を集わせ、拳に強化を施す。
見たところ、あれは小突けば無力化できるだろう。殺さなければ問題はあるまい。
リリアの制止をすり抜ける。
一歩を踏み出す。
「ひ……っ。な、なんだよお前。お前も、あの化け物の仲間なのか」
そう思い、拳を振り上げた。
「――静まれ」
強烈な覇気が、僕を貫いた。
びりびりと身体が痺れ、自由が利かない。全く、身動きが取れない。
「者共、静まれ。鎮西大将軍、鴉門凛々絵の御前である」
リーリエさんの鋭い瞳が、周囲を睥睨していた。
※※※
「者共、静まれ。鎮西大将軍、鴉門凛々絵の御前である」
その場にいた全員が硬直していた。
尋常ならざる威圧と、その制御を見せていた。僕一人に威圧を集中させつつ、群衆が気絶しないぎりぎりの余波を浴びせていた。
大気が、リーリエさんを中心に歪んでいるように錯視させられる。いや、物理的な圧も伴っているのか。その場に縫い付けられたように、身体がみじんも動かせない。
一歩でも動けば、危険な目に遭う。十年にわたり磨き上げてきた生存本能が、けたたましく警鐘を鳴らしていた。
「し、しかし鴉門殿。お……お戯れはこの辺にて。こうしている余裕などありますまい。あの裏切り者を捜索せね――」
「貴様」
「誰の許しを得て口を開いている?」
覇気の一枝が、言上した武士へ向かった。
威圧は稲妻のように迸り、瞬時に逆らった武士の五体を貫いた。
「ぐ……げ……っ」
威圧を食らった武士は白目を剥き、膝を震わせながらその場に倒れ伏した。
「聞け。誇り高く、知に富んだ皇国の民たちよ。
我らは御簾籠りの者より、多大なる恩を受けたはずだ。
無償で治療し、貧富の差なく診察を行い、己の治癒術を惜しみなく振る舞った。
【出雲】の民のみならず、各地より彼を頼った皇国民の恩は海よりも深く、山よりも大きい」
リーリエさんは報恩の理を言葉を変えて重ね、民衆の視線を己一点に集めながら語る。
「我らは報恩を果たすべき立場の者だ。
それが、今はどうだ?
人心を惑わし、徒に世を乱す犯罪者の言葉に踊らされ、その責を忘れて狂乱している。これが我ら皇国民の姿か?偉大なる始祖、アルフェウス公の民の姿か?」
民衆の熱が高まっていく。
視線に力が宿る。ある者は恥じるように目を背け、ある者は食い入るようにリーリエさんを見ている。
「であれば、ログマ殿へ返すべきは罵詈ではなく、恩であるはず。違うか」
リーリエさんは煙管を旗へ変え、天高く突き刺す。
太陽が描かれた、最果ての日出づる国の旗が雨の中に力強く佇んでいた。
「誇り高き、皇国民よ!」
リーリエさんの言葉に、武士の一団が目を輝かせた。
震える膝を打ち、静かに片膝を地につき、大きく息を吸った。
「然り!」
「然り、然り、然り!」
「そうだ、そうだ!俺たちは、恩を返すんだ!」
武士団が熱に浮かされたように首肯と肯定を返す。
市民たちは拳を天に突き上げ、先ほどのログマへの態度など忘れたように、声高らかに報恩を謳っていた。
……これが民意ってやつか。
先ほどまでログマへ向けられていた熱が、今度は報恩へ向いている。
リーリエさんがこちらへ向かって歩き出す。
人波が自然と割れ、リーリエさんのために道を作る。
彼女は群衆の中に作られた道を堂々と歩き、僕のもとへ寄る。
民衆に背を向け、いたずらっぽくウィンクした。
リーリエさんはすぐに厳かな表情へ切り替え、僕に「合わせて」と耳打ちした。
……なるほど、そういうことか。
僕は片膝をつき、眼を伏せた。
「先の場において、御簾籠り殿を助けんと動いた仕儀。誠に大儀であった」
「……お褒めに預かり、恐悦至極に存じます」
リーリエさんは鷹揚に頷いた。
彼女は僕の肩に手を置き、見せびらかすように手を広げた。
