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いざ尊き御名を讃えよ


 

 

 

「——起きろ、おい。起きろって」

 

 肩を、軽く揺すられた。

 

 目を開けると、空があった。

 

 よく晴れた、高い空だった。

 雲がゆっくりと流れていて、背中の下では、やわらかい草がちくちくと首筋をくすぐっている。

 

 ……草?

 

 僕は、身体を起こした。

 

 あたり一面に広がる草原。膝くらいの高さの草が、風に吹かれて波打っている。

 遠くの丘の上には、白い石造りの建物がいくつも並んでいた。神殿のように見えるし、学校のようにも見える、

 尖った屋根と、丸い屋根と、塔のようなものが、火の光を受けて白く光っていた。

 

 そして、僕の隣に、男の人が立っていた。

 

「よう。おはようさん。よく寝れたかい?」

 

 その人は、ニッと笑って見せる。

 

 若い人だった。二十歳を少し過ぎたくらいだろうか。

 彫りがほどよく深く、切れ長の瞳。耳はほんの少し尖っていて、長い。

 

 肩に十文字の槍を担いでいて、背中には弓を背負っている。

 杖を曲げて弓にしたような、弦のない変わった形の弓だった。弓幹に、銀の糸で細かな刺繍が施されている。

 

 青い髪。

 そして、どこまでも蒼い瞳。

 

 よく晴れた空よりも、深い海よりも、もっと澄んだ青。

 僕の《蒼眼》に負けないくらい、《蒼眼》以外で見たことがないほど、濃い蒼の瞳。

 

 その右頬に、赤い紋様が刻まれていた。

 炎のような、人魂のような形をした赤い紋。刺青と言うには、おどろおどろしい見た目。

 皮膚に描かれているんじゃなくて、皮膚の下からにじみ出ているような、眼を背けたくなるような紋様だ。

 

 呪いの刻印だと言われた方が、よほどしっくりくる。

 

「ここは……」

 

「マジか。お前さんも知らねえのか」

 

 男の人は、少し驚いたように眉を上げた。

 

「寝こけてるお前さんなら、何か知ってると思ったんだがなー。

 ま、知らねえならそれでいい。僕も知らねえんだ。よくわからねえ者同士、楽しく行こうぜ」

 

 へへ、と笑った、

 まるで、太陽みたいに笑う人だ。


 笑った後で、少し困ったような顔になる。

 少しため息を吐いて、ぽりぽりと頭を掻く。

 

「しっかしだ。どーして僕の意識があるのかね。僕はとっくにおっ死んだどころか、滅んだはずなんだが」

 

 そう言って、彼は僕の隣にどかりと腰を下ろした。

 背負っていた十文字槍を草の上に放り出して、片膝を立てて空を見上げる。

 

 ……不思議な人だ。

 

 隣に座った瞬間、なんか僕の中にあった警戒が薄れた。

 

 自然。あまりにも、この人の動きが自然すぎる。

 初めて会ったはずなのに、ずっと前から知っている人の隣にいるみたいだった。

 据わるまでの動作に、一つも無駄がない。それでいて、騎士や軍人さんのように、きびきびしているわけでもない。

 

 自信に満ちていて、流れるようで、視ていて気持ちがいい。

 

「いやあ。平和だねえ」

「ですねえ」

 

 そのまま、彼は野原に寝っ転がった。

 

 距離の取り方が絶妙だった。近すぎず、遠すぎない。僕が一番落ち着ける場所に、ちょうど座っている。

 

 声の大きさも、僕より少しだけ大きいくらいで、よく通る。聞いてて、なんだか耳心地がいい。

 

 なんだろうな。安心するんだ。

 この人に任せていれば、なんとなく全部うまくいくんだろうな。

 

 理由もなく、そんな気がした。

 

 まだ、頭がぼんやりしている。ふわふわと、現実味がない。ここまで僕の隣に自然にいる存在なんて——。

 

「——もしかして、アレア?」

 

 思わず、口が勝手に動いた。

 言って後悔したけど、まあどうせ伝わるまい。ふわふわしたまま、空に視線を戻して——。

 

「うげぇ」

 

 男の人が起き上がる。

 心底嫌そうな顔を向けて、口の端を歪めて僕を見ていた。

 

「なーんで、んなクソロックな神さんの真名が、お前さんの口から出るんだよ」

 

 ——え?

