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試験とは




「まずは、こちらを」


 リヴェータさんは、4枚の紙を1枚ずつ、テーブルの上に滑らせた。


 僕の前に1枚。リリアの前に1枚。アルター、ログマの前に1枚ずつ。


 厚手の上質な紙だった。指で触れると、ほんの少し重い。魔法文字の刻まれた薄い紙を何枚も重ねたものだ。

 

 端に押された銀色の翼ある蛇の紋が、中庭の陽の光を受けてきらりと光っている。


 エディン・イラ・リステリア。


 紙の真ん中には、僕の名前が書いてあった。

 その下には、ええと。『エディン・イラ・リステリア殿。<叡智の学堂>受験法第28条による特例につき——』ほにゃほにゃほにゃ。

 

 やたら格式ばった書体で書かれた文字を流し読みして進めると、最期にリヴェータさんの署名があった。


「<叡智の学堂>の、本受験の推薦状です」


「……推薦状、ですか」


「ええ。学堂は、本受験を受ける前に、受験をするための資格を得る必要があります。

 受験資格を得る方法は、二通り」


 リヴェータさんが、指を二本立てる。


「一つは、資格試験。学度は世界の各地に衛星施設を置いておりまして、そこで毎月、無料で資格試験を行っています。

 これに合格すれば、本受験を受ける資格が得られます。合格率はだいたい、0.02%ほどでしょうか」


 一本、指を折る。


「もう一つが推薦です。

 学堂の教授や講師、それから世界各地の教会や学び舎から推薦を受けた方は、資格試験を受けずに本受験へ進むことができます。

 どちらも、年齢の決まりはございません。赤ちゃんからお爺ちゃんまで、理論上は受けることができます」


 もう一本、指を折った。


「皆様のものは、わたしからの推薦です」


 リヴェータさんから、か。

 僕は、手元の紙を見下ろす。

 なんだか、さっきよりこの紙が重たいもののように思えてきた。


 クロは手の中で、ゴムのように伸びる障壁を作って手の中で遊んでいた。

 あれはたぶん、話聞いちゃいないな。


 リリアの隣で、アルターが紙を両手で持ち上げて、光に透かしていた。

 目を凝らしては戻し、小首を傾げていた。


「……本物なのですよ」

 

「偽物なわけありますか。お久しぶりですね、アルターさん。お父様はご壮健でいらっしゃいますか?」


「あ、ひ、はい。相変わらず、帝国でぬぼーっとしてるらしいのです。この間も、気分転換に性転換をして、そのまま風俗の面接に受かったと言っていました。

 仕事を終えて意気揚々と風俗店へ向かった弟を、父が嬢の姿のままこんこんと説教してたらしいのです。長男なんだから避妊くらいしろ、と。

 帝国から迷宮都市国家に来る前、弟のトトに泣きつかれたのです

 あの親父をなんとかしてくれ、と」


 ……んん?

 ち、父がなんだって? せ、性転換? 長兄に、嬢の姿で説教……?

 ううん、どういうことだ。マジで意味が分からんぞ

 

「まあ。相変わらず、面白いお方。お元気そうで何よりですわ」


 相変わらず、なのか……?

 性転換して息子を説教するのが、相変わらず……? 不変……?


 頭おかしいんじゃないか?


 統一言語(アルレアラ)壊れた?

 彼はペンです、みたいに文法がぶっ壊れてる可能性ない?


 リリアが遠いところを睨んだまま不動。自由から遠く、固まっていた。

 ログマに至っては、アルターを見ながら「……父?」と身体を捻っている。


 クロは知っているのか、困ったようにうなずいていた。


 マジなんだ……。マジであっていいのか……。カオスにもほどがあるだろ。モラルとかないんか。


 アルターはカチンコチンに緊張したまま紙の端を指先でそっと摘まんで、割れ物を扱うみたいにテーブルの上に置き直した。

 

