勉強会
リヴェータさんが案内してくれた屋敷の、二階の一番奥の部屋。
天蓋付きのベッドに、すこし小さな窓。窓際には大きな机と赤い高そうなソファがある。
床には厚い青の絨毯があって、床の硬さを忘れられ踏み心地。部屋の端にはトイレとシャワーまである。
そして変わらず、部屋にかすかに漂う香木の甘くウッディな香り。天蓋付きのベッドと机からだ。相変わらず、一発で高価だとわかる部屋だ。
「で」
僕はため息を吐きながら、部屋を見渡す。
「結局、また僕の部屋で勉強するのね」
ベッドに転がり、過去問を駄弁りながら読んでいるリリアたちにため息が出る。
……全員ベッドの上じゃんか。仕方ない。僕も隣に行くか。
「仕方ないじゃない。エディンから魔法について教わりたいんだし」
先ほどまでシャワーを浴びていたのか、リリアの赤い髪が僅かに濡れ、頬が上気している。
ふんわりと、甘酸っぱい香り。ザクロの香りが、彼女の身体から立ち上っていた。
「自室の調度品が気になって勉強どころじゃないのですよ」
アルターが算盤を弾き、うひょうひょ言いながら周囲の調度品の見積もりを出していた。どうやら高級品の群れには慣れて、売り捌く妄想にまで至れているようだ。元気そうで何より。
「懇願。治癒魔法以外ワタシは明るくありません。どうか、ご教授をお願いしたく」
「そりゃもちろん。だけど、ログマならすぐわかると思うよ」
肝心のクロは教本をじっくりと読んでいる。
めちゃくちゃ集中しているようで、僕の視線にまったく気づく様がない。
どうやら、こういう教本を読むのは初めてのようで、中身を覚えてから参加するらしい。
いったい彼はどうやって魔法を覚えたんだろうか、甚だ疑問である。
「じゃあ、まず魔法陣から」
僕は指に魔力を集め、魔力を発行させる術式を展開。宙に光の環を刻む。
内側に螺旋。隣に魔法文字を150文字。文字と象形の間を、細い線で結ぶ。
ふだんの魔力による高速展開とは違い、ゆっくりと術式を閉じた。
「これが、火の術式の基本。試験に出る奴だよね。ここに魔力を通せば、火が出る」
「馬鹿にしちゃって。それくらい知ってるわ」
リリアがむっとした顔で言う。
彼女は指に魔力を集め、魔法紙へ勢いよく円を描き始める。
円。螺旋。魔法文字。線。
円、螺旋まではうまく描けていた。そこから、術式を刻む魔法文字を、彼女なりにアレンジしていた。
140文字の術式に変更したところで、線の一本が、文字とかみ合わない。
リリアの手が、止まった。
「……あれ」
空に描かれていた魔法陣が、ふわりと解けた。
線が一本ずつ、虫食いのように外れていく。大気に魔力が散逸し、空に消えていった。
残ったのは魔法陣の焼け付いたような後だけだ。
「惜しい。アレンジしたのはすごいけど、すこし原素構成がもろかったかな」
「…………原素の構造なんか、知らないわよ」
リリアが、ぷいとそっぽを向いた。
「あー」
アルターが、横から覗き込んで、顔をしかめた。
「配線もひどいのです。術式同士がまるで連鎖してないのですよ」
「うるさいわね!」
「提案。次はワタシがやってみます」
ログマが隣から顔を出し、同じように魔法紙へ術式を組んだ。
今度は、すんなりと進んでいく。円を描き、螺旋を刻み、魔法文字を寸分たがわず書き写していく。
しかし、配線する瞬間。
ばちん、と音を立てて術式が弾けた。
線を交錯させたところで、術式全体が瓦解し、破綻していった。
「……猛省。最後の術式の線の引き方を誤りました」
「……まるでジェンガね。一個でもミスったら、それきりじゃない」
「うまいこと言うね、リリア」
僕は、焦げ付いた紙を覗き込んで言った。
「術式って、ジェンガみたいなもんなんだよ。
ちょっとでも術式が変な方向にずれたり、術式の回路や外の変数を読み違えると、全体に影響が出る。
だから、同じ術式でも環境が崩れるだけで崩れちゃう」
「環境?」
リリアが寄り、彼女のわずかに高い体温が服越しに伝わってくる。
「同じ火の術式でも、外の影響を大きく受ける。
乾いた砂漠と、川の近くで使うのとじゃ魔法の威力が全然違う。水分値やら、周辺の原素やらなんやらでね。
