養主の論
クロの処刑宣告が出た後、食事は和やかに——表面上は和やかに——終わって、解散になった。
時刻は夜の8時。満足いくまで食べたから、ほんの少し眠い。おなかが重くて、体がなんだかぼんやりあったかい。
それぞれに用意された部屋は、さっき《蒼眼》で視たたとおり、とんでもなく豪華だった。
六人で雑魚寝できそうな天蓋つきのベッドに、赤い木材の化粧台。大理石のバスルーム。部屋の設備としては十分以上のものがそろっていて、小さな本棚まである。
気づけばリリアとアルター、ログマが、僕の部屋に集まっていた。
「なんで僕の部屋に集まるのさ」
「一人で寝るには広すぎるのよ、あの部屋。雑魚寝で十分よ」
「アルターがあの部屋で寝て、調度品に傷つけたら怖くて寝れないのです。エディンの部屋に集まればなんか落ち着くのです」
「同意。落ち着きません」
「リリアはともかく、君らさ。僕の部屋なら万が一調度品ぶっ壊しても何とかなると思ってない?」
「…………そんなこと思ってないのですよ?」
「…………心外。エディンがそんなことを言うなんて思いもしませんでした」
「二人ともちゃんと僕の眼を見て言おうね。窓の外見ないでさ」
窓の外には、星明かりに照らされた雪の街並みが通り過ぎていく。
高原の頂点を通り過ぎている今は、ひどく吹雪いている。
その奥に聳え立つ、半球の蒼い宮殿。
魔力が纏わりついた吹雪のせいで、魔力探知は効かないが、《蒼眼》ならば視える。
人のいない廃城。巨大な球状の宮殿の周囲には、黄金と白で彩られた尖塔や城壁。
青い宮殿に両手を組んで祈るガーゴイルや人、犬や猫などの獣の石像が円を描くように配置されている。
手入れは行き届いている。だが、人は視えない。
……あれが、【忘れられた雪都】、か。
「と、ともかく! みんなで遊びませんか!」
アルターが下手に話題を追及されると追い出されると判断したのか、懐から何かを引っ張り出した。
トランプだ。絵の描かれた札を取り出して、僕の前に大きく見せびらかす。
「いいけど、何するのよ」
「ババ抜きでいいのですよ。どうせこのメンバーでなら、何をしたって楽しいのです」
「同感。やりましょう」
「ま、そだね。やろうか」
結局、ベッドの上に四人で輪になって、 ババ抜きをすることになった。
慣れた手つきでアルターがカードをシャッフルし、僕らの前に均等に配っていく。
「じゃ、エディンから引いて行ってほしいのです。リリアから引いて行ってほしいのですs」
「ん、おっけ」
リリアの手札から一枚引いて、そろったペアをその場に捨てる。
アルターが僕の手札を一枚抜き、それを見てため息をつく。
でも、正直頭はあまりカードの方を向いていなかった。
クロ、今ごろどうしてるかな。
リヴェータさんに、何を言われているんだろう。
さっき、食糧庫を出ていくときのクロの背中は、なんだか処刑台にでも向かう人みたいだった。
それでも、出ていく直前に一度だけ振り返って僕に向かって唇の動きだけでこう言った。
「大丈夫だ」
本人はああ言ってたけど、大丈夫なのかな。
ちらりと、リリアたちの顔を見る。
リリアは、手札を睨みつけて真剣に悩んでいる。アルターは自分が持つ一枚のカードを凝視して、百面相を浮かべていた。
ログマは無表情で手札を扇のように広げていた。ログマはルールわかってるのかな。