「さて。試験資格の方は、ご存じの方もいらっしゃるでしょうけれど——」


 話戻るんだ。

 それよりアルターのお父さんの話の方が気になるんだけど。


「——おお、それならば」


 リヴェータさんの声と同時に、テーブルの上に、もう一枚の紙が置かれた。


 ぱあん、とテーブルの上に叩きつけられる。少しだけ、風が巻き起こった。

 リヴェータさんがこっそり用意していたケーキスタンドに置かれたクッキーが一枚、地面に落ちた。




 じろり。



 リヴェータさんの視線が、クロに向く。


 自分の命の灯火が風前にあることも知らず、クロはいつの間にか僕の隣の椅子に座っていた。

 胸を張り、顎を少しだけ持ち上げている。とても自信満々な笑みで僕を見ている。


「公の資格試験の合格票だ。

 見てくれ、エディン。筆記、実技共に一位だ。今年だけで2500万人中、1位だ。当然だ。すべて満点なのだからね。

 すごいだろう?」


「う、うん。そだね」


 クロから視線を逸らし、リヴェータさんを盗み見る。


 ゆらり、と。リヴェータさんの髪が、重力を無視して浮かび上がっていた。


 これは…………やばいか。


「む。どうしたんだ、エディン。距離を取らなくても……」


「エレクロス」


 冷たい声が、僕らの間に割り込んだ。


 ビクゥッ、と背筋を震わせ、直立不動になったクロが機敏な動作でリヴェータさんを見る。


 ニッコリと、笑っていた。クロの顔色が紫を通り過ぎ、白へと快速特急していた。

 リヴェータさんが指を振り上げる。風が巻き起こり、クッキーが空に浮かぶ。


「粗相を、するな」


「………………はい」


 クロが、借りてきた猫のようにおとなしくなった。


 すごすごと僕を盾にし、優雅にココアを嗜んでいた。


 こ、コイツ……!


 そこから、クロはテーブルの上に目を落とした。

 僕の前、リリア、アルター、ログマの前。


 銀色の、翼ある蛇の紋。


「……ん?」


 クロの眉が、ぴくりと動いた。


「待て、貴君ら」


「推薦状だよ。さっきリヴェータさんも言ってたじゃん」


「推薦……状……?」


 クロは、僕の紙と、自分の合格票を、交互に見る。

 ふむ、と顎に手を当てていた。


 すう、と彼の表情がまじめなものになる。


「——おいおいおい。待ってくれ、大婆様。どういうことだ」

 

 まじめな顔のまま、堂々とリヴェータさんの前に抗議するような顔でリヴェータさんに話しかけている。


 さっきまでの怯えようはどこにもない。

 こいつの情緒どうなってるんだ。切り替えの鬼かな?


「なぜ、公は推薦されていないのだ」


「あら」


 リヴェータさんは、ニコニコしたまま目を細めた。


「公はアイネイアスの次期当主だぞ。資格試験など、受ける前から合格するとわかりきっていたじゃあないか。現に満点だ。満点だったのだ」


 クロは、合格票をとんとんと指で叩いた。


「それを、わざわざロー・ヤヘルの試験がおわった時期に受けてこいと言われて、アシュドットまで行ったのだ。

 まあ、それはいい。いいが」


 クロは、複雑な面持ちのまま続ける。


「ともかく、あの手間はなんだったのだ。

 今回はしっかり抗議するぞ。おかげで、抱えていた仕事をよそにアシュドットまで行かねばならなくなったんだ。これは公になにか、補填があってもいいのではないか」


 堂々とした様子で、リヴェータさんに問いかける。


「つまり、エレクロス」


 リヴェータさんが、静かに語る。

 視線は、浮かんで汚れを徹底的に浄化し終えたクッキーにあった。


「この件を、許せと。そう言いたいのね?」


「そうだ。大目に見てほしい。ごめんなさい」


 そうして、見事な直角のお詫びを見せた。

 ……謝るのが先じゃね? その方がいいと思うだけど。


 リヴェータさんは、大きなため息をついた。


「わかりました。ただし」


 笑顔に潜む険を鋭くし、クロへ微笑みかける。


「今はお行儀よく、ね?」


 ――ぴたり、と。


 クロの口が、止まった。


 頭は下げたまま。開きかけていた口が、そのままの形で固まっていた。合格票を叩いていた指も、宙で止まっている。


 中庭の空気が、ほんの少しだけ、冷えた気がした。


 気のせいかもしれない。噴水の水音が、さっきよりも少しだけ遠く聞こえた。


「……はい」


 クロは、小さな声でそう言って、椅子に深く座り直した。


 合格票を、そっと自分の膝の上に引き寄せる。背筋を伸ばして、両手を膝の上に揃えて、まっすぐに前を向いた。


 ……ああ。


 この人には、逆らえないんだな、クロ。


 僕は、ココアをもう一口飲んだ。やっぱり、甘すぎるくらい甘かった。


 


 ※※※



 


