誓戦布告
「……ん」
膝の上で、リリアが小さく唸った。
まぶたが、ぴくりと震える。長いまつ毛が、ゆっくりと持ち上がった。青みがかった瞳が、僕の顔を見上げた。
「……エディン?」
「おはよう、リリア」
「……あれ、わたしどうして……」
リリアは、ほんの一瞬だけ目を瞬かせ、ぼんやりと周囲を見つめた。
朝の中庭。オリーブとレモンの木。噴水と、川のせせらぎの音。芝生の上に転がった、彼女の木刀。
彼女は視界にすべてを修めながら、小さくため息を吐いた。
「ああ、そういうコト」
リリアは頭を動かし、膝の上にある僕に視線を向けた。
「負けたのね、わたし達」
「…………うん。ごめん。僕が投げられてしまったばっかりに」
「いいえ。エディンもわたしも、やれることは全部やったわ。その上で、相手が一枚上手だっただけ。気にしてもいいことないわ」
リリアはそう言うと、僕の膝を目で見て、ほんの少し顔を赤らめた。
そこから、名残惜しそうに起き上がり、自分の後頭部に手をやった。
「痛くない。……完全に手加減されてたわね」
リリアは首を抑えながら、ため息を吐いた。
立ち上がり、木刀を拾い上げて、僕の背中に寄り添う。
その間には、拳一個分の距離が、空いていた。
「……そうだね」
暗澹な気持ちが、すこし湧いてくる。
すごいものはすごい。しかし、負けたことは悔しい。あーあ、ためいきが止まらないや。ああも一瞬でボコボコにされたんだもの、感動するけど、自信なくすな。
「「はあ…………」」
僕とリリアのため息が重なった。
二人で背を向け合い、情けない顔で空を仰いだ。
東の空が、すっかり白くなっていた。
「……ねえ、エディン」
「なに?」
「お腹、空かない?」
ぐう。
アガっていた頭が、急速に腹の高鳴りを意識し始めた。
「空いた」
「でしょうね」
リリアがふふ、と笑い、立ち上がった。
膝についた土埃を払い、屋敷へ目を向ける。
ほのかに、パンの焼ける匂いがしていた。
※※※
香りがすごい。
食堂の扉を開けて、最初に思ったのはそんな言葉だった。
広い長テーブル。そこに皿がずらりと並んでいる。
焼きたてのパンが、四つの籠に山盛り。ふわふわのオムレツが四つ。一つはやたら大きい。ほかの人の物の十倍はある。
厚切りのベーコンに、ソーセージ。果物に、三角の穴が開いたチーズ。大きいふかふかのクロワッサンもある。
白いスープ……豆を裏ごししたものだろうか。それも甘い香りがする。
机の上にはたくさんの果物が並べなられている。
パンの香ばしい匂いに、バターのとろりとした香り。
もう、嗅覚への暴力だ。ただよう湯気に乗ったものを嗅ぐだけで、腹と背中がくっつきそうになる。
向こうの厨房から、小柄な人影が両手に鍋をもって出てきた。
「あ、おはようっすー」
エレインさんだった。
袖をまくり、エプロンをつけて、三角巾をつけている。クロより色素の薄い金の髪は、完全に隠されていた。
鍋を、右手と左手に一つずつ持っていた。
左手の方にはやたら大きな鍋を抱えている。なのに、左手が傾く気配は微塵もない。
……あの義手、やっぱりすげえなあ。
「大婆様からのご指示通り、たくさん作ってあるっす。精緻なフルコース、ってわけにはいかないっすけど。その分量は作ってあるんで。
足りなかったら言ってくださいっす~」
くしゃり、とエレインさんは笑って見せた。
「ありがとうございます」
「いいっす、いいっす。頭下げないでください。あと、タメでいいっすよ。今日は大婆様は打ち合わせで出発されてますので。
当主代理の兄様相手に魔法戦で勝てる人に恐縮な態度取られるとやりづらくって」
「わかり、……わかった。ありがとう」
