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大評議室

案外、行けるかもしれません。


 

 

 扉の向こうは、すり鉢の底へ道が伸びていた。

 

 丸く広い部屋の真ん中にある低い床。

 そこから四方へ、白い石の座席が段々に積み上がっていた。一段、二段、三段……数えるのもばかばかしいくらいにある。

 その一段一段に、白い法衣を着た人たちが、ずらりと並んで座っている。

 

 ……百人はいるな。

 つけているロザリオも金やら琥珀やら、高そうな素材をつけている人がほとんど。


 その全員が、 僕の方を——扉の方を、見下ろしていた。

 

「こちらへ」

 

 書記官さんが、僕の前に立って歩き出した。

 

 座席の間の通路を降りていく。一段降りるごとに、後ろの座席が高くなっていく。

 見下ろされる角度が、少しずつ急になっていく。

 

 すり鉢の底に、小さな台があった。

 

 白い台で出来た、四角い台。

 人ひとりが立てるくらいのスペースがある。腰の高さくらいの台の上には、温められた紅茶の湯気と、花やかな香りが広がっている。

 

「こちらで、お待ちください」

 

 書記官さんは、それだけ言って、進路を上へ戻っていった。

 

 ……え。一人でここに立つの?

 

 振り返ると、ネルルさんはもう、別の通路を昇っていくところだった。のんびりした足取りで、議場の一番奥、ひときわ高い場所へ向かっていく。

 

 そこには、特別な席が三つ並んでいた、

 

 ほかの座席より一回り大きくて、背もたれの高い椅子。

 その一つに、ネルルさんが腰を下ろした。真ん中の席は、一つだけ空いている。

 

 ……これ、僕ははめられた感じだな。

 

 なにがお茶だ。何がアレアについてだ。これじゃ裁判の被告みたいじゃないか。

 

 おそらく、胸元にぶら下げているロザリオからして、全員【月睨派】だろう。あー、やだね。やだやだ。まだ満足に朝食も食べられてないのに、宗教の議論だなんてさ。

 

 辟易とした気持ちを口から息と一緒に吐き出していると、ネルルさんの向かい側にいる男性が動き始めた。

 

 茶色の髪を、きっちりと後ろへ撫でつけてる。

 年は三十を過ぎたくらい。白い法衣はほかの誰より仕立てがよくて、胸元の正三角のロザリオは、誰よりも大きい。

 

 顔立ちは整っている。

 静かな笑みも湛えている。なのに、どこかうすら寒いというか、薄気味悪い感じがあった。

 

 その人が、ゆっくりと立ち上がる。

 議場の空気が、ぴんと張りつめた。

 

「——ようこそ、おいでくださった」

 

 よく通る声だな。

 大きな声じゃない。なのに、議場の隅々まで、音がしみわたっている。

 僕はすり鉢の底。彼は頂点。にも拘わらず、僕の耳元でささやいているような話し方だった。

 

「私は、ガデムドロル・ミクト・ティトラカトル。畏れ多くも、第三【枢機卿】の座を預かる者です」

 

 ガデムドロルさんは、胸に手を当て、僕に向かって軽く頭を下げた。

 

「遠路はるばる、ご足労いただいたこお、心より感謝申し上げる。次期【勇者】殿」

 

 ……ふーん。【勇者】。【勇者】、ね。

 

 ガデムドロルさんの言葉を小さくつぶやき、心中で転がす。

 

「そして」

 

 ガデムドロルさんは、両手を広げた。

 

「数ある門の中から、【叡神派】の庭ではなく、こちらの門を叩かれたこと。実に、懸命なご判断であった」

 

 ……叩いたっけ?