「では、続けますわね」


 リヴェータさんは、何事もなかったように話を戻した。


「本受験は、一週間後。【聖都】の北の端にある、学堂の校舎で行います」


「【聖都】に、学堂の校舎があるんですか」


「ええ。小さなものですけれど。噴水の奥に、ひっそりと建っておりますわ。普段は使っておりませんの。入学試験のときだけ、扉を開けるのです」


 リヴェータさんは、指を一本立てた。


「試験は、二つ。学科と、実技です」


「学科……」


 リリアが、ぴくりと肩を揺らした。


「学科試験は、少し変わった形式でして。学堂が用意した、特別な迷宮に潜っていただきます。五階層。制限時間は、二時間」


「迷宮?」


「ええ。最深部まで辿り着ければ合格。早く辿り着けば辿り着くほど、点数が上がります。最初に、地図をお渡しします」


 ……地図があるなら、楽そうだけど。


「ただし」


 リヴェータさんは、少しだけ首を傾げた。


「この迷宮には、魔物は出てまいりません。

 その代わり、階層ごとに門がございます。門には、それぞれ属性がございまして。

 対応する属性の術式を刻み込んで、門を壊さなければ、先へは進めません」


「属性の術式……」


「それから、迷宮の地形は、一定の時間ごとに変わります。

 壁が動いて、道が塞がって、お渡しした地図の通りには進めなくなる。しかも、その壁は魔力を吸いますの。遠くまで魔力で探ろうとしても、壁に吸われて届きません」


 ……《蒼眼》は、魔力で視ているわけじゃない。

 だから、視通すことは簡単だけど、それはやめておこう。フェアじゃないし。


 それでも、厄介そうだ。


「そこで、各階層の入り口に、石像が立っております。石像は、受験者に問いを出します。その問いに答えれば、その階層の正しい道筋を教えてくれる。答えずに進むこともできますけれど――」


 リヴェータさんは、くすりと笑った。


「問いを無視して、二時間以内に最深部へ辿り着いた方は、記録上、片手で数えるほどしかいらっしゃいません」


「……問いって、どんなのですか」


「魔法の知識、術式の理論、原素学。それから、少しばかりの歴史と神学。学堂で学ぶための、最低限の土台を測るものですわ」


 隣で、リリアの顔色が、少しずつ悪くなっていくのが分かった。


 アルターも、眉間に皺を寄せる。


 ログマは、無表情のまま、こくりと頷いていた。


 クロは、膝の上に両手を揃えたまま、黙って前を見ていた。

 惚れ惚れするほどのきれいな姿勢。リリアとタメを張れるレベルだ。これがあの残念さに崩れるんだから、人間わからないものだ。


「そして、実技試験ですけれど」


 リヴェータさんは、二本目の指を立てた。


「こちらは、教官との戦闘です」


「――戦闘」


 リリアの顔に、ぱっと血の気が戻った。


 分かりやすいな。


「勝つ必要はございません。五分間、生き残ること。それが合格の条件です」


「五分……」


「お相手は、ヴァンガード・アルケミーという、学堂の錬金学科が作った人型の機体です」


 リヴェータさんは、空中に指で小さな魔法陣を描いた。


 テーブルの上に、光の像が浮かび上がる。


 人の形をした、大きな機械だった。白い装甲に覆われた、背の高い鎧のような姿。でも、鎧にしては大きすぎる。

 像の隣に、比較のための人の影が小さく描かれていて、その人の背丈が、機械の膝くらいまでしかなかった。


「全高、およそ五メテル。一機で、聖騎士三人分ほどの力がございます」


「……聖騎士、三人分」


 アルターが、小さく呟く。


「一般的な超越者の、強さの指標なのです」


 声が、震えていた。


 そうか。そうかぁ。一般的な強さの超越者、か。


 今まで上澄みであろう超越者としか戦ってこなかった。一般的な強さの超越者って、どのくらいの強さなんだろう。

 どんなことをしてくるんだろう。どんな手札があるんだろう。


 ゾクゾク、と背筋が震える。

 

 ……なるほど。これは、思ってたよりも歯ごたえが……難しい内容かもしれない。


「……それを相手に、五分間、なのです?」


「ええ。五分間」


「死ぬのでは?」


「死ぬ可能性は、ございますわ」


 リヴェータさんは、穏やかに言った。


 ごまかさなかった。


「ですから、生き残ることが、合格の条件なのです」


 アルターが、ごくりと喉を鳴らした。


 僕は、光の像を見ていた。


 白い装甲。大きな手。背中から伸びる、翼のようなもの。……メーテールさんの矢と、どっちが重いんだろう。


「採点は、わたしがいたします。見るのは、三つ。戦うこと。仲間を助けること。それから、その場をどう動かすか。勝ち負けではなく、五分間の中で、皆様が何を考えて、どう動いたかを拝見いたしますわ」