「彼はログマ殿の友人である!我らの誰よりもログマ殿を知り、その行き先を突き止める可能性が高い!彼を捜索隊の先駆けとする!異存はないか!」
「応!!」
「望むところだ!」
「頼むぜ、友人殿!」
「万歳!万歳!万歳!」
リーリエさんの言葉一つで、流れが変わった。
リーリエさんは肩に置いた手から、僕の身体へ魔力線を伸ばしてきた。
『ごめん、エディン君。後手を取らされた。民衆への対処や必要な手はこちらで打っておく。君はこの場を離れて、ログマ君の捜索に集中してくれ』
彼女の声が脳内に響く。
それはいつになく苦々しい、不快さに満ちたものだった。
耳鳴りは、いつの間にか止んでいた。
※※※
水陰村。
村は少し薄暗い。<荒神祭>による雨雲の招来が、すでにここでも影響を示していた。
村人の姿もほとんどない。僕はその中をまっすぐ進む。
目的地は僕らの借りている宿。言葉少なく寄り添ってくれているリリアとアルターが、後ろに続いてくれている。
宿の引き戸を乱雑に開ける。
ガラガラ、と大きな音を立てて戸が開く。木張りの床へ土足で踏み入り、目的の人物がいる部屋まで一直線に向かう。
「んお?エディンじゃん。<荒神祭>の警護してんじゃなかったの?」
目当ての襖を開けると、寝転がった銀髪の少女がいた。
掌には何やら魔力光が集っている。錬金術で複雑な推進機関を作っている最中だった。
おそらく、<叡智の学堂>へ帰るための飛行機のエンジンだろう。
「コレトーさん」
和室の敷居を越え、コレトーさんの前に正座する。
「ログマが、攫われました。探すのに僕だけじゃ手が足りません。助けてください。お願いします」
単刀直入に用件を告げ、深々と頭を下げる。
額を畳に擦りつけながら、《蒼眼》を俯瞰視点に切り替えてコレトーさんの様子を視る。
最初は首を傾げ、困惑していた。
状況を飲み込み始めたのか、少し顔色を青くする。しかし、ぶんぶんと首を横に振り、へらへらとした笑みを消すと、
「おう、任せろ。俺は何をすればいい?」
覚悟を決めたように、コレトーさんは不敵に笑った。
※※※
僕らがまず向かったのは、ログマのいた庵だった。
「お前の《蒼眼》だけじゃ探知できないんだろ?なら、状況を整理していった方がいい」
コレトーさんは庵の中をいろいろと物色しながら、僕に語る。
「俺は、お前に何ができて、何ができないのか詳しく知らん。だから、《蒼眼》で視えないものの条件が分かれば、あとは当てはめて探しゃいいんじゃね?」
……言われてみればそうだ。
ログマ単体で探しても分からないのなら、まずは視えない条件から逆算すればいい。
「普段のお前ならすぐ気づいてるだろって話。焦りすぎ。こういう時に焦っても、いいことないぜ?」
三角フラスコや包帯などを目の前に持ってきて観察しながら、コレトーさんは言う。
返す言葉もない。
どれだけ普段おちゃらけていても、コレトーさんは<叡智の学堂>における錬金術の頂点。その言葉には年長者としての重みがあった。
「ま、俺も焦りまくって錬金術の途中で実験棟まるごと吹っ飛ばしたことあるから、なんも言えないがな!」
ガハハと笑った後、コレトーさんが肩を竦めた。
少し、僕の口元から笑みがこぼれる。
ふう、と息を吐いた。
心臓が一定の鼓動を刻み、身体へ熱を送り出す感覚が、ようやく戻ってきた。
……《蒼眼》で視えないもの、か。
そんなもの、今までなかった。あるとしたらなんだ……。
記憶の奥を探る。思考を加速させ、何度か見た走馬灯のように過去の記憶すべてを掘り当てていく。
東塔の記憶、該当なし。
リステリアからの脱出、該当なし。
冒険者試験、該当なし。
初迷宮――。
『真っ黒な闇が渦巻き、扉の奥に浮かんでいる』
『《蒼眼》でも、先の一切が視渡せない』
記憶の風景が、一瞬で記憶の底から引っ張り出された。