ほら、水気の多い木じゃ薪にしても、火が点きにくいでしょ?」
「それは……そうだけど」
「だからね。その場の環境に合わせて、術式の細部をいじくればいいんだよ」
は? と言わんばかりの顔をしているリリアとアルター、ログマ。
三人を他所に、魔法紙へ術式を刻んでいく。
ぼう、と炎が灯った。
火を吹き消して、新しい魔法紙を用意する。
そこに、ピッチャーの水を一滴垂らす。
「例えば、術式を描く場所に水が落ちていたとする。ここにさっきと同じ術式を描いても魔法が起きないことが面白いところでね。
火の象形たるこの螺旋から、一本の線を引っ張って、魔法文字に接続すれば……」
ぼっ、と火が水を弾き、魔法紙の上に灯る。
「ねっ、面白いでしょ?」
ぽかん、とした顔でリリアたちが僕を見ていた。
……すごい。何も言われなくてもわかる。これは、僕が馬鹿食いしているときとおんなじ顔。
なーに言ってんだコイツ、の顔だ。
「……エディン」
僕を呼ぶ、少年の声。
ぱたん、と教本を閉じる音が聞こえた。
クロだ。
立ち上がり、ベッドの上に飛び込んでくる。もぞもぞと僕の横まで這ってきて、頬杖を突く。
ジトっとした目で僕を見てくる。リヴェータさんとこういうところはそっくりだよな。
「リリア。アルター。ログマ。今、こやつが言ったことは、本当に頭のおかしいことだから、気にしなくていい」
「なんでえ。ちゃんと説明してるじゃん」
「説明の内容がまずおかしい。そんなことをいちいち頭の中でやれる魔法師がこの世のどこにいる」
「僕…………」
「おお。本人の様子がおかしければ、さもありなん」
クロが、ため息を吐いた。
息をするようにめちゃくちゃ失礼なこと言うじゃん。
「じゃあ、普通の魔法師ってのはどうやって術式を使うのさ」
「魔力場を展開して、魔法術式と外界を隔離するのだ。自分の魔力で覆えば、一部の術式を自分用に調整すれば、どこでも使えるようになる」
「魔力の無駄じゃない? 外界の変数に合わせて術式組んだ方が早いと思うけどな」
「それはお前の頭がおかしいからできているだけだ。はいはいすらできない赤ちゃんに綱渡りで逆立ち爆走させてるようなものじゃあないか」
「いいや。【天素宣言】だって似たような——」
「はあ……。エディン」
むんず、とクロは僕の肩に手を置き。
「座ってろ。そして、お口はチャックだ」
もう片方の手の指で、僕の唇をすっと押さえた。
……これ、男が男にやる者じゃなくない? イケメンが女の子の主人公にやる奴じゃん。
仕方なく、僕は床に座った。口を閉じて、膝を抱えて、ぼんやりと窓の外を見る。
窓の外の空は、もう暗かった。
屋敷の庭に、灯りがぽつぽつと点いている。噴水の水が、その灯りを反射して、きらきらと光っていた。
クロは、ようやく満足したように頷いて、ベッドの端で姿勢を直した。
「さて。では、基礎から、やり直しだ」
※※※
「まず、原素だ。貴君らは、原素とは何か、言えるか」
誰も答えなかった。
リリアは、答えを探すように、紙の上の陣を見つめていた。
「……魔力のこと?」
「半分だけ、正しい」
クロは、指を一本立てた。
「霊子。これは、魔力の最小単位だ。目に見えないほど小さい。その霊子が、結びついたものが、魔力になる」
指を、二本目。
「魔力が、一個から七個、結びついて、それが一つの原素になる。原素は、魔力粒子の結合数で、性質が変わる。結合の数と組み合わせが、そのまま属性の種類になるわけだ」
「……結合数で」
リリアが、呟く。
「そして、その原素を、七柱の創世神が起源としている。
火、水、雷、土、木、光、闇。すべての原素は、その七つの神のどれかに繋がっている」
クロは、三本目の指を立てた。
「原素が、複数集まって、一つの魔力場になったもの。
これを、属性と呼ぶ。火の属性、水の属性。それぞれが、特定の魔力場を持っている」
「……なるほど」
アルターが、小さく頷いた。
「それで、術式には、その属性の魔力場を作るのが基本だ。
術式の中心に、必要な属性の原素を組み込む。その原素が、膨大な意味を持っているからね。