「仲間を、助ける……」


 ログマが、小さく繰り返した。


「本受験の合格率は、およそ一割半ほどですわね」


「……一割半」


 アルターが、テーブルの上に突っ伏した。


「……百人いて、十五人なのです」


「ええ」


「……死ぬ可能性があって、十五人なのです」


「ええ。ですが、死ぬことは絶対にありえません。アルターさんなら、よくご存じでしょう?」


「…………」


 アルターは、突っ伏したまま、動かなくなった。


「学科は、合格なさってからお選びいただきます。適性を見て、それから面談で。ですから、今はどの学科に進むかは、考えなくて構いませんわ」


 リヴェータさんは、最後に、もう一束、紙をテーブルの上に置いた。


 さっきの推薦状とは違う、普通の紙だった。紐で綴じてあって、かなり分厚い。


「それから、こちらを」


「これは?」


「学科試験の、過去の問いをまとめたものです。石像が実際に出した問いを、何年分か。一週間ありますもの。目を通しておいて損はございませんわ」


 過去問、だ。


 リリアが、その分厚い束を、親の仇を見るような目で見つめていた。


「せっかくですから」


 リヴェータさんは、にこりと笑った。


「今、一度だけ解いてみてはいかが? どれくらいの手応えか、ご自分で知っておくのも大切ですもの」




 

 ※※※




 

 それから、一刻ほど。


 中庭のテーブルで、僕らは過去問の一部を解いた。


 リヴェータさんが、その中から何十問かを選んで、それぞれに配ってくれた。魔法陣の構造。原素の霊子構造。術式の文字数の計算。それから、神話の年代と、五年戦争の大まかな流れ。


 隣でクロも、黙々と同じ問題を解いていた。合格票があるのに。お行儀よく。


 僕は、問題を一つ一つ読んで、答えを書いていった。


 ……うん。


 分かる。


 全部、分かる。


 最後の問題に答えを書き終えて、羽ペンを置いた。


 同じくらいの時間に、隣でクロも羽ペンを置いていた。


「では、拝見いたしますわね」


 リヴェータさんが、全員の答案を集めて、ぱらぱらとめくった。


 一枚につき、ほんの一瞬。目を落としただけで、次の紙へ移っていく。それだけで、採点が終わっていくらしかった。


 ……はやすぎない?


「エディンさん。満点です」


「あ、はい」


「エレクロス。満点」


「……当然だとも」


 クロは、膝の上に手を揃えたまま、小さく頷いた。まだ、お行儀よくしていた。


「ログマさん。合格の、ちょうど境目ですわね。あと一、二問で、どちらにも転びます」


「……肯定。精進します」


 ログマは、自分の答案をじっと見下ろしていた。


「アルターさん。合格に、ぎりぎり届いております」


「……ぎりぎり、なのです」


「ええ。ぎりぎりです。一問でも落とせば、届きません」


 アルターは、また突っ伏した。


「それから」


 リヴェータさんは、最後の一枚に目を落とす。


 ほかの紙よりも、ほんの少しだけ長く、その紙を見ていた。


「……リリアさん」


「……はい」


「赤点ですわ」


 しん、と。


 中庭が、静まり返る。

 噴水の水音だけが、さらさらと響いていた。


 リリアは、何も言わなかった。


 ただ、自分の答案をじっと見つめていた。顔は、耳まで真っ赤。点数と同じだ。


 僕は、リリアの答案を、そっと覗き込んだ。


 空欄が、多かった。


 書いてある答えも、半分くらいは、問題と関係のない方向に全力で走っていた。原素の霊子構造を問う問題に、剣の構え方が書いてあった。


 ……これは、やばい。


 アルターのはだいぶギリギリ。赤点ぎりぎりだ。

 ログマのは、まだ勉強すればなんとかなる。むしろ、ログマは何とかなる可能性の方が高い。


 でも、リリアのは、それどころじゃない。


 あと、一週間しかない。


「――リヴェータさん」


「はい」


「この過去問、もらっていっていいですか」


「ええ。もちろん、そのつもりでお渡ししましたもの」


 僕は、分厚い過去問の束を引き寄せた。


 それから、テーブルを見回した。


 突っ伏したまま動かないアルター。答案を見つめたまま固まっているログマ。真っ赤な顔で、唇を噛みしめているリリア。


 それと、お行儀よく座っている、満点のクロ。


「勉強会、するよ」


 僕は、言った。


「今夜から。僕の部屋で」


「……今夜から、なのです?」


「今夜から」


「……一週間、ずっと、なのです?」


「一週間、ずっと」


 アルターが、突っ伏したまま、うめき声を上げた。


 リリアは、顔を上げて僕を見た。何か言いたそうに口を開いて、それから、ぎゅっと唇を結んで、小さく頷いた。


 ログマは、「依頼。お願いします」と、深く頭を下げた。


 リヴェータさんは、そんな僕らを見て、楽しそうに目を細めていた。


 それから、ふと、クロの方を見た。


「エレクロス」


「……はい」


「満点のあなたも、お手伝いして差し上げなさいな。それなら、お行儀を崩しても構いませんわ」


 クロは、しばらく黙っていた。

 それから、膝の上で揃えていた手を、ゆっくりとほどいた。


「……心得た」


 小さな声。

 でも、その口の端は、ほんの少しだけ上がっていた。


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