切り札
「<擬態結界>!」
即座に擬態用の結界を編み上げ、ログマへ被せる。
だけど、効かない。魔法陣を編み上げた途端に術式が解け、ランニングマグロの姿が表に出てしまう。
退魔の雨か……! 瘴気を祓う原理は魔力結合の分解だ。そう考えるなら、魔法が効かないのも当然の帰結!
「ひ、ひぃっ!」
「な、なんでこんなところにランニングマグロが!」
ぞろぞろと周囲から群衆が集まってくる。
怯え、恐れ、困惑。様々な感情の視線がログマへ集い、その視線が彼を刺している。
嫌悪。
ねばつくような負の感情を遮るように、ログマの前に立つ。
リリアやアルターもだ。リリアは腰に佩いた剣へ手をかけ、アルターは黄金色の魔力を指先にまとわせている。
「おい……! なんであんたらそいつを庇うんだよ」
「其処許ら。そこをどけ。我ら武士に歯向かい、魔物に堕したランニングマグロをここで成敗してくれる」
仲の良かった職人を押しのけ、武士が刀を抜いた。
集まってきた武士や、寄せ集めの冒険者たちが武器の切っ先を僕らへ向けてくる。
……仕方ない、か。
掌に魔力を集め、魔法陣を形成する。
ゆっくりと、民衆や武士にもわかるように完成前、ログマが癒しに使っていた治癒魔法を描いていく。
魔法は難しいが、気魄を用いる<蒼仙法>は問題なく使える。《統巡》で力場を操作し、雨が当たらないように力場を生成。
ダメ押しで雨にかき消されないようにより濃く、より濃密に魔力を注いでいく。
民衆に自分の正体を隠したい。
御簾籠りの奇人がランニングマグロであることをばらしたくないログマの意に反するが、仲間の危急にそんな悠長なことを言ってはいられない。
魔法陣が、完成する。
その直前。
「――すとぉっぷぅ」
魔法陣が砕けた。
編みかけていた魔法陣が空に消え、代わりに一枚の式神が姿を現した。
「ノンノン。ダメダメぇ。エディンくん。そんな簡単なばらし方をしちゃあ」
一枚の式神が人に代わった。
青髪赤目。ニタニタと軽薄で粘着質な笑みを浮かべた男が、屋台の上に舞い降りる。
「てめぇ……俺っちの屋台に……! なんだてめえ! 何者だ!」
男性の言葉に男が笑みを深める。
大仰に礼を取り、深々とお辞儀して見せる。
「おお! よくぞ聞いてくれました! ミーはリューリュ。リューリュ・ヴェティ。自由結社にして秘密犯罪結社、<アリウスの梯子>の一員にして」
心底、意地汚い笑みを浮かべながらリューリュは一言。
「そこなランニングマグロ。ログマ君の仲間です!」
最悪の発言を、僕の前で繰り出した。
※※※
「<アリウスの梯子>って……」
「俺も聞いたことがある……。貴族を惨殺したり、幼子を誘拐したりして実験したりするって噂の……」
民衆の間でよくない感情が伝播していく。
《蒼眼》に映る、立ち上る魔力は瘴気のように黒く濁っている。濁っては、<荒神祭>の退魔の雨が溶かしていく。
「その通り! ミーらが同胞の伝道がこの地にも満ちていて何よりです!」
リューリュは芝居がかった動作で胸を撫でる。
「ミー達は超越者を解放するもの! 道理や国家、秩序に囚われた超越者を救い、自由にするものであれば! 」
リューリュが首を傾げ、悪辣な笑みを浮かべながら語る。
「ログマ君とユーら民衆には感謝しているのですよ?」
手に持ったランプをふるう。
黒い力があふれ、雨に溶かされながらも民衆の吸う大気に溶けていくのが視えた。
「御簾籠りの奇人こと、ログマくぅん?」
リューリュの口元が醜悪な弧を描いた。
民衆に動揺が走る。
……ログマは御簾籠りの奇人。ほぼ無償で高度な治癒魔法を貧民や貧しい人に施すことで治癒魔法を研鑽し、同胞を魔物から人へ戻す方法を試行錯誤していた。
「ミー達の研究。人を魔物にする実験の治験に協力してもらったのですから」
………………っ!
