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お姫様な気分


 午前中は、僕の部屋で、勉強会だった。


 机の周りに、リリアとアルターとログマが集まっている。相変わらずベッドの上。部屋に備え付けられている書斎机は、全員で勉強するには少し小さすぎる。


「新しい机を買ってくればいいじゃあないか」


 クロはそうぼやきながら過去問をめくる。


「お金がないよ。この部屋に合うくらいの机なんて、僕らのパーティじゃとても、ね」


 過去問をめくりながら顔を真っ赤にして術式を描き続けるアルターを見る。

 よく知らないが、香木はどちゃくそ高いらしい。ほんのり漂う香木の匂いからして、めちゃくちゃ高いのは考えるまでもない。


 その余裕があったら僕の食費であんなに渋られることはない。


「別に公のポケットマネーから出せばいいじゃあないか。

 下手な理由での支出は怒られるが、今回のような友人との勉強ならば大婆様のげんこつは降ってこないだろうし」


 頬杖を突きながらクロは言う。


 そういうもんかねえ。エレインをチラ見すると、笑顔のままぶんぶんと首を横に振っていた。

 首元には、大振りの黒瑪瑙のネックレスをつけていた。


「……慣れぇ……」

 

 リリアが、鳥のような悲鳴のままベッドに倒れ込んだ。


 本を空へ放り出し、ふかふかのシーツの上に本が散らばる。

 どうやら、術式学や神話学のところで行き詰っているらしい。


「何これ。本当に意味わかんない。てか、創世神の二つ名多すぎよ。これを正確無比に記述しないと突破できないなんて、正気じゃないわ」


「まあ、ねえ」


 創世神の二つ名多すぎ問題は、まあわかる。一番少ない火の創世神だけでも<牡牛たちの王(エゲス・オリュコス)>、<原始劫陽(ギラグデゲル)>、<黄昏の黄金暁(エゲンチェレ)>、<焼き尽す捧げもの(アゲンャトリア)>と、数多の意味がある。それらの意味を網羅して、術式を構成しなきゃいけない。

 

 リリアの答案用紙を見ると、まだまだ赤点ライン。

 そりゃ、しんどいよね。

 

「……埒が明かないのですよ」


 アルターはため息を吐き、そういった。


「そもそも、術式学は初歩なのですよ?

 リリアがつまずいている術式学……細分化すると群論から幾何学に、数理論理学に線形台数学に、微分方程式やら変分法。

 召喚学、変身学に始まり、神話学やら占星学やら。すべてを網羅していないと、試験で高得点を取ることはおろか、合格すらできないのですよ」


「無理よ~。無理。できる気がしないわ。頭がおかしくなっちゃう。計算しながら新しいものも作っていかなきゃいけないの、沸騰しちゃうわ。【旧神聖曜】の方が遥かに楽よ」


 リリアは、羽ペンを握ったまま、唇を尖らせた。


「なに。貴君は【旧神聖曜】が使えるのか」


「ええ。火だけ、ですけど」


「…………まさか、公以外に【旧神聖曜】を使える者がいるとは」


 クロが瞠目したような目でリリアを見ていた。


「ええと。僕は【旧神聖曜】すら知らないんだけど。リリアはよくわかってるの?」


「ええ。術式学と同じくらいよくわかってるわ」


「なにも理解していないじゃあないか」


 クロははあ、とため息を吐いて七芒星の魔法陣を描いた。

 空に光の板が浮かぶ。


「【旧神聖曜】は要は、創世神の力を直接借りる術式だ。

 ほぼすべての魔法の上位に立つ存在、と言ってもいい」


 クロは続ける。


「魔法とは理論上、何かしらの手段を講じれば誰でも使えるもの。

 だが、【旧神聖曜】は別だ。一属性につき、適性者は百万人に一人といない。

 理論はいまは関係ないため、詳細は省くぞ。それができて貴君、なぜほかの魔法が使えんのだ」


 彼はじとっとした目でリリアを見つめていた。


「仕方ないじゃない。使えるものは使えるってだけなんだから」

 

「……はあ。これ以上は、言っても意味はないが。【旧神聖曜】が使えるというだけで、<叡智の学堂>で上位3割には確実に入るぞ」


 クロは「あとで大婆様に報告せねばな」とぼやきながら、訳が分からんとばかりに頭を両手で掻きむしっていた。


「え、本当? なら勉強しなくていいかしら」


「入学してから地獄を見たいのならば、好きにすればいいじゃあないか」


「……勉強するわよ」


 リリアは唇を尖らせ、術式学の本へ目を向ける。


「……ふふ」


 一瞬で、遠い目になっていた。

 こりゃあ、だめかもしれん。


「しょーがないですね」


 置物になり始めていたリリアを前に、アルターは指先に黄金の魔力を集わせ始めた。


「<夜杖を跨げ冠薬(アリアンルォード)>」


 蛍日のような光が空から降り注ぎ、僕らの頭に纏わりつく。


 おお、これは……。思考が、加速していく。

 《蒼眼》由来の頭痛も、マシになっていく。なんだか、肩まで軽くなってきた。


「ログマ。<生命賛歌(アトゥーン)>をお願いするのです」


「承知」


 ログマが十字架の魔法式を空に刻み、緑の光を脳天に向けて照射する。

 やたら、ログマたちの声と動きが、緩慢だ。

 