「――迷宮。迷宮の外から中は、見渡せませんでした!」
「なら、それだな。本人が視えなくても、迷宮の門は視える。出入口と、その周辺にいる魔物の動きを洗えば追える」
「早速《蒼眼》で……」
「いや、ちょっと待てい」
俯瞰視点に切り替え、確定した情報から検索をかけようとした瞬間、コレトーさんが止めてきた。
「ログマから、お前宛てだ」
その手には、真新しい紙に書かれた手紙が握られていた。
※※※
『この手紙を読んでいるということは、ワタシはきっと死んでいるのでしょう。
そして、この手紙を読んでいる者が、ワタシの友であるエディンやコレトーたちであることを祈ります』
手紙の内容を読み上げる。
書かれた内容は魔族語であった。なので、逐一統一言語に翻訳し、読み上げる。
『心苦しく、つらい生活でした。
ワタシは一夜にして、天涯孤独になった。同胞を失い、敵に頭を下げ、あまり差別をしなかった水陰村の人たちを騙し、己の目的のためだけに走り続けていました』
墨が、力強く押し付けられていた部分だった。
手紙の裏にまで墨が貫通し、裏返しても読み取れるほどの濃さで書かれていた。
『しかし、そんなワタシにも輝けるような日がありました』
墨が、筆圧が弱くなった。
『エディン。アナタとの出会いでした』
『明らかに怪しいワタシを、エディンは正面から受け止めてくれた。差別も、不快そうな目も向けず、一人の人として。ワタシが失ったものを、アナタはくれた』
胸が小さく跳ねた。
思い出すのは、ログマたちと交わした魔法談義。ログマとの出会い。
僕は、特別なことなんてしていない。ただ治癒魔法の先達として、接しただけ。
ログマにそんな風に思われるほどのことを、僕はできていない。
『アナタはきっと知らないでしょう。あの時、アナタがワタシにログマという新たな名をくれたとき、どれだけうれしかったか。
どれだけ、アナタを裏切りたくないと思ったか。アナタと治癒魔法を共に開発したことが、どれだけ誇らしかったか。
アナタの言葉のすべてが、どれだけワタシに勇気をくれたのか』
手紙を握る指に、わずかに力が入る。
紙に小さなしわが寄った。
『だからこそ、ワタシはイルゲルムに絶縁状を叩きつけに行きます。
アナタと、アナタの親愛なる方々をこれ以上裏切りたくない。だからワタシは、最期の覚悟を決めます』
「『末筆となりますが、エディン。本当にありがとうございました。アナタのおかげで、ワタシは最期に楽しい夢を視させていただきました』……………………か」
深呼吸を繰り返す。
目に浮かんだ熱いものを拭い、気合を込める。
それだけの覚悟。それだけの信頼。
僕が、全霊で受け止めなければならない。
「………………なら、僕らがやれることはひとつだけだ」
僕は《蒼眼》に魔力を回す。
「ログマを、救う。何があってもだ」
「みんな、付き合ってもらうよ」
全員が頷きを返した。
それを皮切りに、知覚範囲を限界まで広げる。
浜辺を越える。村に残った船を遥かに追い越し、その先にある蜃気楼へ。
蜃気楼を越える。水気と光の乱反射により作られた偽りの都市を抜き去り、海へ。
外洋へ至る。海中に点在する迷宮の門を洗い、海底の地形から生物の一匹一匹まで見通していく。
迷宮の中そのものは視えない。
だが、出入口は視える。
そこから出入りした魔物の群れや、瘴気の痕跡までは隠せない。
外洋全域にまで引き延ばした視野の処理へ、全神経を注ぐ。
その中に、一つだけ異常なほど多くの魔物が集う海域があった。
そして――。
「見つけた」
遥か海の彼方。
大量の魔物の群れあり。海の魔物、そのすべてを片端から集めたような百鬼夜行。
その中央。
「数、三万。魔物どもを率いて、こっちに向かってきている」
優しい目を真紅に染め、泥のように濁った瞳をしたログマがいた。