こいつ……! ログマの、同族を人に戻したい目的を、歪めて利用しやがった。同族であるランニングマグロを、こいつらに歪められた同胞を戻したいって思いを、利用しやがった。
「なんだと……!」
「じゃあ、元は人と友好的なランニングマグロが、魔物みたいに襲ってきたのって……!」
民衆の一部が不安をよどみなく語り上げる。
それらの頭には、黒い魔力が霧のようにかかっていた。
「そう! その通り! すべて我々と、そこのログマ君の仕業です!」
「否定! みなさ……TsuT……ワタ…………」
ログマが反論しようとするが、ログマの翻訳用の魔導具に被害が出始めた。
黒い靄が、ログマの翻訳魔導具に干渉しているのが見えた。
どこまでも、ログマに反論させるつもりがないらしい。
どうあっても、ログマの理念を汚すことしか頭にないらしい。
――なるほど。つまり、
「ランニングマグロは被害者なのです! ワタシは彼が同胞を魔物に変えるたび、胸が張り裂け――」
お前は、死にたいわけだ。
跳躍。
構え。
「――《蒼霆》」
屋台の上でべらべらとご高説を垂れていたリューリュの腹に、法力の稲妻と打撃を叩きこむ。
「ご……っ」
リューリュは錐揉みしながら吹っ飛んでいき、壁に激突した。
「よく回る口だなあ」
青い稲妻が僕の周囲を帯電する法力を掌握し、瀕死のリューリュを睥睨する。
「ないことばっかりべらべらしゃべりやがって。全部お前らだけの仕業だろうが」
血を吐き、何やら術を発動しようとするリューリュ。
一歩で間合いを詰め、再度法力を体内で練り上げる。
「黙ってあの世でログマに土下座しろ」
雷鳴を打ち込む。
「ごぷ……っ! ぁ……!」
リューリュの式神が影に溶け、消え失せる。
式神。やっぱりね。だけど関係ない。殺し続ければ、いつかは死ぬ。
背後。二歩分の間合いの外に符が舞い降りる。
ぽん、と弾ける音が後ろから響き、そこからリューリュを象った式神が姿を現す。
「いやあ。びっくりしましたねぇ。人が話している途中に致命級の一撃を躊躇なく叩き込んでくるとはぁ。
蛮族の極みみたいな少年ですね、エディンくん?」
「汚い口で僕の名前を呼ばないでくれないかな。名が腐る。お前が言っていい言葉は豚のような断末魔だけだよ」
青い稲妻を体表にまとわせ、《統巡》で周辺の力場を支配する。
ログマが言っていた真犯人のひとり。
獲るべき首が、狩るべき獲物がのこのこと姿を現したんだ。ログマには悪いが、こういう手合いは喋らせるほど自分に有利な雰囲気を作っていく。
さっさと殺そう。今の僕なら、たぶん感じる痛みも少なく済む。
そう思って、腰にある刀を抜いた。
「それは、残念。交渉や揺さぶりの余地もないとはぁ。……末恐ろしいを通り越して、狂ってますね」
一歩踏み込む。
『亡星』に魔力を吸わせ、<紅蓮砲殲火>の魔法陣を描く。
「では、早々に切り札を切らせていただきましょう」
パチン、とリューリュが指を鳴らした。
一枚の符に魔力が籠り、形代となって焼け落ちた。
瞬間。
「TSU゛…………!」
ログマが身もだえ始めた。
僕の全神経に全制動をかける。
ログマの様子が変だ。
魔力が、変質していっている。普段人のものだった魔力がだんだん瘴気に近づいていっている。口からよだれが垂れ、眼がさらに真紅へと染まっていく。
……まさか。
「皆様! とくと御覧じろ! これが彼の研究成果!」
ログマの口から、鋭い牙が覗き。
「人を魔物にする治癒術です!」
ログマのやわらかい視線が、獣のそれに変わった。
※※※
「TSUNAAAAAAA!!」
ログマが……。ログマだったランニングマグロが雄たけびを上げる。
感じるのは、どこまでも強い破壊衝動。魔物特有の、人への深い憎悪と殺意。
魔物として爪を伸ばし、ログマが近くにいたリリアへ襲い掛かる。
須臾の間もなく、リリアがログマの腕をつかみ、思い切り捻り上げ、拘束した。
「ログマ……っ! しっかり、落ち着いて!」
「<玉桂天装>!」
ダメ押しでアルターがリリアへ強化を施し、ログマを取り押さえる力を補強する。
標的をリューリュからログマへ。足場を踏み砕く勢いで留まり、方向転換。ログマへ向かって駆けていく。
今は魔物にされて間もない。なら、<回帰原理>による回復魔法による回帰での回復範疇のはず……!
幸いなことに、ログマの目の中には理性がある。まだ、間に合う。間に合わせる!