 

 僕は、目を見開いた。

 

 アレアじゃ、ない。

 知ってはいた。だけど、伝わるとは、思ってもいなかった。

 

 ヨアン【司祭】の時は、音にすらならなかった。世界そのものが、その名前を塞いでいた。

 そんな世界で、アレアの名がうまく発音できたとして、知りえた反応になるわけがない。

 

 この人は、アレアを知っている。

 

 眠気が、一気に吹き飛んだ。

 

「アレアのこと、アレアライトのこと、知ってるんですか!?」

 

 思わず、身を乗り出していた。

 もしかして。

 

 アレアが言っていた、唯一の神官。

 聖教へ行けば会えると言っていた、あの——。

 

「ちげえと思うぜ」

 

 男の人は、僕が口を開くより先に言った。

 

「なにせ、僕はお前さんほど、あの神さんに信頼おいてねーよ」

 

「………………え」

 

 まだ、何も言っていないのに。

 この人は、僕が言おうとしていることが何かを、わかったかのように先回りで答えていた。

 

 男の人は、またぽりぽりと頭を掻いて、大きくため息を吐いた。

 

「……なるほどな。お前さんみたいな年端のいかない子供が、その真名を知ってるっつーことはだ。

 そうか。僕は、最期の判断を、しくじったわけだ」

 

 彼は、無力感を嚙み締めるように、そう言った。

 

 何を、しくじったんだろう。

 聞こうとして口を開こうとしたけど、男の人の方が早かった。

 

「聞くがよ。お前さん、カンバーバッヂの爺さんのところに縁があるっつーわけじゃ、ないもんな?

 古遺跡川のカンバーバッヂ領のだ」


「し、知らないです。……というか、なんで」

 

「お前さんが考えていることが、僕にわかるか、かい?」

 

 また、先回りされた。

 

 男の人は、少しだけ得意げな顔をして、自分のこめかみを指でとんとんと叩いた。

 

「目と頭だ。ちーっと見りゃあ、相手が何を考えてんのか、とか。どんな境遇だったのか、とかが、なんとなくわかっちまうのよ」

 

「それって、源流能力とか、生まれ持っての異能とか、そういう感じのですか!?」

 

「ざーんねん」

 

 男の人は、にやりと笑った。

 

「観察と推測の結果だよ。人の癖、視線の動き、指、瞬き、体温の変化、声に仕草、喋りの間。あとは、そうだな。会話でな。来歴から、今何考えてるかまで、ある程度はわかんのよ

 あと、あれだろ。お前さん、相当食べるの好きだろ」

 

「え、そんなことまでわかるんですか!? なんで……」

 

「それも観察と推測。便利だろ?」


 彼は近場の草を引っこ抜く。

 草笛を二本の指で作り上げ、ピィーっと鳴らしながら答える。

  

「あと、思考盗聴とかな。

 そーいう能力も、世の中にはあるが、僕の趣味じゃなくてね。僕の源流能力はまた別のもんだよ」

 

 ……観察と推測だけで。

 

 なんとなく、リヴェータさんのことを思い出した。

 昨日のラウンジで、僕が何を考えているのか。たぶん、全部見抜いていたあの人。この人も、そういう種類の人なんだろう。

 

 ——誰、なんだろう。

 

 ふと、そう思った。

 

 青い髪と、青い瞳。頬の赤い紋。十文字の槍と、杖のような弓。

 僕は、誰だか知っている気がする。


 蘇る九偉人の像。肩に背負った、十文字の槍。

 恐らく、彼は——。


『——のことは、一切考えるな』


 蘇る、新しい友の言葉。 

 疑問の答えが頭に浮かびかけた瞬間、なぜか、その先を考えるのをやめていた。

 

 理由はわからない。ただ、なんとなく、考えない方がいい気がした。

 そういう知識は、えてしてこういう危機感をあおってくる。

 

「……へぇ」

 

 男の人は、じっと僕を見ていた。

 顎を手のひらで覆い、親指に唇を当てて、何かを考え込むように立ち尽くしていた。

 

 ほんの数秒。

 

 青い瞳が、僕の顔、全身を、まっすぐ視界に収めていた。何かを読み取るように、何かを確かめるように。

 ゆっくりと瞬きをして、また頭を掻きむしりながら、やるせなさそうにため息を吐いた。

 

 それから、彼は何も言わずに手を伸ばして、僕の頭に載せた。

 

 くしゃり、と。

 

 頭を、撫でられた。

 

「よく、頑張ったな」

 

 目を細めて、ゆっくりと頭を撫でる。

 心地が、いい。安心感が、すごく生まれる。

 

「想像でお前さんの人生に踏み込むのは悪い趣味だと思っててもな。どーしても、言わなきゃならねえと思っちまった。

 お前さん、めちゃくちゃ苦労してきたんだな。よく、頑張ってるよ」

 

 ——。

 

 一瞬、何を言われたのか、わからなかった。

 

 それから、じんわりと、胸の奥が温かくなった。

 目の端から、あついのがつう、っと落ちた。

 

「……ありがとう。ありがとう、ございます。ほんとうに、ありがとうございます」

 