その中から、必要な意味だけを、濾過して取り出す。その濾過をするのが、術式の役割だ」
「……濾過」
「そうだ。言わば、ふるいだな」
クロは、そこで少しだけ目を細めた。
「ただし、自分の得意な属性以外の魔力場を展開するのは、かなり難しい。属性を変えるための術式を組む必要があるからだ。その変換効率は、必ず落ちる。特に、相克の関係にある属性同士は、ひどい」
「相克……」
「そうだ。例えば、公の場合、適性は闇だ。
だから、闇の魔力場は、展開が楽だ。だが、相克の関係にある光を展開すると、とたんに、しんどくなる。
過去や回帰に関わる光は、未知や叡智を表す闇とは反対の方向を向いているからな」
クロは、ちらりと僕を見た。
「なに? 僕の出番? 僕はね、魔力特性なら好き勝手に——」
「なんでもない。座っていろ」
僕は、また黙った。
※※※
「実際に、見てみるか」
クロが、ベッドの脇に置いてあった鞄から、小さなランプを取り出した。
銅で作られた、古い形のランプだった。上に蓋がついていて、そこから細い管が伸びている。
「これは、魔力特性を図る道具だ。
学堂の入学前の診断にも使う。
この中に、自分の魔力を通すと、その特性に合った聖印が、色のついた煙になって、浮かび上がる」
「聖印って、なにかしら」
「属性を表す紋章のことだ。
火なら、渦巻く炎の瞳か、炎の牡牛。
水なら、満ちた水の真球。
そういうものを、煙が象る。特化していればいるほど、色も形も濃くて、長く出る」
クロは、ランプの蓋を開けた。
「リリア。まずは、貴君からだ」
「わ、わたし?」
「魔力を、そこに通せ。ゆっくりとだ」
リリアは、おずおずと手を伸ばした。ランプの管に、指先を当てる。
赤い光が、ぽつりと灯った。
それが、すぐに、煙に変わった。
赤い煙が、ランプの上でふわりと広がって、渦を巻く。その渦の中心に、大きな瞳が浮かんだ。
渦巻く炎の瞳。
その周りを、牡牛の角のような形が囲んでいる。線が、きっちりと揃っていた。硬い。少しも揺れない。色は、鮮やかな赤のまま。
「……わあ」
アルターが、思わず声を漏らした。
煙の聖印は、きっかり一分ほど、そこに浮いていた。それから、すうっと消えていった。
「火に、とても特化しているな」
クロが、感心したように言った。
「形が完璧で、色も揺れない。これだけ安定して出るのは、よほど火と相性がいい証拠だ。貴君は、火の術式を組むのが、一番楽なはずだ」
「……そうなの?」
リリアが、目を丸くした。
「それなのに、あの陣は崩れたのか」
僕がそう言うと、リリアは、ぐっと言葉に詰まった。
次は、アルターだった。
アルターは、ランプの管に指を当てると、少しだけ息を吸った。
金色の煙が、ぽう、と浮かぶ。
最初に出てきたのは、閉じた光の瞳だった。白く、静かに、まぶたを下ろした、光の瞳。
それが、ふいにほどけた。
光が溶けて、黒い煙に変わる。その黒の中から、翼の生えた蛇が現れた。闇の蛇。とぐろを巻いて、翼を広げて、ゆっくりと宙をたゆたう。
蛇の輪郭が、ぶれた。
次の瞬間、蛇がまた溶けて、正三角の形になった。その中心に、一つの瞳が浮かんでいた。
土の、聖印。
色は、最初から最後まで、金色のままだった。
「……これ、色と形が、移り変わってるわね」
リリアが、目を細めて言った。
「三つ、出てるのです。光と闇と土。わたし、どれも、ちゃんと出せてるのですね」
アルターは、自分でも意外そうに、ランプを見つめていた。
「ちゃんと、出てるよ」
僕は言った。
「どれも、ちゃんと、出てる」
アルターの頬が、少しだけ赤くなった。
最後は、ログマだった。
ログマは、ランプに、そっと指を当てた。
緑の煙が、静かに立ち上った。
その中に、逆さ十字が浮かんでいた。
緑色の、大地と樹木のように見えた。逆さの十字の底が大地を現し、天に伸びる直線が、きっと樹木。
「……エレメンチェレ」
ログマが、小さく呟いた。
「ワタシの村で、昔から、秋の金穂として祀られていた神の姿です」
「木に、特化しているな」
クロが、ぽつりと言った。
「ほかの属性は、ほとんど出ていない。ここまで一つに振り切っている魔法師は、珍しい」