 

 僕はネルルさんにアレアの話と神官について聞きに来ただけ。【月睨派】は悪くないけど、どこに入信するかどうかは決めていない。

 

 なんか、勝手に僕が入信したみたいな言い方されるの、腹立つな。


 声を張り上げようと、周囲を見る。そこには、みんな頷いている。僕がした選択肢が正であるように、心底から頷いていた。

 

「諸君」

 

 ガデムドロルさんが、議場を見渡した。

 

「まずは、主に感謝を捧げようではないか。我らの許に、新たな光をお遣わしくださったことを」

 

 ガデムドロルさんが、胸元のロザリオを掲げた。

 

「——天地に召します、我らの母よ」

 

 声が、議場に落ちた。

 

「御名が、聖とわたりますように」

 

「「「御名が、聖とわたりますように」」」

 

 一斉に、百人の声が返ってきた。

 寸分の狂いもなく、同じ文言が同じ速度で、評議場に響き渡る。

 

「我らは、あなたの葦」

 

「「「我らは、あなたの葦」」」

 

 唱和が、重なっていく。

 ガデムドロルさんが半句を唱えるたび、議場が同じ半句を唱える。

 

 そして。

 

「「「「——信仰の一塵」」」」

 

 最後の唱和が重なり、

 光が生まれた。

 

 ガデムドロルさんのロザリオが輝き、それが周囲のロザリオにも伝播していく。

 黄金光があふれ出し、正三角の形をした光が、蛍の光のように宙に浮かび上がっていく。

 

「おお……」

 

「光だ」

 

「主の、光だ」

 

「聖なる、聖なる……」

 

 

 

「光」

 

 

 

 

 あちこちから、感嘆の声が漏れる。

 

「主は我らと共にあり(ガファー・エルメ)!」

 

 ガデムドロルさんが、聖句の一節を唱えた。 

 

「主は我らと共にあり(ガファー・エルメ)!」

 

「「「主は我らと共にあり(ガファー・エルメ)ッ!!」」」

 

 

「「「「——主は我らと共にあり(ガファー・エルメ)ェッ!!」」」」

 

 

 ……うへえ。

 輪唱とでもいうべき聖句のずれた響きがあたりに満ちていき、その光を《蒼眼》で視る。

 

 聖なる光、ね。

 僕の目には、魔力光を黄金色に着色したものにしか視えないけどな。ロザリオに仕込まれた術式によるものだ。

 周囲の魔力を貯蔵し、特定の詠唱で光を放つようにしている、

 きれいだね。でも、それが聖なるものなのかどうかは、思慮を控えさせてもらおう。

 

 ……ん?

 

 光が満ちていく中。議場のところどころで、関節の動きがおかしい人たちがいる。

 

 頭のてっぺんから足の先まで、白い布をきつく巻いている人たち。

 頭も、手も、ほとんど見えない。ロザリオを突き上げるたびに、背中がもぞもぞと動いているのが視える。

 

 《蒼眼》で、布の下を拾った。

 

 背中に、何かある。

 

 薄い、透き通った膜のようなもの。いくつも重なって、折りたたまれている。

 顔には二つの目玉の中に、複数の眼が蠢いている。

 

 ……羽、それに複眼か。虫みたいだ。

 

 なるほど、蟲人みたいなものかな? ランニングマグロだっているんだ、蟲と人の亜人みたいなのがいたって不思議じゃあない。

 

 なるほど。種族に偏見を持たず、【司教】とか【大司祭】になれるんだ。公平性はあるっぽいね。


 でも、やっぱり偏見はあるんだろうな。白い布でぴったりと隠してるし。見られないようにしている。

 

 あるよね、そういうの。リステリアでもあったよ、表向きは差別しないってなったけど、民衆の心が追い付いていないヤツ。

 

 ぼーっと唱和を眺めていると、それが最高潮に達していく。

 

「照覧あれ(ファー・ラン)!」

 

「照覧あれ(ファー・ラン)ッ!」

 

「「「照覧あれ(ファー・ラン)!」」」

 

 百人の声が、議場の岩壁を揺らす。

 それから、すうっと静寂が戻る。黄金が、消えていく。

 

