入学準備
大神殿を出ると、リヴェータさんは、また指笛を鳴らした。
空から、翼のある銀の蛇が降りてくる。
「皆様は、ユースティスがわたしの別邸へ案内しております。そちらへ参りましょう」
リヴェータさんがうりうりとすり寄ってくる巨大な蛇の顔を撫でまわしながら言う。
「別邸……」
「ええ。少し古いお屋敷ですけれど、居心地は保証しますわ」
リヴェータさんの手を借りて、蛇の背中の鞍に乗る。
ちょうど、リヴェータさんの後ろ。彼女のうなじが、青銀の髪からわずかに覗いている。
……これ、乗って大丈夫? 僕、途中で振り下ろされたりしない?
「よ、っと」
とかなんとか思ってるうちに、リヴェータさんが手綱を揺らす。
蛇はもう、空へ舞い上がり始めていた。
白い街が、眼下に広がる。
三角錐の大神殿が、だんだんと小さくなる。青い水路が、網目のように走っている。
十字の巨大な学び舎やら、きれいなお墓の群生のような建物が、特に目に入る。
風が、気持ちいい。
「お加減はいかが?」
リヴェータさんが、蛇を操りながら問いかけてくる。
「気持ちいいです!」
「よかった。飛行魔法でならもっとすぐに着くのですが、【聖都】では第8位階以上の魔法は使用が禁じられていますので。
不便をかけますが、エディンさんもお気を付けて」
リヴェータさんの声がよく通る。
よく視たら、蛇の先に細やかな網のついた結界が張られている。風をほどよく通しつつ、騒音にならないよう調整できるのか。
術者はリヴェータさん。いつの間に展開したんだこれ。
「はい!」
少し怖気づきながら、大きく返事をする。
そんなこんな話しているうちに、だんだんと蛇が高度を下げ始める。
——少し、古いお屋敷。
リヴェータさんがそう言ったお屋敷は、【聖都】の東の、大きな水路沿いにあった。
白い壁の、2階建ての建物。
周りの家と同じように、外の壁は厚く、窓は小さい。
ただ、大きさがけた外れ。中庭には小さな川があって、噴水がある。中庭だけで普通の家が3軒は入りそうなくらい広い。
外装がすごい。あちこちに正三角の内の瞳の紋章や、家紋らしき大きな鍋の彫刻やら、オリーブやらが事細かに刻まれている。
その中庭に、大蛇が滑空しながら降りた。
ほんの少しの土煙があがる中、僕らは蛇の上から降りる。
「もとは、とある伯爵家のお屋敷でした」
頭をこすりつけてくる蛇を撫でまわしながら、リヴェータさんが言う。
「ですが200年前に飢饉がおきてしまいまして。
伯爵様は民のため、お家のためにいくつかの私財を売らねばならないほど困窮されていた時に、食糧援助や資金援助をさせていただきました。
この屋敷は、資金援助の口実として伯爵様から相場より高い値段で買い取らせていただいたものです。
中は、少しだけ手をいれましたけど」
「へえ……」
半分くらい聞いていなかった。
リヴェータさんはそれを察したのか、じとっとした目で僕を見てきた。
蛇はにょろ、にょろと爬行して水路へ向かい、水しぶきを立てながら底へ沈んでいった。
……やばい。読まれていたか。
リヴェータさんはちょっと口を尖らせ、指をぱちんと鳴らす。
重たい木の扉が開くと、その先は回廊になっていた。
三角の吹き抜けのある、長い廊下。
中庭から中庭へ続く白い道だ。廊下の端々には本を抱えたガーゴイルが、その手に燭台を握っている。
花瓶が何個も設けられている。なめらかで、白い陶器から、水で編まれた花があしらわれている。
水だけじゃない。火蛇が伸びたもの、金雷が迸る竜、琥珀の結晶の枝、青々とした十字の木やらが飾られていた。
そこから、中庭の庭園部分へ続く扉があった。
「中庭の客間です。そこで、リリアさんたちがお待ちですわ」
リヴェータさんが手を翳すと、魔法障壁が変形しながら複雑な形に変形していく。
一本の四角から、無数についたものへ。
鍵のようになったそれが、錠前に差し込まれる。
がちゃり、と音を立てて鍵が開かれた。
四角く空に向かって開いた、大きな中庭。
真ん中に、白い石の噴水があって、水がさらさらと流れている。
噴水の周りには、檸檬の木と、オリーブの木。足元には、緑の芝生。中庭を囲む回廊の柱には、蔓草が絡みついていた。
「——エディン!」
声と同時に、何かが飛んできた。
赤い。
受け止める間もなく、どすん、と胸に衝撃が来た。
「リ、リリア!?」
「怪我は!? 怪我はないの!?」
リリアだった。
僕の両肩を掴んで、上から下まで、何度も何度も見回している。腕を引っ張って、袖をめくって、首筋を覗き込んで、それから背中まで回り込んでみてくる。
「蹴られたりしてない!? 殴られたりは!? 変なもの飲まされたりしてないわよね!? 変な薬盛られたりしてない?」
血相を変えて僕のあちこちを見てくる。
ぱちくり、と瞬きしながらリリアを視る。こんな、近寄ってくるリリアは久しぶりだな。
ふだんの距離感を超えて踏み込んできたから、ちょっと新鮮。
「……やっぱり、なにかされたのね? まかせて、【八炎鼓】で薬効ごと燃やすから——」
「待ーった待った待った。されてない、されてないよ。大丈夫だって」
「本当に!?」
「本当に」