……それにしても、クロは大丈夫なのかな。
——大婆様は、化け物だ。
クロの言っていた言葉が、頭の中で反響する。
ちょっと、心配だな。視てみるか。
アルターが変な顔して僕にカードを押し付けようとしているのを片手で制しながら、視界をリヴェータさんの執務室へ移した。
※※※
同じころ。
列車の最前部にある、小さな書斎。
エレクロスは、シャワーで濡れた髪をまだ少し湿らせたまま、その扉の前に立っていた。
ノックをして、大きく息を吸う。
ひとつ、ふたつ、みっつ。三回目の深呼吸の途中で、中から声がした。
「はいりなさい」
扉を開ける。
書斎は狭かった。壁の三方を天井まで届く書棚が埋めており、残りの一方に大きな窓がある。
窓の外を、雪の森が静かに流れていく。部屋の中央に、黒壇の書き物机がひとつ。
その向こうの椅子に、リヴェータが座っていた。
ヴェールを外している。淡い青銀の髪が、肩に柔らかく落ちている。
机の上には、書類の山と、湯気の立つ紅茶。もちろん、ハチミツとミルクで元の紅色からは程遠い色合いになっている。
「そこに立って」
「……はい」
エレクロスは、机の前に立った。背筋を伸ばし、脇を閉じて直立不動の構えのまま待つ。
「——灯をひとつ、窓に置こう♪ 夜道を歩く あの方の為♪」
リヴェータが書類の山を高速で捌きながら、小さな声で歌っていた。
——機嫌がいい。
怒っているはずだった。ラウンジで、あの声を聴いた瞬間にエレクロスは自分の頭にげんこつの雨が降り注ぐのを覚悟した。
なのに、今の大婆様からは怒気が欠片も感じられない。むしろ、羽ペンを走らせる指先が、どこか弾んでいるように見える。
(……わからないな)
エレクロスが、僅かに首を傾げていた。
「エレクロス」
リヴェータが、羽ペンを置いた。
顔を上げる。氷のような青い瞳が、まっすぐにエレクロスを見た。
「なぜ、自分が叱られるのか。わかっていますか?」
「無論だ」
エレクロスは即答する。
「あの屋台は、民草のためのものだ。民草を楽しませつつ、在野に埋もれた優秀な魔法師を見つけ出し、拾い上げるためのもの。
大婆様が作ったネットワークのひとつ。そこに、公が——アイネイアスの次期当主が、本気で挑んだ」
リヴェータは顔の前で両手を合わせ、指先を額に乗せて頷く。
「公があそこまで暴れ、衆目の目にさらした。しかも、相手は次期【勇者】。
民衆が物語とするには条件がそろいすぎている。『あの屋台は、アイネイアスの次期当主が挑んで、四代目【勇者】様に敗れた屋台』になる。
噂に尾ひれがついて、伝説の屋台にでもなれば、在野の目立ちたくない魔法師たちは委縮する。気軽に300テレスを置いて、運試しに興じることができなくなる。
それでは、装置として機能しなくなる」
「ええ」
「公は、自分の影響力を考えていなかった。そこから波及する物事を読んでいなかった。だから、叱られる」
リヴェータは、満足そうに微笑んだ。
「よく理解しているようね」
そう言って、彼女は椅子から降りて、エレクロスの前に行く。
ふわり、と。
足さばきで軽く浮かび上がった。
エレクロスの眼の高さを越えて、さらに上へ。机の上を越えて、エレクロスの頭上まで。
「あの、大婆様——」
「あの、大婆さ――」
拳が、落ちてきた。
――ごんッ!!