 議場の人たちの心臓が、どくどくと鳴っているのが、《蒼眼》で分かった。

 百人の高揚。一体感となる法悦に身を包み、震わせている。

 

 その中で、揃っていない異物はふたつだけ。

 

 僕。

 

 それから、一番奥の席で、頬杖をついているネルルさん。

 

 ネルルさんは、唱和に加わっていなかった。ロザリオもかかげていない。笑顔も変わらない。

 ただ、水色の瞳が、ひどく冷めた色で周りを見ていた。

 

 ……なにがしたいんだろうな、あの人。

 アレアのこと信じてるって言ったと思えば、【月睨派】のトップやってるって言ったり。やりたいことが、いまいち読めない。

 

 周囲の熱狂の中、僕は体内の魔力を気取られぬよう、練り上げた。

 

 

 

 ※※※

 

 

 

「【勇者】殿」

 

 ガデムドロルさんが、また僕の機能を呼んだ。

 彼が指を振り上げる。議場全員、のべ120人に及ぶ視線が、一斉に僕の方へ向いた。

 

 薄気味悪いなあ。指揮棒でも握ってるのかってくらい、統率の取れた動きだ。

 

「貴殿は、二千年前の魔族大将軍、イルゲルムを討たれ、さらには世に蔓延る大悪党。超越者だけで構成された犯罪組織である<アリウスの梯子>にも、神罰を下された。

 若くして、類まれなる武勇。主が貴殿を選び、導きを向けたことは、疑いようもない」

 

 段々の座席から、低い賛同の声が上がる。

 

「そうでございます。そうでございます!」

「神子ですな。二代目【勇者】アルフェウス公の再来じゃもんて!」

 

 ……やりづらいなあ。

 みんな、めちゃくちゃ善かれと思って僕に話しかけている。それが喜ばしいことだと言わんばかりに、祝福の感情を向けてきている。

 

 これが悪意なら知らねえ、って扉蹴り飛ばして帰れるのにな。自分だけ、その価値を見出さていないから、余計に居心地が悪い。

 

 ひゅ、とガデムドロルさんが指を振る。

 

 ただ、それだけで全員が同時に口をつぐんだ。会話の途中だろうと関係ない。声が途切れのも構わず、音が消えた。

 

「ゆえに、我らは貴殿に、ふさわしきものを差し上げたい」

 

 ガデムドロルさんが、指を一本立てる。

 

「一つ。【勇者】の<神話継承(ジョブ)>と、洗礼の場。貴殿がそれに憑くための道のりは、我ら【月睨派】が責任をもって整えよう。

 大神殿のバルコニーにて、民衆たちの衆目の許に洗礼を行い、その日を祝日として称えよう。百年、千年先を超えてk足り注がれる栄誉を、与えよう」

 

 ……【勇者】の、<神話継承>。

 

 まあ、確かに欲しい。アレアが言ってた条件に合致するし。【勇者】の<神話継承>は、【枢機卿】か【司教】に導いてもらうしかない、と。

 

 この人は、その【枢機卿】だ。

 

 二本目の指が立つ。

 

「二つ。富を。貴殿が二度と、何一つ不自由なさることがないように」

 

 ガデムドロルさんが、ほんの少しだけ間をおいてから、言った。

 

「年に、十億テレス。無償で差し上げよう」

 

 議場が、ざわっと揺れた。

 

「これは、素晴らしい!」

「主の御使いへ捧げる種銭と、なんと素晴らしきことか!」

「私、ヌトス領のマルマ【大司祭】も、奉納に加わらせていただきたく!」

「私、私も! 一千万出しますぞ、【勇者】様!」

「私も!」

「拙僧も!」

「吾輩も!」

 

「「「「「「——私も!!」」」」」」

 

 唱和が響く。

 

 うーん、やってられん。おじさんたちが目を輝かせて僕に金を渡すって言い続けている。

 おそらく、政治的な意図でだ。なんか変な感じがして、居心地が悪い。

 