リリアは、しばらく僕の顔をじっと見ていた。
それから、ふうっと、長い長い息を吐く。
「……よかった」
小さな声だった
僕の肩を掴んでいた手から、ゆっくりと力が抜けていく。
へにゃへにゃ、と僕の肩に手を置いたまま、僕にもたれかかってきた。
……心配、させちゃったな。
「大丈夫、大丈夫。ほら。僕元気だから。大丈夫」
ぽん、ぽんとリリアの頭を撫でる。
……珍しいな。リリアが手に頭をこすりつけてくる。猫か君は。
「アルターは、心配なんてしてなかったのですよ」
中庭の奥から、アルターがのそのそと歩いてきた。
両手を腰に当てて、ふん、と鼻を鳴らしている。
「エディンなら、どうせけろっとした顔で帰ってくるに決まってるのです。心配するだけ、損なのです」
……腰に当てられた手が、ぴくぴく震えている。
「……そっか~、心配してくれてたんだ。ありがとね、アルター!」
「心配なんてしてないのですが? 勝手にアルターの心を改ざんしようとするのはやめるのです」
そう言いながら、アルターは、胸に手を当てて、こっそりと息をついていた。
やっぱり心配してるじゃんか。相変わらずわかりやすくて安心する。
……しばらく、お偉方に囲まれてお話しするのはいいかな。あれは、かなり疲れた。
10億テレスもらっても、御勘弁願いたい。
「そいやさ、アルター。
【月睨派】に入れば10億テレスもらえるかもしれなかったけど、断っちゃった」
「うひー、10億……。欲しいような、でも【月睨派】からだったらほしくないような……」
「どんだけ嫌いなのさ」
腕を組みながら歯ぎしりするアルターに、思わず笑ってしまう。
いやあ、安心するな。アルターのそういう顔を見ると、帰ってきた感じがする。
「歓喜。おかえりなさい、エディン」
ログマが、アルターの後ろから顔を出した。
「無事の帰還、何よりです。……心配、していました」
「うん。ただいま」
中庭の回廊の柱にもたれて、クロがこちらを見ていた。
「おお、エディン。帰ってきたか。どうだった?」
クロは、ほんの少しだけ口の端を上げて、手を上げた。
いまだもたれかかったままのリリアをアルターに預ける。
リリアは若干物足りなげな目で睨んできたけど、アルターが代わりに頭を撫でていた。
踏み心地の言い芝生を踏みしめながら、クロの傍に寄る。
「ただいま。なんか疲れたよ」
彼の上げた掌に、僕の掌を叩きつける。
パアン、と乾いた音が掌同士で鳴った。
「……そうか。それなら、いい経験だったんじゃあないか」
真っ赤になった右手をさすりながら、クロが言う。
唇がとんがっていた。……ちょっと、威力高すぎたか?
回廊の奥には、ユースティスさんが、静かに控えていた。
「――さあ、皆様」
リヴェータさんが、ぱん、と手を叩いた。
「立ち話もなんですもの。お座りになって」
中庭の噴水のそばに、大きな木のテーブルと、椅子が並べられていた。
僕らがそれぞれ腰を下ろすと、リヴェータさんは、呼び鈴を鳴らす。
リ、リリン。乾いた鈴の音が鳴り、それが魔法陣として広がった。
召喚の魔法陣。
そこから、3人の小人たちが回廊の奥へ消えていった。
その手には、湯気の立つ銀のポットと、白いカップが、人数分載った盆があった。
甘い匂いが、ふわりと中庭に広がった。
「……あ」
「お約束でしたものね」
リヴェータさんは、テーブルの上に盆を置いて、一つずつ、カップに注いでいった。
茶色くて、とろりとした、甘い匂いの飲み物。
ココアだった。
「とびきり、甘くしておきましたわ」
カップが、僕の前に置かれた。
両手で包む。温かい。
一口、飲んだ。
――甘い。
舌が痺れそうなくらい、甘かった。
ヨアン【司祭】のココアより、ずっと甘い。ミルクの味が濃くて、蜂蜜みたいなとろみがあって、喉を通ったあとも、甘さがいつまでも口の中に残っている。
口当たりが、とても柔らかい。
「甘いのに、しつこくないわ」
「ね」
僕はリリアに同意する。
甘いものって、美味しいんだけど、口に入れるとぎゅってなる漢字すじゃん? このココアにはそれがない。
「いかがかしら」
リヴェータさんが、両手を顔の前で組んで、微笑みながら聞いてくる。
もう一度、ココアを飲み干す。
お腹の底から、じんわりと温かくなっていく。
「……おいしいです」
「まあ。よかった」
リヴェータさんは、自分のカップにも、なみなみとココアを注いだ。
それから、そこへ、さらにシロップを流し込んだ。
…………んん、ん?
ココアにも、入れるのか……。すでにこれ、だいぶ甘そうだけどな。
みんなが一口ずつココアを飲んで、ほっと息をついたころ。
リヴェータさんは、テーブルの一番奥の席に、ゆっくりと腰を下ろした。
それから、指を一つ、ぱちんと鳴らす。
中庭の空気が、すっと引き締まった。
全員の視線が、リヴェータさんに集まった。
「それでは、皆様」
リヴェータさんの手には、いつの間にか、四枚の紙が握られていた。
上質な、厚手の紙。その端に、金色の紋章が押されていた。翼のある、蛇の紋章。
リヴェータさんは、その四枚を、ひらひらと揺らしてみせた。
「<叡智の学堂>の、入学試験について。ご説明いたしますね」