「いえいえ~。当然のことをしたまでっすから」
エレインは、にっと笑って鍋をテーブルの真ん中に置いた。
「おはようなのですぅ……」
「挨拶。おはようございます」
「おはよー、アルター。ログマ」
「おはよう。二人とも」
アルターとログマが、食道に降りてきた。
アルターは大あくびをかき、ログマは片手に本を抱えている。アルターはログマの爪の垢でも煎じて飲むべきだね。
……ログマって爪あったっけ。なかった気もする……。
「……おはよう」
低い少年の声が聞こえてくる。
クロだ。ぼさぼさの頭のまま、黒いコートだけを身に着けたパジャマ姿のまま降りてた。足は靴ではなく、スリッパを履いていた。
「あーあー。後で起こしに行くって言ったのに。なんで降りてくるっすか」
エレインさんはため息を吐きながらにんまりと笑い、そそくさとクロのもとに歩み寄る。
そそくさとクロの傍による。慣れた手つきで彼の頭に手を入れて髪の毛を整える。
スリッパを脱がせ、いつの間にか懐から取り出した靴を履かせた。
「……ありがとう」
「いーえっす。兄様のお世話はあたしの仕事ですから」
……クロがとても気まずそうな顔をしている。見ないでおこう。
「へえ。アイネイアス家の次期当主様ともなると、御召し物も誰かの手にやってもらうのね。このリリア、感服しましたわ」
ところがどっこい、嫌みを飛ばす人は身内にいた。
リリアだ。珍しくニヤニヤと笑い、淑女然とした振る舞いをしながらクロに皮肉を飛ばす。
「…………」
クロ本人は何も言い返さない。
唇を尖らせて、そっぽを向くだけ。ありゃあ、相当に気にしてるんだな。
リリアの笑みが深まる。ネズミを見つけた猫のような笑みを浮かべ、口を開く。
「リリア、無作法だよ。主賓を困らせるような真似はやめなさい」
それより先に、僕がリリアの言葉を遮る。
むやみやたらと人を煽るんじゃない。あれか? 列車の口論でさんざんにボコボコにされたのをまだ引きずってるのか?
「……はーい」
リリアがぶう、と唇を尖らせた。
……エレインさんの眼が、すこし細まっている。視線はリリアに向いていた。んひぃ、勘弁してくれよ。
たまらず、クロへ目くばせする。こうなれば、屋敷の主に食事の音頭を取ってもらうっきゃない。
クロはうなずき、椅子に座った。
「……では、朝食としよう。地の恵みに感謝を。いただきます」
「「「いただきます」」」
※※※
しばらく、食べることに集中していた。
パンは外がかりっと、中はふわふわだ。オムレツはとろとろの半熟で、口の中で溶けていった。
ベーコンも噛めばじゅわっと甘い脂が出てくる。
給仕の人とエレインさんが、僕の皿が空くと即座に次を盛ってくれた。
ありがたい限りだ。
六皿目の途中で、僕はフォークを置いた。
「あのさ、みんな。ちょっといい?」
全員が、僕を見た。
「協力してほしいことがある。リリア、ログマ、アルター」
僕は三人を見回し、静かに言う。
「今から猛勉強して、試験で上位30%以上を取ってもらいたいんだけど。できる?」
※※※
食卓の間が、静かになった。
リリアとアルターが、なんだぁ? みたいな顔をしている。完全に僕の正気を疑っていた。
「……質問。理由をお聞きしても?」
ログマが、落ち着いた声音で僕に問う。
「……完全に、僕のわがままなんだけど。それでも良ければ」
「聞かなければわからないのですよ。中身を聞いてから判断するのです」
アルターが腕を組み、難しい顔をしながら言った。
「今朝、ユースティスさんに弟子入りをお願いした。その時に、ふたつ条件を出されたんだ……」
段々、僕の声がしりすぼみになっていった。