鈍い音が、書斎に響く。
エレクロスの視界が、真っ白に弾けた。
頭のてっぺんから足の裏まで、衝撃が一直線に突き抜けていく。膝から力が抜けて、その場に蹲った。
「~~~~ッッ!!」
声にならない声が漏れた。
痛い。
痛いなんてものではなかった。岩でも砕けそうな一撃だった。いや、実際に、岩なら砕けていた。
「とっさに魔力強化で頭を守ったの。感心感心」
リヴェータは、ふわりと床に降り立った。
拳を軽く振って、何事もなかったように椅子に座り直す。
「わたし個人としては、別に構わないのです。あなたのやらかしは十分後から修正が可能になる。そうね、ヴェンツ──あの屋台の店主は、これをうまく活かせる器量を持っている。
アシュドットの目玉の商店に、これを機に大規模な投資をすれば跳ねる見込みは高い。だから構いません」
紅茶のカップを持ち上げながら、彼女は言った。
「ですが、痛くなければ覚えません。これで、水に流しましょう」
「……っ、鬼……」
蹲ったまま、エレクロスが呻いた。
「悪魔……銀蛇……」
「……もう一発、ほしいの?」
すっ、と。
小さな拳が、差し出された。
「いらない! いらないとも!」
エレクロスは、蹲った姿勢のまま、器用に後ろへ跳び退った。
「なら口は慎みなさい。軽い口は船を沈める、というでしょう?」
リヴェータは、くすりと笑って拳を引っ込めた。
しばらく、書斎に沈黙が落ちた。窓の外を、雪の森が流れていく。
エレクロスは、頭を押さえたまま、恐る恐る立ち上がった。
「……大婆様」
「なにかしら」
「なぜ、そんなに機嫌がいいのだ」
リヴェータの手が、カップを持ったまま止まった。
それから、彼女は、ふふっと笑った。
「あら。分かります?」
「分からないわけがあるか。ラウンジであれだけ凍らせておいて、今は鼻歌でも歌い出しそうな顔をしているじゃあないか。実際、さほど上手くもない民謡を歌っていた」
「まあ、失礼な」
そう言いながらも、リヴェータの口元は緩んでいた。
「そうですね。理由は、いくつかありますけれど」
彼女は、カップをソーサーに置いた。
「――聞きましたよ。アシュドットのカフェで、あなたがローレッタたちに何を言ったのか」
エレクロスの肩が、跳ねた。
「『大婆様は何を企んでいる』」
「……っ」
「そう聞いたそうですね」
リヴェータは、頬杖をついた。
その顔は、本当に、心の底から嬉しそうだった。
「偉いわ、エレクロス」
「……は?」
「わたしを疑ったのでしょう? わたしが何かを企んでいると、自分で考えて、自分で気づいた。
以前のあなたは、わたしのやることを、あまり疑わなかったもの」
リヴェータは、目を細めた。
「そこまで育ったのね。わたし、嬉しいわ」
「……」
「ただし」
ぴん、と。
リヴェータの人差し指が立った。
「それを、わたしに筒抜けになる相手に聞いてはいけません。
ローレッタもヴィータも、ひいては<執行機関>はわたしの私兵です。あの子たちに聞いたことは、全部わたしに届くと思いなさい。
わたしを疑うのなら、わたしの目の届かないところで、自分の手で情報網を張ること。いい? 情報は武器であり、肉であり、旅先の地図。それを心得なさい」
「……ぐ」
「減点です」
ふふっと笑って、リヴェータの指が花丸を描く。
「でも、それを差し引いても、大いに満足です。
これだけで、十分なご褒美ものですわ」
エレクロスは、何と答えればいいのか分からなかった。
頭は、まだ痛い。目の前の35キロの──。
「まあ。レディの目の前で体重について考えるなんて、いい度胸ね。今度はちゃんと、魔力強化してから殴りましょうか?」
リヴェータがエレクロスの目の前で握り拳を作り、そこへ魔力を込める。
「……冗談だとも。まったく、公の視線と立ち振る舞いから心を読むのはやめてもらいたい」
「あなたも政治をやっていればわかるようになります」
拳を下ろし、リヴェータは顔の前で両手の指を組んだ。
「それから、屋台の件」
リヴェータは、紅茶をもう一口飲んだ。
「何をしているのです、あなたは。と、言いたいところですけれど」
カップを置いて、彼女はまっすぐにエレクロスを見た。
「負けて、相当うれしかったのですね」
「……ああ」
エレクロスは、小さく頷いて目をそらした。
アイネイアスは魔法師の頂点たる血族。その時期当主たる彼が敗れるなど、前代未聞だ。叱責するのに、十分すぎる理由だ。
きゅ、と目を瞑って彼女から目をそらし──。
「──よかった」
心底、安心した大婆の声が聞こえた。