「驚嘆。ワタシは、木の適正だけだったのですね」
「それで十分だ」
ログマは、こくりと頷いた。
それからしばらく、誰も口を開かない。
リリアは顎に手を当て、アルターはぼうっと空を見つめている。ログマは満足したように、何度も頷いていた。
ランプの煙が、ゆっくりと消えていく。
窓の外で、噴水の水音だけが響いていた。
「……じゃあ、さ」
リリアが声を上げる。
おっ、質問かな。
僕は、口を開いた。
クロが、ぴくりと眉を上げる。チャックしろ、という顔だった。
「一つの術式に、原素は一つだけ、なの?」
「違う」
クロは、きっぱりと言った。
「一つの術式につき、属性は一つだ。
だが、原素は、いくつも使われている。
その属性の魔法を作るために、いくつもの原素が組み合わさっているんだ」
「……一つの属性に、いくつもの原素が。でも、それって術式同士の阻害とかしないわけ?」
リリアが、紙に、何かを書きつけていた。
「その通りだ。そして、それが狙いだ」
クロはうなずいていた。
「術式は、その属性に寄って、制御される。属性が、術式の中心にある柱だ。柱が決まれば、そこから先の原素の組み合わせも、自ずと決まってくる。逆に言えば、柱をずらせば、術式は全部、別のものになる」
「……柱」
僕は、崩れたジェンガの、一番下の段を思い出していた。
そこを抜けば、全部が落ちる。
柱が、一番大事。実際、東塔で積み上げた本を一番下だけ引っこ抜いたとき、思いっきり僕に向かって降ってきたし。
「ちょっと、わかったかも」
リリアが、小さく言った。
それから、真っ白な紙を、もう一枚引き寄せた。
※※※
「では、今夜はここまでだ」
クロが、ベッドから立ち上がる。
ランプを鞄にしまい、ずれたコートの襟を直す。
「公は、部屋に戻る。貴君らも、今夜は休め。明日も、同じ時間からだ」
「わかったわ。……ありがとう」
「ためになったのです~」
「同感。しかし、眠いですね」
三者三様の反応を見せながら、部屋の外へ向かっていく。
「えー、もう少しだけ」
「休め」
クロは、きっぱりと言った。
それから、ふいに、ベッドの横へ歩いていった。
腰を下ろして、片足を持ち上げる。
靴の紐を、結ぼうとしていた。
「……」
長い指が、紐をつまむ。
くるり。ぎゅ。
紐が、輪になった。
それから、もう一方の紐を、その輪の下にくぐらせようとして。
くにゃり、と。
紐が、変な形に、捻じれた。
「……む」
クロが、眉をひそめた。
もう一度、やり直す。くるり。ぎゅ。くにゃ。
「……むむ」
また、捻じれた。
それどころか、輪が二つになって、どちらも、きゅっと締まって、ほどけなくなった。
クロは、紐の端を両手で持って、真剣な顔で、睨みつけていた。
「……結べん」
低い声で、呟いている。
……え。
僕は、ベッドの向こうで、思わず、目を瞬かせた。
もしかして、靴の紐、結べないの?
あの、学堂の入学試験の過去問を、満点で解いた男が。原素の構造を、一瞬で、理路整然と説明した男が。
屋台の的当てで、あれだけの絶技を披露していた少年が、靴の紐に悪戦苦闘している。
「……そっかあ」
そっか。クロも、人間なんだな。
できないことの一つくらい、あるか。
「……クロ」
僕は、膝をついて、ベッドの脇に近づいた。
「貸して。やってあげる」
「いらん」
「いいから、貸しなよ。そっちの紐、もうぐちゃぐちゃじゃん」
僕が手を伸ばした、そのとき。
部屋の扉が、ことり、と開いた。
「――兄様ー? こっちっすかー?」
高い、澄んだ声だった。
振り返ると、扉の隙間から、小柄な女の子が覗いていた。
肩にかかるくらいの、柔らかそうな金色の髪。目は細くて、その隙間から、薄い青の瞳が覗いている。背は、リリアより少し低いくらい。頬の線だけが、どこかクロに似ていた。
少女は、部屋の中を見回して、それから、床に膝をついた僕と、ベッドに腰かけた兄を、順番に見た。
そして、兄の足元にある、ぐちゃぐちゃに絡まった靴の紐に、目を留めた。
「……兄様、またっすか」
心底呆れた、という声。
しかし、その口許には、心底嬉しそうな笑みが、浮かんでいた。