完全に僕の身勝手である。それを巻き込むのは、なんだか気が引けてしまう。
「なるほど、なのです」
うむぅ、とアルターが目を閉じ、腕を組んでいた。
……やっぱり、上位30%以上は、重いよな。
言ったはいいけど、弟子入りに関係のないアルター達からしたら、はた迷惑な話で——。
「ン。わかったのですよ。手はあるので、何とかして見せるのです」
「え」
何でもないかのように、アルターは言った。
「え、じゃないのですよ」
アルターはジト目のまま、僕に言った。
「エディンはいずれ、<魔人戦線>へ行くのでしょう? あそこは修羅場。かねての<真話大戦>ほどではないでしょうが、キツイ戦いになるのは目に見えてるのです。アルターもさび落としする必要はあると思うのですよ」
「え、あの……。アルターも<魔人戦線>についてきてくれ……」
「あったりまえなのですよ」
アルターは思いのほかくだらない内容だった、とばかりにパンを口の中へ抛り込む。
「リーダーだけ、主だけを戦争にぶち込めばお父様の血族の名が廃るのです。アルターは長女なので。今回くらいは腹をくくるのです」
「同感。ワタシも同行します」
ログマが皿のような瞳を向けてきた。
「治癒術師は戦場には必要でしょう。エディンもリリアもすぐに傷だらけになります。なので、ワタシは必要でしょう。何より」
ランニングマグロの彼は、小さく笑った。
「アナタは、ワタシの王。最後までお供させてください」
その瞳は、屈託のない視線を僕に向けていた。
…………ログマ。
そうか。ログマは、僕を王としてみてくれるか。
僕は、膝をぎゅと強く握った。
「やるわよ」
リリアの目が、きらきらしていた。
さっき、芝生の上で、悔しそうにしていた顔とは、まるで別人だった。
「あの人の強さ、もっと知りたいの。結節点って、何? あの手首の動きは? どうやって、あの一拍をずらしてるの? わたし、あれ、分かりたい」
呼吸を整え、続ける。
「戦場に出たいとか、そういうのは、正直、あんまりないの。でも、あの強さの正体は、知りたい。知らないまま終わるなんて、嫌」
リリアは、握った拳を、テーブルの上にどん、と置いた。
「何より」
彼女の青の瞳が、僕の全身を映す。
「私たちはエディンの仲間ですもの。主席を取るだろうエディンに、恥をかかせたりはしないわ」
リリアはニッと僕に向けて笑いかけた。
……そうか。彼女も、僕のわがままに付き合ってくれるのか。
「ほお。公を差し置いて、首席を取ると放言するか」
くつくつ、と笑い声が響く。
クロが、ひどく楽しそうに、挑発的な顔つきで僕を見ていた。
「うん。それが、ユースティスさんからの二つ目の条件だからね」
すまし顔で、クロに語り掛ける。
「そうか。……ふふ。そうか」
クロは、満面を笑みに染めて、顔の前で手を組んだ。
「ならば、共に席を奪い合う競争相手ということになるな?」
クロはそう言うと、ひどく嬉しそうな顔で立ち上がった。
「そうなるね」
「結構!」
クロはそう言うと指を鳴らし、僕を見つめた。
「諸君らにはほどほどに魔法を教えてやろうと思っていたが、気が変わった」
金髪の髪を整え、周囲に指を向けた。
「徹底的に教え込んでやる。魔法のいろはまですべて注ぎ込んでやる。その上で」
クロは、僕にギラついた熱を向けた。
「存分に、競い合おう。高め合おうじゃあないか。エディン」
「望むところだ」
僕も立ち上がり、クロの熱を正面から受け止める。
「2500万人中1位だかなんだか知らないけどね。笑っていられるのは今の内だぜ。勝つのは」
僕らの視線が、指の向きが交錯し。
「「僕だ」」
宣戦が、布告された。