複雑怪奇な魔法陣を瞬時に編み上げ、最大加速でログマへと迫る――。
石が、ログマに向かって投げられた。
かつん、とログマの頭に石が当たった。
「お前の……」
投げたのは、浮浪児の子供だった。
身なりは悪くない。むしろ、立派な服装だった形跡が見える。しかし、それも泥にまみれ、ほつれ、高貴の痕跡のみを残していた。
「お前のせいで、父上は……! お前がいなければ、母上は病にかかって苦しまずに済んだのに……!」
石を投げる。瞳は憎悪で染まり、力が入りまくった石。
それを、蹴りで叩き落とす。
背景を考察するまでもなく、ランニングマグロに殺された親の子だった。
「ぜんぶ、嘘だったのか……! おれの母上を癒していたのも、魔物にするためだったのか……!」
泣きながら、子供は石を投げていた。
取り押さえられていたログマの目は、揺れていた。
「返せよ」
「父上を、元気な母上を、返せよ……!」
ぼろぼろと涙をこぼしながら、子供は石に手を伸ばし続けた。
「そうだ……! 俺のおっかさんも、最初のランニングマグロの襲撃でおっ死んじまって……!」
「いや、俺は信じねえ。お前たち、おかしいよ。冷静になれよ。犯罪者の言葉なんか信じてどうする」
「でも、あいつはランニングマグロなんだぞ!」
「そうだ! 魚風情が人に、武士に盾突くなど……!」
「成敗、成敗だ! 無礼討ちだ!」
「各々方! 民を護るぞ」
「おおっ!」
武士の声が、一つにまとまった。
刃を抜き、危険な黒い輝きを瞳に宿していた。
「あはぁ……!」
リューリュがにやけ面を浮かべた。
僕の目が、ますます鋭くなるのを感じた。
まいったな。武士を殺したくはなかったんだけど、仕方ないか。
『亡星』を構え、武士へと相対していく――。
瞬間、武士団が崩れ落ちた。
「――人の庭で、何をぎゃあぎゃあ騒いでいるのかな」
白髪の女性が、何かを掴むような手のまま現れた。
手を大きく払う。ただ、それだけの動作で武士にとりついていた黒い魔力が祓われ、武士たちが正気に戻る。
「リューリュ」
リーリエさんが、冷たい口調でリューリュの名を呼ぶ。
「リーリエ・アモン……!」
冷や汗を流しながら、リューリュが野性的な笑みを浮かべた。
「師匠をつけろ。元子分風情が」
リーリエさんは手を空に掲げた。
その場にあった式神、そのすべての式が書き換えられた。リューリュからリーリエさんへ。式神の主が、移行した。
同時にリューリュの居場所を探るような逆探知をしかけ、リーリエさんが複雑な術式のもとを読み取っていく。
リューリュの姿が波打つように揺らぎ、大きくその姿を乱す。
「――イルゲルム閣下ァ!」
リューリュが焦ったように叫ぶ。
矢継ぎ早にログマの影に渦が巻き、砂嵐のように黒の粒子がログマを覆った。
「TSU……NA……」
「ログマっ!」
消えかけるログマへ手を伸ばす。
ログマもまた、僕の方へと手を伸ばす。
一瞬、ログマの手が逡巡するように止まった。
影が巻き上がり、一瞬でログマを飲み込み。
『《影流し》』
同時に、嗄れ声が響いた。
黒い斬撃が幾つも飛ぶ。式神、リーリエさん。
そして、僕。
「……っ!」
間一髪のところで飛んできた斬撃を『亡星』にて受け止め――。切れない! 岩のような重さを伴った影の刃を受け止め切れず、僕は壁に向かって突っ込んでいった。
漆喰の壁にぼくの身体が食い込み、倒壊する。
砕けた瓦がパラパラと僕の頭に落ちてきて、破片が髪の毛に混ざりこんだ。
「――ちっ。逃がしたか」
リーリエさんの声が耳を打つ。
彼女は無事だ。迫りくる影の斬撃を瞬時に強化した拳で弾き返したものの、式神そのものは両断されていた。
「ふ……う……っ」
壁に食い込んだ体を脱出させ、着流しについた汚れを払う。
ログマがいた場所に目を向ける。
そこには、リリアたちしかいなかった。僕が守ると決めた仲間のひとり、ログマはもういない。
「………………舐めやがって」
誰に対する言葉だったのか。
リューリュか。恩知らずの大衆か。それとも、僕にか。
雨が降る中、どれだけ考えても答えは出なかった。