 な、なんだ……。思考が澄み渡っていく。僕の身体の動きまで、緩慢になっていく。


「思考加速と思考整理の術式なのです。ただ、長時間の展開はアルターもみんなもべらぼうに疲れるので、一時間で終わらせるのですよ」


 そういって、アルターは教科書を僕とクロに渡してきた。

 こりゃあ、いい。これと組み合わせれば、リリアとみんななら、高得点を狙える。


「……なんだ、この術式は。まるで意味が分からないじゃあないか。なぜ、こんなものを使える連中が、初歩も初歩の術式でつまずいているのか」


 クロはアルターの術式を見てため息を吐き、教鞭を手に取った。


 そりゃ僕も同感。

 人には得手不得手があるけど、僕の仲間は少し尖りすぎている。

 

 ほとほとそう思いながら、僕もクロの隣に並んだ。

 



 ※※※


 昼過ぎ。


 僕らは、中庭に出た。


 午後の陽射しが、芝生に柔らかく降り注いでいる。噴水の水が、きらきらと光っていた。アルターとログマは、回廊の日陰に座って、アイスを食べながら溶けていた。


 思考加速のし過ぎで、頭が疲れたらしい。


 全員、術式学については6割の正答率を維持できるようになってた。

 やっぱりすごいね、アルターの月光魔法。1割も正解のなかったリリアが、この領域に至れるようになるなんて。

 この調子なら、昼過ぎもまた1時間くらい同じようにおさらいをすれば、術式学はなんとかなるだろうな。


 クロはアイマスクして大いびきをかいている。


「気晴らしよ」


 リリアが、木刀を肩に担いで言った。

 頭を沸騰しそうなくらい使ったから、今度は身体を動かして帳尻を合わせようって寸法らしい。


 この後、甘味と昼寝があるからって元気有り余りすぎだろ。


「朝の約束、覚えてるわよね」


「うん。本気で、でしょ」


「手加減したら、許さないから」


「しないってば」


 回廊の柱のところに、木刀が二本、立てかけてあった。

 いつの間にか、ユースティスさんが置いていってくれていたらしい。有言実行が早すぎる。


 僕は、その木刀を一本取って、リリアの前に立った。


 芝生の上で、五メテルほど離れて、向かい合う。


 リリアが正眼に構えた。

 僕も、 【旧流法(レアーラ)】の構えを取る。


 ふっと、風が止まった気がした。


「――いくわよ」


「うん」


 最初に動いたのは、リリアだった。


 赤い髪が弧を描いて、木刀が、まっすぐに僕の肩口へ走る。


 速い。さっきの素振りより、さらに鋭い。


 正面から叩き下ろされた一撃を、全身のバネを使って受け止める。


「あはっ」


 リリアの声が跳ねる。


 かん、と乾いた音が響く。二の太刀、三の太刀。リリアの木刀が、右へ、左へ、上へ、下へ。《蒼眼》で追う。全部、視える。全部、受けられる。


 ……なんだか、受け辛いな。弾きと流しが、うまく行かない。


 木刀の振りが、少しだけ、揺れている。


 速いのに、揺れている。ほんの僅かに、振りの途中で、力を抜いたり、込めたりしている。ばらばらに見える動きの中に、一定の息遣いが混じっていた。


 ……これは。


 メーテールさんの、一拍だ。


 リリアは、あの人の動きを、真似ようとしていた。理屈じゃなく、身体で。昨日、一度だけ見た動き。今朝、一度だけ受けた動き。それを、もうすでに取り入れているのか!


 ガン、ガン、ガン。


 釘でも打っているような硬質な音が奏でられ、リリアの動きを読む、読み……読みづらい!

 ああもう! 四方八方から違うリズムで剣が来るから、やりづらいことこの上ない。


 右から来る一撃を躱し、踊るように振るわれる第二撃を受け止める。


 ……ッ、流し損ねた。リリアの踊るようで、極限の体重移動を乗せた剛剣が、僕の腕を一瞬麻痺させる。


「あら、あらあらあら! さっきまでとは全く違うじゃない! もう余裕がないのかしら!?」


 リリアのボルテージが上がり始める。


 僕は、受け続けた。


 リリアの木刀が、僕の左肩を狙って、振り下ろされる。


 僕の《蒼眼》が、軌道を捉えた。


 ――左肩。上から、斜めに。


 木刀を、そこへ合わせにいく。

 動きを読み、的確に流し返し、疲弊したところを攻める。それこそが、 【旧流法(レアーラ)】の神髄!