 涙を拭っても、あふれてきたものが止まらない。止まってくれない。

 僕の頬へ、彼の指が這って、涙をぬぐった。


「いいじゃねえか。泣いたって。泣いていーんだよ。でも、泣くだけじゃだめだぜ? ほら」

 

 ニッと、この人は笑って見せた。

 

「笑っていこうや。こうやるんだよ。やってみようぜ」

 

「こ、うですか?」

 

 僕は、彼の言ったとおりの笑顔を作る。

 すこしブサイクな、泣き笑いだった。

 

 男の人は、満足そうにうなずいたまま頭を撫でてくれる。

 

「いーじゃん。最高だぜ」

 

 また、太陽のように笑って見せた。

 

「……えへへ」

 

 僕は、少しだけ照れ臭くなって、笑った。

 

 その時、あたりが光り始めた。

 

 草原の端から、空の端から、白い光がゆっくりと広がってくる。遠くの丘の上の白い建物が、光に溶けて見えなくなっていく。

 

 それから、僕の全身が光り始めた。

 

「……えっ?」

 

「あー、なるほどな。そういうコト」

 

 男の人は、光の方を見て、納得したようにうなずいた。

 それから、光に包まれ始めた僕に向かって、ひらひらと手を振った。

 

「お仲間が呼んでんぜ。さっさと目覚めな」

 

 光が、強くなる。

 

 男の人の姿が、白く滲んでいく。

 

 最後に、その口がゆっくりと動いた。

 

「——後輩」

 

 待って。

 手を伸ばし、白に埋め尽くされていく彼に向かって、手を伸ばす。

 

 あなたの、名前は——。

 

 

 

 

 ※※※

 

 

 

 


「――エディン。エディンったら。起きなさい」


 肩を、揺すられていた。


 目を開けると、天蓋があった。


 赤い木材の、天蓋。昨日の夜、リヴェータさんが用意してくれた部屋のベッド。

 その天蓋に向かって、僕は手を伸ばしていた。

 

「どうしたの、エディン。うなされていたわよ。大丈夫?」


 心配そうに覗き込んでいたのは、リリアだった。

 赤い髪が、朝の光を受けて燃えるように揺れている。ネグリジェから、旅装に着替え終えていた。


 時刻は7時30分。朝日が、列車内の水差しをやさしく照らしていた。

 

「うん。だいじょうぶ。どうしたの?」

 

 涙をぬぐい、リリアを見る。

 今朝は、《蒼眼》の調子がすこぶるいい。調整の必要もないくらい、素直だ。

 

「どうしたもこうしたもないわよ。ついたわよ」


「……ついた?」


「【聖都】よ。もう列車、止まってるわ」


 僕は、身体を起こした。


 ベッドの上は、ひどい有様だった。トランプが散らばっていて、アルターがその真ん中で大の字になって寝ている。口が半開きで、よだれが一筋垂れていた。

 ログマは、ベッドの端に座ったまま、背筋を伸ばして目を閉じていた。……寝てるのかな、あれ。


 昨日の夜、結局みんなで、この部屋で寝てしまったらしい。


「……何か、夢を見てた気がする」


「夢?」


「うん。なんか、大事な夢だった気がするんだけど」


 思い出そうとした。


 でも、出てこなかった。指の間から水がこぼれていくみたいに、夢の輪郭が、遠景になっていく。

 草の匂いと、高い空と、誰かの声。それ以上が、どうしても掴めない。


 ただ、頭のてっぺんが、少しだけ温かかった。


 誰かに撫でられたあとみたいな、やわらかい温かさが残っていた。


「寝ぼけてないで、さっさと支度しなさい。リヴェータさんがラウンジで待ってるわよ」


「……うん」


 僕は、頭のてっぺんを、そっと触った。


 それから、ベッドから降りて、窓の外を見た。


 ――山だった。


 険しい山が、幾重にも連なっていた。

 岩肌がむき出しになった、切り立った峰々。その斜面に、朝の霧がうっすらと纏わりついている。

 列車は、その山の尾根に近い場所に止まっているらしかった。


 そして、山の向こう。


 ずっと下の方に、川が見えた。


 とんでもなく大きな川だった。

 川幅が、向こう岸が霞んで見えないくらいある。

 銀色の帯のように、地平線の果てから果てまで、ゆったりと蛇行しながら流れている。こちら側の岸には、濃い緑の密林がびっしりと広がっていた。


「グランアルメ河よ」


 リリアが、隣で言った。


「昨日の夜のうちに、渡ってきたみたい」


「……でっかいね」


「ええ。大陸を横断してる川。つまり、ここが導きの始まりの地」

 

 リリアが、聖書を諳んじるように語る。

 

「【聖都 サン・ヘレナ】の駅へ、たどり着いたのよ」

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