 うし、聴覚をシャットアウト。思考に集中しよう。

 

 十億。十億ねえ。

 アルターがいたら、たぶん超喜んでたかも。

 単純計算で、際限なく食べても一年間の食費は確実に持つ。たぶん。おそらく。きっと。そうであればいいと思っている。

 

 ……うーん。

 

 でも、なんだかなあ。

 自分で勝ち取ったものならうひょ~! って一も二もなく使えるけど、これは政治的な意図塗れ。

 

 自分で取ってもないもので飽食に浸るのは、なんか違う。

 飯は、自分で狩って得た金で喰らってこそ。

 

 後が、怖いかな。

 

「そして、三つ」


 ガデムドロルさんの声が響く。

 ……僕、意図的に耳からの情報断ってたよな? なのになぜ、意識に割り込んでくるんだ?

 

 三本目の指に視線を引かれながら、彼の言葉を聞く。

 

「善き縁を」

 

「……えん?」

 

「我が【月睨派】には、古くから主に仕える名家が数多くある。

 いずれも、由緒正しき血筋。優れた教養。見目麗しき器量。従順な娘。

 貴殿がお望みであれば、その中から最もふさわしき令嬢との縁組を、私が責任をもって取り持とう」

 

 ……結婚、結婚かぁ。

 全く、ピンとこない。僕に縁のないもの過ぎて、今まで考えたこともない。

 リステリアには兄上たちがいるし、リステリアは僕は東塔の生贄扱い。

 

 僕個人の血は僕で末代だと考えていたから、そういわれてもあまりぴんと来ない。

 

 正直、肉と魚のほうがよほど気になる。【聖都】の近くにはすごい良港があるし、農畜も盛ん。食料品がめちゃくちゃ安いらしい。

 ピッツァも本場。へっへっへ、考えただけでよだれが止まらないや。

 

 「――【勇者】殿ほどの御方であれば、それに見合う後ろ盾が必要でございましょう」


 僕が飯に思いを馳せてうっとりしていると、我が意を得たとばかりに別の声が飛んでくる。

 

 右上の席に座っていた、白い髭の司教さんだった。


「異邦より参られたばかりのお若い御身。【聖都】の庇護なくしては、何かとご不便もありましょう」


「然り、然り」


 左の方から、別の声。


「【叡神派】は、所詮は少数の異端。いずれ、主の御心からは遠ざかるもの。賢明なる御判断を、我ら一同、心よりお待ち申し上げております」


「【勇者】とは、聖教の旗。その旗が、正しき御心の下にはためくことこそ、主のお望みでございましょう」


 次々に、声が降ってくる。


 どの声も、丁寧だった。どの声も、穏やかだった。

 誰一人として、僕に「こちらへ来い」とは言わない。


 でも、全部が、同じ方向に手を差し伸べられている。


 断るなんてありえない。善意で勧めている。

 そういう空気が、段々の座席の上から、ゆっくりと降りてきて、すり鉢の底に溜まっていく。

 