「……よかった?」
「ええ。よかった。その敗北には、百万テレス以上を払っても手に入らない価値があります」
リヴェータは、指を一本ずつ折りながら続けた。
「あなたの魔法師としての実力は語るに及ばず。
エレクロスと同じ高さで撃ち合える魔法師が、この時代にいる。それが分かっただけでも、大きな収穫です。
それに、エディンさんが的当てで何を見て、何を考えて、何を優先したか。
あなたの話を聞いているだけで、あの子の力量も、性格も、判断の速さも、育ってきた環境も、少しずつ見えてきます」
「……大婆様は、それを全部」
「ええ。全部、聞いていましたもの。報告は、他の草から上がっています」
にっこりと、微笑む。
「そして、その後のあなたの対応。店主に謝礼を渡して、口止めをして、人垣の暗い顔を晴らして、勝者を立てて、景品を受け取らなかった。
──満点です。さすがは、生まれながらの王の器ね」
エレクロスの耳が、ほんのりと赤くなった。
「本気で戦って、楽しく負けた?」
「……ああ」
「それは、本当に素晴らしいことです」
リヴェータの声が、少しだけ柔らかくなった。
「あなたは若いのです。エレクロス個人として戦うのなら、大いに無茶をしなさい。
そのあとの始末をつけるのが、わたしたち、大人の仕事なのですから。
楽しかったのなら、本当によかった。何事も、楽しくなければ続きません。わたしは、嬉しく思います」
「……」
「なんでしたら、もっと負けてもいいのですよ」
「も、もっと?」
「ええ。貴族の誇りがどうとか、そういうものは、わたしは欠片も気にしていません。
アイネイアスの次期当主である前に、あなたは貴族であり、統治者よ。
優秀さなんて、ある程度あれば十分です。足りない部分は、人を雇えばいい。けれど、人徳だけは、どこからも買ってこられません」
リヴェータは、窓の外へ目を向けた。
雪の廃墟が、静かに流れていく。
「若いうちは、失敗が大事です。自分を信じる心がちゃんとあるのなら、失敗続きでも構いません。
人の道を踏み外しさえしなければ、どんな阿呆をやらかしても、問題ありません。そこから学びがあるのなら、成功よりも価値がある」
それから、彼女はエレクロスの方へ向き直った。
「あなたには、幸いアイネイアスという大きな家とわたしがついています。
失敗に縮こまるより、どーんと挑んで、失敗から色々と学んできなさい」
リヴェータは、柔らかく微笑んだ。
「大いに学び、大いに遊び、大いに挫折し、大いに休み――大いに、育ちなさい」
少しだけ、間があった。
「エディンさんにも、そうあってほしいと思っています」
エレクロスは、しばらく黙っていた。
頭は、まだ痛かった。
それでも、口元が、少しだけ緩んでいた。
「……大婆様は、すごいな」
「あら。今さら気づいたの?」
リヴェータは、くすくすと笑って、またハチミツの壺に手を伸ばした。
※※※
――ごんっ。
遠くで、鈍い音がした。
列車の床が、ほんのわずかに震えた気がした。ベッドの上のトランプが、ぴくりと跳ねる。
「……今の、何?」
リリアが、首を傾げた。
「さあ」
僕は、窓の外を見た。
今のはクロだ。
岩でも砕けそうな音だった。なのに、なんでだろう。《蒼眼》に移りこんでくる二人の様子を見ながら、息を少し吐く。
……クロ、ご愁傷さま。
ふふ、と小さく笑いが漏れた。
「ほら、エディン。あなたの番よ」
「あ、うん。ごめんごめん」
僕は、視線と意識を、手札の方へ戻した。
――全部、ジョーカーだった。
……ん?
もう一度、見る。
五枚。全部、ジョーカー。
ババ抜きで、ジョーカーは一枚しかないはずだ。なのに、僕の手札には、五枚のジョーカーが綺麗に扇形に並んでいた。
ゆっくりと、顔を上げる。
アルターが、両手で口を押さえて、肩を震わせていた。
「……アルター」
「な、なんのことなのです?」
「いつ入れ替えた」
「し、知らないのです。エディンがぼーっとしてたのが悪いのです。百歩譲って、アルターは悪くないのです。この手が勝手に!」
「その手に命令したのはこの頭だろうが!!」
僕は、アルターの頭を両手の拳で挟んで、ぐりぐりとこめかみを押し込んだ。
「いだだだだだ! ぼ、暴力反対なのです! リリア、助けてほしいのです!」
「自業自得よ」
「同意。弁護の余地がありません」
「裏切り者なのですーっ!!」
アルターの悲鳴が、豪華な客室に響き渡った。
窓の外を、銀雪の景色が流れる。
明日の朝には、【聖都】に着く。