 その瞬間。


 リリアの木刀が、止まった。


 僕の木刀が、空を切る。


「――っ!」


 そこから、リリアの木刀が、動き出した。


 僕の肩口へぱしん、と衝撃が走る。


「……間に合った、か」


 ギリギリで、魔力強化が間に合った。危な、リリアが途中で減速して加減してくれていたとはいえ、強化を集中させてなかったら腕折れてたな。

 

 リリアが、木刀を引いて、一歩下がった。


 青い目を丸くして、木刀と僕を交互に見ていた。


「……当たった」


「当たった、ね」


 リリアの声が、少し震えていた。

 取り入れて、覚えたものがうまく行った。それが、うれしくてたまらないといった顔だった。


 そうか。メーテールさんの攻撃。あれと同じことをやられたのか。


 なるほど。道理で受けづらいわけだ。独特の不定期のリズムで剣が拍をずらしてくるから、受けづらいことこの上ない。

 

 それを、リリアは、たった数時間で、使えるようにしている。


 ……本当に、天才だな。


「リリア、もう一回」


「もちろん」


 リリアが、にっと笑う。


 僕らは、もう一度、構えた。


 

 ※※※

 


 それから、何本、打ち合っただろう。


 十本、二十本。数えるのをやめたころ、僕らは、二人とも芝生の上に、大の字に転がっていた。


「つっかれ、た……」


 息が整わない。リリアの成長が著しすぎて、途中から全力でぶちのめしに行ったせいだ。


 額から、汗が滴り落ちている。空が、とても高い。薄い雲が、ゆっくりと流れていた。


「……何本、取った?」


 リリアが、空を見たまま聞いた。


「僕が、十三本。リリアが、七本」


「七本も、取ったのね、わたし。だいぶお疲れじゃない。これじゃ、午後の教師役は難しそうね?」


「うん。……リリア、途中から後の勉強会の体力配分考えてなかったでしょ」


「ふふ」


 リリアが、小さく笑った。


「悔しいけど、勝ちは、勝ちね。今日は術式学以外をやりましょう?」


「ええ。そんな勝ち方で悔しくないの? 最初は僕全力じゃなかったぜ?」


「だって、あなた、本気だったでしょう?」


「……まあ」


「なら、いいじゃない」


 リリアは、満足そうに、息を吐いた。


 しばらく、二人とも、何も言わなかった。


 回廊の日陰から、アルターとログマの話し声が、かすかに聞こえてくる。「アホだ。アホどもなのです。息抜きで疲れてるアホの二人なのです」「同感。今日のエディンとリリアは使い物にならなくなるのに8000テレス賭けます」「賭けにならないのです」などと、ふざけたことを抜かしながらバターケーキを摘まんでいた。

 

 噴水の水音が、さらさらと響いていた。


 ……平和だな。


 昨日は、あれだけ、いろんなことがあったのに。


 列車が襲われて、議場に立たされて、リヴェータさんに手を取られて。それが、たった一日前のことだなんて、嘘みたいだった。


「……ねえ、エディン」


「なに?」


「ありがとう」


「え」


「勉強会。いろいろこと、教えてくれて」


 リリアは、空を見たまま、ぽつりと言った。


「わたし、座学が苦手で。剣のことなら、いくらでも考えられるのに、術式になった途端、頭が真っ白になるの。……でも、あなたが親身になって教えてくれた。見下さず、寄り添って教えてくれた」


 ……まあ、クロの教え方はナチュラル貴族ムーブすぎるからね。


「僕は、いつも通り教えていただけだよ」


「それでも、よ」


 リリアは、ゆっくりと身体を起こした。


 赤い髪が、芝生の上でさらさらと揺れる。


「ちゃんと、受かるから。みんなで」


「うん。みんなで」


 僕も、起き上がった。


 それから、ふと、思いついた。


「ねえ、リリア。明日、外に出てみない?」


「外?」


「街に。せっかく、【聖都】にいるんだし。まだ、全然、見てないでしょ」


 リリアが、目を瞬かせた。


「……勉強は?」


「午前中、いっぱいやったし。このあと、<生命賛歌(アトゥーン)>で体力回復させて、明日の分もやろう」


「アルターが怒るわよ」


「どうせまだやれるから大丈夫」


 リリアは、しばらく、僕の顔を見ていた。


 それから、ふっと笑った。


「……うん」


 リリアが、小さく僕の手を握った。


「ねえ、エディン」


 ごろり、と芝の上で転がってきて、もじもじとした態度で僕の方によってくる。


「エスコート、してくれる?」


 恥ずかしそうな、消え入りそうな声で、彼女はそういった。


「もちろん」


 僕は、転がって横向きになり、リリアに悪戯っぽく笑いかける。


「お姫様」


 そういって、目を瞑った。

 とても風と日差しが気持ちいい、正午の頃だった。

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