「はあ……」


 やりづら~……。なんか、むかむかする。すごく鬱憤が溜まってる。なんでこんなに腹立つんだろうか。


 ふと、昨日の夜のことを思い出した。


 リヴェータさんは、僕を食卓に座らせてくれた。

 同じテーブルで、同じ高さで、僕が皿の塔を作るのを見て、口元を押さえて笑っていた。


 この人たちはどうだ。

 高いところに座って、僕を見下ろしている。


 十億テレスとか、縁組とか、【聖都】の庇護とか。たぶん、どれもすごいものなんだろう。


 でも、どれも、別に欲しくない。

 そういうのは、自分で勝ち取らないと安心できない性分なんだ。


 僕を、この人たちは、たぶん知らない。


「――【勇者】殿」


 ガデムドロルさんの声が、また降ってきた。


 見上げると、その頬を、一筋の涙が伝っていた。


 ……え。


 なんか、泣いてる。


 表情は、さっきと何も変わっていなかった。

 眉一つ動いていない。整った顔のまま、目だけが濡れて、涙がゆっくりと頬を流れ落ちていく。


「我らは、貴殿を待っていたのだ」


 声が、少しだけ震えていた。


「三代目の【勇者】殿以来、聖教は真の旗を持たぬまま、長い時を耐えてきた。

 民は迷い、信仰は薄れ、主の御心は人々から遠ざかりつつある。……だが、ようやく、主は貴殿を遣わしてくださった」


 ガデムドロルさんは、ロザリオを胸に押し当てた。


「どうか、我らの剣となり、盾となってはくださらぬか。

 この世界から、主の光が失われぬように」


 《蒼眼》で、その人の心臓を視た。


 ……正常だ。頭を打ってるわけでもない。


 嘘をついていたり、信じているものに陰りがあると動悸が不順になる。

 メーテールさんのときは、何も揺れなかった。


 この人は、本気で言っている。


 本気で、泣いている。

 

 ……マジかぁ。

 思わず、笑みが引きつってしまった。

 

 


 ※※※

 

 


「……あの」


 僕は、口を開く。

 議場が、しんと静まる。じっと、240の瞳から放たれる視線の矢が、僕に突き刺さっていく。


「ひとつ、言ってもいいですか」

 

 ……怖気づくな。【伯方】の時よりひとは少ない。なんとでもなるはずだ。

 腕に立った鳥肌を服の上から撫でつけながら、ガデムドロルさんの言葉を待つ。


「どうぞ。何なりと」

 

「僕は、あまり乱暴なことが好きじゃありません」

 

「ええ。そうなのですね」


「昨日、僕たちが乗っていた列車が、襲われました」


 ガデムドロルさんは、黙って聞いていた。


「襲ってきた人は、<アリウスの梯子>の人でした。

 その人は、僕を攫いに来たって言っていました。【月睨派】に頼まれた、って言ってました」


 段々の座席の上で、何人かが、身じろぎした。


「それで、僕たちを助けてくれたのは、リヴェータさんだったんですよ」


 僕は、ガデムドロルさんを見上げた。


「だから、【月睨派】の方々は、随分強引なのだなあ、と。思ったんですよ」


 ――しん、と。


 議場が、静まり返った。


 さっきまでの熱が、嘘みたいに引いていた。

 百人の視線が、すり鉢の底の僕に、一斉に突き刺さった。誰も、何も言わなかった。咳払い一つ、聞こえなかった。


 百人分の心臓の音だけが、《蒼眼》の中で、どくどくと響いていた。


 ガデムドロルさんは、少しも表情を変えなかった。


 涙の跡が、まだ頬に残っている。


「――そのような話は」


 でも、目はもう乾いていた。

 ゆっくりと、口を開いた。


「我が記憶には、ございませんな」


 心臓は、揺れなかった。体温も正常。恐らく、真。

 ……本当に、知らないんだ。

 この人は、嘘をついていない。


「しかし」


 ガデムドロルさんは、ほんの少しだけ、眉を下げた。


「<アリウスの梯子>に狙われたとは、リヴェータ卿もお気の毒なことだ。心より、お見舞い申し上げる」


 お気の毒。

 ……狙われたのは、僕なんだけどな。どこに向かってこの人は言ってるんだ? 僕が無傷であることが前提、みたいな論調。

 

 ——ははぁ。この人、《蒼眼》をすり抜けてこれる可能性、ありか?


「ですが、エディン殿。お考えいただきたい」


 ガデムドロルさんは、議場を見渡した。


「なぜ、リヴェータ卿は、それほどまでに狙われるのか」


 段々の座席から、頷く気配が広がった。


「リヴェータ卿は、稀代の傑物だ。それは、私も心から認めている。

 二千年の永きにわたり、聖教を、この世界を支えてこられた。その才覚は、我ら凡百の及ぶところではない」


 声に、また熱がこもり始めた。


「だが、だからこそ、恨みを買う。

 一人の超人が、あまりに多くのものを背負い、あまりに多くのことを決める。

 そうすれば、必ず、その陰で踏みにじられる者が出る」


 ガデムドロルさんは、少しだけ声を落とした。


「エディン殿は、ご存じかな。カサンドラという土地の名を」


「……カサンドラ?」


「千五百年前のことだ」


 議場が、また静かになった。


 今度の静けさは、さっきとは違っていた。重たい。百人が、同じ記憶を思い出しているような、そういう沈黙だった。


「リヴェータ卿は、ある司祭の罪を裁いた。

 それは、正しい裁きであった。

 私も、そう思う。だが、卿の正義は、あまりに眩しすぎた」


 ガデムドロルさんの声が、ゆっくりと議場に降りていく。


「民は、卿の正義に酔った。酔って、暴れた。

 【聖都】の貧民街は火に包まれ、焼け出された十万の民が、飢えて死んだ。

 テレスは暴落し、飢えは北の地にまで及び、カサンドラという土地では、五万を超える民が、ただ一人の生き残りもなく――」


 ガデムドロルさんは、そこで言葉を切った。


 目を、閉じた。


 ロザリオを、強く握りしめた。


「卿は、その償いのために、今も手を尽くしておられる。それは、尊いことだ。だが、エディン殿。これは覚えておいてほしい。

 一人の超人の正義が、十五万の命を奪ったのだ」


 目を、開けた。


「一人に全てを委ねる世界と」


 ガデムドロルさんは、両手を広げた。段々の座席の、百人の聖職者たちを示すように。


「数多の賢人が言葉を重ね、語り合い、その果てに道を定める世界と。

 ……どちらが、正しいとお思いか」


 議場の熱が、また上がり始めていた。

 さっきよりも、ゆっくりと。でも、さっきよりも、深い。

 百人分の心臓の鼓動が、また一つに揃っていく。


 カサンドラ、か。

 

 話しぶりと、聴衆と化した聖職者の方々の反応からして、世界史的に有名な話なのだろう。

 そして、だからこそ少し合点がいくところがある。


 昨日の、リヴェータさんの顔を思い出した。

 深々と頭を下げて、「わたしの見通しが甘かった」と言った、あの人。紅茶にハチミツを流し込んで、僕の食べっぷりを見て、子供みたいに笑っていた、あの人の責任感。


 ――大婆様は、誰よりも慈悲深く、そして、誰よりも化け物なんだ。


 クロの言葉が、頭の中で響いた。


 ……たぶん、リヴェータさんの病的な責任感の重さと、この件はつながっているんだろうな。


 何が本当で、何が嘘なのか。

 判断するには、情報が足りなさすぎる。

 

「さあ。【勇者】殿は、この件について。どう思われるのか。リヴェータ【枢機卿】が、丁寧で過ちのない、乱暴でない方と言えるでしょうか」


 ガデムドロルさんが、僕を見下ろしていた。

 答えを、待っていた。


 百人が、待っていた。


 すり鉢の底で、僕は、ただ立っていた。


 ――そのとき。


 背後で、扉の開く音がした。


 ゆっくりと。

 軋みもなく。


 それから、鈴を転がすような、柔らかな声が、議場の静寂に落ちてきた。


「――まあ」


 百人の視線が、一斉に、僕の頭上を越えて、扉の方へ向いた。


「わたしを置いて、先に評議を始めてしまうなんて」


 くすり、と。


 小さな笑い声。


「ガデムドロル様も、酷いお方」

 

 青銀の長い髪。氷のような青い瞳に、僕より背丈の低い、ヴェールをかぶった聖女のような少女。

 

 ——【叡神派】の筆頭。聖教の第一【枢機卿】にして、九偉人第二位。

 

 <銀蛇卿(ぎんへびきょう)>リヴェータ・ロット・アイネイアスが、この評議室に姿を現した。


 

 

 

 

 

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